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2017年11月11日 (土)

音読みと訓読み

 

漢字には、音読みと訓読みってのがある。これは誰でも知っている。音読みというのはオリジナルの発音。漢字は中国語では表音文字のように、中国語の一音節に漢字一文字が対応している。ということは、例えば、シュンと音読みされる漢字は、春、駿、瞬、旬・・・その他に何種類もある。それは、中国語の発音は、それぞれ全部違うということになる。昔の日本人は、それらを聴き分けられなかったから、同じシュンという音読みにしてしまった。今でも、日本人の多くは、英語のRとLを聞き分けることができない。それだけ、発声を聞き分け、使い分ける能力の範囲が狭いのだ。中国人やアメリカ人には言葉の声として存在しているものを、日本人は、その存在に気がつくことができない。存在しないことになっている。

しかし、その弱点を逆手にとって、シュンを聞き分けることができないから、春ははる、瞬はまたたくという意味で識別するようになる。最近まで日本人は漢字を主として表意文字として捉えていたのではないだろうか。実際に、我々は漢字を見て口に出して発声できなくても、意味を分かってしまう。つまり、日本人は漢字をわざわざ日本語に翻訳しなくても、その文字のもっている意味がある程度分かってしまっていた。その結果なったのが、漢文の訓読だ。外国語をそのまま読んで日本語になってしまうという前代未聞、おそらく世界で他に例がないものだ。フランス語と英語で同じアルファベットという文字をつかっていても、フランス語の文章がそのまま英語で読めてしまうことはない。必ず、翻訳して英語に書き直す。これが普通だ。しかし、訓読は、漢文そのままを日本語で読んでしまう。それは、先に漢字の意味を捉えてしまって、あとで日本語にして発声するからだ。その漢字の読み方を訓読という。

この話は、さらに続く。日本人は漢字を意味で捉える。そこから、その意味をパズルのように加減して新しい意味をつくり出すという芸当をやってのけた。中国人は漢字を表音文字と捉えるので、外来語の新しい意味を導入する時には、その外来語の発声に漢字を当てはめようとした。これに対して、日本人は明治の文明開化の際に欧米から導入した新奇の概念の意味を把握し、その意味に近い漢字を当てはめた。自由、人権、民主主義、共産主義などみんなそうだ。それがあったから、あれほど短期間にエリートに限定されず庶民にまで浸透してしまったのだ。あとになって、それらは中国に逆輸入された。もし、それがなく、直接中国語になったとしたら、コミュニズムは発音が近い漢字が当てられたかもしれない。

日本人と漢字との関係はユニークだ。ただし、そういう接し方をしたがゆえに、中国語のニュアンスが切り捨てられて、意味が歪められてしまったということは、荻生徂徠ななどが厳しく指摘している。

ある人に、音読みと訓読みの違いを教えてくれといわれて、余計なことまで妄想してしまった。

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