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2018年4月11日 (水)

内部監査担当者の戯言(7)

 目的合理性と価値合理性ということについて、もう少し考えたいと思います。前にも述べましたが、価値合理的な行為とは、行為の結果如何を問わず行為そのものが絶対的価値があると確信して行う行為です。規則があれば、それを絶対視するように従うという行動は、その例です。それは、例えば、交通ルールにおいても、交差点で、他に歩行者も対向車もいない場合でも、赤信号でちゃんと止まるということは、日本人の遵法意識とか規律・秩序を守るといって自画自賛する人もいます。それに対しては、交通ルールは、もともと安全のためのもので、他に車も人もいなところで、それを確認すれば安全は保てるのに、杓子定規で赤信号に従うのは不合理という意見もあると思います。
 ところで、先日、大相撲の地方巡業において土俵上で挨拶に立った来賓が、突然倒れて、その応急処置に女性が駆けつけたところ、女性は土俵に上がらないように注意する場内アナウンスがなされたということが事件として報道されました。これは女性差別であるとか、緊急時の対応であるとかで、様々なところから非難されたという事件です。これを、価値合理性に基づく、通常の監査の姿勢で、このときの行動を評価するとすれば、これは「正しい」し、そうしなければいけないものです。そういうルールがあれば、そのルールに従わない場合があるとすれば、しかるべき権限と責任を持った人が指示しなければいけない。その権限も責任もない人が自己の判断で行動したとすれば、越権行為であり、違反行為です。だから、職員がアナウンスした行為に対して非難することはありえない。むしろ、このアナウンスをした職員「あなたは正しいことをした」とを庇ってあげなければならい、ということになると思います。それが倫理的な姿勢というものです。さらに言えば、日頃、誰もいない交差点の赤信号で停止する日本人を自画自賛するような人は、あるいはブラック校則といわれるような規則でもに従うような教育を歓迎する人々は、倫理的にこの行為を批判できるはずがないのです。
 おかしなことを言っていると思われるかもしれませんが、論理的に筋道をたてて考えれば、こういう主張は成り立ちます。実際のところ、前回の取締役ではありませんが、日本の会社(とくに伝統ある規模の大きな会社)で、会社員として働いている大多数の人たちは、このような姿勢で仕事をしているはずです。それを倫理的に自覚をして、確信しているかどうかはべつとしてですが。そういう大多数の人たちを肯定するのであれば、この相撲協会のアナウンスという行動を非難することは、この大多数の人々の行動姿勢を肯定できないことを公言することにつながると思います。そのことに対して、誰も何も言わないのか、と不審に思います。
 チェックリストを使って、決められたとおりに仕事をしているかと、監査するということは、同じベースにある。これは極端な考え方かもしれませんが。そのことを自覚する必要がある。だから、考えているわけです。

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