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2018年1月30日 (火)

八木雄二「聖母の博士と神の秩序─ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの世界」(24)

3.被造物における個物存在

神の本質は唯一の本質として三つのペルソナに共有されます。しかし、この「複数のペルソナによる共有」は、神の本質の個別化ではありません。なぜなら、教会の教義(信条)によれば、三つのペルソナに共有されている神の本質は、三つのペルソナに分割されているのではなく、ひとつの本質のままです。すなわち、神の本質は三つのペルソナにおいてばらばらではなく、あくまでも同じ「ひとつ」だからです。神の本質は完全に同一だ、というのが教義です。なぜなら、神の本質は被造物のように「こわれるもの」ではないからです。神の本質は完全に同一だ、というのが教義です。それは、神の本質は、被造物のように「こわれるもの」つまり「分割されるもの」ではないからです。分割されることは、被造物の存在における不完全性です。神は完全な存在なので分割されることない。したがって、スコトゥスにおいて、個別化の原理は神のうちでは一切はたらかない、とみなされます。

アリストテレスは、人間理性に確実に理解されることが真理の特徴であり、それを映すのが質料であるとしました。質料は、形相と対立する実在です。しかし、それは本来の意味では確実な理解を得られないものであり、それゆえに本来的に言われる真理から離れたものです。つまり、アリストテレスの質料形相論は、実在の一部、すなわち、形相のみを真理とみなす論理です。質料という実在のあとの半分は真理ではなく、真理に反してか、反するとまでは言えないにしても、真理から遠ざかって実在するものです。

ところが、信仰から見える世界では、すべては神が創造したものです。そこには質料も含まれます。質料も含め、存在はすべてが真理でなくてななりません。それゆえに中世では、存在が真理に置き換え可能となったわけです。アリストテレスにおいては、真、善、美の置き換えは可能であっても、存在との置き換えはできませんでした。

この理解の変化が、とくに個体のもの「個体性」についての理論に表われています。アリストテレスにおいては、個体は偶然に在るもので確実な真理ではありません。質料と同じような扱いです。これに対して、スコトゥスは個別化の原理は質料でも形相でもなく、質料も形相も「これ」へと収斂する究極の現実態、究極の存在性、と主張しました。スコトゥスはアリストテレスの質料形相論を超えて、「このもの性」という概念をつくりました。それは、形相性のひとつとされ、形相の一部を構成する原理ですが、それ自体は形相でも質料でもない、というものです。しかしスコトゥスは、その実在はポジティヴであると主張します。

4.人間の個体存在

個別化の原理は、被造物の本質の個別化のみに働きます。なぜなら、被造物のみが分割され得るという不完全な存在だからです。とくに物体的なものについては分割が基本です。

個別を意味するラテン語はindividuatioです。言葉の頭にあるinは否定辞です。この否定辞を取ると、「分割すること」という意味の言葉です。したがって、語源的には、個体化は「分割をとめること」を意味しています。被造物の本質は複数のものに分割されるというもので、現実には複数のものが在る、ということになります。これは本質がもともと分割されることで複数のものに共有される性格をそれ自身においてもつからです。その複数のものは「同じ名」、すなわち本質の名で呼ばれるものですが、「これ」と「あれ」は異なる二つのものです。このように本質ないしは本性は分割されますが、「これ」と「あれ」で止まって、それ以上の分割がないという状態を作り出しています。この「止め」を行うのが、スコトゥスの言う個別化です。ラテン語の言葉としては否定辞のつくネガティヴなものをスコトゥスはポジティヴな存在に転換させました。

スコトゥスにおいては石も人間も本質が分割されて各人に共有されていると同時に、それ以上の分割が個別化によって止められて、個体としての個人が生じる、と説明されます。しかし、それはペルソナではありません。

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