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2018年4月

2018年4月29日 (日)

内部監査担当者の戯言(11)

 前回の続きで、物事をストックとして捉えるのではなく、フローとして捉えるということについて、もう少し。能力を材料に考えてみたいと思います。例えば、「話し上手」な人というのは、その近くにその人の話を聞く人々を集めるから、そういうことになるわけです。視点を変えると、この「話し上手」の人の話を引き出す「聞き上手」の人々があって、はじめて「話し上手」ということが成立するわけです。ということは、「話し上手」な人と「聞き上手」の人々が集まって、話して聞くという場が生まれるということになります。しかし、この場合は、この人の「話し上手」という能力とみなされてしまうわけです。この場を作っているのは「話し上手」の人と「聞き上手」の人の両方で、この両者の関係が生まれて場が作られる。しかし、これを「話し上手」という能力という能力とみなされ、「聞き上手」の人々は無視されてしまいます。地球上の誰にもコンピュータ・リテラシーがないなら、スティーヴ・ジョブズはただの変人です。そこで、その意味で、能力というものは、明確な形をもった物体のようなもの、いわばコンピュータ・リテラシーのある人々によって場が作られているということは、この時には無視されています。無視というよりは、最初から視野にすら入っていないのかもしれません。このような能力があるというときの能力は、そういう場から抽出されて、独立した絶対的な「もの」つまりストックのように見なされているとは言えないでしょうか。しかし、はたしてそうなのでしょうか。実は、ストックとして私有できるものではないのではなくて、人々の間を流通している関係性のようなもの、いわばフローで、能力というのは、その人だけで処分できるものではない、と言えないでしょうか。
 そういうストックとしての捉え方は、企業において機械化によって人件費を削減することに行き着くことになります。力仕事はロボットに、計算などの事務作業はコンピュータに置き換えることができてしまうのです。そうなると、人間の労働が提供できる付加価値は情緒的なもの、すなわち心地よいコミュニケーションを相手(顧客)に提供するスキルしか残されなくなってきている。そうなのでしょうか。
 そこに企業における能力というものの扱いの困難さがある。ストックとしてでないと、機械化のような効率化(企業の用語でいうと改善)や能力の評価ができない、ということで、それが本質的なことだ、言えるかしれません。
 しかし、視点を少しずらせてみましょう。よく、能力主義の人事管理の効率性の議論で、企業という組織集団において、たいていは、そのメンバー全部が能力があって、企業をそれぞれが牽引しているということはなくて、だいたい2割の人が牽引していて、残りの8割は、それにぶら下がっている、といいます。パレートの法則とも2-6-2の法則とも働きアリの法則とも言われているものです。面白いのは、その中で、牽引している2割の、いわば能力のある人だけを集めてエリート集団としたら、全員が牽引するようにならなくて、その中の2割が牽引し8割がぶら下がることになるといいます。それは、もしかしたら「話し上手」の人に対して「聞き上手」の人がいて場が成立しているときの、「話し上手」の人と「聞き上手」の人の関係が現れているものなのではないでしょうか。そう考えると、このような場合、企業で2割の人を能力があると評価するということは、片手落ちの見方で、残り8割の人が2割の人を成り立たしめていることを評価するということが、能力ということを考えていく際に、必要になってくるのではないか。
 また、前回のダイバーシティについて考えた際に、この8割の人々は、ほとんどすべての企業で、この人々のことは採り入れられていません。つまり、2割の人に偏っているのです。この8割の人をとり入れることで多彩な考えとなっていくという方向は、検討すべきではないでしょうか。それに関する具体的なことは、だれも考えていないので荒唐無稽かもしれませんが。

2018年4月27日 (金)

内部監査担当者の戯言(10)

 前回投稿した與那覇潤「知性は死なない 平成の鬱をこえて」についてのところで、言っていて物事をストックとして捉えるのではなく、フローとして捉えるということを考えているうちに、実際の場として、その前の投稿したある会社の説明会での話を思い出しました。
それは、次のような話です。
 海外のメーカーを買収して、数年で利益率10%から15%の高い利益率にしてしまうことについて、そういう会社の経営者というのは、ビジネススクールで経営学を修めて数字の計算には強いけれど、そこで枠をはめられていて、メーカーであれば業界標準といったようなデータを鵜呑みにしてしまって5%くらいの利益率という発想しかできなくなっている。また、工場をプロフィットセンターと見ないで、営業が取ってきた注文のアフターフォローとしか見ない。だからマーケティングで戦略を熱心に考えるだけでおわってしまう。工場に足を踏み入れることもない。そこに限界があると言います。そこに乗り込んで、工場こそが利益を生み出すとして、生産現場の改善に地道に取り組むと、あっという間に生産効率が上がって利益率が好転するし、それを踏まえた全体的な戦略を進めていくと会社全体が変わっていくと言います。それは、赤字を出している会社では短期的に顕著に効果が現われると言います。むしろ、5%くらいの中途半端な利益率の会社の場合は経営トップが現状に自信を持っているので、それ以上の利益率を求めても現実的と考えないので、時間がかかると。この経営者の持論として、会社にはどんなに優秀な社員がいても、トップがすべてということに収斂するといいます。だから、買収した海外のメーカーの場合も、トップに発想の転換をさせるか、それができない人は替えてしまうそうです。
 この買収した海外メーカーというのはヨーロッパや北米の会社で経営トップは、ここで言われているようにビジネススクール出身のプロで、最新の知識やスキルを身につけている人たちだったわけです。当然、今の日本企業に求められているようなガバナンスなどの意識も知識も高いし、日本のコーポレートガバナンス・コードで求められているようなことは身についていて例えば、ダイバーシティといったこともそうだと思います。それでいて、固定的な枠にはまった発想しかできていなかった。そういう結果です。
 何を言いたいかというと、ダイバーシティ、つまり人材の多様性ということは、そもそも、会社の経営や事業を推進させていくに際して、枠に嵌まってしまわずに、柔軟な発想で市場の変化を乗り切って、他にはない独創的な考えで競争に勝っていく。そのために多様な発想を求めて、発想の出自の異なる人が存在していて、同じような考えの人で固まることのないようにする、というものだったと思います。だから、女性が何パーセント以上いるとか、マイノリティーの人が一定程度以上いるということとは、同じではないはずです。おそらく、この買収された会社にも、そういう女性やマイノリティーの人がいたと思います。しかし、生産現場の声が届かなかった。一方で、生産現場という経営のプロとは異なる発想の人は多様性の中に入ってこなかった。それで収益性が上がらなかったということなるわけです。おそらく、女性とかマイノリティーの人とはいっても、同じようにビジネススクールで勉強した人たちなのでしょう。つまり、経営の基本的な姿勢は同じではないかということなのです。そこに発想の多様さがあったのか。あったのは出自の多様さで、考えていることや、話していることは同じ枠の中で話していた。だから、生産現場を誰も見ようとしなかった。つまり、多様性といっても、その人の性別、民族、階級といったことは属人的なもので、いわばストックです。しかし、どのように考えるかというのは、その人の出自の影響はありますが、その後、その人がどのような人と関係したのか、とかどのような経歴を経たのかといった流動的なもので、フローの面が強いのではないか。
これは、企業の現場で、別の面で重要なものとして、能力というのも、ストックではなくて、フローではないかと思えてくるのです。

2018年4月26日 (木)

與那覇潤「知性は死なない 平成の鬱をこえて」

 “世界秩序の転換点でもある平成という時代に、どうして「知性」は社会を変えられず、むしろないがしろにされ敗北していったのか。精神病という、まさに知性そのものをむしばむ病気とつきあいながら、私なりにその理由を、かつての自分自身にたいする批判をふくめて探った記録。”と著者自身が語っているが、書き下ろしの体裁になっているけれど、一貫性が感じられず、自身の罹患のことを語ったものと反知性主義が蔓延している状態について語ったことの二本立てで、小文を連発したのを集めたエッセイ集として読んだ。
 著者は「知性」の立場、端的に言うと、身体と理性の二元論的な立場で感情などは身体に起因するものであるのに対して、理性に起因する論理で言葉を組み立てるということ。それを思想として堅持するのであれば、行動にも反映しなければならないのではないか、という倫理的な立場。言ってみれば知行合一。例えば、嫌韓や反中が盛り上がった風潮のなかで、相手の国の言っていること自体は内容的に、リベラルと言われる人々がずっと主張してきたことと重なるわけで、その人々が、韓国や中国の主張に関して「反日を感情的に煽って政治に利用するのは問題だが、言っている内容は正しい。いきりたつ日本人こそ戦前の反省が足りない」というような敢然と筋を通す人が、なぜ出てこなかったのか。反知性主義が蔓延しているということについては、知性が衰えて感情とか身体に起因ものが優勢になったという二元論でとらえるのではなく、そういう分類は物事をストックとして捉えているものだという。そうでなくてフローとして捉えるべきだはないかという。それは、例えば知性の立場ではこういう考えだという、どう考えるかという道筋ではなくて、こういう考えというラベルで知性か感情という分類をしてしまっている。こういう主張は保守とかリベラルという固定化させてしまっていることだ。
 それが端的にあらわれているのが、マルクスの解釈だ。共産主義というと私有財産をなくしてみんなが平等になるというように一般的に理解さされている。しかし、マルクスは金持ちと貧乏人の対立ということは言っていない。彼が言っているのは資本家と労働者だ。お金もちと資本家とは違う。資本とは、お金が投資されて事業を作り出すようなものなったものだ。現ナマが箪笥のなかでへそくりとしてしまわれているのは、いくら大金でも資本ではない。マルクスは、そのお金ではなく資本を対象とした。事業を生み出す資本というのは、公共的な性格が強い。だから社会共有のものとして流通させるべきではないのか。それがマルクスの考え方ではないかという。それでは、むしろ資本主義を純粋化させるような考え方ではないかということになる。そうだとすれば、著者のいうフローとして捉えるということは、たいへんな困難を伴うが、自分で考えろということに収斂することになると思う。それだけ自分で考えていない人が多いということだ。耳が痛い。

2018年4月25日 (水)

ある会社の決算説明会

 何年も前にIR関係の業務をしていたときに知り合って、お付き合いが続いている市場関係者のご厚意で、某電子部品メーカーの決算説明会を見学してきました。以前にも何回も説明会に出席した会社でN社としておきますが、最近、スケジュールが合わなかったので、久しぶりの出席ということになりました。創業者の名物経営者が後継者を指名したことが新聞記事を賑わせていましたが、その後の最初の決算説明会ということで、いつも満員の会場は、さらに盛況で、テレビカメラも入っていたようです。質問者の中には、いつもはいないテレビ局の女性記者が立っていました(ただし、場違いな質問で失笑を買っていましたが)。そのせいもあってなのか、私がそういう目で見ているからかなのか、普段の決算説明会で業績についての具体的な説明や質疑応答の場面が少なくなって、その代わりにその経営者の経営方針とか経営姿勢のようなことを話す部分が目につきました。とは言っても、この経営者は現場たたき上げの人なので、抽象的な経営哲学とか道徳じみた経営姿勢のような建前を説教するタイプではないので、経営の長期的な戦略とか方向性といった形で話していましたが、いつもは話さないような、その戦略がでてくるファンダメンタルな発想とか、経営の見方を話していました。
 例えば、海外のメーカーを買収して、数年で利益率10%から15%の高い利益率にしてしまうことについて、そういう会社の経営者というのは、ビジネススクールで経営学を修めて数字の計算には強いけれど、そこで枠をはめられていて、メーカーであれば業界標準といったようなデータを鵜呑みにしてしまって5%くらいの利益率という発想しかできなくなっている。また、工場をプロフィットセンターと見ないで、営業が取ってきた注文のアフターフォローとしか見ない。だからマーケティングで戦略を熱心に考えるだけでおわってしまう。工場に足を踏み入れることもない。そこに限界があると言います。そこに乗り込んで、工場こそが利益を生み出すとして、生産現場の改善に地道に取り組むと、あっという間に生産効率が上がって利益率が好転するし、それを踏まえた全体的な戦略を進めていくと会社全体が変わっていくと言います。それは、赤字を出している会社では短期的に顕著に効果が現われると言います。むしろ、5%くらいの中途半端な利益率の会社の場合は経営トップが現状に自信を持っているので、それ以上の利益率を求めても現実的と考えないので、時間がかかると。この経営者の持論として、会社にはどんなに優秀な社員がいても、トップがすべてということに収斂するといいます。だから、買収した海外のメーカーの場合も、トップに発想の転換をさせるか、それができない人は替えてしまうそうです。
 製造業のマーケットについての長期的な見方も開陳してくれました。自動車の業界はガソリンエンジンから電気自動車になると、一気にコモデティ製品化してしまうだろうと言います。というのも、ガソリン車の場合にはエンジンというコアの部分が各自動車メーカーが長期にわたって培った技術とノウハウがそれぞれにあって、これが製品の個性になっていたと、他方でそれが参入障壁になっていた面もあると。ガソリン車はそのエンジンというコアに従うようにサスペンションをはじめ末端の部品まで適合させる製品でした。しかし、電気自動車のモーターはエンジンとはちがって、デジタルで機械的なところは規格化されてしまって、どこでも同じようにつくれてしまうものです。スマートフォンやパソコンと同じようにハードはどこのメーカーも変わらないものとなって、ソフトウェアやデザインの差が各メーカーの製品の差ということになるそうです。そうなると、下請けだった部品メーカーは、ガソリン車の場合には自動車メーカーのエンジンに適合した、地同社メーカーに特化した部品を作って、系列に入っていました。だから、売り先は、その自動車メーカーに限られて、生産規模も限界があった。そこで大量生産のスケールメリットでコストを下げようとしても、売上先が限定されて、売れ残ってしまうことになっていた。それが、電気自動車になると一気にコモデティ化してしまうので、部品はパッケージ化された標準的なものが各自動車メーカーが共通に使うようになってきます。その時には、大量生産でコストダウンした部品メーカーが競争に勝つことになる。しかも、自動車メーカー1社だけでなく、すべての自動車メーカーに提供できるような大量の生産と、即時の要求に応える必要があります。そのためには、従来の部品メーカーでは、生産設備を従来の数倍の規模に拡大しなければなりません。そのための設備投資の資金を調達しなければならないし、資金があっても、生産設備や人材を調達、それは会社の規模を数倍に拡大することです。その時に市場競争に勝てば、おさらく独占的にシェアを確保できることなると言います。それは、パソコン市場でインテルが、ライバルを蹴落として、パソコンメーカーを支配してしまったと同じようなことが起こるといいます。この会社は、電気自動車がガソリン車に取って代わるときに、大規模な業界再編が起こると考え、それを好機に、一気に市場トップになる戦略だとして、そのために大規模工場の手配を今から着々と進めていると言います。
 こういう話が、次々とでてきて、ビジネススクールのケーススタディよりも面白かったです。

2018年4月23日 (月)

没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟(6)~第5章 晩年

Asadafall  1990年以降の作品が展示されていましたが、ここで作風が変わったとか描く対象が変わったようには思えません。なぜ、ここで分けたのか私には理由が分かりませんでした。
このコーナーの展示室に入ってすぐに「御滝図(兄に)」が展示してありました。麻田には珍しく那智の滝という具体的なものを題材にして描いた作品です。しかし、13世紀の「那智瀧図」へのオマージュと解説されていて納得がいきました。つまり、実際の那智の滝というよりは、描かれた那智の滝を題材にしているわけです。それは、画面下の水が流れ出た海(?)が滝の風景からはみ出ていて、滝の風景の周囲に黒い枠があることからも分かります。おそらく、「御滝図(兄に)」で円で枠取りされた風景が4つ横に並んで挿入されていますが、真ん中向かって左の滝の風景は、「那智瀧図」の部分を引用しているのではないかと思います。そして、その向かって左側、つまり端の円は麻田の兄である麻田鷹司の「雲烟那智」からの引用ではないかと思います。また、真ん中右側は自身の「地の風景」ではないでしょうか。これらは、私には麻田の「御滝図(兄に)」が13世紀の「那智瀧図」や麻Asadafall2 田鷹司の「雲烟那智」を題材にして、それらのネガとして描かれているのではないかと思われるのです。つまり、「那智瀧図」が暗い色の中に、真白い筋が伸びているという巨大な滝の持つただただ豪快で大味な大量の水の集積では無く、静かに筋のように伸びた白さ、その穏やかさや静けさを持った水がそこにはあるという静謐な雰囲気に、滝の神秘性、宗教性を見る人に感じさせるものになっている、つまり、画面の中心は白い線にあって、視線がそこに集中するように描かれています。だから、結果的になのかもしれませんが、滝の周囲の景色は暗くハッキリしません。これに対して、「御滝図(兄に)」は、逆に遠心的と言えるのではないかと思うのです。「那智瀧図」に対して地と図が反転していると言えばいいのでしょうか。滝の水は、「那智瀧図」よりも写実的になって、滝の岩壁の一部に引っ込んでしまっている。その反面、岩壁には円で枠取りされた風景が4つ並べられていたりしています。そうすると、視線は滝の水以外のところに導かれることになります。それは、「那智瀧図」が何よりも滝を描いていて、それを見せる作品であるのに対して、麻田の「御滝図(兄に)」は全体を志向した作品であるということで、滝を描いているのではなくて、滝の風景もある全体を画面に入れているという作品であるということです。つまり、この麻田の作品は先行する「那智瀧図」へのオマージュであると同時に、自分はそうは描かないというマニュフェストでもあるのではないかと思えるのです。
Asadagreen  「エスパス・ヴェール(Ⅱ)」という作品です。エスパス・ヴェールというのは緑の空間という意味ということで、この作品は2点で一対の一方なのですが、まず、グリーンの色の基調のしかたと、その色遣いが、この画家の独自性で、この色調だけで他はいらないと思わせるものですが、この作品では、「御滝図(兄に)」の方向性であるひとつの風景についても、羽根やテーブルといった物と同じように画面に一部として、その意味とか位置から切り離して取り込んでしまった作品です。この風景そのものも、ひとつのまとまった風景になっていなくて、森の風景と難破した帆船が重ねあわされていて、脈絡がありません。その風景のまわりには黒い枠があるようになっています。しかし、その枠は曖昧で、風景の中のフクロウのいる樹のてっぺんは枠を突き抜けていますし、風景と枠をまたぐように風景から浮いているような葉っぱや羽根が漂っています。しかも、この風景の中にあるパーツ、例えば樹木やふくろうなどの描き方はわざとらしさがあって、まるで風景を舞台として演技しているように見えます。もともと、麻田の描くは細部はリアリズムを追求していくうちに、度を越してしまって却ってうそ臭くなってしまうところがありましたが、ここにいたって、それを意識的にやっているように、私には見えました。それは、以前であれば物をそれがあるバックグラウンドから切り離されて、てんでばらばらに画面にとりこまれていたのが、この作品などは物があるバックグラウンドである風景すらそれ自体の秩序をバラされて画面に取り込まれるようになっています。それは、現実の関係とか構成等に対して解体してしまうと、そこにある事物が構成に対して関係していることから生ずるポーズが浮いてしまうわけで、その浮いた状態を麻田は画面に取り込んでいるわけです。これは物だけでなく、現実の関係とが構成つまりシステムといったものを間接的に画面に取り込んでいることになるのではないかと思います。そこで、画面が全体をあらわすということの深度がさらに強いものになっていると思います。
Asadatanta  「庵(ラ・タンタション)」という作品です。ラ・タンタションは誘惑という意味だそうですが、画面に引き込もうとする意図があるのかもしれません。それは画面を書き割りの舞台のようにしつらえているように見えるからかもしれません。画面上部の蔦の絡まった彎曲した木の太い枝は左右の柱で支えられた鳥居のようで、それが画面への誘いのように見えます。その真ん中には麻田には珍しく大きな人影のようなものが描かれています。これは人影なのか、そうでないのかは、私には分かりません。これらが黒の枠取のなかでブラウンの色調が暗さと、印象としてノスタルジックな雰囲気を作っていると思います。そこで敢えて言えば、時間のスパンとでも言うのか、昔の風景と現在がつながっているという時間を取り込んだという感じがします。
 「旅・卓上」という作品です。横長の画面で、前にテーブルがあるという構図は、「原都市」でも「蕩児の帰宅」でも「旅・影」でも、麻田の作品によく使われるものですが、この作品もそうです。人によっては、これら似たような構図で作品の区別がつかなくて、どれも同じような暗い作品というように受け取られてしまうかもしれません。麻田の作品には、そういうところ、つまり同じような作品を繰り返し描くというところが多々あると思います。この作品Asadatravel について麻田は“A.地表に代表される二次元的な平面、90度の真上からの視点。B.窓、0度の地平から見た断面的空間の奥行きを、多層に重複する空間として表現する空間心理劇を追求して行きたい”とノートに記しているといいます。手前には横長のテーブルが描かれていて、食物が乗せられているのはダ=ヴィンチの「最後の晩餐」のようでもあります。その奥には3つの形の異なる窓と小さな階段と扉があります。右手の閉じた空間には地表が見えて、手前のテーブルクロスと結ぶように1本の木が伸びています。このように、異なる次元の空間がひとつの画面のなかに、それぞれ独立した断面のように挿入されるようにありますが、全体としては、空間に奥行きがあったり、広がりがあったりと感じられることはなく、平面的で閉じた感じ、この画面の中で完結した感じがします。それは、麻田の作品の魅力として一貫して感じられる色彩センスに裏打ちされた色調の統一性と、プラットフォームのように秩序化されている画面全体の構成ではないかと思います。そのなかに、さまざまな具体的な細かい個物であるとか、空間の断面が即興的に散りばめられて、全体を形づくっている。私個人の感じ方なので、異論は多々あると思いますが、麻田の作品は、何かを表わしているとか、訴えているといったものではなくて、だから彼の作品に作家の心情とか感情の表現(例えば不安とか、世界観とかそういった具体性のあるもの)をそこに読み取ろうとすると、そういうものはないし、それが空虚だというのであれば、それはそれでいいのですが、この画面には秩序というと堅苦しいかもしれいのでコスモス(カオスに対して)といったことが私には感じられます。宇宙というと空間のひろがりだけと思われてしまうので、人の内面の方向もあるのでコスモスという方が通じるのかもしれません。具体的なことを言えば、この作品でもそうですが、画面にさまざまな個物が散りばめられていますが、それぞれの単独の個物が何かのシンボルであるとか、何かの意味を持っているとか、例えば、画家の不安を表わしているとか、画家の伝記的なエピソードの一場面につながっているとかとうような、単独で取り出するものではないということです。しかし、画面の中での配置とか背景の中に置かれていることで、画面全体ができているのです。実際に画面を見てみると、画面の手前のテーブルの上に真ん中左にパンきれはしやワインの入ったグラスが描かれていますが、これらは写実的に描かれていて、これらはキリスト教の聖体の秘蹟としてのものです。しかし、この画面では、そういうものであるというより、古ぼけた長テーブルの上にあって、真っ黒な背景から浮かび上がり、周囲の幻想的な断片が散りばめられているのに対して、古典的な写実で、しかも、スポットライトが当てられたようになっていることで、強い存在感とスペイン・バロック絵画のボデゴンのような神秘的な雰囲気を作り出しています。その雰囲気は、上方の浮かぶ蝋燭や少年の顔を現実的でない神秘的なものに見せています。ちょうど少年の真上の半円形の窓から風景が見えますが、その風景のなかで日の出のような光り輝くのが少年の真上に位置しています。その縦の配置には、なんらかの印象を見る者に及ぼしますが、それは、これらの配置と、それぞれの描き方、間の背景の雰囲気、それらすべてが関係していると思います。そういう全体の構成なのです。それは、喩えていえば、バッハの音楽のようなものとでも言いましょうか。バッハの対位法で厳格に構成された音楽は、感情に訴えるような情緒的な歌や美しい感じられるメロディは、余りありませんが、むしろ。どこかから引っ張ってきたような月並みな節を使っていたしながら、がっしりとした構成に当てはめられて、その中で即興的な部分が音楽にダイナミックな躍動感を与えながら、流動する宇宙のように聴く人を包み込んでしまうところがあります。これは、モーツァルトやベートーヴェンの音楽のようにメロディに酔ったり、劇的な展開に盛り上がったりという作品の先の作曲家の人間と向き合うというのとは異質のものです。麻田が、そのような志向をしていたかは別として、私は麻田の作品には、そういうところがあると感じました。だから、同じようなパターンの作品をいくも見ても、個性とかオリジナリティとかいったことで区別する気にはならなかったし、同じものが続くので飽きてしまうといったことにはなりませんでした。しかも初期のころの、色彩センスが前面にでていて、描写は写実的で緻密だったのですが、それぞれの個物の形態だけがういてしまって存在感がいまいちでイラストの図案のようだったのが、このころの作品になるとそれぞれにリアルな存在感を伴うようになってきています。例えば、手前のテーブルの石の重量感。それによってかどうか、個物の存在に時間の要素、つまり長く存在してきた時間のAsadabird 感覚も備えてきたようで、それが長い時間を過ぎてきた年輪のようなもの、それが見る人によっては廃墟の時間によって風化した感じと重なるような様相になっていると思います。そういう風化した感覚というのは、以前も指摘しましたが吉岡正人や有元利夫の中世風のテイストをもちこんだ画家と同じ雰囲気を感じてしまうのです。
 「居るところ・鳥」という作品です。麻田の作品では空中に羽根が浮かんでいることが多かったのですが、だんだんと鳥が飛んでいたりすることが出てきました。「旅・卓上」でも羽ばたいている鳥の姿がありました。この作品は、その鳥をたくさん画面に登場させた作品です。鳥のいる風景の断片が、画面の中で重複するように幾つも存在しています。
Asadawindow  「窓・四方」という作品です。暗い色調の作品ばかり並べてしまったようでしたので、白を基調とした作品です。だからといって、一概に明るいとは言い切れませんが。麻田の作品は、明るいとか暗いといったこととは、直接関係するところが少ないと思います。

2018年4月22日 (日)

没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟(5)~第4章 帰国

Asadacity  1982年、麻田は体調を崩し、帰国します。その後の作品です。この展覧会場で最初に展示されていた「原都市」という作品は、この時期に制作されたものです。「悲の地」に萌芽的に表れていた変化が、この作品では全面的なものとなったと説明されています。“それまでの地面を見下ろす視点が、頭を上げ眼前を見つめ始めるのである。正面とやや見上げる位置に整然と並べられた物たちは、打ち捨てられた人工的なミニチュアの町のようでありながら、吹き出す霧やドアの向こうの星の輝きとともに、これから動き出すようなどこか有機的な雰囲気をもっている。”麻田自身も世界風景ということをコメントしたりしているので、画面に世界全体を縮図のようにして再現したいという志向があったのかもしれません。それは、視点というよりは、画面一面に物質としての絵の具でも色でも存在させようとしていたことに対して、仕切りを設けようとした、そこには存在を枠にはめる、つまり、形相、かたちでしきっていこうということではないか。私は、この展示を通してみていて、麻田の作品は初期から晩年に向けて、かたちを画面にいれていく大きな流れがあるように思えました。この作品で、眼前を見るという視点は、パースペクティヴというかたちを入れたということではないか、と思えるのです。地面を見下ろす視点で描かれた画面は地面の一部を切り取った感じで、その画面の外側に地面が広がっている。つまり、画面が閉じていなくて広がっていく要素がありました。しかし、この作品のように仕切られてくると、画面が枠取られて、それが麻田の世界風景という志向で、画面にひとつのコスモスのような完結した世界をつくっていこうとすることになって、画面が閉じたものになってきているように感じました。麻田自身も、“画を描いている間は精神療法の箱庭療法のごとき、無心でかつ遊びの持続のごとき、心理的平安状態が来て、不安発作はまし”と述べています。はからずも、箱庭という閉ざされた空間に石や木の部品を思い思いに入れていって庭を造っていくもので、そこには外界と仕切った閉ざされた枠の中に籠もるところがあります。この「原都市」という作品では、未だそれほどでもないのですが、この後、麻田は、この志向を進めていくのですが、閉じた画面に細かなものを詰め込んでいくようになって、画面の密度は高くなり、濃密になって息が詰まるほどになっていきます。同時に細かな個々の物の描写が緻密になって、全体とのバランスを欠くほどに突出していきます。それだけに背後の画面から浮き上がってリアルな存在感が逆になくなっていくようになります。この「原都市」は、そこまでいかない中庸のバランスのとれた作品となっていると思います。
Asadadurage  「土・洪水のあと」という作品です。「旅・影」という作品とで黙示録の風景として提出されたということです。ここには、様々な視点が不規則に、それが明らかにわかるように雑然と混在しています。左奥には階段とその向こう側の空を仰角気味に横から見ています。また中央部下側は地面を見下ろしています。しかし、その地面を背景にした画面下の真ん中あたりでは台の上に並んだモノ達は横から見ています。湯気が上に上がっていることからも明らかです。また、画面右上にはトンボの羽の一部が大きく描かれています。タイトルのとおり黙示録的な大洪水でなにもかもが錯綜しているカオスということなのでしょうか。しかし、そのような様々な視点が雑然としているにもかかわらず、画面がとらえどころのない散漫なものかというと、そうでもない。ここには不思議な静寂さが漂っています。それは、敢えて言えば、シャガールの画家自身の思い出のモチーフ、サーカスのピエロだったり馬がリアルなスケールとか空間を無視するように画面にぶち込まれて、混乱しているのに、それぞれのモチーフが物語を語って、それが画面全体では大きな物語に収斂していくというような、視覚的な秩序とは異なる秩序が画面にあって、見る者は、その秩序感を悟って画面を追いかけている。この「土・洪水のあと」にも、そういう雰囲気があります。この画面の中にぶちこまれているトンボの羽や貝殻、骨壷、羽根、あるいは三角形のような幾何学図形などには、それぞれの物語がありそうな雰囲気があります。それらが、この画面の閉じた枠内で納まっていて、その範囲で、見る人は物語をまとめていく、そんな感じでしょうか。そして、この画面全体の空気をつくっているのは、色遣いです。これだけ鈍いグレーをつかっているのに、重苦しくならないで、フワフワしているような軽さと明るさがある。しかも、ところどころに青や赤の鮮やかな色が点在して、重苦しく、暗くなる事に対する防御弁のようになっている。だから、変な言い方かもしれませんが、使い方によっては、センスのいいオシャレなインテリアとして使うこともできそう、なのです。
Asadatravel  続いて「旅・影」も見ましょう。この作品は、「土・洪水のあと」と並べるとトンボの羽が画面に大きく描かれているところで共通しています。また、「土・洪水のあと」の中央が地表を見下ろす画面であるのに対して、この作品は階段やテーブルを横から見ている視点で描かれているのか中心となっています。それが対照といえばいえるので、この二作品を対としてみることができる。それが黙示録の風景ということなのでしょう。しかし、この「旅・影」では画面左には星と宇宙が大きく描かれていて、これは「土・洪水のあと」の中央右に小さく星座が描かれていたのが、ここでははっきりと分かるほど大きくなってきています。世界風景には宇宙も取り込まれてきたというわけでしょうか。まるで、すべてを飲み込むブラックホールのようです。麻田には、表現者として、そういう欲望があるのかもしれません。しかも、「旅・影」では四角く枠付けられた画像が貼り付けられるように配置されていて、仕切りが明確になってきています。そこになんらかの秩序を意識して作ろうとしている、とも思えます。
Asadareturn  「蕩児の帰宅(トリプティックのための)」という作品です。麻田の制作方法のひとつとして、画面の下地作りから、薄く溶いた絵の具をキャンバスに塗り、乾く前に新聞紙などを押し付けて剥がすと、画面に不定形の模様が定着する、というのをやっていて、この作品では、それが顕著に見られると思います。そういう効果はあるのでしょうが、その反面下地の色彩が鈍くなって、透明感がなくなってくる。その点で、私にはせっかくの麻田の色彩のセンスが減退していて、透明感よりも汚い印象を持ってしまうのでした。展覧会のパンフレットで使われている作品なので、彼の代表作なのでしょうけれど。ヒエロニムス・ボスの「放浪者(行商人)」からの影響が大きいと解説されていて、たしかに画面中央の鳥かごの上や右側に四角の枠でその作品の模写の部分をトリミングして配置して、右下にはその作品全体を縮小して引用しているようですが、上手な模写とは思えないし、影響関係といってもそれだけの、単なる引用のようにも思えます。この作品では、私は、そういう汚い背景を土台にして、破れた布がかけられた鳥かごの明るいブルーが際立っているところや下部の葉っぱのグリーン、あるいは羽根やネズミ(影と実体と骨(死)が三つ横に並んでいる)、合掌している掌といったような個物が背後から雑多に浮かび上がっているということです。これらが、それぞれに無関係に、描き方にも統一性がなくて、ほんらいならごちゃ混ぜの渾沌としているはずなのに、そうなっていない、不思議に静かだということです。それを廃墟という人もいると思うし、無機的という人もいると思います。この作品には即興性とAsadashadow2 いうか、麻田は綿密に計画して、画面を設計して制作したのではなくて、直感で思いついたものを描き加えていったらこうなってしまった、という感じがしますが、あえていえば、全部を描くという作品に結果としてなった。そこに麻田の作品の性格があると思います。感情とか思想しか心理とかいった何ものかを表現して、相手に共感してもらうといったことではなくて、そういう土に対する図の方ではなくて、あえて言えば地にちかい方の全体が画面になっている。そんな作品ではないかとおもいます。そこには現実とか幻想とかに世界が分岐する以前の原世界のようなもの(麻田の作品には「原都市」とか「原」がつくものが多いようですが)ではないかと思えるのです。「地・影」なども、規模は小さくなりますが、同じ傾向の作品でしょう。
 この画面にぶち込まれた個物について、麻田は演出を施すようになってきているように見えます。例えば「隅の石とさかれたパン」という作品では、石のテーブルの上に並べられたパンや果物や花は、スペイン・バロックのスルバランといった画家が描いたボデコンという静物画を想わせるところがあると思います。ボデコンとは静物画でありながら神秘的な雰囲気があって宗教性を強く帯びた作品です。この作品でも、さかれたパンは秘蹟の象徴ですし、暗い画面のなかで、光がさすように明るく映えるように描かれています。そういう描き方は写生のようであっても、演出されているような感じで、それが現実を超えて神秘的になり、かえって現実性が薄くなっているような、隠喩というかシンボルのような存在になっているように見えます。また、石のテーブルのくすんだような、部分的に崩れて古くなったのが図式的に描かれているのは、中世の雰囲気を感じさせ、まったく関係などはないのですが、吉岡正人の描く、例えば「森は静かに燃える」の背景の館を連想したりしてしまうのです。

2018年4月21日 (土)

没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟(4)~第3章 パリへ

 Asadawaterfoll 麻田は1971年にパリに渡り、そこを活動の拠点とした。その頃の作品です。
2階の展示室で最初に目に飛び込んできたのは、「原風景(赤)」という1.5m四方の大きな作品で、前面に塗られた赤は鮮烈でした。それは、センスの良さがまずあって、赤の鮮烈さあるのにどぎつさがなく、落ち着きがあって、しかも透明感がある。地面を描いているので、けっして原色とか抽象的な赤ではなくて、少しくすんだような、汚れたようなところがあるのですが、それが現実的な存在感を生んでいる。この人の色の使い方の感覚は、絵の方向性はまったく違うのですが、加納光於の抽象画の色の感覚に通じるところがある、と作品を見ていて思いました。例えば「落水風景」という作品などは中心に円があって、加納の作品に少し共通しているところがあるかもしれません。
 これまで、展示されている麻田の作品を見ていると、私には、麻田は、何かを描く、それは具象的な対象でも、内心の思いを形にするとか抽象的なことを描くとか、そういうことよりも、描くことを画面に存在感を与えることのように捉えて、そのために、石膏や絵の具のようなマチエールを盛ってみたりしていた。しかも、存在感は絵を見る者に納得してもらわなければ、絵としての価値(存在意義)がない、それで見る者にも分かるように既存の手法試みた、アンフォルメルだったり、シュルレアリスムだったりと、そうこうしているところで、自身の色彩センスに気がついて、画面を色で塗りつぶすようになった。それを、それを見る者に納得させるため、塗りつぶしている色との適合性を考えているうちに、壁とか地面とか水といった一面に広がるものを題材として発見した。その題材だけでは、見る者は、対象を見たがるので、視線が定まらず、画面を醜くなるので、その視線の助けとなるものを壁や地面の手前に加えていった。このように、私には、麻田の作品の性格を、そのように見えました。
Asadaorigin  「原風景(重い旅)」という作品です。穴ボコの地面を描いた作品です。私は、描かれているのが地表だとかいうことよりも、この画面いっぱいに塗られた色、深いグレーと、そのグラデーションの暗い、落ち着いた雰囲気を感じます。こんな穴ボコがあって、表面いっぱいに小さな粒々があるのは地表なのだろうことは分かります。しかし、それにしては、この地面は土なのか岩なのか、いかにも地面らしくはなっていますが、リアルではない。さらに見ていくと、ヘコんでいるところの影の付け方がチグハグであることが分かります。それは、ひとつの視点から俯瞰して地面を見て、それを描いているということではないということです。ヘコみもそうですが、そこから飛び出しているような物体は、上から見下ろしているにもかかわらず、横から見たような角度で描かれています。これは、視点が複数存在しているのか、空間が歪んでいるのか、もしかしたら、画家は空間をつくろうとは意識していなかったのか、いずれにせよ、見る者は地表の風景と思っていたら、実は、そうではないということに、気がつく人は気づくことになる。「あれ?!」という感じです。おそらく、このことに気づく人は、この画面に魅入って、じっくり眺め始めた人に違いありません。結果として、この作品は、そこで見る人を選別していると言えます。空間の歪みとか、不安定さは、そういう関門を通り抜けた者だけが感じることのできるもので、そこで一種選ばれたともいうような親密さとでも言うべき濃密な関係が生まれる。そういう作品であるように思います。
AsadatrotAsadaplaza  「ル・トロトワール№1」という作品で、ル・トロトワールとはフランス語で歩道のことだそうで、「原風景(重い旅)」と同じ頃の制作ということです。「原風景(重い旅)」が地表を描いていても、題名は原風景としているのに対して、この作品はタイトルで題材を特定しています。歩道の石畳の白っぽい色が基調となっているためか「原風景(重い旅)」のような暗さはなく、色調としては明るいのですが、石畳の隙間やポッカリと開いた穴にある、あるいは出てくるものが鳥の頭、手の指、三角ポッド、あるいは得体の知れないもの、でシュルレアリスムっぽいところがあります。ここでは、これらのものたちが雑然とした賑やかさの印象をつくりだして、「原風景(重い旅)」の静寂さとは違った印象です。おそらく、画面を塗りつぶして世界とするということについて、麻田は、このふたつの面ともに持っていたのでしょう。この作品を経由して「原風景(重い旅)」をもう一度みると、「原風景(重い旅)」にも、動きという要素があったことに気づきます。
Asadaplaza_2  「ひとつの溝」「緑の風景」といった作品。地面を描いていた麻田は、その地面に画面で言えば水平方向に一直線の溝を入れます。そこで俯瞰で地面を見下ろすよう平面だった画面に溝という立体のきっかけがうまれました。その溝を描くことによって、「原風景(重い旅)」で隠されていた視線が一つではないことが顕在化します。そのせいもあって、「原風景(重い旅)」では小さくしか描かれていなかった地表から飛び出すものが大きく描くことができるようになりました。溝という凹み深さという立体があることが明白になれば、地表から飛び上がる高さも同時に明らかにすることができるわけです。「緑の風景」では中央で水が高く吹き上がる様が描かれています。そういう高さが描かれるということは、地表の上の空間が画面のなかで存在することになります。その結果として「」ひとつの溝では、その空間を吹き上がった水が空中でうねるように広がっている様が描かれます。この両方の作品では、その空中を丸い水滴が漂っている様も描かれ始めます。また、この後の麻田の作品で空間を漂うもののシンボルのような鳥の羽がここでは描かれています。しかし、その空間と地面の境界が描かれていません。俯瞰で見下しているという体裁なのでしょうが、それでは高く噴き出している水の描き方が、角度がおかしい。その角度では地面からはなれた空間が画面でちゃんと存在していなければならないはずです。それでは空間が歪んでいるのかということになります。そこで考えられるのは、地面に空間が属してしまっているということです。麻田は、自身で「地表風景と、以前からやっているものとの、総合を目指している。森羅万象。すべての存在感を、ごみ箱をぶちあけるようにして地表に表出してみたい」その地表を描いた作品である「原風景」を「自分の心理的、時間的、空間的な物をすべて含めた幻想風景であり。空想の世界」と語っています。その言葉の中から、地表とう塗りこめた画面に空間も時間もすべてぶち込んで行こうとした、そういうところがあると思います。そして、特筆すべきは、「ひとつの溝」が赤、「緑の風景」が文字通り緑という色で統一された、その色がすばらしいのと、そのように色で統一された世界を描ききる色彩センスで、それがこれらの作品の大きな魅力であると思います。
 実際の2階の展示室に入ってから、このような大作が展示室の壁面を埋め尽くすように展示されていて、室内の濃密さに息切れしてしまうほどでした。ちょうど、マーク・ロスコの作品がそのスケールで見る人を包み込むようにしてひとつの空間に誘うことと似たような感じがしました。もっとも、麻田の作品にはロスコの宗教性、敢えて言えば押し付けがましさはありません。
Asadafable  麻田はこのような大作のみを描いたのではなくて、パリの地で版画をはじめ、エッチングによる小品を制作しましたが、これはファーブル昆虫記をもとに制作それたものの一枚ですが。この細密な描写はまた麻田の力量を端的に示すものであると思います。この細密な描写は大作で描かれていた個々のものたちに、その細密さゆえにリアリティ以上の現実離れした印象さえ与えています。その部分を抜き出したというところもあると思います。現実のセミを忠実に描写しているのに、幻想的な印象を抱かせてしまう。
 「悲の地」は三部作ですが、この後のコーナーで、画面いっぱいに地面を描く、地面を見下ろす視点から、空間を横から描く視点に転換していくのですが、その過渡期ともいえる作品ではないかと思います。この作品には地面と空間の境界が描かれています。私のような素人の半可通が知ったかぶりをするようですが、画面いちめんを塗りつぶすということを繰り返しているとネタか尽きてしまう。それとは別に、地面上の個々の事物を詳細に稠密に描いているうちに、それらの存在が地面の存在を越えて主張し始めた。例えば、たくさんの羽が舞っている。そのためには空間を広くとることが求められてきた。そのために、「原風景」のような作品に比べて、空間が開けたような、隙間が開いたような感じがします。しかし、塗り込められた画面に隙間はなく、その空間があるにかかわらず、開けたと思ったら、さらに閉塞されている。麻田の閉ざされた画面は、さらに一段深化されてしまった。逆説的な言い方で、言葉遊びに聞こえるかもしれませんが、空間を開くことによって、閉塞を一段と深くした、と思えるのです。一方、これらの個物がぶち込んだような、その個物の存在の重さが増してきて、画面には活気のような動きが現れてきています。それらが画面に、納まりきれなくなってきたと言えるかもしれません。

2018年4月20日 (金)

没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟(3)~第2章 変化する意識と画風

Asadadown  麻田は父親の許しを得て、30歳で会社員としての生活をやめて、画家として再出発します。そして、ヨーロッパに旅行し、現地で多くの作品を見て、旅行先の日本とは異質な土地で自己の原点を見つめ直し、画風を変化させていきます。その一つは、透視画法による空間構成や直感的に実在に迫ろうとするイメージの世界、つまり、伝統的な西洋画の再認識だったようです。そこで、それまでのマチエールにこだわったような絵画に行き詰まりを自覚し、平面的なパースペクティブをもった具象に方向転換をしていきます。それまでの手法にいたったのが、自身の表現衝動に形を与えようというものであったのであれば、そこに伝統的な形をあてがうのではうまくいかない、そこで、薄めに溶いた絵の具を用いて、いくつものの具象的イメージをシンボルのように画面に並べて構成するというもの。作品は、イメージの断片を繋ぎ合わせたような、結果的にシュルレアリスムのような画面になった作品を描き始めます。水色や黄色、白、ライトグレーといった明るい色調の画面に、身体や風景を配置する光景は、よく見ると、頭蓋骨や火のない煙、巨大なトンボの羽など呪術的なシンボルのような不穏なイメージが積み上げられています。シュルレアリスム絵画であれば、そこで解釈がうまれ意味を持つかのような様相となります。同時にコラージュのような平面的画面に地平線が見え始め、ひとつの奥行きを持った風景が生まれます。「浮上風景」や「落下土風景」といった作品では、意味ありげな身体のパーツが、「浮上風景」では女神の下半身とかが、物語を想像させるかのようです。
 Asadaup しかし、それよりも、「浮上風景」では真ん中の水色の長方形を取り囲むような幻想的な背景の何ともいえない透明感あるブルーとグリーンの色調の組合せだったり、「落下土風景」では茶色の色調の地面の下半分と上半分の灰色に近いグリーンの色調の対比の真ん中にブルーの風景が挿入されている。そういう色彩のセンス。それが「水の風景」という作品での深いグリーンで統一された画面をみていると、上で述べたような何が描かれているかということよりも、この色調で画面が占められているという、その雰囲気の味わいとかイメージに惹かれるところがあります。
 ここまでが、1階の展示室。いったんロビーに出て2階の展示室に階段を上がります。言ってみれば、ここまでが序章のようなもので、これから本番というところです。

2018年4月19日 (木)

没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟(2)~第1章 画家としての出発

Asadawork  麻田は大学生となってサークルに入会してデッサンなどの正式な美術教育を受け始めます。最初の展示作品「牛・C」は画面いっぱいに描かれた牛の全身像で、細部とか肌の質感にはこだわらず全体の形と重量あるどっしりとした存在感を出そうとしたと作品。グレーを基調としたモノクロームのような色の感じと、牛という存在の物質感を出そうとしているようです。この物質感への志向というのでしょうか、それが石膏や絵の具を画面に盛るようなことに発展し、それが画面を覆うようになります。それにつれて次第に対象の形を描写することから画面という空間の中で何かを存在させるということを志向していくようで、その過程で形を失っていきます。当時の流行であったアンフォルメルという運動、不定形のものをキャンバスに絵の具を盛ったり、塗りつぶりたりして、作者の感情をぶつけたり、形にあらわせないような存在とか動きとかいう抽象的なものを表現しようとしたもの。そういうものに、麻田も乗って描いていたようで、「作品C」という作品では、アントニオ・タピエスの手法を真似て、画材でない物をつかったりマチエールにこだわって画面を立体的に盛り上げたものにしています。麻田自身の言葉では、「力線としての場」を形成するそうですが、自身の表現衝動が生まれてくるのを表現にまとめられることができずに試行錯誤している、と見えます。ちょっと古代エジプトのヒエロク゜リフの彫られた石板を想わせます。「黄泉の黒鳥」という作品の赤と黒を画面一杯に塗られた作品などに、色彩のセンスがすでに見えていて、それがマチエールとかいって凸凹になった画面で影を生んだり、Asadatapi 展示されている照明の光線に照らし出されたりして、色の見え方が微妙に変化しているのをみると、画家の意図とは別に捨てがたいものがあると思います。

2018年4月18日 (水)

内部監査担当者の戯言(9)

 合理性ということについて、ルールに従うことで考えることを、もう少し続けたいと思います。今回は視点を変えてみます。
 例えば、司法試験に合格した人は国家資格の法律の専門家ということになります。しかし、そうだといって、弁護士なり裁判所なり、あるいは企業の法務部なりで仕事を始めたとして、すぐに仕事ができるというわけではありません。例えば契約書のチェックなどは関係法令の条文を記憶していても、それに基づいて実際の契約書の文言を細かくチェックできるわけではないのです。そこには、それぞれマニュアルがあるはずで、日常のしごとはマニュアルに従ってこなしていくことになるでしょう。そして、しばらくすれば、マニュアルに従って仕事の手順を覚えて、慣れていくわけです。では、司法試験に合格した法律知識というのは何だったのかということになりますが、この場合、マニュアルはあくまで手順しか書かれていないし、専門用語とか、テクニカルな知識がないと理解できない場合が多いはずです。契約書であれば、専門用語や独特の法律文書の言い回しなどは、そして、そのマニュアルの手順理由も理解しにくい、つまり専門家向きなのです。法律家といっても法律の条文がすべて頭に入っているわけではないのですが、それをケースに最適の条文を短時間に見つけ出す訓練が、この場合専門家の知識とか能力ということになると思います。これは、専門家の場合ということになるでしょうが、一般的な企業の新卒の新人なども、こんなに高いレベルではないでしょうが、似たようなことがいえると思います。
 それを監査するという場合、この人たちがマニュアルを正しく理解できていれば、マニュアルのとおりに仕事をする、つまり適正な行動をとっているわけで、ですから、ちゃんと分かっているかを確認するということになります。
 そのような新人も、入社後数年経てば、仕事にも慣れてきます。その時にはマニュアルも頭に入って、日常的な仕事は十分にこなせるようになっているでしょう。だいたいの日常業務は定型的なもの、前例を踏襲したものなので、マニュアルの通りのきまったことをこなす、ということになってきます。このとき、最初は仕事を覚えたりするので努力して勉強していたのが、ここでピタリと、それが止まってしまう人が多いと思います。しかし、仕事というのは、全部が全部マニュアルにあるとは限らない。たまに例外的なものや、今までにない事態が発生します。そのときに、法律関係であれば、六法全書や資料を繙いて原理原則まで遡ってどうすべきかを、しっかりした根拠のもとで解釈して実行するということができるかどうか。それが、実は法律(法律だって一種のマニュアルですから)の条文にピタリと当てはまるものがなくても法律そのもの趣旨を理解して解釈できる。そのためには、このような例外の経験をしっかり見につける努力をしているか否かが分かれ目になるのですが。
それを監査するという場合には、マニュアルの通りに仕事をすることより、もっと深いレベルで、マニュアルにないことをやっているわけですから、それが正しいかどうかは、その趣旨にさかのぼって、それに沿っているかをチェックするということになるわけです。
 そして、それより深いレベルでは、企業の環境というのは流動的で、マニュアルだって環境変化に対応していかなければなりません。そのときに、使っているマニュアルを時代に合わせて修正していく。あるいは、今までにない仕事をあらたに創り出して、そのためにマニュアルを創る。そういう場合、その監査は、チェックするもとでがないわけですから、正しいかどうかは、お手本のないところで見ていかなければなりません。
 つまり、ルールに従うということでの合理性は、前回のような視点による違いもありますが、このようにマニュアルに対する理解の深さの程度の差によって変わってくるともいえるのです。

2018年4月17日 (火)

没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟(1)

2017年10月15日(日)練馬区立美術館
Asadapos  休日に外出することは、めったにないが、卒業した大学のOBの集いのようなイベントがあって、学生時代のサークルのOBで会うことになった。約束は夕方だったので、そのついでに、と家を早めにでて、途中でまわり道をして、普段はなかなか行くことができない西武池袋線の中村橋に。練馬区美術館はおもしろい作家をとりあげた企画展をするのだけれど、場所が私の交通ルートからは離れていて、しかも開館時間が昼間なので、なかなか行くことが難しい。ちょうど良い機会だからと、行くことにした。あいにくの雨模様の天気だったけれど、そのおかげで、日曜の午後という時間にもかかわらず、館内の人影はまばらで、先日の池田学のときとは打って変わって静かな空間で、ゆっくりと作品を見ることができた。
 麻田浩という画家は、いつものとおり知識に乏しい私には初めて名を聞くので、紹介をかねて、展覧会パンフレットの主催者あいさつを引用します。“麻田浩(1931~97)は、日本画家、麻田辨自を父に、同じく日本画家、鷹司(1928~87、2000年に当館で回顧展を開催)を兄に持つ、美術家の一家に生まれました。同志社大学経済学部に入学するものの、画家への道は捨てきれず、新制作協会に出品、在学中に初入選を果たします。初期にはアンフォルメルに傾倒しましたが、1963年、初めてのヨーロッパ旅行にて古典絵画を再確認したことで、徐々に変化が表れます。1971年、39歳のとき再度渡欧。パリを拠点に、より幻想的な風景画を生み出し、新制作展や安井賞展などに出品し続けました。また、ヨーロッパ滞在期には版画制作にも力を入れ、カンヌ国際版画ビエンナーレではグランプリを獲得。フランス・ドイツ・ベルギーなどでも個展を開催しています。1982年、50歳で帰国。京都に戻り、京都市立芸術大学西洋画科の教授を務めながら、水滴や羽根などの自然物を配した「原風景」とともに、「原都市」と名づけられた美しき廃墟空間を描き続けました。1995年には京都市文化功労者となり、同年に第13回宮本三郎記念賞を受賞するなど活躍を続けていましたが、1997年、65歳で自ら命を絶つこととなります。本年は麻田が没して20年という記念の年にあたります。初期から晩年まで、約140点の油彩画、版画等を通し、麻田の画業を振り返る展覧会です。”
Asadacity  会場で受付を通って最初に目の前に現れるのが「原都市」という作品です。主催者のあいさつと並べるように展示されていた作品で、美術館としては、出会い頭という大げさですが、ある程度は、これが麻田という画家だというものを最初に提示したという展示なのではないかと思います。「原都市」という題名にもかかわらず都市の風景が描かれているわけでもなく、石造りの建物の壁面を描いています。その壁で画面がいっぱいになっているので、ここで描かれている空間が平面的で、しかも壁という単一の平面で覆われてしまっているので、壁の色が画面全体を支配している。私には、それが麻田の作品に共通している性格ではないかと思われました。それは、この後で展示されている作品を見てきて、そのあとで、展覧会を思い出して、この作品を改めて見た時に、私なりに合点した印象です。最初に、この作品を見た時には、それほど印象の強い作品とは思えず、素通りするように、この後に始まる制作年代順に追いかける展示の初期作品の展示に移ったのでした。そうだからというわけではありHammerfel ませんが、この人の作品はひとつで見る者に強烈なインパクトを与えてグッと惹きつけるというタイプではなくて、じっくりと見ているうちにジワジワと見る者を徐々に惹き込んでいくタイプではないかと思います。この「原都市」という作品では、見る者の焦点となるような要素が見当たらなくて、壁面という平面で一色の物質に画面が占められています。そこでは、この作品では、その平面を空間として見る者に提示する。そういうひとつの空間とか世界を全体として、まるごと画面で提示する。麻田の作品はそういう性格のものであるように思います。その際に、麻田の武器、というとへんな言い方になりますが、画面を壁という平面的な物質で占めてしまう際の色調、同系統の色で画面を占めてしまうと単調になってしまうとろを、ひとつの雰囲気を作り出していて、色のセンスが卓越している。この「原都市」では壁の茶の混じったグレーが、石の物質感や重量感はあっても、のしかかってくるような重苦しさにはならず、ちょっとモダンな印象もあって、廃墟のような光景なのに汚らしさは感じさせないし、透明感と明るさがあって、そこに不自然さがないのです。こけだけではないかもしれませんが、展示されている作品を通じて、テーマとか題材とかは別にして、オシャレさと品の良さを例外なく感じました。
 引用した主催者あいさつとは、ニュアンスがずれてしまうようですが、このような私なりの視点で、以下で作品を展示順に見ていきたいと思います。

2018年4月16日 (月)

内部監査担当者の戯言(8)

 私の勤め先は一昨年、会社法の改正に伴い監査等委員会設置会社に移行したことは、以前にも書きましたが、それで、新しく監査等委員になった取締役、とくに私の勤め先では監査等委員は社外取締役なのですが、その人たちに説明をしていくと、皆さん、チェックリストにチェックをいれてお終いという形式的な手続を考えています。それだったら、わざわざ役員にやってもらう必要もないわけですが。また、社内の内部監査についても、そういうものだと思っているようです。これは、何も、この方々に限らず、社内の内部監査を受ける側も大なり小なり、そう考えているようです。これは、私の勤め先に限ったことではないでしょう。そしておそらく、当の監査担当者の中にも、それが当然であると思っている人も少なくないと思います(ただし金融監査のような定型的でなければいけない特殊なものもあるので、一概には言えないのですが)。
 私も、監査にはそういう要素もなければならないと思います。実際のところ、チェックリストをチェックするようなことは、私も少なからず行っています。しかし、それがすべてではない。しかし、それだけにとどまらない。むしろ、それ以外のところがメインと思えるほど重要なのではないかと思います。
 例えば、監査等委員(監査役でもです)が監査をするのは経営陣、つまり取締役の行動です。経営陣が適正に行動しているか、妥当な判断をしているかをチェックするわけです。その経営陣の行動というのは、定型的なものであるはずがありません。経営というのは道を切り拓いていくものです。そもそも前例などないことを創り出すようなことで、それをチェックするのに、新しいことのチェックリストなどあるはずもありません。しかも、後になってあれはこうだったとか言っても手遅れです。その時に即してチェックを入れていかなければならないのですから、チェックすること、つまり監査をするということは、経営判断と同じレベルで切り拓くものでなければ追いつかないはずです。
 社内の監査は、そこまでは行かないかもしれませんが、現在の企業での事業活動は前例を踏襲しているようでは競争に負けてしまう世の中です。だから、さかんに経営者は社内に向けてイノベイションと煽り立てたりします。そして、企業内において小さなことでもイノベイションがいるという状況で、前例の積み重ねともいえるチェックリストでチェックしていて間に合うでしょうか。しかも、そういうイノベイションというような新しいことを始めるということが一番リスクが大きい。それに対してチェックをしていくことが、企業活動にとって必要になっているのではないでしょうか。そうだとすると、このようなチェックは、少なくともイノベイションを作っているところと同じレベルにいなければ、有効な機能を果たせないはずです。何か、議論が飛躍しすぎかもしれませんが、そう考えると、チェックするということは、クリエイティビティが求められるようなものではないかと思うのです。それは、実際のところ具体的に言えば、企業の外部の視線、つまり、企業の内部にとどまらず、企業の外部と企業の間の立場に立つということです。ということで、こじつけかもしれませんが、このような立場とか姿勢というのが、私が以前に担当していたIRというのか、企業の公報といったところと、意外と近いところにいるのではないか、ということなのです。
 それが、今日の結論です。8回目にして、ようやく、このシリーズの趣旨、出発点をはっきりさせることができました。これから、このことについて、雑談をしていきたいと思います。

2018年4月14日 (土)

佐々木俊尚「広く弱くつながって生きる」

 “従来の人間関係は会社や学校、家族の中だけで形成される濃く、狭く、強いものだった。しかし、終身雇用制度が危うくなり、リストラが起き、人口が減り、家族形態が変わってきたことで、働き方や暮らし方が多様化した今、人間関係で消耗しているのは勿体無い! リーマンショックと東日本大震災を契機に、人とのつながり方を変えたことによって、組織特有の面倒臭さがなくなり、世代を超えて友達ができ、小さい仕事が沢山舞い込むようになった著者。そのコツは、浅く広くつながることだった。息苦しさから解放される、現代の人間関係の提言書。”という惹句は、上から目線の説教だったり、安易なハウツーの気休めに思われがちだが、著者は自身が実践している現場の報告として、こういうのもあり、という書き方をしているので、それなりに納得できる。
 長年の会社勤めで築いた人脈は、実は会社の取引によるもので、リタイアしてしまえば、一夜にして崩れてしまう。一方、地域のコミュニティは崩壊しつつある。そこで縁を頼って仕事をことなどは期待できない(往々にして、終身雇用制の会社勤めをしていた人は、このことに気づかず、定年後に、こういう縁に期待しがち。実際にそれができるのは、ほんの一握りの突出した専門能力や実績のある人に限られる)。そうなったところでは、趣味でも、ボランティア活動でも、ちょっとした関係、言ってみれば弱いつながりを、ひとつではなく、いくつもつくっていくという関係のあり方を提案する。その時にものをいうのは、会社員の実績でも能力でもなく、“いい人”であるということ。ただし、この“いい人”であるには、会社員にとっては、ほとんどの人は変わらなければならないだろう。書き方はやさしいが、これは実は厳しい、たいへんなことだと思う。
 少なくとも、終身雇用制のもとで長年にわたり会社を勤め上げたという人が、定年でリタイアしたら、もはや、生き方を変えていかなければ、その後に残された長い人生を台無しにしてしまうという厳しい現実を突きつけられていることが、その言外にある。優しい書き方をしているが、私にとっては厳しい、つらい本でもある。

2018年4月11日 (水)

内部監査担当者の戯言(7)

 目的合理性と価値合理性ということについて、もう少し考えたいと思います。前にも述べましたが、価値合理的な行為とは、行為の結果如何を問わず行為そのものが絶対的価値があると確信して行う行為です。規則があれば、それを絶対視するように従うという行動は、その例です。それは、例えば、交通ルールにおいても、交差点で、他に歩行者も対向車もいない場合でも、赤信号でちゃんと止まるということは、日本人の遵法意識とか規律・秩序を守るといって自画自賛する人もいます。それに対しては、交通ルールは、もともと安全のためのもので、他に車も人もいなところで、それを確認すれば安全は保てるのに、杓子定規で赤信号に従うのは不合理という意見もあると思います。
 ところで、先日、大相撲の地方巡業において土俵上で挨拶に立った来賓が、突然倒れて、その応急処置に女性が駆けつけたところ、女性は土俵に上がらないように注意する場内アナウンスがなされたということが事件として報道されました。これは女性差別であるとか、緊急時の対応であるとかで、様々なところから非難されたという事件です。これを、価値合理性に基づく、通常の監査の姿勢で、このときの行動を評価するとすれば、これは「正しい」し、そうしなければいけないものです。そういうルールがあれば、そのルールに従わない場合があるとすれば、しかるべき権限と責任を持った人が指示しなければいけない。その権限も責任もない人が自己の判断で行動したとすれば、越権行為であり、違反行為です。だから、職員がアナウンスした行為に対して非難することはありえない。むしろ、このアナウンスをした職員「あなたは正しいことをした」とを庇ってあげなければならい、ということになると思います。それが倫理的な姿勢というものです。さらに言えば、日頃、誰もいない交差点の赤信号で停止する日本人を自画自賛するような人は、あるいはブラック校則といわれるような規則でもに従うような教育を歓迎する人々は、倫理的にこの行為を批判できるはずがないのです。
 おかしなことを言っていると思われるかもしれませんが、論理的に筋道をたてて考えれば、こういう主張は成り立ちます。実際のところ、前回の取締役ではありませんが、日本の会社(とくに伝統ある規模の大きな会社)で、会社員として働いている大多数の人たちは、このような姿勢で仕事をしているはずです。それを倫理的に自覚をして、確信しているかどうかはべつとしてですが。そういう大多数の人たちを肯定するのであれば、この相撲協会のアナウンスという行動を非難することは、この大多数の人々の行動姿勢を肯定できないことを公言することにつながると思います。そのことに対して、誰も何も言わないのか、と不審に思います。
 チェックリストを使って、決められたとおりに仕事をしているかと、監査するということは、同じベースにある。これは極端な考え方かもしれませんが。そのことを自覚する必要がある。だから、考えているわけです。

2018年4月 9日 (月)

内部監査担当者の戯言(6)

 前回は前置きだけで終わってしまいました。それが内部監査と何の関係があるのかという感じでした。最初から愚痴めいたことを書きます。それをストレートに書きたくないので前置きをしようとして、長くなったのが前回でした。
 先日、連結の内部統制として子会社の監査に赴いたときのことです。この監査は通常の子会社監査とは少し事情が異なるもので、昨年度末に買収して新たに子会社となったのを、はじめて訪問するというものでした。実は、私の勤め先では、外部の会社を買収するなどということは初めてのようなもので、それの買収した会社を内部統制の対象とするなどということも初めて。買収に際して、デューデリジェンスなんぞもやっていて、ある程度の情報もあるのではありますが、実際のところ、内部統制とか監査については実質的には白紙のような状態で、まずはどうなのかを見て、どうするかを考えようという監査というわけでした。このとき、社外取締役(監査等委員)も同道して、一緒に見ましょうというわけでした。
それで、その子会社の経営陣にヒヤリングしたり、社内を見学したり、決算書や諸規則を閲覧したりと、まあ、時間も限られていたし、初めて訪れるというので、通り一遍の調査をしました。
 ひと通り終わって、その会社を辞したあと、その社外取締役と話したのですが、
 「この会社どう思いますか?」
 と私が尋ねると
 「どう思うって?わからないよ。情報もないし、チェックリストもないのでチェックしようもない」
 という答え
 そこで、私は
 「では、どのような視点で情報を集め、チェックリストを作っていけば良いとおもいますか?」
 とあらためて、思ったこと、あるいは感じたことを尋ねたつもりが
 「言ったじゃない、情報もないし、チェックリストもないのでチェックしようもないのに、この会社のことを調べられないし、分かるわけないじゃない」という答え。
 最初から、この会社に対しては白紙の状態であることは分かっていて、そもそも、どのように調べていくか、突っ込んでいくかを探りに会社を訪問したわけで、それが、調べてあることを前提にしたチェックリストがないと調べられないという答えに、唖然としてしまいました。
 それで、では雰囲気とか、感じたことはと尋ねたら、そんなことは基準が明確でなくて答えられないとのこと。でも、その基準をこれから考えていくために訪問したわけですから。
これでは、卵が先が鶏が先かのどうどうめぐりになってしまいそうだったので、そこでやめましたが。
 さらに言うと、取締役というからには、会社の方針といったことをつくって決めていくのが大きな職務であるはずで、経営もそうですが、あらかじめ作られている基準のとおりにやっていけばいいというものではなくて、絶えず変化して、今までにない状況に直面するようなことも多々あり、そのつどどうするかを新たに考えていくという、その考えることが大きな役割のはずだと思います。したがって、このときの新たに子会社となった会社の内部統制として、連結の体制の中で、どのように統制していくかというひとつの経営方針の一環でもあるわけで、それをつくるために当の会社を訪問して、基準がないから分からないと言われて、かなり唖然としてしまいました。私は、取締役でも経営者でもなく、一介の使用人に過ぎませんが、それでも数点の視点を用意して、それについて議論をしようと思っていたのですが、やめました。
 それと、この議論の時の考えを表わすことには、ある程度のリスクが伴うことになりますが、それを真っ先に負うのは、この場合取締役になるはずで、それが取締役の責任であるはずで、使用人は、その責任、ということは権限を伴いますから、その権限にしたがって行動するというのが筋です。
 これ以上書いていくと、この取締役の人に対する中傷と区別がつかなくなりそうなので、このへんでやめます。ただ、この取締役の行動も、長年子会社として関係していて、問題のないことが明らかな会社であれば、それでもかまわないので、このような行動が外形的に適切でないというわけではないのです。ただの何のためにとか、それが会社にとってどうなのかということを考えると・・・。つまり、価値合理性と目的合理性ということで、ここはまとめておくことにします。
 最後にひとつ、つけくわえると、内部監査をするということを、私は、できれば目的合理性という点で考えて、進めていきたい、もっというと、そうすべきではないか、と考えています。そのような視点で、このことについて、思ったことなどを、今後、時折、綴っていくつもりです。

2018年4月 7日 (土)

内部監査担当者の戯言(5)

 監査もそうですが、企業のなかで仕事をする際に、基本的な姿勢として合理的に物事を考え、そして行動するが大事と言うことがあると思います。今が、その季節の新入社員に対する研修の席でも“合理的にものを考える人の言動には無駄がありません。効率よく仕事をするためには合理的に考え、行動する力が不可欠です。仕事だけでなく日常生活のさまざまな場面においても、合理的に行動することの意義は大きく、筋道の通った考え方の出来る人として周囲の人から頼りにされる存在になります。”といった説教をすることがあると思います。
 ところで、この「合理的」というのはどういうことか。そう考えて、思い当たるのは、マックス・ウェーバーです。彼は近代化ということはどういうことかを追究したひとですが。近代の特徴として合理性ということを指摘します。ウェーバーは、その合理性を目的合理性と価値合理性の二つに分類します。その中で目的合理的な行為とは、目的を実現するために合理的な手段を選択して行う行為で、これに対して、価値合理的な行為とは、行為の結果如何を問わず行為そのものが絶対的価値があると確信して行う行為です。例えば、マニュアルというのは仕事を効率的に、間違いなく行うためにあると捉えるのが目的合理的行為とすれば、マニュアルに書かれている通りに行うことが仕事であると捉えるのが価値合理的行為ということになるでしょうか。もっと具体的に言うと、会議の資料用に5部コピーするように指示されたときに、後者は単に5部コピーをするのに対して、前者はコピーして順番に並べ資料として見やすいように揃えるということです。資料を揃えるということをするには、コピーせよという指示の意図を忖度して、何をするのが適切かを判断することが必要です。そういう判断をすることに伴い、意図を見誤る、或いは判断を誤るリスクを積極的にとることになります。だから、そのリスクを敢えてとるので、自主性とか主体性とかが必要になってきます。ということで、ウェーバーは近代市民社会には合理性といっても価値合理性でなくて、目的合理性が特徴的なのだといいます。近代の市民社会では、大方の合意の得られる目的を設定し、その目的に対して合理的な手段が選択され、その結果が評価されて、手段に、目的に対して合理的な選択であるか否かについて明晰な説明責任をはたすことになる。というわけです。
 当たり前のことを長々とかきました。しかし、いま、実際は日本の会社で、目的合理的な行動をするということは、却って、難しくなっているかもしれません。目的合理性が成立するためにはある程度、目的を共有していることが前提されているからです。それが。いまの企業のなかでは、その目的の共有が難しくなってきているのではないか。5部コピーをしなさいという指示が、会議の資料を用意するためという目的が共有されていてはじめて目的合理的行為をすることができるわけです。そのためには、指示をする際に目的を明示しなければなりません。しかも、その目的を、指示をする相手に目的を理解させて、その指示が目的のために必要なことを納得させなければなりません。仮に、指示する側にそうこうことができていないと、指示を受ける側が目的合理的行為をする準備ができていても、価値合理的行為をせざるを得なくなることになってしまうことになります。例えば、「プロジェクトのプレゼン資料を作れ」というだけの指示。どのような人を対象にしているのかといったことが分からないと、どの程度まで説明するのか判然としません。それで中途半端なものができてくる、その挙句・・・ということになってしまう。以前であれば、そんなことと、暗黙で了解されていたことが、そうでなくなっている。日本の上場企業の情報開示として、ことさらに経営理念や方針の開示を求められる理由のひとつとして、却って、そういうものが失われてきている環境で、とくに意識しないと保てなくなってからかもしれない、と思ったりします。そんな中で、年配の会社員が若い部下に、合理的であれと口先で求めても、その当人が、そういう考えることや判断することから逃げていることが多々あると思います。こんなことを書いている私自身、他人事ではないのかもしれませんが・・・。
 えっと、本題に入る前置きが長くなってしまいましたので、改めて出直します。

2018年4月 6日 (金)

没後30年銅版画家 清原啓子(8)

Kiyoharaarea  初期の頃の作品を見ていると、最初に画面の構成を設計して制作を始めるのでしょうが、清原は細かいものを描きたい人なのだろうから、それを描いているうちに乗ってしまって、それにつれて細部が生き生きとし始めて描かれた画面を侵蝕してしまう。その結果が完成した作品ということになるように、私には見えます。そして、それをコントロールしようとした過渡期にあると思えるのが「領土」という作品です。「後日譚」のように細部が今にも食み出してしまいそうなところはなくて、全体として納まっているという作品です。その理由の一つとして考えられるのは(これは後付けであって、清原が作品を制作する前から意図していたということはないと思いますが)、画面の中で描かれている事物において自然物が相対的に減って、人工物の占める割合が高くなってきていることです。この画面でいえば石造りの建築物は作られたら崩壊することはあっても、自身で成長したり増殖したりすることはありません。背後の岩峰も似たようなものです。ここからは、草が成長するような動きや生き生きとした要素が生まれてきません。つまり、静止している。生命がないのです。この作品では、このような静止した部分が画面の半分以上を占めています。そのことが動きの歯止めとなって機能していると考えられます。しかし、その他の部分、画面前景の樹木が並び、その下に草が繁茂しているところや中央のドームを壊すように樹が伸びているところ、背景の空の雲などは動きを内包しています。それにより、画面全体としては動きが全くなくなってしまっているわけではない。
 これを別の側面で見てみると、この作品の画面の中央に石造りの塀で仕切られた迷路のような建築物が描かれていますが、立体を平面にして描いたものとしては歪んでいて、立体として成立していない。パースペクティブができていません。この作品全体をみても、ひとつの空間として成立していないのは明らかです。だから、作品としておかしい、欠陥があるというのではありませんが、このことからだけで判断するのは短絡的かもしれませんが、清原という人は、距離をおいて見る、空間を把握するということが苦手だったのではないかと想像できます。しかし、ものに近寄って舐めるように見つめて、細かいところまで識別するのは得意、つまり近視眼的な傾向が、この作品から見て取れると思います。それは逆に描くという方から考えても、ペンを握って葉っぱの葉脈の線を細かく引いていって、しまいに葉っぱになるように描く、けれども画面全体を、このような空間構成にしようと設計するのは苦手だったのではないかと思えます。この作品でも、遠近の位置と描かれた事物の大きさのバランスが釣り合っていないといったことなどに端的に表われています。しかし、そのような全体としてみると歪みがあるからこそ、細部が暴走するように過剰なほど細かく描きこまれても画面が成立していて、むしろ、細部が画面に生命感を与えているということが可能になっているのだと思います。それらの点で、この「領土」という作品は、中庸のバランスといいますが、ほどほどのところに按配よく納まっている作品だと思います。
いろいろ、述べてきましたが、清原の作品は、私にとっては、第一に描く、銅版画であるから銅版を刻むという行為に打ち込むということ、そこから生まれる一本の線、ひとつの点の存在ということ。第二にそれが気が遠くなる多数で形づくられる細かい描写です。そして、それによって結果として画面が成立するというもので。それが生きるのは草葉の繁茂する図像や、細かい細胞が集まって増殖したようなもの、そういったパーツです。それらが結果としてひとつの画面におさまっている。その結果が幻想的だったりする、そういう作品ではないかと思います。

2018年4月 5日 (木)

没後30年銅版画家 清原啓子(7)

Kiyoharaafter  「後日譚」という作品は、1980年代はじめのころの作品で清原の短すぎる活動期間の中では比較的早い時期に制作された作品です。遠目に一瞥すると森の散歩道のような図式ですが、「楽園の薔薇」では様式化されて、すっきりと整理された模様のように描かれている植物、草や蔓が縦横に繁茂して全体を覆い尽くすほどで、まるで草や蔓にのみ込まれてしまうような状態になっています。清原の、この時期のいくつかの作品に共通している要素(ストーリー)なのだろうと思います。細い草や蔓、あるいは小さな細胞のような粒が増殖して、それが画面の一部や全部を侵蝕するように覆い尽くして併呑してしまうという要素(ストーリー)です。それは、画面を描くという作業においては草や粒でびっしり埋め尽くされるのを微細な線を無数に引いたり、細かい点を無数に打つ点描で画面を埋め尽くすということになるというわけです。草や粒を描くために細かな描法が必要だったのか、細かく描くという行為に適した対象が草や粒だったのか、卵が先か鶏が先かのような話ですが、おそらくどちらが先ということでもなかったと思います。あるとき、清原はそれに気が付いてしまった。そのことを想像できるのが、最初に展示されていた「鳥の目レンズ」という作品です。画面を四分割しているという清原の作品には珍しい佇まいをしていますが、おそらく最初のころで、意識して銅版画を制作したというものではなくて、授業とか先生に勧められて何の気なしに着手したのではないかと思います。それは四分割の画面の左上の鳥の姿の下手さです。これは清原の作品を見ていて感じるのですが、この人はリアルな実物を見てそれを自分なりに平面に置き換えて図像にするというのは下手で、すでに描かれた図像をお手本にして自分なりのアレンジをするという描写をしているように見えます。この「鳥の目レンズ」の鳥は、鳥には見えますがサマになっていないのです。しかし、視線を右に移して右半分のふたつの画面を見ると蔓が繁茂したように細い線が鳥を覆い尽くしています。これにも、お手本はなかったのに、左側の画面の鳥とは違ってサマになっている、というより見ていて惹かれるところがある。描いた清原は、もっとそれを感じたのではないでしょうか。この作品が、それだと言えるわけではありませんが、清原は、この前後で細い線で描きこむ、草や蔓、あるいは網のような細長いものが無数に集まったものを描くということにハマッたのではないか。そこで清原は出会ってしまったのではないかと思います。そこからスタートしているのが清原の作品であるというのが、私の個人的な清原の作品の見方です。そういう視点で見ていくと、この「後日譚」という作品Kiyohararain は、細い線で描きこむ、草や蔓のような細長いものを描きこむということをエスカレートされていった作品として、私にとっては清原の特徴がストレートに出ている作品だと思います。画面の左右の下端の部分を占める繁茂している草葉は絡み合っているように、蔓がどのように伸びているか分からないくらいにゴチャゴチャの渾沌とした状態です。その絡み合っているような感じが、全体として細い線が無秩序に集まって蠢いているような、不気味でおぞましい感じが伴うのですが生命感を生み出している。適切ではないかもしれませんが、ざるに鰻いっぱいに入れてそれらがくねくねと身を捩じらせて、動いているようなイメージです。一方、画面の右側に樹木が立っていますが、そこに蔓が幾重にも絡み付いています。さらに、その樹木の幹そのものも、一本の太い幹が直立しているのではなくて、太い蔓が何本も縒り集まっているようなのです。そして、よく見ると、その樹木の左下の倒木(鳥がとまっている)も何本もの蔓が集まったかのようです。そういう視点に慣れてくると、画面上方の空の雲は小さな細胞が増殖してできているようなものに見えてきます。というより、そういう風に描かれています。ここには、世界全体が細かいものに侵蝕されていく、喩えていえば、人の肉体が癌細胞に侵されて行くような、じわじわ迫ってくるような恐怖感が湧き上がってくるような、本質的に不気味な作品になっていると思います。そういう不気味さは清原の作品の底流にあって、それは清原が細かく描き込むということと切り離せないものとなっていると思います。この「後日譚」という作品は、そういう清原の特徴(魅力)がとても分かり易い形でストレートに表われていると思います。また、「雨期」も同じようなタイプの作品です。そして、この頃の渾沌としたものが、次第に整理されていったのが晩年の作品ではないかと思います。

2018年4月 4日 (水)

没後30年銅版画家 清原啓子(6)

Kiyohararose  「楽園の薔薇」という作品。制作年代は1987年ということになっているので、「魔都霧譚」や「孤島」と同じ頃ということになると思います。こちらの方が、行き詰ったような閉塞感があまり見られません。むしろ、「Dの頭文字」や「海の男」にあった不気味さがソフィスティケイトされて様式的になっていると思いました。私の個人的な好みかもしれませんが、「魔都霧譚」や「孤島」といった作品よりも、こちらの方が、清原の特徴的な魅力を見出すことができるのではないかと思います。展覧会やパンフレットの説明などでは、清原が久生十蘭や三島由紀夫などの耽美的、幻想的な文学への傾倒とか、ヨーロッパ19世紀末の象徴主義的、耽美的な版画や絵画の影響を指摘していますが、前のところで少し触れましたが、この人の作品を見た印象と、この人が生きた時代の環境から想像するに、サブカルチャーの影響があると思えるのです。それは、公式的に説明される文学や芸術面での影響のように直接的ではないので、具体的にここがそうだと指摘することは難しいのですが、ベーシックな部分で少なからずあるのではないかと思えるのです。例えば、清原の年齢からすると少し上のお姉さんにあたる世代の人たち、24年組といわれる年代の作家たちによる少女マンガの革命が、この人の間近なところで起こっている影響は避けられなかったのではないかと思います。24年組の少女マンガはどのようなものか、ということはひと言では言えないほど広範で根本的なものだったのですが、清原の作品に関連するKiyoharaoshima ところで考えてみれば、いくつかの点をあげることができます。まず、大きな点として世界を客観的な対象として見るのではなくて、自分もそこにいて、世界と相互関係があるものとして捉えているという点です。それは、さらに突き詰められて、自己と世界との境界が曖昧になって相互に侵犯していくような作品が登場します。例えば、大島弓子の『綿の国星』のなかの1ページですが、マンガの常套的な枠であるコマからふき出しがはみ出ていたり、左下などは、そもそも枠線すら引かれていません。それを反映してか、ここで描かれているのは仔猫が捨てられていて、それを通りかかる人たちが見捨てていくという場面で、左下の少女は捨てられた仔猫を擬人化して描いたものです。そうであるとすると、左下のコマは見捨てられた仔猫と見捨てていく人が同じように並べられています。しかも、その両者を第三者的に客観的な場面で見るのではなくて、映画でいえばカットバックで両者をそれぞれアップにして連続して繋げて見せるところを一つの場面に同居させています。文章であれば、ひとつの文章に主語がふたつあるようなものです。これは、猫の主観が客観的な場面に入り込んで侵犯しているわけです。ここでは、客観的な実在の世界と猫の内面の境界が曖昧になっています。それは絵だけではなく、マンガの中で語られているセリフにも表われています。実際に言葉として喋られているものと猫が思っている内心の声との区別が曖昧になっているのです。その結果、読者はマンガの場面とも猫から見た世界、つまりは猫の内面とも曖昧なところで、その両方を見ることになり、しまいには猫に同化するように物語に参加していくことになるのです。そこに、少女マンガ独特の繊細な内心の表現空間が生まれ、読者がそれを共有することになるわけです。これは、清原の作品世界では境界の侵犯といったことに短絡的かもしれませんが、客観的な風景では区別されていた自然物と人工物が融合していたり、そういう要素を敢えて入れてしまう姿勢、そこに清原の内心の投影などいう短絡的な言い方はしませんが、そこで境界を曖昧にしてしまうという行為自体にメタファーとかシンボルとしてか何らかの反映があるように思えます。その時に少女マンガの手法がヒントとなったと考えても無理はないのではないかと思います。そして、第2の点は繊細な線とそれによる描写です。例えば、萩尾望都の『トーマの心臓』の1ページですが、それまでのマンガの線は手塚治虫のような丸ペンによる筆のような真ん中が太くなるKiyoharamoto ような丸みを帯びた線や劇画のGペンによる太く角張った線で、入りと抜きという力の入れ具合によって線自体に生命感とか感情が宿るものでした。これに対して、この画面の線は細く流れるような線で、微妙で消えてしまいそうな、少年の自分でもあるかないか自覚していないような感情の形を表わそうとしてみたり、結果としては太い線になるのを細い線を何本も重ねることで、実は太い線のなかにも、その太さの中にも中がスカスカなところと充満している差があって、その微妙なさは線の入りと抜きで一気に引いてしまうのでは表現できないものだったりするのです。このページの右下に植物が描かれていますが、そういうものを描くときに繊細な線は本領を発揮し、花や草を様々なシンボリックな意味を持たせたり、装飾として場面を彩ったりさせられることができることになるわけです。清原の作品における繊細な線や植物が繁茂する図案などには、19世紀のユーゲントシュティールの影響もあるでしょうが、少女マンガの影響の方が、より直接的ではないだろうかと思うのです。
 そのような視点で見ていくと、この「楽園の薔薇」という清原の作品は植物を装飾的に図案化し、繊細な線で描いているという姿勢のベースに少女マンガの影響を、私は感じます。それが、この作品では良い面として出ていると思います。そして、繊細で様式化した画面の静謐さを破るかのように真ん中で大きな裂け目ができて、パックリと開いた中が覗けて、何か生々しくおぞましい感じがするし、中から何かが出てきて一部が現われている。そこに破綻が生まれているわけです。様式化して安定したところに止まっていない、そういう動きが、すくなくとも生まれている作品です。清原の作品には繊細さとか神秘的というところは慥かにあるのですが、その一方で、この作品で垣間見えるような、生々しさとか不気味さといった底知れぬところがあるのです。それが実は清原の作品に生き生きとした生命感や動きを与えているのではないかと私は思うのです。しかし、繊細さや耽美さを追求していくと、そういう面が後退して行ってしまった。その結果、画面にどこか閉塞感が生まれてきたように思えるのです。

2018年4月 3日 (火)

没後30年銅版画家 清原啓子(5)

Kiyoharaisland  「孤島」という作品を見ましょう。この作品については、参考として原版と、30回にも及び試し刷りが展示されていました。それを見ていると、刷る度に、画面が重く細密になって行くのが明らかに分かります。私の勝手な想像ですが、刷られた画面を見るたびにもの足りなさを感じて、そのたびに細かく描きこんでいく、それがどんどんエスカレートしていく、そんな風にみえました。完成した作品を見ると、円形の画面を取り囲む額のようなところに描かれた草が絡んでいる図像の迫真でありながら様式化された描写と、その額の四隅の丸で囲われた中の有翼の禿頭のポーズをとった人型の貧弱さは明らかに不釣合いです。また中央の円形の画面のなかでも、人型がいくつか描かれていますが、あるいは左手の鳥もそうですが、草葉の描写とはレベルが違う。しかし、その落差をコントラストとして見せるような作品ではありません。
 どこかに明確な線引きをすることはできないのですが、「魔都霧譚」や「孤島」といった清原の早すぎる晩年に近い制作年代の作品には、無理しているように見えるところがあります。「魔都霧譚」の鉛筆による下絵と版画として完成した作品を比べると、鉛筆の下絵は版画の制作のためのスケッチとかいうような下絵という範囲を超えて、ひとつの作品としてまとまっていて、それだけで完成作といってもいいものに見えます。その下絵と版画の完成作を比べて見ると、私には鉛筆の下絵の方がまとまっていて完成度が高いように見えるのです。これは、私の個人的な好みからなので、客観的な評価ではないのですが、すっきりとした鉛筆の下絵に対して、版画の完成作は、細部の描写がかなり書き加えられていますが、その加筆がむしろ全体のバランスをくずしてまとまりをなくしてしまっているように見えるのです。細部の描写は凄いのひと言で、それ以上何も言えないほどのものなのですが、明らかに過剰な印象なのです。言葉は適切ではないかもしれませんが、ゴテゴテしているのです。はたして、その過剰さに意味はあるのか、こういう問いは、ややもすれば作品への中傷になってしまいかねないものですが、私の個人的な感想としてのものです。これは、「孤島」の参考として展示されていた30回の試し刷りを見ていても、刷るたびに、どんどん細部が書き加えられていったのも、同じように、過剰さを感じるのです。そして、これらの作品の構成を見ていると、これもこじつけかもしれませんが、画面の中に枠取りがしてあって、その内側に図像が描かれているようになっています。しかも、その枠取りはその図像のなかにも設定されていて、画面は何重にも枠取りされていて、求心的と言えるのかもしれませんが、中心が、その何重もの枠の中で、画面の事物はその中心に向かっている。つまり、画面で描かれた空間は何重にも閉じられているのです。そのなかで、細部が過剰なほど細かく濃密に描きこまれていっている。私には、そこで清原は袋小路に入り込んで、そこで閉塞してしまっているように感じられるのです。具体的に言うと、以前の「Dの頭文字」や「海の男」のような作品には明らかにそれとして在った裂け目や崩壊が、自然物や人工物が重層的に重なり合っている境界や画面の枠といった境界の一部に実質的な抜け穴を作っていて、それによって相互に侵犯が発生しているのです。それはまた、世界が崩壊と生成を繰り返していて、画面で描かれているのは、その途中にあることを想像させるものとなっています。そこには、空間的な流動性、と時間的な生成と崩壊という流れが内在していたのです。そこで、細かい描写というものが、そのような流れの中で、意味を持っていた。例えば、細かい粒々が増殖してくるような不気味さを画面に醸成させていました。それに比べて、「魔都霧譚」や「孤島」は層や枠に裂け目や破綻がなくて、ブロックに分けられて、おのおののブロックが閉じてしまって、ブロック相互の流れは失われてしまっています。したがって、生成や崩壊を繰り返すような時間が止まってしまっています。したがって、例えば描写が細かく描きこまれていっても、画面の有機的な流れが失われているので、細かい描写の意味がなくなって、ただ細かく描写することだけがバラバラにエスカレートしていっている。そこに分裂、さらに、その根底には、画面がブロックごとに閉じ込められて閉塞していってしまっていることがあると思います。閉じこもったところで、どんどん密度が追求されていって、濃密になっていくと、それにしたがって密度だけが異常に高くなって、酸欠状態に陥ってしまう。「魔都霧譚」や「孤島」には、そういう雰囲気があると思います。

内部監査担当者の戯言(4)

 4月の初日の今日、各地での入社式の模様がニュースで映されていました。そこで並ぶ新入社員たち、とくに男子は一様に背広(リクルートスーツ)を着ていて、それを画一的とか無個性と批判するむきもあります。自由がなくて規制されているとかいう批判で、日本の企業は軍隊のようだという批判。当の新入社員たちも、自由は学生時代で終わりなどと、諦めてと感じているのかもしれません。
 しかし、歴史を考えてみれば、背広というのは画一的で無個性であって、おしゃれでないもの、そうでなければならないものであるのは当然で、もともとそういうものとして造られたものなのです。そうであるからこそ、それを着る人は自由で平等になることができる、そういうものでした。背広のルーツはフロックコートで、映画なんかでも見たことがあると思うのですが、18世紀から19世紀に貴族が支配していた社会にブルジョワが進出したときにブルジョワが着ていたものです。貴族はもともと身分をアピールしなければならないので派手な格好を扮していました。彼らは代々にわたってお洒落の技術を磨いていました。昔の貴族の肖像画を見ると、皆、派手な格好をしています。ルイ14世なんて、ジャニーズ系みたいです。それは彼らが庶民とは違う人種であって、支配するのは当然ということを見ただけで分からせるために必要なこと、生きるための技術だったと言えます。おしゃれとかセンスのいい服装というのは格差の象徴なのだ。そういう貴族に、成り上がりの市民が、おしゃれで対抗できるはずもありません。おしゃれな格好について年季の入り方が違うのです。そこで、誰でも苦労せずに技術を要することなく、らしい格好をして貴族に対抗するために使われたのがフロックコートだったというわけです。昨日成り上がった者も、代々の貴族もフロックコートを着れば、格好、身なりの点で互角に渡り合えることになるのです。そこでお洒落のような訓練を要する要素が加われば貴族とか既存の支配層が優位になってしまう。だから、ださいものでなければならない。ださくて画一的だから、下層階級の者でも上着としてひっかければ平等になる。だから背広というのは自由と平等の象徴でもあるのです。
 背広とは、そもそも、そういうものだったはずです。だから、私は背広はお洒落であるべきではないし、ドブネズミ色で画一的であるべきで、そのように着ています。それで、ある種の自由を、この社会で保つのに尽くしていると思っています。
 だから画一的なリクルートスーツを着ている若い人たちは、そのことで胸を張っていいのではないか。むしろ、センスのいいおしゃれをしている者たちこそ、人目をはばかれ、恥を知れと言ってもいいのではないか。まあ、アナクロなのだろうけれど・・・

2018年4月 2日 (月)

没後30年銅版画家 清原啓子(4)

Kiyoharahisao  「久生十蘭に捧ぐ」という作品は、清原の代表作なのでしょう。この展覧会のパンフレットにも使われていますから。“草木が生い茂る、精緻に描かれた黒一色の画面の下に劇場の舞台が描かれ、中には人体模型らしき姿が見えます。無音・無言の舞台はその中央部がひび割れ、廃墟の用でもあり、何か別種の新たなものが生まれ出る、その時を待っているかのようでもあり、画面に配置された様々な意味ありげな小道具が、見る者の想像力を刺激します。”と解説されていた作品です。この作品は萌芽的なのかもしれませんが、清原の作品には一群のシンメトリーを基本とする図式的な構成の作品があります。この作品ではシンメトリーにはなっていませんが、上半分の舞台のような部分だけを取り出せば、そのような作りになっているように見えます。もっとも、この舞台の部分は画面の中心から右側にずらしたところに位置しているのでシンメトリーとはいえないのは確かですが。他のシンメトリーに近い図式的な作品では舞台らしきものを描いたところが画面の中心になっている場合が多いので、この作品も、それらに順Kiyoharahisao2 ずる構成と言っていいと思います。そして、これらの作品を観ていて、私は、ドイツ・ロマン派のオットー・ルンゲの神秘主義的な作品や仏画、とくに曼荼羅を想い出しました。これらの作品は、神秘主義思想や仏教思想を象徴するような要素を画面に描きこんで、それらの関係を図式化していったもので、画面全体が、その世界観をあらわすようになっているというものであると思います。したがって、これらの画面を見る人は、そこに世界観が象徴されているとか、その意味するものを考えようとします。しかし、清原の作品は、その図式的な外形を借りてきて、このような構成は何か意味ありげであるという雰囲気をちゃっかりパクッていると言えるのではないかと思います。そうすると、その構成に支離滅裂と言っていいほど様々な物がごった煮のように描かれていますが、それらが意味ありげに見えてくる。見る者に錯覚を起こさせている。前のところで、清原の作品にはアナグラムのような性格があると述べましたが、駄洒落が意味ありげどころか、深遠に見えてくることになっているわけです。
 Kiyoharahisao3 他方、解説等では触れていませんが、清原という人は世代的には60年代後半から70年代にかけてのカウンター・カルチャーの影響を受けていると考えられるのではないか、という点です。この作品タイトルで捧げられたことになっている久生十蘭という作家は、一時期、言わば世間からは忘れられた存在だった作家だったはずで、そのリバイバルの一つの契機となったのは1969年に三一書房から全集が出た(その前後の動きを、この全集が集約した)ことが大きかったと言います。当時の、反体制の文化的機運のなかで、権威である文学に対抗するもの、そういう系統とは別の昭和初期の分かれられていたエロ、グロ、ナンセンスといったものとして受け取られた。そういう意味でいうと、清原が読書家で文学や哲学に惑溺したと解説されていますが、その惑溺した人たちの背後に澁澤龍彦の影が見え隠れするのです。かなり独断的な見方になりますが、清原の視野には澁澤龍彦のフィルターがかかっていたように見えます。それが、物事の意味を問わないという、今のオタクに近い心情です。そこに論理はないので、構想ということができない、そこで既存のもっともらしい枠組みを借用して、細部に好みをものを入れ込んでいく、そういう趣向は澁澤龍彦の方法論でもあります。後は、読者が勝手に妄想してくれて、意味ありげなものにしてくれる。清原の作品には、澁澤龍彦のような悪意はないのでしょうが、既存のものを使いまわす、彼の方法論の影響があるように思えるのです。だから、この作品は曼荼羅のようだと述べましたが、長岡秀星でもいいのです。
 Kiyoharamagic 「魔都」という作品。久生十蘭の小説からインスパイアされた作品なのでしょうか。清原が亡くなってしまったため未完に終わってしまったということですが、素人の私から見れば、完成していると言われても、別におかしいとは思いません。「久生十蘭に捧ぐ」の上半分を、さらに追求したという印象です。ただ、他の作品に比べると薄味というのか、物をぶち込み切れていないという感じはします。しかし、だからといってもの足りないということはない。「久生十蘭に捧ぐ」のところで少し触れましたが、「久生十蘭に捧ぐ」のような作品を観ていると、時代という環境もあったのか、清原という人が感じやすく他人の影響を受け易い人であったのか、現存の自分で描いているのではなく、そういう影響からあるべき自分をつくってしまって、そういう自分として描こうとして背伸びしているような感じがします。それが、この作品では、そういうところがあまり感じられない。背伸びしようとしたところで、その前に途中で当人が亡くなってしまったからかもしれません。
Kiyoharamagic2  「魔都霧譚」という作品です。久生十蘭つながりで続けて見ていますが、この作品も未完成ということです。とはいっても、こちらは「魔都」と違って完成に近かったようです。画面全体は真っ黒になるほど描きこまれています。何度も言いますが、一つの点、一本の線に全力を傾注して数えきれないほど銅版を刻んでいった細かく執拗に描きくこまれた画面は、見れば見るほど惹き込まれ、戦慄を覚えてしまうものです。それがあまりにも凄いので、それだけを見ていればいいのですが、この作品を見ていると、その点や線の凄さ、細部の描きこみの濃密さに対して、描かれているもの。例えば画面左右の神殿の柱のようなもの、そこに彫刻が施されているようなのですが、そういうものの造形、あるいは中央の翼を広げている神様か異形のものなのか、そういうものが、描きこみに対して追いついていない、明らかにバランスを欠いているように見えてしまう。もしかしたら、この作品が未完なのは、そういうところにあるのかもしれません。これは、あくまでも私の個人的な主観、独断的なものなので、私には、そう見えるということなので、異論がある方は多いと思います。ただ、私には、この作品もそうですが、「孤島」とか作品には、病的な行き過ぎのような印象を受けます。それは、造形が追いつかないでバランスが保てないのを、細部の描きこみでカバーしようとして、描きこみがどんどん過剰になっていって、さらにバランスが崩れるといった具合に、強迫されているような感じがします。それが異様な迫力を生んでいるとも言えなくもありません。

2018年4月 1日 (日)

没後30年銅版画家 清原啓子(3)

Kiyoharad  「Dの頭文字」という作品です。画面の中心に描かれているのは人間ではなく、人形です。おそらく、ここで大切なことは、まず姿の外形、もっというと描かれた形であるということ。次に、おなじくらい大切なこととして言わば記号のように人である、人形であるということ。逆に大切でないことは意味とか内容、つまり人であれば個人であること、そこには当然、生命とか肉体とか意識しか感情といったことがありますが、それは画面には不要であるということです。こんなことは、清原のファンであれば、わざわざ言葉にして指摘するほどのことでもないことでしょうが、そういうことの上に、この人の画面の世界というのが成り立っている。つまり、画面を言葉のこととして置き換えて考えると、言葉の意味とか話している人の思い、内容がなくて、話された言葉の響きや紙に書かれた字の形、そういった表層を追求したもの。さらに、その表層が意味を切り捨てて独立したもの、たとえば、アナグラムとか駄洒落という、意味がないけれど、そこに楽しさや空想的な世界が創造されてしまう、そういった空中楼閣のような人工的なものです。
 実際、この作品では、書き割りの舞台のような場面で、網のように絡んだ蔓が伸びていることや、小さな粒が増殖するようにしてある形状になったもの、これは柘榴の実のようにも見えますが、そういったものが折り重なるように描かれていて、そこに人工物である人形が座っています。無関係なものが画面の中で同居していると、何やら意味ありげに見えてくる。しかも、柘榴の実は割れているし、人形は壊れて顔にひびが入り、胴体は中身が開いてしまっています。手前の卵でしょうか球体は殻が割れています。ここに崩壊感覚があるという意味を付与することは見る者の勝手でしょうが、現実には同居し得ない物が隣り合わせになっているということは関係性とか境界といったことが崩壊しているとも意味づけできます。それは、言葉であればアナグラムは何か尤もらしく、かっこよく受け取られてしまうという意味づけがされてしまうのと似たようなことが起こっている。それが清原の作品の魅力の源泉のひとつと言えるのではないか、と思います。
Kiyoharasea  「海の男」という作品です。これも「詩人─クセノファネス」と同じように背景が描きこまれていません。同じような時期の作品だろうと思われますが、この後の作品は、余白を埋め尽くすように線や点を描き込んでいくようになります。この作品で、私が語りたいのは、「Dの頭文字」では人形の顔にひびが入り、胴体が開いてしまっていたのと同じようなことが、この作品では人間にも起こっている。この男のすねのところです。「Dの頭文字」の人形の胴体と同じように、皮膚が割れたように開いて、中の繊維のような筋肉の束が露わになっているように見えます。しかし、これは筋肉なのでしょうか、筋肉でない何か別物のようにも見えます。人の形をしていても中身は何か違うものかもしれない。それは、人という意味内容が解体されて、その形だけを残して、あとは別のものの形と組み合わされている。外見は異なりますがアンチンボルドの果物で人の顔を作ってしまうマニエリスム絵画を想わせます。ここでアンチンボルドがでてきたので、念のために述べておきますが、このような試みは言ってみれば際物ですが、アンチンボルドも清原も作品から際物とかまがい物といった印象を受けることはありません。それは、二人とも高度な描写力をもって、しかも執拗なほど描きこんで画面を作っているためです。ふたりとも、その画面の出来上がりで見る者を捻じ伏せて納得させてしまうほどの技と力を、これでもかというほどぶち込んでいるからです。それが画面の出来栄えという点に結晶されているからです。それはまた、清原の作品の魅力のひとつだと思います。
Kiyoharaegg  「卵形のスフィンクス」という作品です。この作品くらいから、画面全体が黒くなっていきます。ということは、清原の細かく線を引き、点を穿つということが画面全体を覆い尽くすようになった、ということです。恩師である深沢幸雄によれば、清原に楽に効果の出るアクワチント等を勧めたが、これは何としても受け付けず、黙々と巨万の点を打ち、巨万の線を引いた、そうです。清原には、アクワチント等による画面では駄目な理由があったと思いますが、それよりもひとつひとつの点を打ち、線を引くということが制作の前提になっていた、その行為自体が実は好きだったのかもしれません。そうであれば、この人の作品の細かさというのは、結果としてそうなってしまったというものかもしれません。
 こじつけに聞こえるかもしれませんが、この「卵形のスフィンクス」の身体を見てください。四つん這いになった肢体は柔らかな曲線で描かれていて、後肢のところなど艶めかしい尻を想わせます。しかし、その身体には細い鎖か紐のようなものが掛けられていてキツク締められています。そのため、身体の筋肉が鎖に分断されて、腫れ上がるように局部的に膨らんでいます。そして、それぞれ分断されて膨らんだ形が卵形になってしまっている。ここに、まとまって統一されているものを、細かいものにわけていってしまう、という作為がないでしょうか。スフィンクスの身体は、卵形のものによって構成されているように、結果として見えてしまう、というのは、見ようとしてそうした、と考えられないでしょうか。「Dの頭文字」等の作品に顕著に現われていた、殻を割るとか、ひびをいれるといった崩壊への志向は、ここでは分断ということに形を現われていると思います。そこには、まとまって形を成している全体よりも部分である細かいものを志向するという傾向があるように思います。それは、人の意識とか意志とか感情といった人がひとつのまとまりとして成ったときに、それをまとめるものであるわけで、そのまとまりよりも、部分のひとつひとつの細胞を尊重した場合、例えば、ものその細胞の一つ一つが独立していた場合、意識というまとまったコントロール機構は意味をなくしてしまうことになるわけです。これは、グレッグ・ベアというSF作家の『ブラッド・ミュヘジック』という長篇小説が、まさにそういう話なのですが、清原が読んだかどうかは分かりませんが、「卵形のスフィンクス」の画面を見ていると、スフィンクスの顔に表情がなくて、生き生きとしているところが感じられないのに対して、スフィンクスの周囲の地面に転がっている苺の実のような小さな粒の集まった物体のほうが、不気味な存在感があるのです。あきらかに、この粒々の方が蠢いているように目立っているように見えるのです。

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