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2018年1月 5日 (金)

八木雄二「聖母の博士と神の秩序─ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの世界」(1)

第1章 『神と世界の秩序ついての論考』のプロローグ

1.作品と著者

この時代、「秩序」は哲学が一般に探求する「真理」と同義である。神が世界に与えた秩序が世界の真理だからである。つまり神によって創られた秩序が世界の真理だからです。つまり神によって作られた世界は、神とともに秩序をもっているけれど、人が真理と呼ぶのは、神が世界に与えた秩序のことです。したがって、哲学が求めるものは知識であり真理ですが、それは彼の神学では秩序に他ならないのです。つまり、この書は「秩序についての論考」ですが、「真理についての論考」と考えてよいのです。

ヒュームは、高尚な知性の認識と考えられていたものを引き下ろして、感覚的な性格のものとする認識論を唱えました。これに対してスコトゥスの方は、逆に、すべての感覚認識のうしろに知性を控えさせ、感覚認識に知性の力の保証を与えることで、感覚認識といえども正常な認識は知的認識と変わらない高度の信頼性を持つことを唱えました。この側面では、たしかに二人は対比的に意見を異にしています。しかし、全体として安定した秩序世界を求める傾向は共通しています。

ヨーロッパの古代中世の精神世界は、精神の届く限りのはるか上方から下界に至るまで、上下に秩序を固めている世界でした。平等の世界ではありません。近代以降のヨーロッパから発信され、現代の私たちが日常的に聞かされている民主主義の平等の理想によってヨーロッパを理解しようとすることは、中世を理解する上では全くの見当違いで、邪魔になります。神から下って被造物の天使、星空の天界に至り、そのあとは、月下の地上の世界の人間、動物、植物、物体へと、厳格な上下があって、どんなものでもこの秩序を超えることはできないと考えられていました。そして、れはある程度人間社会の秩序の見方にも影響を与えていました。そのため、民衆が騎士階級との間にある壁を超えることなども想像できない、と見られていたし、教会は、騎士階級に対して、教会が上位にあることを機会あるごとに示していました。

スコトゥスのこの著作のタイトルは、神が被造物に与えたその秩序の真の姿を正しく見極めようとすることを表わしています。ただし、だからといってスコトゥスは、人間社会がもっている階級秩序を絶対化する議論はしていません。人間は本来、無所有であった、というのが彼の立場だからです。そして現在のようになったのは、人類が罪を犯し、その原罪ゆえに所有が始まり、各自の所有のゆえに争いが生ずるのを抑えるために、人は法を定め、所有の権利が正義となったと見ています。要するに、現況の社会秩序は、歴史による真理と認めるのみである。したがってスコトゥスがこの著作で明らかにする秩序は、一部を歴史的真理(これも神が創ってきた)と認めつつ、世界に変わることなく普遍的に見出される真理や、秩序の頂点にある神の真理をもっぱら意味する。なぜなら、神がその自由な意志によって創ったのが、この世界だからです。

3.神学は総体としてあること

神学思想は、それが視野に収めている「総体」として成り立っています。人生の思想は、たとえば人間の生きた体が様々な部分の総体として成り立っているように、人間が生きていこうとするとき「自分自身と目前に広がる世界の全体」を相手にして、それを心のうちで受け止めるべく「ことばの世界」として自立していかなければなりません。したがって神学思想は、信仰をもって生きる人間がこれから自分の生きていく場の「全体」を視野に収めて現実の社会のさまざまな疑問に答えうるものでなければならない。それゆえ規模の大きなひとつの体系でなければならないということになります。

4.人間はどこから来てどこへ行くのか

スコトゥスの作品『神と世界の秩序についての論考』にはプロローグがあって、その最初に置かれている問題は、「現今の状況の人間には超自然的に啓示された教えが必要であるか」となっています。啓示された教えというのは、聖書の教えと、その教えを間違いなく理解するための教会の教義です。それゆえ、この問題は、言い換えれば、教会が教える聖書の教えは哲学とは別に人間の救いに必要か、という問題です。つまりスコトゥスの神学は、過去の哲学の歴史的検討から始まるのではなく、キリスト教の神の啓示をどのように見るか、から始まります。

この啓示の必要はキリスト教の信仰にとっては前提であり、きまりきったことですが、神学はそれをあらためて哲学的に問題にすることで、それを当時の科学の立場で学問的に明らかにする作業なのです。

この問題文の中には、「現今の状況」ということばがあります。キリスト教では、過去に人間が置かれてきた状況、未来に置かれるであろう状況に、いくつかの異なる状況があるといわれています。それ、聖書を通して知られるさまざまな状況です。

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