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2017年11月 1日 (水)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(5)

第2章 憲法九条は絶対平和主義なのか?─1951年単独講和と集団的自衛権の模索

第一節 憲法九条は絶対平和主義と言えるか

日本国憲法の平和主義の理念は、九条によって表現されていると言います。伝統的な理解では、戦争放棄と戦力不保持を謳う憲法九条は、絶対平和主義を表現している。だからこそ日本は日米安全保障体制や自衛隊の存在は、九条に対する挑戦だとする主張が出てくる。はたして、これは正しいのでしょうか。

日本国憲法の前文は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳っています。この「平和を愛する諸国民」というのは、国連憲章が加盟国を指して用いていた概念です。したがって、憲法の前文は、連合国=国連を信頼して日本の安全と生存を保持する、ということを宣言していることになります。それはつまり、国連が定める武力行使禁止一般原則および集団安全保障や個別的・集団的自衛権の仕組みを信頼して、自分たちの安全と生存を維持する、ということを意味します。当時(1950年ごろ)の時代背景を考えてみれば、このような、国連に集う「平和を愛する諸国民」の集団安全保障体制を信頼して、自らの安全を図っていくという宣言は、時代に応じたもので、それほど違和感のないものだったと思われます。もし集団安全保障体制が機能しているのであれば、第二次世界大戦後に武装解除された日本が、あえて新たに軍隊を持つ必要はない。真に国連に集う諸国を信頼するのであれば、むしろ集団安全保障の時代に入ったことを決定づけるように率先して戦争放棄と戦力不保持を宣言することは望ましい。このような考え方が憲法九条の背景に存在していた。それは政権にもありました。

そもそも、当時の国連憲章で想定されていた敵国は、第二次世界大戦の枢軸国です。したがって、国連憲章の論理に従えば、日本国憲法九条とは要するに日本の武装解除を定めたものに過ぎないということになります。

しかし、国連の集団安全保障体制は現実には機能しなかったわれで、それは憲法九条にとっては、はなはだ都合の悪いことになりました。日本国憲法は、国際秩序への信頼を存立基盤としていたのが、冷戦勃発の現実によって裏切られてしまった。

その現実に対応したのが、国連憲章を中心にした国際法が定める安全保障体制が安全保障理事会にすべてを委ねる集団安全保障体制だけでなく、国連憲章起草の段階から、集団安全保障体制が円滑に機能しない場合を想定して、憲章51条の個別的・集団的自衛権の規定でした。もし集団安全体制が機能しない場合には、国連憲章の仕組みに従って、憲章51条に依拠していくのに応じていくことになっいったと言えます。

 

第二節 集団的自衛権と憲法九条

国連憲章51条は、集団安全保障の機能不全の場合に保管措置として、自衛権を行使することを容認する条項です。そのため、個別的自衛権だけではなく集団的自衛権も認めています。それは、「平和愛好国」である国連加盟国が、「国威の平和及び安全を維持するために力を合わせ」、集団的に行動することを容認するのでなければ、自衛できないからです。

この国連憲章を受けて、サンフランシスコ講和条約に「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する」という文言が挿入されました。さらに、日米安全保障条約の前文において、日米「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の個別の権利を有していることを確認」したとされています。この国連憲章、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約の三つは、集団的自衛権を根拠にした集団的安全保障取極として、具体化されたものと考えられます。

日本国憲法は、国連の集団安全保障を信頼する安全保障政策とともに作られたものですが、それが非現実的となっても、国連憲章51条に基づいて個別的・集団的自衛権という代替措置によって補完する政策的余地を残していたと著者は言います。当時の現実からいえば、欧州のNATOのような地域機構に属さない日本は、駐留米軍との関係、つまり、日米安全保障条約がそれに当たった。アメリカ軍は、沖縄を要塞化すれば、「日本の本土に軍隊を維持することなく、外部の侵略に対し日本の安全を確保することができる」という見解だったといいます。

当時の日本の国会において、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の審議で、野党であった社会党も国連憲章51条の集団的自衛権と地域安全保障制度を憲法の許す範囲において是認すると宣言しています。なお、この審議においては、日米安全保障条約が集団的自衛の条約であり、集団安全保障の措置であることは自明視されていました。

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