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2018年3月 5日 (月)

池田学展「The Pen─凝縮の宇宙」(3)~Chapter2 想像の旅人 The traveller’s imagination

Ikedavillage 初期の細部を緻密に写実的に描くことを積み上げて作品をつくっていくことから、次第に細部の重点が高くなって、全体を細部が越えてしまうことになって、全体がリアルなものから、結果としてリアルとかが関係なくなって、いってみれば想像的なものとなっていったというような作品の展示です。

Ikedamizuki 「美しい村」という作品です。東南アジアかフィリピンあたりの農村の風景で、斜面には棚田がつくられて、画面真ん中左には牛に引かせて耕している人影が見えます。棚田の作物の茎や葉の一本一本がペンで明確に描かれているだけでなく、点在する家は屋根が草葺なのでしょうが、その一本一本までがまとめ結われているところまで細かく描かれています。この作品では農村風景の中にかろうじて収まってはいるという感じです。その一方で、牛に引かせて耕している人物は白い影なのです。このアンバランスが不思議です。まるで、水木しげるのまんがの世界のような、稠密にペンで描きこまれ、その執拗さで黒い部分が多くなって重くなっている背景の中心に、真っ白に映るほどに省略された人物のキャラクターがいる。そのアンバランスさが、水木のまんがの魅力で、その重い存在感のある背景がなんともいえない不気味さを醸しだして、それが際立っているのです。いつ妖怪が現れてもおかしくない、それに対して人間は無力であるのが、描かれた画面が物語っているのです。しかし、池田の場合は、水木のような画面がひとつの世界となって雰囲気とか感じを表わすというものではないようです。それは、人物を表現するということの拒否ということがいえるのではないかと思います。

Ikedastreet それは「表通り」という作品をみると、よりはっきりします。街の通りの風景ですが、そこにいる人々の姿は後姿か白い影でしかないのです。これほどの近距離で人々を描けば、表情が見えてくるのが普通です。笑いとか、意気消沈した姿とか、疲れた姿とか、そういう表情はまったくなくて、風景の中で、ポーズをとって、それなりの格好のひとの姿の外形が精確に描かれているだけです。

Ikedakamakiri 「くさかまきり」という作品です。巨大なかまきりが、鎌を構えて、飛びかかろうとしている姿勢を見上げるような仰角で描いた作品です。しかし、その頭を上げて威嚇するようなかまきりの身体は植物でできています。まるで、果物を寄せ集めてつくったアンチンボルドの騙し絵のようです。しかも、かまきりの身体になっている植物は、図鑑のような博物学的な精密さで描かれているわけです。それが組み合わされて、グラフィックデザインのようなシャープで鮮明なかまきりの画像にまとめあげられているのです。おそらく、先入観なしに、何気なく眺めれば、よく描かれたかまきりの姿にしか見えないでしょう。そのアイデアとデザイン性、そして、それを描き切ってしまう手腕には、ただ感心するばかりです。しかし、判じ絵だからというだけではないのですが、このかまきりに動感はありません。止まっているのです。

Ikedakoubou このコーナーの中心は「興亡史」という大作でしょう。この作品は池田のプロとしてのデビュー作ということだそうです。「興亡」とは興り栄えることと、滅亡することを意味しているそうです。そういえば、細部を見ると、城のいたるところで侍が戦っています。しかし、全体像に目を転じると巨木に城が組んず解れつの取っ組み合いをしている様が見て取れます。しかも、積み重なった城の合間には、工場やクレーン、レールなどの人工物で埋め尽くされています。城の左下に根の部分が描かれている“大樹”は、自然界を象徴していると言います。人間の世界が栄えてくると、自然界は破壊され隅に追いやられていくことの象徴でしょうか。自然が破壊された結果、台風や津波、竜巻といった異状気象となって人間界に返ってくる。そのさまが、画面左上の天守閣から竜巻が吹き出し、城を取り巻こうとしている光景が描かれています。悲惨な未来の暗示とも見えます。さらに画面を細かく見てみると、侍が戦う光景を白抜きで随所に描かれているのが分かります。侍たちが敵味方に分かれ、刀や槍を振りかざして戦っているのもあれば、糸巻き機を使って屋根から降りてくる侍もいる。小山のような傾斜の屋根上では、モトクロスバイクの競技を楽しむかのようにバイクに乗った侍が豪快に移動しています。また、屋根の上に鬼やクモが表れたり、折り紙でカエルの兵隊を作る侍などユーモラスな光景も随所に散りばめられている。この城は、姫路城や熊本城といった現実の城にはありえない、さまざまな天守閣が幾層も積み重なり、傾斜の異なる屋根が組み合わさった姿です。Ikedahauru 部分を描いているうちに、その部分が重なって、結果として、このような姿になった「ハウルの動く城」「千と千尋(ちひろ)の神隠し」の湯屋を想わせるところもあります。また、この作品には、そういう生きるか死ぬかの興亡というテーマに納まりきらないもの、それは、先ほどの細かい部分での侍の戦いの場の逸脱した冗談のような場面以外にも、たとえば(おそらく作者の)日常風景も盛り込まれています。しかも、季節ごとの風景を一つの画面のなかに散りばめています。画面左下に、涼やかな滝やアジアのリゾート地を思わせるプールなど「夏」を盛り込み、画面右下には収穫間近の稲穂や紅葉を描いて「秋」を演出していて、上に向かって描くにつれ、春や冬の場面が見えくる、といった具合です。

池田は、この作品について「ほぼ日刊イトイ新聞」のインタビューに答えて、つぎのように語っています。“たとえば「興亡史」に関して言いますと、いろんなカラクリのある城のなかで、馬に乗ったお侍とか、猿飛佐助みたいな人たちが戦っていて、描いているときは、とにかく、楽しかったのを覚えています。ただ‥‥やっぱり、楽しいってだけでも、「楽しくなくなっちゃう」んです。だから、あの絵の場合には、人間の文明の象徴である「お城」がどんどん増殖して、どんどん膨らんでいくことによって、自然の象徴である木が、追いやられて枯れていくようすとか、そういうイメージを、どうしても、入れたくなっちゃって。絵を描くのが楽しければ楽しいほど、楽しいだけのイメージだけじゃ、いつしか、楽しくなくなってしまう。楽しさという光ばかり描いていると、どうしても、影の部分を描かざるをえなくなって。光と影は、同時に生まれてくるんです。”

Ikedakoubou2 この作品からは、スピンオフ的な作品が同時期に複数制作されました。そのひとつに「二の丸御殿」があります。全体の壮大なスケール感とともに、細部は楽しい場面に満ちあふれている作品です。画面には大樹を取り巻くように城がそびえ立ち、お姫様から侍までさまざまな人物が登場します。画面左上の上から白い二本の線は空中ブランコの線のようで、そこに男がぶら下がってお姫様を攫っているようです。それを右上の朝顔の描かれた屋根のテラスのようなところの窓から、お姫様が身を乗り出して、追いかけようとしています。この活劇シーンのような光景の下の方では、お色気シーンが繰り広げられています。中央左では、シャワーを浴びる女性を、ふすまに身を隠した男が堂々とのぞいています。その左下では、朝帰りした男たちが、妻たちから冷や水を浴びせられているし、その下の部屋では、小僧が障子の隙間から手を伸ばし、何かを盗もうとしている場面が描かれています。画面中央近くには、畳を裏返しながら戦う忍者の姿も見えるし、その下には化け猫みたいな巨大な猫がいます。画面右下隅では、遠山の金さんらしき人物が法廷で裃(かみしも)をまくっている光景が見える。この作品の場面は、それだけてはなくて、このように1枚の絵を読み解いていくように、鑑賞するだけでも時間がたっぷり必要となるのです。

Belgfantakamogawa このような、細部にいろいろな場面を含んで、全体としてごちゃごちゃしたようなモブ・シーンをつくっているもので、昔のマンガですが、鴨川つばめという作家の『マカロニほうれん荘』という作品を思い出します。しかし、同じモブ・シーンでも、『マカロニほうれん荘』ではキンドーさんやトシちゃんといったキャラクターが画面を縦横無尽に駆け回り、紙面から飛び出してきそうな動感に満ちています。これに対して、池田の作品は、『マカロニほうれん荘』にあるような雑草のような逞しさやエネルギー、動感はないのです。そのかわりに静けさがある。そこに感じられるのは滅びていく儚さ、その先の死です。

このコーナーの最後に「領域」という作品を見ましょう。波でS字に彎曲した海面を境にして下側は海のさんご礁の様々な生き物が集まって、上側は木々が繁茂し、鳥が飛んでいる光景があります。しかし、すこし離れて全体の形をみると蟹であることがわかります。画面左下に脚が見えるし、上側のふたつの目があるのが分かります。この作品も、「くさかまきり」のような騙し絵的な作品であることが分かります。池田には蟹を題材にした騙し絵的な作品は、他にも「航路」という作品もあります。きっと蟹がすきだったのではないでしょうか。しかし、甲殻類を精確無比に描き、そのグロテスクですらある美しさで見る者を魅了してやまない、私が思っている杉浦千里と比べて見ると、池田の描く蟹は精確ではあるのですが、蟹そのものの魅力に欠けるような気がします。杉浦にあって池田にないものは、私には描く対象に対する愛ではないかと思えます。これは、池田を貶すことではなくて、彼の場合は、描くという行為そのものが第一ということの、ひとつのあらわれと思います。しかし、それゆえに、見る者は描かれた作品に感情移入しようとすると肩透かしに遭うことになるのです。

Ikedaaria

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