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2018年1月17日 (水)

八木雄二「聖母の博士と神の秩序─ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの世界」(12)

8.科学は知性の所有

スコトゥスは、知性自身に明瞭でない直観を秩序の相似性などというものによって証明したのか、そんな知性に直観があるなどとしないで、直観は感覚だけのものとすれば、それでよかったのに、と現代では思われるかもしれません。知性に直観があるとわざわざ言わねばならなかった理由は、当時の科学のあり方によるものです。

科学は知性の所有するものでした。科学は永遠的な常識であり、そこには時間的存在をもっぱらとする感覚の出る幕はなかったのです。また、科学とは確実な知性認識であると考えられていました。科学は誤りやすい感覚とは離れた知性世界の出来事の記述で、知性の認識は科学に合致する普遍性という性質をもっていると考えられていました。当時、科学は感覚に関わることができないもの、科学は知性の所有であったというのは、そういうことです。

しかし、それでは感覚経験は科学にとっては、ほとんど無関係なことになってしまいます。これに対して、スコトゥスは、「多くの場合に、云々」という知性のなかで気づかれずに存在する自明な命題を見つけています。それを通して、多数の事例を集めることによって感覚の錯誤を取り除き、感覚経験を確実なものにすることができる道を見つけました。つまり、感覚だけではたしかに確実性を得ることはできませんが、知性のはたらきと共同することを通じて、り感覚経験は確実な知となることができる、とスコトゥスは証明したのです。

しかし、感覚と知性は平等な能力ではなく、優劣の明らかな能力です。このふたつの能力が共同することができるためには、このふたつの能力の間に十分に密接な関係がなければなりません。知性にも直観があるとすれば、科学を所有する権利をもつ知性が、個別感覚の情報にぴったりと寄り添うことができる。なぜなら、知性にもしも直観があるのなら、個別感覚が実存する対象のむ認識を持つとき、その裏で、知性も個別感覚を通じて対象の現前を捉えて「それが実存している」という認識を持つことができます。そうであるなら、知性は個別感覚の認識の内容を、捨象せずにもちことができます。そして、知性が個別感覚の認識を自分の認識として持つことができるなら、知性は十分に個体の個別的自要件を入れて科学知を持つことができる。スコトゥスが知性に直観を求めたのは、このような考え方からだったと思われます。

9.知的直観を想定する神学的理由

このように知性に直観があるという、当時としては新しい主張。しかし、古代中世は伝統の時代です。この時代、古来ということが真理の重要な要素でした。なぜなら真理は永遠のものだからです。真理に新しさはないのです。近代以降の、実験を通して実際にこれまでの理論では説明のつかない新たな事例が発見されるか、あるいは、発見されている事例についてこれまでの理論が十分対応できないことが明らかであれば、当然「新理論」を唱える理由がある。そして新理論は科学の進歩を促す。そうではなく、前者の場合は悪魔に出会ったようなもので、かろうじて後者の場合に、新しさを隠しながら新理論を成立させていました。

ところで、知性の直観、それ自体はかげに隠れたような状態でしか想定できないことになっています。それは言葉で指示できないのだから知性が持つ直観を確実な仕方で見つけられません。直観の知覚は感覚の像でもないし、個別感覚に現れてもいないものだから、感覚の中にも見つけることはできません。とすれば、認識能力自体からは見えないそんざいということになります。

スコトゥスがこのように知性の直観を感がなければならない場面とは、信仰上のものです。聖書には「顔と顔を合わせて」神と会うことが死後にあると約束されています。キリスト教信仰では、この神と会うことが、もっとも幸福な出来事とされています。神と会うときにもつ認識は「現前認識」だとスコトゥスは述べています。明らかにこの認識は新工場のものです。したがって、知性の現前認識に関して、スコトゥスは根拠を信仰に置いているわけです。それゆえ、スコトゥスの直観説は神学上のものと言えます。

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