無料ブログはココログ

« 池田学展「The Pen─凝縮の宇宙」(8)~Chapter6 誕生 Rebirth | トップページ | ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2017(1) »

2018年3月11日 (日)

池田学展「The Pen─凝縮の宇宙」(9)~Chapter6 誕生 Rebirth(2)

Ikedarebirth3 とはいえ、そんな単純なものであれば、こんな大画面にする必要はないはすなので、一様であるはずはなく、試行錯誤の中で迂回や逡巡といった、さまざまな営みや希望と失望を行ったり来たりする個々の人々の行動を想像させるような象徴が散りばめられています。たとえば、画面の上半分を明るくさせている満開の花々をよく見てみると、植物の花そのものを描いているわけではないのです。すべて偽物の花なのです。例えば、ピンクの風車だったり、ピンクのスクリューだったり、花みたいだけどじつはピンクに塗った瓦礫だったり。あるいはまた、はなびらがテントだったり、しかも、そのテントの中には人々の生活が小さく描かれていて、新しい生命の誕生があったりする。あるいは、人の手がはなびらになって、新しい生命を優しく包み込んでいる。ここには、全体としては悲惨であるなかでも、それだからこそ、個々の人々Ikedarebirth4 の生活の中には喜びがあったり希望が生まれていたりする。その逆だってある。池田はそのひとひとつを拾い上げるようにして描くようです。しかも、その個々の生活は、その人のもので、それに寄り添ってしまうと全体が見えなくなるので、全体と個々を等価にするように、それぞれを池田は距離をおいて突き放すように描いています。そのために、戯画的な、風刺の混じったような象徴的な描き方をしています。それだからこそ、画面全体にはじめじめしていない、カラっと乾いたような明るさがあって、個々の部分は別にして重苦しくなっていないと思います。それだからこそ、震災を経験していなかったり、知らない人でも、そういう直接的なメッセージとは別に、画面を見て楽しむことができるようになっていると思います。

また、この画面の中では、星が瞬く夜もあれば昼間もある、というとことであらゆる時間が一緒くたにあります。また、画面に統一した視線はなく、各部分に視線は分散しています。ここには、特定の時間とか空間があるわけではなく、ごった煮のように同居しています。したがって、一つのときが特定できて、そこから次のときに移るということは想像できなIkedarebirth5 いので、動きということがありません。無時間的であるということは、すべての時間があるということで、動く必要がないということになります。だから、画面には動きがなくて止まっています。それだからでしょうか、これだけ色々なことが描きこまれているのに、不思議と静寂さが漂っています。したがって、人々の生々しい肉体といったものはなくて、遠くから、そうものが届かないところで眺めているというものです。それは、かりに震災であったとして、その渦中にはいないということです。たくさんの視点で描かれていますが、その渦中という視点は、ここではないのです。それは、映画「シンドラーのリスト」の場面で、水晶の夜のユダヤ人迫害のシーンで、その残酷な様子をシンドラーはユダヤ人のゲットーを町外れ高い丘にいて馬上から黙って見下ろしている場面があります。それは、シンドラーが、その愚行に関わってはいないのですが、そこで彼は神のように見下ろしているのです。それは、この映画全体の胡散臭さを象徴している場面ではあるのですが、そこにシンドラーという人物(あるいは映画を制作している作者の)の隠れた傲慢さが監督の意図を超えて分かってしまうものとなっています。「誕生」に話を戻しましょう。無時間的であらゆる視点がいっしょくたに、一見無秩序のように同居している、そういう中で作者の池田はどこにいるのでしょうか。それは、水晶の夜の惨事を遥か遠く、当時たちには分からないところ、で黙って見下ろしているように、画面には現れていないところにいる。それは、そういう画面という枠組みをつくったという、いわば世界を創った神のようなとろです。しかも、この作品を見る者は、画面を超えることはほとんどないものとなっていると思います。例えば、画面に描かれている細部にいろいろな発見があると思いますが、あくまでも見つけるところまでで、それは、作者が隠したものとか、そういうものです。そこで作者の意図を超えたあらたな世界を見つけるとか、まったく異質な解釈や意味づけを許す余地はないのではないかということなのです。それはまた、作品を見る人は、何が描かれているのかということを見るのですが、いかに描かれているのかということには、この作品では見ようとすることはほとんどないのだろうと思います。つまり、表現から想像のイメージがひろがっていくということはないのです。

そういう点もまた、集中的に「誕生」に表われていると思います。そういう意味で、池田という作家の要素が、現時点ではもっともよく表われている作品が、この「誕生」ではないかと思います。願わくば、人ごみにせっつかれることなく、ゆっくりと細部を愉しみながら眺めてみたいと思いました。

« 池田学展「The Pen─凝縮の宇宙」(8)~Chapter6 誕生 Rebirth | トップページ | ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2017(1) »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564097/66485642

この記事へのトラックバック一覧です: 池田学展「The Pen─凝縮の宇宙」(9)~Chapter6 誕生 Rebirth(2):

« 池田学展「The Pen─凝縮の宇宙」(8)~Chapter6 誕生 Rebirth | トップページ | ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2017(1) »