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2017年11月16日 (木)

生誕140年 吉田博展 山と水の風景(6)

第5章 新たな画題を求めて:1930~1937

Yoshidataji ここで展示されている作品を見ると、第4章のコーナーの延長で、基本的には描いていることには変化はなく、描く対照の目先を替えているという程度ではないかと思います。吉田博という人は、私には、技量は向上して行ったかもしれませんが、彼の絵画観とか、絵画に対する姿勢といったことは若い初心のころから変わることがなかった、変えることができなかった人ではないかと思います。ある意味、才能が限られた、不器用な画家という印象を強く受けました。

Chiricobec それは、新たな題材としてインドに向かったということですが、そこで吉田が描いたのは、タージ・マハルのような著名な建築物とヒマラヤの山岳風景に限られます。それは、日本やヨーロッパの観光パンフレットのような風景画と視点は同じです。「タージ・マハル」を描いた作品は、構図は絵葉書です。しかし、ここでタージ・マハルの手前に佇む人影は人間というよりは人の彫像のようで、意外なことにベックリンの「死の島」と構図が似ている感じがします。吉田はベックリンなど見たこともないかもしれませんが、動きとか生命感を全く感じさせない画面は、そうな受け取られ方のできる可能性はあると思います。

Yoshidaudy 「ウダイプールの城」という作品でも、手前の二人の人物は添え物で、主役は前景の柱と遠望する城の建築風景です。「タージ・マハル」の場合のように連想する作品は思い至りませんが、これらの風景画は絵葉書とか観光パンフレットなどと辱めるような形容をしていますが、そこでは見る人にとってはエキゾチックな風景を分かり易く親しめるものになっています。その一方で、人物が彫像のようだったりと、近代西欧の風景画のような見る者が感情移入するような要素や、物語的な要素は全くありません。そこに、画家の感情とか理念のようなものが入り込む余地がない、と言えます。あくまでも風景の、表層の外形を画面にうつすことのみを行っています。これは余計な詮索かもしれませんが、当時の日本という国家の方向性がアジアへの進出を志向するような動きを始めているという環境にあると思います。吉田がインドや東南アジア、中国や朝鮮を題材としたのは、絵画の購買者である消費者の関心が欧米からアジアへと広がったか、換わった背景として、そういう全体の動きとは無縁ではないと思います。人々の関心の視野にアジアが入ってきた背景ということですが、吉田はそれに応えるということがあったと思います。そのような時代状況において、しかし、吉田の制作態度は、対象としては時代のニーズを掴んではいたとしても、吉田の関心は形に限られていたのではないかと思います。そこに感情移入ができないということは、吉田は先入観をあまり持たずに、ただ形を見るだけだった。時代状況のなかで、その状況に対してイノセントに形を描くことだけに没頭していた、という印象を持ちました。それは、「大同門」という朝鮮の風景や「北陵」という満州の風景を、それまでと同じように、余計なことを考えずに形を捉えることに没頭しているような作品を残していることからも窺えると思います。

Yoshidadaido あるいは、このような作品の制作を対象の目先を替えて制作していて、(周囲がどう見ているかは別にして)マンネリに陥ることなく、制作を続けているということは、ある意味では鈍感であるし、この後に、戦時には戦争画を描いたり、その戦争が終わった後は外国人に受けしてしまうという節操のない軽薄なところは、形を写す以外には、イノセントであるということが吉田という人物の特徴であったのかもしれないと思います。

そしてまた、彼の節操のなさは、「弘前城」や「陽明門」といった、精緻ではあるけれど、浮世絵版画と間違えられてもおかしくない作品を堂々と制作してしまう臆面のなさにも現れていると思います。Yoshidanorth

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