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2017年12月

2017年12月30日 (土)

ジャズを聴く(47)~アイク・ケベック「ヘヴィ・ソウル」

 アイク・ケベックは、素晴らしい“大衆的な”サクソフォン奏者であったが、その存命中は多くの批評家から実力を過小評価された。彼は、シンプルでありながら単純すぎるやり方では求め得ない魅力的な音楽を表現して見せた。彼は音色やスタイルの点で、とくにコールマン・ホーキンスのような明白なスイングジャズの傾向にあった。しかし、ケベックは単なるホーキンスのまねに終わっていない。彼は巨大なブルースのトーンや攻撃的だったり歓喜しているフレーズで、楽しげなアップ・テンポの曲や叙情的なスローブルースやバラードを演奏した。彼の演奏には、間違った指使いや複雑なものはなく、ストレートに心情から発せられるソロだった。ケベックは、かつてピアニストやパートタイムのタップダンサーもやったことがあるが、40年代にテナー・サックスに転向し、カウント・ベーシーとも協演した。彼は、ケニー・クラーク、ベニー・カーター、ロイ・エルドリッジと言った人々がリーダーを務めたニューヨークのバンドたちと協演した。彼はケニー・クラークと共同で「モップ・モップ」を作曲し、後にその曲はコールマン・ホーキンスによってビバップの最初期のセッションとしてレコーディングされた。ケベックは、40年代中頃から50年代はじめにかけて、キャブ・キャロウェイの楽団と協演し、その派生ユニットであるキャブ・ジャバーズとも協演した。ケベックは40年代にブルー・ノートで78枚ものアルバムに参加し、またサヴォイでもレコーディングを行なった。彼の歌である「ブルー・ハーレム」は大ヒットした。ケベックは、ラッキー・ミランダーと協演し、キャロウェイとレコーディングも行なった。アルフレッド・ライオンは40年代後半にケベックをブルー・ノートのアーティスト・アンド・レパートリー、つまり、アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作の担当者にした。後に、ケベックは多くの将来性ある才能をライオンに紹介した。ケベックは、しばらくの間、バンド・リーダーと兼任していたが、50年代後半まで、ブルー・ノートのためにレコーディングと才能の発掘に集中することとなった。彼がライオンのもとに連れて行った人々の中には、セロニアス・モンクやバド・パウエルもいた。ケベックは、モンクのブルー・ノートのデビュー盤のために「Suburban Eyes」を書いた。彼は50年代の終わりごろから、再び、演奏活動を始め、ソニー・クラーク、ジミー・スミス、歌手のドード・グリーンやスタンリー・タレンタインとブルー・ノートのセッションを行なった。彼の再会した音楽活動に対して、以前に彼を酷評した批評家から注目浴び評価を受けていたその時、1963年、ケベックは癌で死去した。

HEAVY SOUL  1961年11月16日録音
Jazquebec_soul  Acquitted
 Just One More Chance
 Que's Dilemma
 Brother Can You Spare a Dime
 The Man I Love
 Heavy Soul
 I Want a Little Girl
 Nature Boy
 Blues for Ike
 Ike Quebec (ts)
 Freddie Roach (org)
 Milt Hynton(b)
 Al Harewood (ds)
 『It Might As Well Be Spring』の1ヶ月ほど前に録音された、このアルバムでのケベックの演奏は『It Might As Well Be Spring』とほとんど変わりはない。このアルバムの特徴としては。オルガンのフレディ・ローチが積極的であるところと、アップ・テンポの多少はアグレシッブな演奏が含まれていることだろう。
 アルバム最初の「Acquitted」は気合の入ったアップ・テンポのナンバーで、『It Might As Well Be Spring』がゆったりとした演奏でリラックスして始まるのとは対照的。リズム・セクションがマイルス・デイビスの「マイルストーン」を想わせる4ビートを痛快にたたき出す。そこで、オルガンのフレーズが突っかかってくる。そのようなバックに対して、ケベックは野太い音で、メロディックなフレーズを歌わせる。ちょっとしたミスマッチの感はあるが、それが不思議とハマってしまう。次の「Just One More Chance」で、ぐっとテンポが落ちて甘いバラードになると、『It Might As Well Be Spring』の時と同じような、ゆったりとしたグルーヴで昭和歌謡のムードのようにケベックのサックスがすすり泣く。3曲目の「Que's Dilemma」では、最初の「Acquitted」と同じようなアップ・テンポの曲で、1曲目と同じようにアグレッシブなリズム・セクションに対して、アナクロとも言えるスタイルで鷹揚と構えるケベックのサックス。しかし、こちらの演奏ではアドリブにはいると次第に演奏が厚くなって、とくにオルガンやベースが突っかかってくるよう。
 こうして、ケベックの演奏を聴いていると、ジャズのルーツが民衆から生まれてきた音楽であることを、同時代の他のプレイヤーよりも強く感じる。ケベック自身は、ベースとなるスタイルが「中間派」ではあっても、バップのスタイルを無視していたわけではないし、R&B等のほかの大衆音楽の動向にも目配りしていたのは、ブルー・ノートで先鋭的な才能を発掘していたことからも分かる。その一方で、ケベックにはバッパーやその後の先端的なジャズ奏者たちのような、自由な即興を追求するとか、ユニークな演奏を目指すとか、そういった自己自身に根ざし、発せられる表現衝動とか欲求のような要素があまり感じられない。それよりも、大衆的な音楽として人々に受け容れられ、その人々の間で心地好い空間をつくりだすことでよしとする姿勢があるように思う。ケベックの生きていた時代では、それが後進性のように映ってしまったのではないか。しかし、その後のジャズが他のジャンルの音楽とのコラボレーション等を通じてサウンド志向になったり、環境音楽やワールドミュージックの方を向いたりするなかで、音楽スタイルは別にして、ケベックの姿勢を間接的に受け継ぐ人が出てきているように思う。
 そして8曲目の「Nature Boy」は、ケベックの音楽の底力というべきか、ミルト・ヒントンが弾くベースとのデュオという虚飾と贅肉をギリギリのところまで拝した編成で、ボン・ボンと骨太の深い音で爪弾かれるベースと、剥き出しのメロディのようなフレーズで対話する。短い時間だけれど、部屋とそっと独りでいつくしみように静かに聴いていたい演奏。

2017年12月29日 (金)

ジャズを聴く(46)~アイク・ケベック「春の如く」

Jazquebec  テナー・サックス奏者。ここでは、実際の響きを具体的に言葉にして、読んだ人がその音楽を響きとして想像できるように心掛けているつもりだが、ここでは比喩的な言い方を許してもらいたい。このページで取り上げているミュージャンの大半はライブ演奏では「俺の演奏を聴け」とばかりに、自分の主張を音楽で表現したり、音楽自体が重要であるというようなことで、音楽を創ることに全身全霊をかけ、聴き手にも相応の緊張を求めている。ある意味、自分が神のように自由にやりたい放題の演奏をして、聴き手に押し付けるところもある。しかし、これに対してケベックの場合には、ライブに集う人々の間に楽しい時間や空間をつくる手段として演奏しているような音楽をやっているように思える。例えば、ライブハウスのテーブルについて、とくに音楽を聴いていなくて酒を飲んでいる人を否定することなく、音楽で、その人が気持ちよく酒を飲めるような雰囲気に自然となっていることでよしとする。そういった性格の音楽をやっているプレイヤーではないかと思う。
 ケベックの音楽スタイルは、中間派といわれ、彼が音楽活動していた時には、時代のジャズであったバップに比べて、昔のハーレム・ジャズとかスィングとかを引き摺ったアナクロと言われるようなスタイルだった。それは、例えばアドリブで走ったりしないで、彼の吹くフレーズのひとつひとつがメロディックで親しみ易く、それを聞きやすくするために野太い音でメロディがはっきりと分かるように朗々と吹いている。それだから、聴きようによっては昭和の歌謡曲ムードをキャバレーで演っているようにも聴こえる。そういう通俗性がある。しかし、そういうコテコテさに陥ってしまう一歩手前のところでの寸止めの一線をケベック自身がわきまえていて、その一線を越えないでとどまっているところで下品にならず品格を保っている。例えば、ブロウを派手にブチかましてオーバーブローになることはなく、サブトーンですすり泣くような吹き方をするときでも抑制がきいているので、悠々としたハートウォームなトーンとして聴こえてくる。そのため、聴き手はリラックスして、安心して身を委ねることができる。
 このように書くと、単に心地好いだけのムード音楽と受け取られてしまうかもしれないが、ケベックの演奏には抑制が効いており、その土台には自己の音楽を冷静で客観的に見る視線と、過剰を律する自己に対する厳しい姿勢があって、それが彼の演奏に品格を与えている。
T MIGHT AS WELL BE SPRING   1961年12月29日録音
Jazleeknitz_har  It Might As Well Be Spring
 A Light Reprieve
 Easy Don't Hurt
 Lover Man
 Ol' Man River
 Willow Weep For Me
 Ike Quebec (ts)
 Freddie Roach (org)
 Milt Hinton (b)
 Al Harewood (ds)
 『春の如く』という邦題と、緑色の基調のジャケットデザインが、このアルバムの雰囲気に寄り添うようで、見事に印象を表わしている。
 最初の「It Might As Well Be Spring」は、ゆったりとしたオルガンのイントロに導かれるように入ってくるケベックのサックスの音。あまりにも低くゆったりと吹かれる。それは、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズの演奏に慣れた耳には、いかにも一時代前の古臭くも聞こえる演奏は、却って新鮮で衝撃的に響く。ドロドロといっていいほどのスローテンポの演奏で、野太いテナーサックスの音色、溜めに溜めたようなグルーヴ感。スタンダードナンバーのブルージーなテーマを、ケベックのサックスで聴くと、まるでひとむかし前の切ない歌謡ムードを想わせる。それは、ジャズが通俗的な大衆音楽であることを、今さらながらに想い起させる。そのあとに続くアドリブパートもビバップのようなハイテンションになることなく、少しテンポは上がるものの、大らかでリラックスしたトーンが一貫している。しかも、ケベックの吹くフレーズはメロディックで朗々としている。バックも、ケベックに寄り添うように、フレディ・ローチのオルガンは冒頭の「ショワー」というシャワーのようなサウンドは、聴く者を一気に、この世界に招き入れてしまうもので、ゆったりと気持ちの良いテンポを形づくっていて、ミルト・ヒントンのベースは、ゆったりと大股で歩くように「ズンズン」と弾かれている。ケベックを中心に4人の奏者が、ビバップより以前のハーレムジャズをルーツにする中間派と呼ばれるスタイルで一貫していて、居直ったような自信に溢れる演奏をしている。
 次の「A Light Reprieve」は、アップ・テンポの曲になり、若干ドラムスが煽るようなところ見せるが、ケベックはいっこうに動じることなく悠々とした演奏を崩さない。
4曲目の「Lover Man」もスタンダード・ナンバー。1曲目に輪をかけたスローな曲で、バラードのように立ち止まって歌うというのではなく、そのスロー・テンポでもグルーヴするノリは超絶的と言えるかもしれない。1曲目と同じように野太い音でサブトーンというよりはブレス漏れになりそうなほどのしのび泣くようなソウルフルなサックスの暖かい響きで、歌心あふれるフレーズを次から次へと繰り出してくる。
 次の5曲目の「Ol' Man River」は、このアルバムでもっとも急速なナンバーで、スイングするケベックは緊張感の高い演奏を展開し、後半にはリズム・セクションもそれにつられて徐々に盛り上がってくるのだが、どこか鷹揚としているように聴こえてくる。
このアルバムは全体としてスローテンポのゆったりとしたナンバーがほとんどで、ケベックのアナクロな野太い音に酔うようにして、リラックスして身を委ねていたい。

2017年12月23日 (土)

中村隆英「日本の経済統制:戦時・戦後の経験と教訓」

中村隆英「日本の経済統制:戦時・戦後の経験と教訓」を読んだ。

著者は、対象とする日本の経済統制を世界恐慌の影響から脱するために、経済体制を整備し、力を結集させようと、まずはカルテルやトラストという経済界の自主統制から始まるという。しかし、日中戦争の開始に伴い第一次世界大戦のドイツがとった国家総力戦体制に軍部が傾いていったことから本格化したという。これには、財閥をはじめとした資本家の私利私欲の亡者のような行動への反発や、現実に2.26事件により高橋是清といった経済統制の動きに対して歯止めとなっていた人たちがテロの対象となって力を失ったこと、社会主義思想を持った人たちの多くが同調したこと、などが副次的な原因と指摘する。しかし、その本音としての目的は健全な国家財政の制約により軍備の増強が進まない軍部のプレッシャーだった。廣田内閣の馬場財政が軍部に迎合した予算を組んでから、慢性的な通貨不足状態となり、貿易とくに輸入がじり貧となり産業に必要な物資(原材料やエネルギー)の供給が足りなくなると経済が縮小していくことになる。それを抑えるために経済を緊縮させるため、経済統制のしめつけを強化せざるをえなくなる。つまり、統制が統制をよんでいく。しかし、物資は軍備に回され、戦争の長期化に伴い労働力も軍隊にとられ、生産に必要な要素が枯渇していった。著者は昭和17年の時点で制海権をアメリカに奪われ、海上輸送体制が崩壊した時点で経済の自立は失われ、この時点で戦争の継続はおろか、まともな生活すらできない、つまり国としての生存の実体を失ったと指摘する。

その反面、この戦時体制の経済統制が戦争後の復興をすすめたシステムが定着したという。復興の鍵となった傾斜生産方式は戦前の企画局の政策そのままであるというし、いわゆる日本的経営の特徴は、このとき確立したものだと指摘する。

著者の議論は説得力はある。しかし、その議論にしたがえば、日本の経済復興や高度経済成長はレッセ・フェールの自由な経済活動を否定するような統制経済で、限られた資源のなかで輸出によって外部から富を奪取していく総力戦だったというわけで、日本的経営というのは、その総動員体制を経済活動で進めるために適したのだった、ということになる。それは、ある程度は言えると思うが、そうであれば、自由な経済の競争とか、グローバルの豊富な市場に適応した活動とは、正反対もしくは敵対的なシステムが日本的経営という結果を導くことになると思う。確かに、アジア諸国が権威主義的な体制で経済成長を遂げた際に、日本の経済成長を参考にしたのは、日本の経済のもつ本質的に統制的だった性格を敏感に読み取ったからかしれないと思った。

2017年12月18日 (月)

熊野純彦「カント 美と倫理とのはざまで」

熊野純彦著「カント 美と倫理とのはざまで」を読んだ

自然は、人間の意志とは無関係に存在している。それを人は美しいと思う。その美しさというのは、そこに存在していることだ。在るべき姿がそこにある、ということ。必然であるということ。これに対して人間のつくる芸術美というのは、美しさという目的に適うことによる。その美しさという目的は人がつくるものであり、だから、人には自由がある。人間以外の存在、例えば、動物は自然という必然の中で、あるべきという必然に従って在る。人間もそういう面はあるが、在るという自然美にたいして芸術美を作り出すように、存在をする。それは人が目的をつくる自由があるからで、この目的の実質は幸福である。

というようにカントの『判断力批判』をざっと捉えている、みたい。みたい、と書いたのは、読んでいて、よく分からないまま素通りしてしまって、あまり引っかからなかったから。著者の著述は要領がいいのだろうか、スマートなのだろうけれど。その議論以前に、なぜ目的なのか、そういう発想の理由がよく分からない、それを当然のように説明されると、それを問うた形跡がないのか。

難しいなあ!

2017年12月15日 (金)

西兼志著「アイドル/メディア論講義」

西兼志著「アイドル/メディア論講義」を読んだ。

スマホで自分の写真や動画を簡単に撮れるようになり、その映像をSMSで共有するのは当たり前になった。人々は、そのためのインスタ栄えする撮り方や映り方を身体化して身につけてきている。これは、以前なら芸能人やアイドルに限られていたメディアでのカッコいい振る舞いやポーズが日常化したものといえる。

人とメディアとの関係が尖鋭的に表われていて、それを眺めることができるものとしてアイドルを取り上げる。いままでは、このような視点での議論はネガティブに語られるのが常だった。冒頭の例は、ティーンズ・マーケティングの担い手としてファンという消費者を消耗させる大衆欺瞞とでもいう。アカデミズムからは文化産業論の名目。上から目線で冷やかに眺めるものだ。それはアイドル現象の真っ只中でそれを謳歌する内側からの視線の反対の極ということになってしまう。そのどちらにもならないように、著者は綱渡りのように議論をすすめる。

結論は、どうでもいい。ただ、その議論を・・・

 

近代以降の西欧では市民階級が勃興し、芸術や芸能が王侯貴族というパトロンに庇護されていたことから、市民階級を相手にして、例えば、音楽ではベートーヴェンが収容人数が多いホールで大音量のオーケストラで交響曲を演奏する、という変化が始まる。大衆社会の出現による大規模消費が始まり、流行という現象が発生した。音楽の世界では、ヴィルトゥオーゾというような現在のスタープレイヤーのような人も生まれた。

演劇の世界でも大劇場で、戦場の英雄等にかわって、人々に注目されるスターが生まれる。大舞台でスター俳優が演じるのを遠目に見ると言う関係では、その距離のため演技の細かい部分までは伝わらない。そこで俳優はメイクや身振りは過剰で大袈裟なものになったのは無理もない。その後、映画の発明により、スクリーンに姿を拡大されて映し出されることによって、舞台での誇張された演技は不自然なものと変化した。従って映画の俳優たちは演劇的なメイクを落とし、日常生活と同じような仕草をするリアリズムの演技をするようになった。それが、テレビという大きな映画館で多数の観客と俳優と言う関係から、人は、家庭とか個人の空間でテレビの演技を見るようになる。そこでは個人対個人になぞらえるような関係に変化。その関係では、映画での俳優の姿はリアリズムといっても多くの人々が憧れる理想の姿であった。俳優は映画で役を演じていた。それが、欠点もある個人としての姿が求められるようになり、テレビで演技していても、役を演じても俳優個人の姿が前景化してしまうようになる。さらにインターネットの時代になり、SMSで俳優たちが直接、個人的な話を公開するようになり、演技より、俳優のパーソナリティが前面に出てくる。

俳優というスターが他人数の観客との関係をつくることは変わることはないが、その間のメディアが変化することによって、演技のやり方が変化し、俳優のあり方も変化してきた。一方観客が俳優に何を求めるかが変化した。ということは、両者の関係のあり方が変化した。

実は、俳優を見る人々の見方が変化したことの影響だろうか、人々の日常生活での振る舞いや仕草も、合わせて変質してきている。

2017年12月14日 (木)

没後40年 幻の画家 不染鉄(6)~第5章 回想の風景

画家の晩年の拾遺集のような展示です。

Fusenyumedono 「夢殿」は法隆寺の夢殿でしょう。薬師寺の東塔を描いた作品を思い出させるような、正面からの姿でシンメトリーに描いています。しかも、建築図面のような精確な描写です。しかし、薬師寺東塔を描いた作品に対してひと目でわかる違いは、雨が降っていることと背景を描いていないことです。それまで見てきた不染という画家の特徴は、特著的な線を引くということと、その線によって形を明確に表すということでした。そのため、これまでの作品では天候とか光と影とかいったことは、雪の場合を除いて、見ていて注意したことはありませんでした。しかし、この作品では雨を降らせています。また、背後の水平な帯のようなのは光でしょうか。それまでの作品であれば、現実でも想像でも、何らかの背景を描いていたのですが、ここでは雨にけぶるところに光がさしたというようです。前の展示コーナーの後半のいくつかの作品から気になっていたのですが、この作品でも、不染は形を明確に表わすということをしなくなってきているように見えました。しかも、雨を白い線を引いて表現しているのですが、不染という画家の力量からすれば、もっと極細の線を引くことができるはずなのに、それをしていないのが、不可思議です。

Fusename 「静雨」という夜の雨の光景で、真ん中の灯篭の光にお堂と中の仏像が浮かび上がるという作品で、この作品も形を明確に表わすということをしていない。二つの作品とも瞑想的という形容がなされていますが、これまで見てきた不染の作品は、そういう形容詞や物語の要素を混入させず、形を描く、それを見る者に示すというシンプルにことだけで、見る者を説得してしまう作品を描いていたと思います。それが、他の日本画の画家にはない(こういう視点からみれば、大家と言われる人たちをふくめて、ほとんどすべての日本画の画家たちは描かれた絵のみで勝負することから逃げて、ごまかしをしていると見えます。不染は、そのようなごかしを潔しとしない決意があるように、私には感じられました)ものだったと思います。それが、これらの作品をみると、老境に入って日和ったかといぶかしさを感じました。

Fusenkaede 「いちょうFusenharu 」という作品、銀杏でしょうか、点描でおびただしい銀杏で画面が覆われてしまい、画面全体が黄金色に染まってしまう作品です。これも、何らかの隠喩がシンボリックな意味合いがあるような想像をさせる作品です。「山海図絵」のような現実にありえない想像の世界を描いて、それを見る者に力技で納得させてしまう方向とは正反対です。どこかで不染は方向転換してのか、これでは幾多の日本画家と同じごまかしに手を染めてしまったのか。そんな感じがしました。

「落葉浄土」という作品など、題名もそれらしくなってしまいました。ここでは、建物のパースペクティブもなくなって、のっぺりしたものになってしまいました。

これも、「山海図絵」という異常なもの見てしまったがゆえに、それ以降の作品を、どうしても贔屓目でみてしまうためでしょうが、はっきりいって、付録というものになってしまいました。それは仕方がないと思いました。

2017年12月13日 (水)

没後40年 幻の画家 不染鉄(5)~第4章 孤高の海

このコーナーに移って印象がガラリと変わります。強靭さを秘めた繊細な線によって作られ、枯れ草のような渋く薄い色遣いで、描き込まれた作品から、線は太くなり、墨の黒が基調となった画面となります。

Fusensea 「海」という板の屏風に描かれた作品で、画面全体が黒を基調とした、夜の世界か、深海の陽光の届かぬ暗黒の世界のようです。そこでは、線による明確な形はなく、墨の濃淡によるぼんやりとした輪郭により、黒い海の中から白い影で魚の姿がぼんやり窺えます。民家も魚と同じように描かれています。これは、海と夜の暗さにより境界がみえなくなり、一元化されたポジとネガが反転した世界になっているという尋常でない世界です。この世界を深層心理っぽい物語で解釈することも可能ですが、不染の絵はそんな安易な物語に頼ることなく、画面そのものだけで勝負している潔さがありますが、この作品はそういう欲求をそそられるところがあり、この屏風の裏面に描かれた「ともしび」という夜の民家を描いた作品にも、同じような欲求をそそられるところがあります。

Fusennankai 「南海之図」という作品も異様です。最初にひと目見た時、画面の上半分は何なのか分かりませんでした。全く関係ないないところで、フランチシェク・クプカの抽象画のにょきにょきと鍾乳石が成長するような形態の連続を思い出してしまいました。妙な形をした真っ黒なものが蠢いているように見えました。しかも、下半分は灰色のグラデーションです。波形が連続しているので、海であることを分かる、といったものです。「山海図絵」が徹頭徹尾、明確な形が細部から画面全体を作り上げてしまったようなのと対照的に、明確にそれと分かる形をしているのは中央右手の帆船くらいのもので、あとは形状の連続しか見えてきません。ある程度、みていて上半分の形状が山水画の深山の岩稜と似たような描き方であるのに気がついて、断崖となっている海岸線の岩場であることが分かりました。

この変わりようは何なのか、何となく「山海図絵」によって、やり尽くしてしまって、もはや、それ以上の作品を難しいというところで、不染は別の方向性に活路を探したというように、私には思えます。ここでも、墨の濃淡に諧調の変化によって、波を描き分けて、幾重にも打ち寄せるさまを表現していたり、細かな工夫をしているし、上半分の岩についても線を上に行くに従ってボカシを入れていったりしています。これはこけで迫力あるものとなっていると思います。

Kupkatales そして、「廃船」という作品で、この作品には同じ傾向の作品がありませんでした。この画面をみて、最初は船が集落の上に乗っかっているように見えてしまいました。何か、これまでになかった不自然さというのを、私は感じてしまうのでした。それまで、不染がなんども繰り返し描いてきた民家の描き方は、少し変わってきている感じがしました。どこか崩れた感じがします。これは、茅葺屋根のきっちりとした形の民家を描いてきたのに対して、ここでは、掘っ立て小屋に毛が生えたような今にも倒れそうな粗末な家が寄り添ってかろうじて建っているような風景です。ここで感じられるのは貧しさであり、全体的に暗くくすんだ色調からもくる重苦しさです。ここには、それまでの作品にあって、私にはもっとも印象的だった線が見えてきませんでした。展示場では、比較的人だかりのしていた作品でしたが、私には、それほど感心できるものではなくて、どうしても「山海図絵」を見てしまうと、その後は、比較して見てしまうことになってしまいます。

Fusenship

2017年12月12日 (火)

没後40年 幻の画家 不染鉄(4)~第3章 聖なる塔・富士

Fusenyakushi 展示は、フロアが変わって、次の部屋に入ると山水画とは打って変わって奈良の寺院建築を描いた作品が目に飛び込んできました。薬師寺の東塔を描いたことが一見して分かる「薬師寺東塔之図」です。なお、不染は同じタイトルで薬師寺東塔を何度も描いています。とりあえず、2点ほど、その画像を掲げておきます。建築は、不染が多数描いていた家の発展したものと考えると、不染の描く対象というのは一貫していることになると思います。それは、彼の特徴的な線が要求しているというべきか、その線を生かすために適した題材が、日本画の一般的な題材である花鳥風月でも人物でもなく、建築物だったのではないか、と思ってしまいます。

Takashimayakusi 作品を見てみましょう。この東塔を描いた作品では、彼がそれまで民家を描いていたときのような立体を描く描き方ではなくて、まるで設計図のような真正面の姿を描いています。設計図のようだと述べましたが、それほど精確に塔の姿を描写していると言えます。私の知る限り、それまでの日本画では、ここまで建築物を細部まで精確に描写することはなかったのではないかと思います。薬師寺東塔の裳階のある三重の塔のプロポーションのユニークさを、果たして日本画では認識し得たのか、そういうことに気がついていたのか、疑問に思います。他の日本画の風景を描いたものを見ていると、塔であることが分かればいいという程度、単純化して屋根が重なっているくらいのものが描かれているのがせいぜいではないか。しかも、その正面の塔のプロポーションを画面の真ん中にして、シンメトリーな構図で描いています。これも他の日本画では、ほとんど見たことのない構図です。日本画では、楷書で書いた漢字の堅牢さにたいしてかながきの流れるような柔軟さを雰囲気として志向しているところがあると思います。そこではかっちりした構図では、そういう柔軟さとは相容れないもので、むしろ均衡をさけた構図をとっているところを特徴としていたのではないかと思います。むしろ、西洋絵画では黄金比とか左右のかぎらず点対称とかシンメトリーなどの構図を駆使して画面を設計している作品が多い。この場合には、画面構成にも意味があるといった場合もあります。そこで、この不染の作品では、シンメトリーの構図がとられていて、日本画というよりは油絵のような構成になっている。それを、日本画の作品としてまとめてしまっていることだけでも、すごいと思います。そんな図面のように精確でもあり、油絵のような構図をとっているにもかかわらず、日本画の作品になっているのです。この作品では、背景の飛鳥の山か雲か分かりませんが半円の図形(おそらく、中心の塔を聖なるものと見立てた光背のようなものではないかと思います)で塔の中心の位置から少しずらしてシンメトリーを崩しています。また、当の左右に建物を配していますが、完全に同じではなく、少し崩しています。そして、前景として画面下部をボカシで塗りつぶすようにして林をいれることによって、図式的に見えることのないようにしているように見えます。しかし、よく見るとその前景の林と中心である塔、その左右の建物の大きさはバラバラで写実という点では大きさのバランスは取れていません。それが、どうして、ひとつの画面に収まってしまっているのか、私には説明がつきません。それを見せてしまっているところが不染という画家の凄いところです。

Fusenyakushi2 それは、もうひとつ掲げている東塔の図についても言えます。塔の背後には一段目が薬師寺の伽藍、その上の段には民家が、あいだに森や山があって、その上の段には遠景の集落、その上には水田、その上には別の寺院のシルエット、そして、半円、山と、まるで雛人形の段飾りのように景色が段々に描かれている。その図式のような背景の、ひとつひとつの建物は正確な姿ですが、やはり大きさの点で塔とのバランスがとれていないし、遠近法の位置関係もおかしい。しかし、そんなことは別にして、塔を描いている線と色遣いと背景のとはまったく異質です。しかも、背景には点描のような、花や稲穂を点を打つことによって表現しているでしょうか。それが模様のようになって、画面に装飾的な効果を与えて、背景から塔が浮き上がってくるようにみえます。背景の模様のような図式化されているのに対して、塔はリアルで精確な描写で、まるで両者は違う世界のようです。しかも、塔の頂上の仏舎利の有名な水煙のところは光の光背が付けられているように見えます。譬えていえば、背景の現実の世界に対して塔は聖なる、いわば理想化された世界のような対称です。それが、塔はシンメトリカルだけれど、背後はシンメトリーが崩れている。

余談ですが、不染と同じように敗戦後、画壇からはなれて独自の制作活動をした高島野十郎は、油絵の画家ですが、薬師寺の東塔をきわめてリアルで精確に描写して、その背景には幻想的な風景を描きこんでいる作品があります。こちらは油絵らしく、真正面ではなくてパースペクティブがあるので、立体的ですが、描く対象として、何か特別の思い入れが感じられるものでした。どこか、通じるところがあるのでしょうか。そんなことをちょっと思いました。

Fusenfuji いよいよ「山海図絵」を見ましょう。展覧会やポスターやパンフレットに使われた作品で、不染の代表作なのでしょう。これは画像を掲示していますが、これではたんに富士山の絵ということくらいしか分かりません。実物を見て、そのスケール(186×210)とともに画像には納まりきれない情報量について、それらが相乗効果で、それ以上に…異様というと月並みになりますが、オカしいとか狂っているとしか言いようのない突き抜けた作品であることが、はじめて分かります。これほどのスケールに、隅から隅まで細い繊細な線でびっしりと緻密に描きこまれている、その執拗さだけでも異常だ。この作品を製作している際の、不染が繊細な線を一本一本集中して引いている様を想像すると、何かに取り憑かれたような狂気を感じざるを得ません。荒唐無稽な不自然きわまりない構成のはずなのに、この細部の丁寧な描写が見る者を納得させてしまう力技で、しかも、その細部が、画像で見ると分かるけれど、それほど目立たず、全体として突出して見えない。一体どうしてなの?という作品としては不染の代表作であって、彼の特徴がほとんどすべてあらわれた作品です。中心に富士山を位置させて、シンメトリーな構図です。薬師寺東塔を描いた作品もそうでしたが、富士山も正面からの姿を描いています。日本画では富士山は頻繁にとりあげられる題材です。かつての葛飾北斎の富嶽三十六景もそうですし、近代以降の日本画においても横山大観をはじめとした多くの画家が富士山をえがいていますが、不染のような真正面の姿を画面の中央に据えて描いた例は、ほとんどないのではないでしょうか。ほとんどすべての人は中心からずらし、言ってみれば、富士山という対象に真正面から向き合うことから逃げているとも言えるのです。そう考えると、不染のこの構図だけでも、決然とした並々ならぬところがあります。とはいっても、富士山は画面においてヨコでは真ん中ですが、タテでは真ん中には汽車が通過しているのが描かれています。タテは大雑把には3分割されていて富士山は上の三分の一の部分で、下の三分の一が海の風景になっています。これによって、画面が横に広がっていくような印象と、どっしりした安定感を見る者に与えるものとなっていると思います。

Fusenautumn 次の特徴が俯瞰の視点です。前に見た「秋色山村」などの民家を描いた作品や奈良の風景を描いた作品も、俯瞰で見下ろして描いたものです。この「山海図絵」では、かなりの高度から富士山と周辺一帯を見下ろす構図になっています。そうでないと、太平洋の海岸が入らないでしょう。しかし、富士山の向こう側は雪景色になっていて、そのさらに向こうは海岸線のようです。これは位置関係から言えば富士五湖のはずですが、これは富士五湖という湖の風景ではありません。これは日本海以外には考えられません。つまり、不染の視点は日本列島を縦に見通すという、かなり高い視野であったということなのです。もっとも、富士山の図に何食わぬ顔で日本海をいれてしまって、いけしゃあしゃあとしていることだけを取り上げても、尋常ではないと言えます。しかも、この高い視野からの俯瞰という点についても、一筋縄にはいきません。富士山を見てください、真横から見た姿です。富士山は標高が高いからということなのか、しかし、富士山の大きさと麓の民家の大きさは明らかに縮尺が合っていません。さらに富士山の向こう側の雪景色の風景は、遠近法であれば小さい豆粒ほどの大きさであるはずなのに、民家などは富士山の麓の民家と同じ大きさで描かれています。しかも、同じパースペクティブになっているのは、明らかに一点からみているのではなくて、麓と向こう側は異なる視点で描かれています。手前を見てください、海岸風景ですが、手前に描かれている海中の魚(こんなものまで描いている?)とその奥の船との大きさもおかしい。リアリズムでかんがえれば、この魚はクジラほど巨大なものになってしまいます。また、細かいことになりますが、画面の中央を横切る汽車も真横からの姿でパースペクティブがありませんし、その周辺の民家も真横から見た姿です。とはいっても、そのあたり全部が真横からの姿とは限らず、数軒の家は上から見下ろした姿なのです。逆に、画面手前は上から見下ろした視点で民家が描かれていますが、ところでころ真横の姿が混入しているのです。また、画面の上の方でも、麓の中央の一軒の家と門、そして左側の麓からさらに左の雪の集落は真横の姿です。

この複数の視点とスケールが揃っていないということは、次の特徴点であるマクロ的視点とミクロ的視点の混在ということと関連していると思います。高い視点からの俯瞰で全体を描いていることと、細部を驚くほど微細に丁寧に描きこんでいることが両立しているということです。漁村や農村の佇まい、里山の様子から田畑の光景、汽車や馬車や帆船、家々の庭に干された洗濯物、実のなった柿の木、吊り干しされている干物、海上の舟を操る人々など、数え上げたらきりがありません。そして、驚くべきは海の中まで描いているのです。魚の群れや海中の岩場で戯れる蟹まで見ることができます。この海中の魚や岩場は海の波の一筋一筋が非常に細い筋目描きによって丹念に描かれていて、海底が透けて見えるような透明な海面を表しています。その精細な線にも驚嘆です。

Fusenfuji3 しかし、これらの特徴だけを取り上げると画面がバラバラに分裂してしまうように聞こえてしまうのですが、実際に画像を見ていただくと、自然で写実的な画面に見えてしまうのです。この、まとめてしまうというところに、不染という人の強引さ、何度も言うようですが狂気が尋常でなくて、こんな画家は、他にいないのです。こんな作品と比べると、ほとんど富士山の絵が凡庸に見えてしまうのです。

同じ画家が同じ富士を描いた「山海図」には、それほどの異常さはなく、くらべると普通の作品に見えてしまうのです。それだけ「山海図絵」が尋常でないということです。

没後40年 幻の画家 不染鉄(3)~第2章 憧憬の山水

Fusenkannon ここまで作品を見てきて、感じたことは、不染という人は、おそらく西洋の油絵のデッサンの修業などしなかったでしょうが、そういう視野をもともと持っていた人ではないかとということです。つまり、他の日本画家とは違う目をもともと持っていた。それで、他の画家と同じように日本画を描こうとした。そこで、もともとの目が違うのだから、描かれた作品は違ってくる。そこで、ここでの展示の山水です。不染は、風景を主な画題としていれば山水画を描いてもおかしくはないとは思います。しかし、このような不染ですから、描いてしまった山水画は、例えば「雪景山水」といった作品のような、およそ、一般的な山水画とは違って、単にシロクロの陰影による山岳風景ということになってしまうようで、それがとても面白かった。ここで描かれている山は、山水画のパターンのような記号的な山ではなくて、ちゃんとした地形の山です。山容という立体の奥行きや山が連なっている奥行きが地形としてリアリスティックなのです。しかも、山腹の樹林が細かく一歩一本描きこまれ、雪の深く積もった斜面から樹木が突き出ているような、それぞれの質感が描き分けられています。筆に墨をつけて描いているから水墨画ですが、もしペンにインクで描いていれば、ペンによるスケッチということになってしまうでしょう。それほど、リアルで細かいし、西洋画的な空間が構築されていると思います。この作品のような、微塵の曇りのない、どこまでも明晰な風景に比べると、他に展示されていた作品は、水墨画らしくなって、不染の特徴である細かさが影を潜めてしまって、つまらなくなってしまっいるという印象です。

このコーナーは展示作品の数も多くはないし、こんなのも描いていたという程度のものではないかと思います。

しかし、最後に展示されていた「聖観世音」は線描による観音像で、その線の微妙で多彩な変化だけで、観音像を描き切ってしまっている。無駄を削ぎ落とした、飾り気のかけらもない描写で、見せてしまう力業はすごいと思いました。

2017年12月10日 (日)

没後40年 幻の画家 不染鉄(2)~第1章 郷愁の家

解説では“「家」というモティーフは、家族をなくしていた不染にとって、自身の心情を容易に託すことのできる対象でもあったのだろう。林の中にそっと佇む茅葺屋根の家や、身を寄せ合うようにして民家が立ち並ぶ風景を、様々な視点で捉えながら、柔らかな筆致とセピア調のけぶるような色彩で表現した作品には、繊細な感情が宿っている。”と説明されています。

Fusenwinter 「冬」という作品です。“自らの居場所を絵に求めるかのようにして民家という主題を取り上げ、そこに様々な感情を託して描くという初期の不染芸術の完成形と言える。(中略)自然に囲まれた農村風景を俯瞰的に捉えた作品だが、柔らかく繊細な筆致とぼかしを取り入れたセピア調の色彩が郷愁を誘う、詩情に満ちた作品である。”と説明されています。残念ながら、私は、このような風景には郷愁を感じられない感性の持ち主なので(おそらく現代の日本人の大半は、このような風景に対する郷愁はフィクションとして以外には感じられないでしょう。ただし、それがフィクションと思わない人も多いのでしょうが)、この説明は当てはまりません。画面を見てみましょう。日本画の場合、田園風景とか、田舎の鄙びた小舎の閑居老人というような南画といったテーマで茅葺の民家を風情で描くことはありますが、不染の描く民家は、これらの場合と違って、ちゃんと建物になっている、というところが特徴的です。へんな言い方ですが、いわゆる家型の立体としての奥行きがあるように描かれているということです。西洋絵画ではパースペクティブといえば当たり前のことですが、日本画では単なる仕切りとか、舞台の背景のようなペッタンコな、家として、建築物の中に人が入れないようなシロモノが描かれているが普通なのです。それに対して、不染の描く家は、伝統的な日本画とは視点が、そもそも違っているのです。真ん中の茅葺の民家。茅葺の屋根はしっかりとした線で台形の輪郭が引かれています。しかし、それは直線で引かれていなくて、台形の角は丸められています。全体として、その台形は円みを帯びていて、明確な輪郭線で囲まれているのに、尖った感じはなくてほのぼのした感じを持たせています。その下の瓦のもこしの部分は屋根の輪郭よりも細い線で、瓦を碁盤目のように直線で描いているのに、線が細いのと上の茅葺屋根の円みのイメージに隠れて鋭角的に見えてきません。しかも、全体として晩秋の草が枯れたダークイエローの色調に染まっていて、茅葺屋根も同じ系統の色て、家の木材の柱や建具もくすんだ茶色で似た色になっているところを、この線による輪郭がメリハリをつけています。つまり、この画面はダークイエローを基調としたベースに線による輪郭でつくられているといっていいのです。そこで、画家は何種類もの細い線のバリエイションを使い分けて、直線を適度に円みを加えて輪郭を作って、その輪郭が表現を作っているということです。ここで注意したいのは、村の民家の風景なのに人間が一人もいないことです。人のいない静けさと言えるかもしれませんが、そこに人のいる感じがするように描かれているのは、図式的な均衡を少しずらしているのと、適度な円みを加えた輪郭線による効果ではないかと思います。そこにあるのは微妙な加減であり、この作品ではそれがハマっていると思います。それらが、この作品の完成度ではないかと思います。

Fusensnow このような行き方は「雪之家」という作品で、雪に埋もれた白一色の世界に一軒の家があるのを、輪郭線の引き分けで、白い中から家の形が生まれ、存在が立ってくるという体験をするようなのでした。それは、白い面から画家が家という存在を切り取り、画面に存在させるのを目前にするような体験です。そこには、すでに在る事物を写すというのとは違う、在ることを画面のなかで作ってしまうというリアリティが感じられるものです。それを作り出しているのが、不染の線ではないかと私には思えるのです。

Fusenmemory 「思出之記」という3巻の巻物は圧巻でした。いわゆる絵巻物の横に長い画面ですが、絵巻物というと絵物語が一般的ですが、ここには物語要素はまったくなくて(不染という人は、物語志向が全く見られない画家で、日本画家としては珍しいタイプの人ではないかと思います。)横に水平に広がる風景を、これでもかというほど延々と描いたものです。端的に言えば、「冬」の民家の風景を横に異常に長い巻物形式に延々と描いたものといってもいいです。構図は、俯瞰的に見下ろすのを風景に応じて横に移動しながら映った風景です。そこに微細と言ってもいいほど細かく民家や周囲の植え込みや田畑、あぜ道が細かい線で描かれています。そこで不思議なのは、緻密にぴっしりと描きこまれているのに、そういう感じがしないのです。画面が描写の過剰でせせこましくなったりしないのです。この作品もそうですが、不染の作品では空がひろく取り込まれることは少なくで、俯瞰という視点にせいもありますが、地面とそこに建っている民家を描いています。そこでは、空間の抜け、あるいは余白がとられていないので、息が詰まりそうなのですが、それがないのです。そのため、これだけ細かく描きこまれていても、のどかで風情のある雰囲気が漂っているのです。どうして、そうなっているのか、今もって、分かりません。おそらく、色遣いと線が極細で存在を強く主張していないことが関係しているのではないかと推測しています。

Fusenautumn 「秋色山村」という作品は、これまで見てきた風景画に比べるとずっと視点をひいて遠景として、空間を構築しています。似たような構図の速水御舟の「洛北修学院村」と比べると不染の特徴がよく分かると思います。速水の場合は、前景の集落、中景の村の人々、遠景の山々の三つの景色が、つづら折りに曲がりくねった道によってつなげられて、その道を追いかけるという時間要素が、物語を想像させるという画面になっています。これに対して、不染の場合は中心は民家が集まった集落という空間です。この集落の部分だけをみると、一点から俯瞰した空間としてリアルです。その後景となっているおわん形の山は、その空間とは無関係に描かれていて、それらが画面のなかで、どういうわけか同居している。しかも、集落の描き方は、いままでも述べてきたように細かい線で描きこまれている(この点でも、速水とは全く異質の絵です)のに対して、後景の山には明晰さがなくてぼんやりとしている。その間には帯のような霞がかかっているたけで、強引に一つの画面に詰め込んでしまっているのです。速水のように物語の要素で三つの景色に連繋を持たせてまとめるという配慮をしていません。この力技は、この後の「山海図絵」で圧倒的に示されることになるのです。もうひとつ、この「秋色山村」では、枯れ草のような色調で画面全体の雰囲気を作っている中で、民家の白壁の白が光っていて、意外にアクセントになっています。「雪之家」もそうですが、この画家は白という色の使い方にとてもセンスがある人だと思いました。Hayami2015rakuhoku

2017年12月 9日 (土)

没後40年 幻の画家 不染鉄(1)

2017年7月 東京ステーションギャラリー

Fusenpos 決算を巡る一連の行事や書類の提出、届け出も終わり、この時期は担当部署の一服休憩となるため、各処でセミナーが開かれる、この時期に情報収集をしておこうというもの。そのひとつに出席のため都心に出た。猛暑日の続く陽気で、炎天下に歩きたくないのと、ポスターを見て興味を覚えていたので、立ち寄った。また、些細なことかもしれないが、東京ステーションギャラリーは午後6時まで開館しているので、他の美術館の5時閉館と比べて、この1時間がとてもありがたい。この猛暑の陽気で、平日の閉館前の1時間という時間帯のせいか、館内はそれほど混雑するほどでもなく、落ち着いて作品を鑑賞できました。

さて、不染鉄という聞きなれない画家については、パンフレットに紹介されているので引用しておきます。

不染鉄(1891~1976年)は、稀有な経歴の日本画家です。20代初め、日本芸術院研究会員になるも、写生旅行に行った伊豆大島・式根島で、なぜか漁師同然の生活を送ります。しかし、3年が経つと、今度は京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。特待生となり、在学中第1回帝展に入選、首席で卒業した後も、度々帝展に入選を重ねますが、戦後は画壇を離れ、奈良で晩年まで飄々と作画を続けました。これまで美術館で開かれた回顧展は、21年前の唯一回だけ。その画業の多くは、謎に包まれてきました。

不染の妙味は、見えないはずのものも見通す俯瞰と接近の相俟った独特な視点にあります。太平洋に群れ泳ぐ魚から雄大な富士山を越えて、雪降る日本海の漁村まではるかに広がる本州を表した作品や、蓬莱山を思わせる切り立った孤島に、幾重にも波頭が打ち寄せ、波間に一艘の舟がたゆたう様を描いた作品は、不染鉄の心象風景であり、秀逸な筆致で表現された世界が、見る人を画中へいざなうようです。また、老境に入り、自らの生い立ちや日々の暮らしの光景を描き、幼いころの思い出や母への思慕の情を書き添えた作品には、「いい人になりたい」と願った不染の無垢な思いが満ち溢れ、優しく語りかけてきます。

別のところで、

その作品も、一風変わっています。富士山や海といった、日本画としてはありふれた画題を描きながら、不染ならでは画力と何ものにもとらわれない精神によって表現された作品は、他のどの画家の絵とも異なり、鳥瞰図と細密画の要素をあわせ持った独創的な世界を作りあげています。

このような紹介では、不染鉄という画家の経歴のユニークさと作品の独創性ということを強調しているようです。ここで、はじめに私の個人的印象を簡単に述べて、ここの作品を見て行くことにしますが、不染鉄の作品は、至極真っ当、正統的と言えると思います。この展覧会を通してみていると、一貫した流れがあって、その基に、不染鉄が都度の作品で試みや挑戦を繰り返している。そして、その一貫した流れというのは、彼の引く線ではないかと思えたのです。ごく初期の習作時代には、家の輪郭などで部分的に表われてきますが、本人も、意識的ではなかったように見えます。それが絵画専門学校の卒業制作の「冬」では顕著になり、本人も自覚していることが分かります。それは、筆でなのでしょうが、ペンでもあるかのような硬質な感じがします。しかし、ペンの硬さにはないしなやかさが秘められているような。強靭さと繊細さをあわせ持つ印象の細いが、しかし明瞭でくっきりした線です。この線こそが、他の画家にはない、不染鉄の独特のものではないかと思えるのです。この線では、どうしても明確な形の輪郭を要求されるということで、それに適した題材として建築物や構築物といった人工的な構造物、その典型的なものとして家屋が選択された。さらに、明確な線によって細かい描きこみが求められ、無地の余白とかぼかしによる朦朧としたというように明確さのない効果は求められなくなった。その結果として作品が出来上がって行ったというストーリーが思い浮かびました。その意味では、主催者の紹介にある画家像とは少し異なる、表層の画面のロジックが貫徹しているという印象です。むしろ、そう見える画面からは、ユニークな経歴とか幻の画家といったことは見えてきません。

このような視点で作品を見ていきたいと思います。

2017年12月 8日 (金)

橋爪大三郎「丸山真男の憂鬱」

「丸山眞男の憂鬱」を読んだ。

丸山真男には岩波新書青版の『日本の思想』で出会った。岩波新書青版は、コンパクトな外観とは裏腹に下手な単行本よりも難しいという評判で、この本も典型とされている。しかし、私の感想は、晦渋な言葉づかいなどがあって読み難いのはたしかだが、論旨は明快で何が言いたいのか曖昧なエッセイなんぞより却って、分かりやすいと思った。『現代政治の思想と行動』も『忠誠と反逆』もそうだった。ただ、『日本政治思想史研究』だけは、チンプンカンプンだった。

著者は、その『日本政治思想史研究』を批判的に読み解く。江戸時代の幕府統治の正統性のイデオロギーとしての朱子学の変遷を追いかけ、その過程を自然から作為とし、その完成者を荻生徂徠に見る。これに対して、発展史としてみると、荻生徂徠という完成者以前の儒者たちは徂徠の出現のための踏み台ということになり、ヘーゲルの言う死体累々の思想史と批判し、例えばとして山崎闇斎を取り上げる。丸山は闇斎とその学派を教条主義、リゴリズムと切って捨てる。しかし、闇斎から言わせれば、仁斎や徂徠は朱子学を摘み食いして、自分の思想を展開したにすぎない。闇斎こそは中国の現実の政治から生み出された朱子学の論理が、政治風土のまったく異なる日本の現実政治に当てはまらないことを真正面から受け止めた人だった。他の儒学者が、“あるもの”を語ったのに対して、闇斎は“あるべきもの”を語った。その具体的な例として、闇斎だけが易姓革命を現実政治の論理として追究しようとした。支配者の正統性は“あるべきもの”として徳をなえているから。だからそれは裏を返せば、徳がなければ支配の正統性はないことになる。そして、この思想は間接的に水戸学に継承され、幕末の尊王討幕の思想的根拠を提供するようになる。つまり、明治維新に繋がっていくのは、丸山が近代性を備えているとした徂徠ではなく、教条主義と切り捨てた闇斎ではなかったか。著者は、そこに丸山の近代性の歪みを指摘する。

闇斎に関する記述は、目から鱗だった。興奮した。そして、丸山真男という近代合理主義の権化のような人のデモーニッシュな面があることに気づかされた。

丸山真男は1946年に創刊間もない「世界」に「超国家主義の論理と心理」を発表したことが大きな反響を呼び、一躍、時代の寵児となる。当時の読者は、丸山の超国家主義とか無責任の体系とかいった耳新しい難解そうな概念に、決別すべき悪を、自分たちの外側にあるもののようにイメージすることができた。それによって皇国史観にまみれた過去と決別し、責任を特定の人々に押しつけ、それ以外の日本人が免責される理屈づけにもなった。

それは、他方で日本社会の構成員を二つに引き裂くことになった。しかし、戦前には軍部や皇国史観を振りかざす人々は実際にいた。それに対して、それ以外の人々の実体のカテゴリーはなかった。

丸山が「日本政治史研究」で荻生徂徠を封建体制を擁護する御用イデオロギーからその批判から近代思想の萌芽となったとして高く評価したのは、決別すべき戦前の思想に対する逆張りとなった。結果として、丸山は都合よい逃げ道を供給うる存在となった。人々に、そう受け取られることで丸山は自縄自縛になっていった。

それは、生臭い現場を離れて高所から建前をかざして正論とほざくような、ある種のお気楽な議論に絡み取られていった、ということだろうか。言ってみれば、そこに悪いということを排除している。悪意つまり意志ということではないかと思った。

2017年12月 2日 (土)

ジョン・パウエル「ドビュッシーはワインを美味にするか?」

「ドビュッシーはワインを美味にするか?─音楽の心理学」を読んだ。

音楽が人間に与える心理的側面。私たちの生活の中にある身の回りの音楽が人間に与える影響を考えた著作。とはいっても、理論的な著作というより、BGMで購買活動や味覚がかわるか、音楽を聴くと頭がよくなるか、といった話題に寄り道するエッセイ風の読み物。

例えば、音楽に才能は必要かということについて調べると、イギリスでコンクールに入賞した学生とそれ以外の学生を調べるとふたつの学生のグループを分けたのは練習時間の差という単純な事実に行き着いたという。なかでも、ひとりで練習した時間の違いだったという。アンサンブルやセッションには楽しさがあるが、ひとりで行う単純で退屈な反復練習を休みなく続けたかどうか、それが分岐点だった。だから、敢えて、この人たちに才能があったとすれば、達成に必要なこと続ける才能だった。著者は、さらに、この人たちが練習を続けることができるのはなぜかを求める。この人たちは退屈なはずの練習を愉しんでいたという。そのキッカケは子供の頃に最初についた先生がフレンドリーで、子供が好きな先生を喜ばせるため懸命に練習するようになったということだったという。

これは、会社に勤め始めて、初めての上司か先輩が尊敬できる人や仕事の楽しさを教えてくれるような人で、その人のために、とか一緒に苦労する経験を持てた場合に、その仕事自体が好きになって、苦に耐えられるのと、よく似ている。

才能云々を口にするのは、往々にして、音楽の夢を諦めた人が「私は才能に恵まれなかった」というところで使われるということも、仕事をやめるときに「自分には向いていない」ということが多いのと、よく似ている。

2017年12月 1日 (金)

無資格検査問題は日本のものづくりの危機なんだろうか

少し前までは、過剰品質とか生産者の自己満足で生産性が低いとか、暗にうまく手抜きをしてもっと儲けろと示唆していたと思ったら、ちょっとでも儀式化した形式手続を怠っただけで、“ものづくりの危機”ということになってしまう。ちゃんと現状を調べて事実を確認しているのだろうか。フェイクニュースとどこが違うのか、よく分からない。

例えば、日産自動車の無資格検査の問題。「38年も無資格でやっていた」ことで、メディアが散々叩いている。一般のユーザーの立場からすれば、38年間「無資格検査員の完成車検査」で問題が出なかったのだから、「無資格者でも問題ない」ということが統計的に証明されたようなもの。それを「38年も続く不正」などと報道するのはバランス感覚を疑う。何よりも、現在の自動車製造というのは高度な自動化がされ、製造過程でのエラーは、全てセンサーやカメラなどで高精度なチェックが行われる。これに、改善を重ねたマニュアルに基づいたヒューマンな目が要所要所で入る仕組みになっている。メーカーとしては、38年間にわたってクルマづくりに関する「高精度な作り方」を練り上げていて、さらにそれを世界で標準化している。だから海外には、完成検査に関する法令自体が存在せず、それゆえ、問題となっているのは国内のみという。それにも関わらず、社内の高精度な検査をして合格した後に、もう一度最後の工程として38年以上も前からやっている「水をかけて雨漏りを調べる」などといった検査を行うというのは、これはほとんど儀式的な意味合いしかない。むしろ、資格を持つ検査員の完成検査という制度自体に問題がある。その改革の方。が、ものづくりが生き残るために必要なのではないか

日産は、とにかく一般世論に「ルール破りをした日産は悪い」という印象を与えた。それが結果的に「とりあえず制度は守らなくてはならない」という印象論が広まってしまいました。つまり、必要な改革が妨害されたことになってしまった。足を引っ張った責任の多くはメディアにあるのではないか。

ベルギー奇想の系譜(5)~Ⅲ.20世紀のシュルレアリスムから現代まで

Belgfantatymance  ベルギーのシュルレアリスムといえば有名なマグリットは日本でも人気のある画家でしょう。有名な「大家族」が展示されていました。
 ここで印象に残ったのは、パトリック・ファン・カーケンブルフの「2007-2014年、冬の日の古木」という鉛筆によるスケッチです。鉛筆と絵具で緻密に描かれた、写実的だけど小さな階段と扉がある架空の木。執拗なほど精確に描き込まれた、写真のように見えてしまう。まるで、そういう木が現実にあって、それを撮影した写真のように見えてきます。
 リュック・タイマンスの「磔刑図」という作品。白一色の世界、まるで白昼に目前でフラッシュを焚かれて、真っ白に映ってしまったような、淡い色の表層だけの薄っぺらな世界。イエスの磔刑という宗教的な大事件だし、普通でもイベントであるはずが、そういう喧騒とか悲しみとか、怒りとかいった感情的な要素、そして音や動きがなくなっている無機質と言っていいような画面です。淡々とした日常の生活そのもののように見えてくるのです。右手前の3人の人影は磔刑の光景があるのに、気付かず世間話をしているように見えます。それは日常生活のワン・シーンのようです。それが却って、キリストの磔刑という事実が剥き出しにされて、日常につながっているわけです。それは、見る人の日常にも同じなわけで、そこに迫っていることがイメージされる。結果として、清澄な透明感と、とらえどころのない茫漠とした画面になっている。こじ付けかもしれませんが、クノップフ、スピリアールト、そしてマグリットが当てはまるか、という系譜のようなものの上にあるように見えます。たしかに、奇想といえばいえるし、スタティックで内省的というのが、これらの絵画に通底していると思います。
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