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2018年2月26日 (月)

高山真「羽生結弦は助走をしない」

 高山真「羽生結弦は助走をしない」を読んだ。
 フィギアスケートのフィギアとは人形ではなく、図形のことで、このスポーツはもともと氷の上に図形を描くもの。私の年齢であれば、カルガリーオリンピックのころまではコンパルソリーといって、正確にスケートの軌跡で図形を描くプログラムがあったのを覚えている人も多いと思う。従って基本はスケートの薄い刃を自在に操って美しいトレースを正確に描くの。したがって注目されるジャンプ以外の、例えばスーと伸びていくトレース、上半身の振り付けと密接に絡み合っているようなエッジワーク、そのスピード、そして振り付けとエッジワークの融合から生まれる音楽との一体感。それらすべてのトータルパッケージがフィギアスケートの魅力だという。そして、羽生結弦というスケーターは、そのトータルパッケージで抜きんでている。それを例えば、テレビ中継の解説やスポーツ新聞の応援記事や人情ストーリーでは説明してくれない具体的な解説をしてくれる。例えば、羽生が4回転ジャンプの前後にどんなステップやターンを入れてエッジワークでつないでいくかをひとつひとつ説明していくが、その密度の濃さの異常なほど突出している。それを可能にする羽生のスケーティング、下半身の蹴る力によって推進力を得るのではなく、厳密な体重移動により、瞬間的に適切なエッジに乗る。いわば、体重移動だけで滑ってしまう技術だという。
 スタートのひと漕ぎの後、左足のフォアインサイドから、一瞬のターンでバックアウトサイドにエッジが替わるところ。このターンの滑らかさと、バックアウトに替わってからの、糸を引くような迷いのないトレースが見事。
 コンビネーションジャンプのための助走にあたる漕ぎから、すでに曲の音符と足さばきがピッタリ一致している。助走に続くコネクティングステップは、エッジを動かすことで成り立つステップに対してはピアノの短い音、エッジを動かさないからこそ成立するイーグルに対しては長めに伸びる音を合わせている。単に曲のイメージだけではなく音符やリズムにまで厳密にエッジワークを合わせている。これが、この曲を選んだ必然性やこの曲で滑る意味を、非常にクリアに主張している。
 単独の4回転サルコーを着氷し、そのスムーズなトレースの延長線上に、パーフェクトにフリーレッグを置いていき、アウトサイドのイーグル。そしてエッジを替えて、インサイドのイーグルへと移行する。ここまでが4回転ジャンプのトランジション。インサイドのイーグルになってから、キュッとスピードが上がっているのは、非常に正確なエッジに乗っているから。その時のインサイドのイーグルの際の背中のアーチが素晴らしい。こんなイーグルを4回転ジャンプ着氷後にいれることは常識では考えられない異常なことで、羽生にしかできない。
 こういう解説の仕方がある。一見マニアックな専門用語の羅列にようだけど、これを映像を見ながら読むと、いかに羽生が演技しているのか、他のスケーターと違うのか分かる。そして、これがテクニカルエレメンツの加算点(出来栄え)の理由であり、プログラムコンポーネンツつまり表現力の点数になるというわけ。これをアピールするようにやっているのが女子のメドベージュワで、この人のパフォーマンスは、いかにもゴテゴテに飾り立てた感じがする。
 これを読むと、実際、先日のオリンピックの羽生の滑りで、最初の4回転ジャンプをとぶ前に、いかに多くのことをやっているか、例えば、左右両足のエッジワークと音楽のリズムが一致している(ネイサン・チャンなどはジャンプをとぶために歩数を揃えることに集中して、羽生のような配慮をする余裕はない)ことなどを気づいてしまう。これを読んで、はじめて、同じジャンプをとんでいるのに点数がなぜ違ってくるのかの理由が分かった。

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