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2017年11月25日 (土)

「新しい」ということが成り立つには・・・

「新しい」という価値、例えば新発見というのは、それまでになかったもの、あるいは知りえなかったことを、「新たに」情報として、従来の情報に追加するということだ。そのためには、従来の情報と未知の情報が峻別されていて、それが人々に厳密に共有されているということだ。そのためには、全体ではなくて、限定された部分(限定の仕方といった視点も含めて)の情報を誰もが全く同じに、つまり個人によって解釈が分かれないほどに、共通に持たれているということだ。それを分析という。あるいはまた、個人による解釈の相違を許さないということから、客観的ということになる。これに対して普遍とか永遠というような全体、すべてを包摂した認識ということになるので、論理的に未知とか情報が追加されるということはあり得ない。この場合、情報が追加されることはない、もし、今までにない知識ということがありうるとすれば、曖昧だったことが明確になったとか、つまり、新発見という場合には、新発見の情報はデータの挿入モードと言える。これに対して普遍という場合にはデータの上書きモードで、それぞれデータが更新される。単純化した二分法だけれど。

新発見で部分が追加されてきたのが、既知の情報ということであれば、積み上がったものは疑い得ない確かなものかもしれないが、それ以外のところは分からない。しかし、人は、その分からないところでも存在している。具体的には、医学の分野で病気や身体の不調について、分からないことが沢山ある。実際に原因不明の腰痛などは日常茶飯事だ。しかし、分からないとはいっても、結果的に解決してしまったりしている。

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