無料ブログはココログ

« 無資格検査問題は日本のものづくりの危機なんだろうか | トップページ | 橋爪大三郎「丸山真男の憂鬱」 »

2017年12月 2日 (土)

ジョン・パウエル「ドビュッシーはワインを美味にするか?」

「ドビュッシーはワインを美味にするか?─音楽の心理学」を読んだ。

音楽が人間に与える心理的側面。私たちの生活の中にある身の回りの音楽が人間に与える影響を考えた著作。とはいっても、理論的な著作というより、BGMで購買活動や味覚がかわるか、音楽を聴くと頭がよくなるか、といった話題に寄り道するエッセイ風の読み物。

例えば、音楽に才能は必要かということについて調べると、イギリスでコンクールに入賞した学生とそれ以外の学生を調べるとふたつの学生のグループを分けたのは練習時間の差という単純な事実に行き着いたという。なかでも、ひとりで練習した時間の違いだったという。アンサンブルやセッションには楽しさがあるが、ひとりで行う単純で退屈な反復練習を休みなく続けたかどうか、それが分岐点だった。だから、敢えて、この人たちに才能があったとすれば、達成に必要なこと続ける才能だった。著者は、さらに、この人たちが練習を続けることができるのはなぜかを求める。この人たちは退屈なはずの練習を愉しんでいたという。そのキッカケは子供の頃に最初についた先生がフレンドリーで、子供が好きな先生を喜ばせるため懸命に練習するようになったということだったという。

これは、会社に勤め始めて、初めての上司か先輩が尊敬できる人や仕事の楽しさを教えてくれるような人で、その人のために、とか一緒に苦労する経験を持てた場合に、その仕事自体が好きになって、苦に耐えられるのと、よく似ている。

才能云々を口にするのは、往々にして、音楽の夢を諦めた人が「私は才能に恵まれなかった」というところで使われるということも、仕事をやめるときに「自分には向いていない」ということが多いのと、よく似ている。

« 無資格検査問題は日本のものづくりの危機なんだろうか | トップページ | 橋爪大三郎「丸山真男の憂鬱」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジョン・パウエル「ドビュッシーはワインを美味にするか?」:

« 無資格検査問題は日本のものづくりの危機なんだろうか | トップページ | 橋爪大三郎「丸山真男の憂鬱」 »