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2017年12月30日 (土)

ジャズを聴く(47)~アイク・ケベック「ヘヴィ・ソウル」

 アイク・ケベックは、素晴らしい“大衆的な”サクソフォン奏者であったが、その存命中は多くの批評家から実力を過小評価された。彼は、シンプルでありながら単純すぎるやり方では求め得ない魅力的な音楽を表現して見せた。彼は音色やスタイルの点で、とくにコールマン・ホーキンスのような明白なスイングジャズの傾向にあった。しかし、ケベックは単なるホーキンスのまねに終わっていない。彼は巨大なブルースのトーンや攻撃的だったり歓喜しているフレーズで、楽しげなアップ・テンポの曲や叙情的なスローブルースやバラードを演奏した。彼の演奏には、間違った指使いや複雑なものはなく、ストレートに心情から発せられるソロだった。ケベックは、かつてピアニストやパートタイムのタップダンサーもやったことがあるが、40年代にテナー・サックスに転向し、カウント・ベーシーとも協演した。彼は、ケニー・クラーク、ベニー・カーター、ロイ・エルドリッジと言った人々がリーダーを務めたニューヨークのバンドたちと協演した。彼はケニー・クラークと共同で「モップ・モップ」を作曲し、後にその曲はコールマン・ホーキンスによってビバップの最初期のセッションとしてレコーディングされた。ケベックは、40年代中頃から50年代はじめにかけて、キャブ・キャロウェイの楽団と協演し、その派生ユニットであるキャブ・ジャバーズとも協演した。ケベックは40年代にブルー・ノートで78枚ものアルバムに参加し、またサヴォイでもレコーディングを行なった。彼の歌である「ブルー・ハーレム」は大ヒットした。ケベックは、ラッキー・ミランダーと協演し、キャロウェイとレコーディングも行なった。アルフレッド・ライオンは40年代後半にケベックをブルー・ノートのアーティスト・アンド・レパートリー、つまり、アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作の担当者にした。後に、ケベックは多くの将来性ある才能をライオンに紹介した。ケベックは、しばらくの間、バンド・リーダーと兼任していたが、50年代後半まで、ブルー・ノートのためにレコーディングと才能の発掘に集中することとなった。彼がライオンのもとに連れて行った人々の中には、セロニアス・モンクやバド・パウエルもいた。ケベックは、モンクのブルー・ノートのデビュー盤のために「Suburban Eyes」を書いた。彼は50年代の終わりごろから、再び、演奏活動を始め、ソニー・クラーク、ジミー・スミス、歌手のドード・グリーンやスタンリー・タレンタインとブルー・ノートのセッションを行なった。彼の再会した音楽活動に対して、以前に彼を酷評した批評家から注目浴び評価を受けていたその時、1963年、ケベックは癌で死去した。

HEAVY SOUL  1961年11月16日録音
Jazquebec_soul  Acquitted
 Just One More Chance
 Que's Dilemma
 Brother Can You Spare a Dime
 The Man I Love
 Heavy Soul
 I Want a Little Girl
 Nature Boy
 Blues for Ike
 Ike Quebec (ts)
 Freddie Roach (org)
 Milt Hynton(b)
 Al Harewood (ds)
 『It Might As Well Be Spring』の1ヶ月ほど前に録音された、このアルバムでのケベックの演奏は『It Might As Well Be Spring』とほとんど変わりはない。このアルバムの特徴としては。オルガンのフレディ・ローチが積極的であるところと、アップ・テンポの多少はアグレシッブな演奏が含まれていることだろう。
 アルバム最初の「Acquitted」は気合の入ったアップ・テンポのナンバーで、『It Might As Well Be Spring』がゆったりとした演奏でリラックスして始まるのとは対照的。リズム・セクションがマイルス・デイビスの「マイルストーン」を想わせる4ビートを痛快にたたき出す。そこで、オルガンのフレーズが突っかかってくる。そのようなバックに対して、ケベックは野太い音で、メロディックなフレーズを歌わせる。ちょっとしたミスマッチの感はあるが、それが不思議とハマってしまう。次の「Just One More Chance」で、ぐっとテンポが落ちて甘いバラードになると、『It Might As Well Be Spring』の時と同じような、ゆったりとしたグルーヴで昭和歌謡のムードのようにケベックのサックスがすすり泣く。3曲目の「Que's Dilemma」では、最初の「Acquitted」と同じようなアップ・テンポの曲で、1曲目と同じようにアグレッシブなリズム・セクションに対して、アナクロとも言えるスタイルで鷹揚と構えるケベックのサックス。しかし、こちらの演奏ではアドリブにはいると次第に演奏が厚くなって、とくにオルガンやベースが突っかかってくるよう。
 こうして、ケベックの演奏を聴いていると、ジャズのルーツが民衆から生まれてきた音楽であることを、同時代の他のプレイヤーよりも強く感じる。ケベック自身は、ベースとなるスタイルが「中間派」ではあっても、バップのスタイルを無視していたわけではないし、R&B等のほかの大衆音楽の動向にも目配りしていたのは、ブルー・ノートで先鋭的な才能を発掘していたことからも分かる。その一方で、ケベックにはバッパーやその後の先端的なジャズ奏者たちのような、自由な即興を追求するとか、ユニークな演奏を目指すとか、そういった自己自身に根ざし、発せられる表現衝動とか欲求のような要素があまり感じられない。それよりも、大衆的な音楽として人々に受け容れられ、その人々の間で心地好い空間をつくりだすことでよしとする姿勢があるように思う。ケベックの生きていた時代では、それが後進性のように映ってしまったのではないか。しかし、その後のジャズが他のジャンルの音楽とのコラボレーション等を通じてサウンド志向になったり、環境音楽やワールドミュージックの方を向いたりするなかで、音楽スタイルは別にして、ケベックの姿勢を間接的に受け継ぐ人が出てきているように思う。
 そして8曲目の「Nature Boy」は、ケベックの音楽の底力というべきか、ミルト・ヒントンが弾くベースとのデュオという虚飾と贅肉をギリギリのところまで拝した編成で、ボン・ボンと骨太の深い音で爪弾かれるベースと、剥き出しのメロディのようなフレーズで対話する。短い時間だけれど、部屋とそっと独りでいつくしみように静かに聴いていたい演奏。

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