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2018年4月19日 (木)

没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟(2)~第1章 画家としての出発

Asadawork  麻田は大学生となってサークルに入会してデッサンなどの正式な美術教育を受け始めます。最初の展示作品「牛・C」は画面いっぱいに描かれた牛の全身像で、細部とか肌の質感にはこだわらず全体の形と重量あるどっしりとした存在感を出そうとしたと作品。グレーを基調としたモノクロームのような色の感じと、牛という存在の物質感を出そうとしているようです。この物質感への志向というのでしょうか、それが石膏や絵の具を画面に盛るようなことに発展し、それが画面を覆うようになります。それにつれて次第に対象の形を描写することから画面という空間の中で何かを存在させるということを志向していくようで、その過程で形を失っていきます。当時の流行であったアンフォルメルという運動、不定形のものをキャンバスに絵の具を盛ったり、塗りつぶりたりして、作者の感情をぶつけたり、形にあらわせないような存在とか動きとかいう抽象的なものを表現しようとしたもの。そういうものに、麻田も乗って描いていたようで、「作品C」という作品では、アントニオ・タピエスの手法を真似て、画材でない物をつかったりマチエールにこだわって画面を立体的に盛り上げたものにしています。麻田自身の言葉では、「力線としての場」を形成するそうですが、自身の表現衝動が生まれてくるのを表現にまとめられることができずに試行錯誤している、と見えます。ちょっと古代エジプトのヒエロク゜リフの彫られた石板を想わせます。「黄泉の黒鳥」という作品の赤と黒を画面一杯に塗られた作品などに、色彩のセンスがすでに見えていて、それがマチエールとかいって凸凹になった画面で影を生んだり、Asadatapi 展示されている照明の光線に照らし出されたりして、色の見え方が微妙に変化しているのをみると、画家の意図とは別に捨てがたいものがあると思います。

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