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2018年1月13日 (土)

八木雄二「聖母の博士と神の秩序─ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの世界」(8)

4.トマス・アクィナスの場合

同様のことはトマス・アクィナスの存在証明にもあります。

彼が第一の証明としてあげているのは、運動による証明です。「なにかが現に動いている。それは何か別のものがそれを動かしているからだ」というのは、アリストテレスの自然学によって説明されている運動論です。ものを動かしているものがあれば、それをまた動かしているものがある。しかし、この連鎖をどこまでも続けることはできない。なぜなら無限にそれがつづくとすれば、運動が結果するために無限の中間が必要になるからである。それがありえない限り、動かすものの系列を有限に辿ることで第一のものに達する。つまり究極の動かすものがある。トマスは、それが神であると言う。この証明もアンセルムスと同じ問題を抱えている。というのも、運動を物質的なものからどこまで離して考えられるか、という問題があるからです。

現代やアリストテレスは運動を物質的宇宙内部のものと見ます。これに対して、トマスや当時の神学的常識では、宇宙をはるかに超越して目に見えないものが神でした。したがって、トマスの証明した神が宇宙神(自然神)

ではなく、宇宙を超越したキリスト教の神と同等のものであると言えるのか、疑問が残ります。この証明をキリスト教の神の存在証明とするためには、運動が自然的宇宙を超えた存在についてまで通用することを、べつに証明しなければならないことになります。ここでトマスは、現実態と可能緯という形而上学的概念を用いて自然的運動を説明することで、運動は自然学的であることを超えてあることを示そうとしています。

それに対して、スコトゥスは、神を宇宙神と同等にしたままで神の存在を証明することはできないと考えていました。彼はアンセルムスの証明に条件をつけます。すなわち、「存在」と「無限」を知性のうちで組み合わせても、この組合せに矛盾がない、という印象が知性にあることです。スコトゥスは、これを確認することによって、「存在」概念の有効範囲は、有限の宇宙を超えて無限煮まで広がっていることが、知性においても自明となっていることを追加したわけです。宇宙は有限であり、「存在」はそれを超えて無限を内包できるとすれば、無限なものの方が有限なものより大きいと判断できる。それゆえ、神は、宇宙を超えた大きさの存在としてアンセルムスによって証明されている、ということになります。

しかし、一方でスコトゥスは、これでは十分なものとはいえないとして、もっと明確に、神の概念は、その概念が含むものすべてを含めて、信仰を前提にしていると主張します。神の存在も、神の善も、すべて信仰を前提にしてはじめて宇宙を超越した概念であることを主張します。それゆえ、スコトゥスは、神の存在証明を神学的なものと考えます。自然理性による神の存在証明は、キリスト教の神の存在証明にならないと認め、結果的にスコトゥスは自然理性の限界を見て、その効力の範囲を狭めることになりました。

5.スコトゥスにおける自然科学の独立性

スコトゥスは哲学の範囲を自然的なものに限定しました。しかしだからといって、スコトゥスは他の諸学に対する神学の権威を強めたわけではありません。スコトゥスによれば、哲学はアリストテレスが規定しているように他の諸科学に対して上位にあって、一部は従属関係にあるが、神学に対しては、従属もしていないし、させてもいないと主張します。哲学と神学は別々に離れている、それぞれに独立している。それというのも、どちらも相手から原理を借りてきていない。神学の原理は信仰であり、神からのものであり、超自然的なものです。これに対して哲学の原理は感覚経験、感覚表象からの抽象などの自然的なものです。

スコトゥスは完全な神学を神の知性のうちにある知であると考えました。しかし、そのことが神学が他の科学を従属させることを意味するわけではありません。神学は他の科学対して指導的であるにすぎません。つまり、それぞれの科学は独自の原理によって成り立っており、例えば幾何学の原理は線であり、公理であって、線や公理のうちには、天文学から借りてきた原理もなければ、信仰の原理から借りてきた原理もありません。したがって、幾何学は天文学を顧慮する必要はないし、信仰内容を顧慮することもない。他と関係ないわけです。

ただし、幾何学その他の科学は、その命題の中の概念を哲学によって吟味されています。したがって哲学ないし形而上学は、諸科学の科学性(真理の明晰性)に関して規範的関係をもっている。その意味で、哲学ないし形而上学は諸学の中の第一の学であることになります。しかし、他の科学を従属させているわけではありません。

このようにスコトゥスは学問を原理から構成される体系とし、原理の間に従属関係がなければ、学問全体にも従属関係はないと考えます。それは、神学と哲学の関係にもあてはまります。

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