無資格検査問題は日本のものづくりの危機なんだろうか
少し前までは、過剰品質とか生産者の自己満足で生産性が低いとか、暗にうまく手抜きをしてもっと儲けろと示唆していたと思ったら、ちょっとでも儀式化した形式手続を怠っただけで、“ものづくりの危機”ということになってしまう。ちゃんと現状を調べて事実を確認しているのだろうか。フェイクニュースとどこが違うのか、よく分からない。
例えば、日産自動車の無資格検査の問題。「38年も無資格でやっていた」ことで、メディアが散々叩いている。一般のユーザーの立場からすれば、38年間「無資格検査員の完成車検査」で問題が出なかったのだから、「無資格者でも問題ない」ということが統計的に証明されたようなもの。それを「38年も続く不正」などと報道するのはバランス感覚を疑う。何よりも、現在の自動車製造というのは高度な自動化がされ、製造過程でのエラーは、全てセンサーやカメラなどで高精度なチェックが行われる。これに、改善を重ねたマニュアルに基づいたヒューマンな目が要所要所で入る仕組みになっている。メーカーとしては、38年間にわたってクルマづくりに関する「高精度な作り方」を練り上げていて、さらにそれを世界で標準化している。だから海外には、完成検査に関する法令自体が存在せず、それゆえ、問題となっているのは国内のみという。それにも関わらず、社内の高精度な検査をして合格した後に、もう一度最後の工程として38年以上も前からやっている「水をかけて雨漏りを調べる」などといった検査を行うというのは、これはほとんど儀式的な意味合いしかない。むしろ、資格を持つ検査員の完成検査という制度自体に問題がある。その改革の方。が、ものづくりが生き残るために必要なのではないか
日産は、とにかく一般世論に「ルール破りをした日産は悪い」という印象を与えた。それが結果的に「とりあえず制度は守らなくてはならない」という印象論が広まってしまいました。つまり、必要な改革が妨害されたことになってしまった。足を引っ張った責任の多くはメディアにあるのではないか。
« ベルギー奇想の系譜(5)~Ⅲ.20世紀のシュルレアリスムから現代まで | トップページ | ジョン・パウエル「ドビュッシーはワインを美味にするか?」 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 今年の年賀状(2024.01.05)
- 黙食はよくないことか?(2022.12.16)
- 「自立」は「依存」の反対ではなく、そのパターンのひとつ(2022.01.07)
- アメリカのアフガン撤退は近代日本の大陸進出の失敗に似ている気がする(2021.09.11)
- 緊急事態を平時の感覚で捉えてしまう(2021.08.20)
« ベルギー奇想の系譜(5)~Ⅲ.20世紀のシュルレアリスムから現代まで | トップページ | ジョン・パウエル「ドビュッシーはワインを美味にするか?」 »
コメント