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2018年4月18日 (水)

内部監査担当者の戯言(9)

 合理性ということについて、ルールに従うことで考えることを、もう少し続けたいと思います。今回は視点を変えてみます。
 例えば、司法試験に合格した人は国家資格の法律の専門家ということになります。しかし、そうだといって、弁護士なり裁判所なり、あるいは企業の法務部なりで仕事を始めたとして、すぐに仕事ができるというわけではありません。例えば契約書のチェックなどは関係法令の条文を記憶していても、それに基づいて実際の契約書の文言を細かくチェックできるわけではないのです。そこには、それぞれマニュアルがあるはずで、日常のしごとはマニュアルに従ってこなしていくことになるでしょう。そして、しばらくすれば、マニュアルに従って仕事の手順を覚えて、慣れていくわけです。では、司法試験に合格した法律知識というのは何だったのかということになりますが、この場合、マニュアルはあくまで手順しか書かれていないし、専門用語とか、テクニカルな知識がないと理解できない場合が多いはずです。契約書であれば、専門用語や独特の法律文書の言い回しなどは、そして、そのマニュアルの手順理由も理解しにくい、つまり専門家向きなのです。法律家といっても法律の条文がすべて頭に入っているわけではないのですが、それをケースに最適の条文を短時間に見つけ出す訓練が、この場合専門家の知識とか能力ということになると思います。これは、専門家の場合ということになるでしょうが、一般的な企業の新卒の新人なども、こんなに高いレベルではないでしょうが、似たようなことがいえると思います。
 それを監査するという場合、この人たちがマニュアルを正しく理解できていれば、マニュアルのとおりに仕事をする、つまり適正な行動をとっているわけで、ですから、ちゃんと分かっているかを確認するということになります。
 そのような新人も、入社後数年経てば、仕事にも慣れてきます。その時にはマニュアルも頭に入って、日常的な仕事は十分にこなせるようになっているでしょう。だいたいの日常業務は定型的なもの、前例を踏襲したものなので、マニュアルの通りのきまったことをこなす、ということになってきます。このとき、最初は仕事を覚えたりするので努力して勉強していたのが、ここでピタリと、それが止まってしまう人が多いと思います。しかし、仕事というのは、全部が全部マニュアルにあるとは限らない。たまに例外的なものや、今までにない事態が発生します。そのときに、法律関係であれば、六法全書や資料を繙いて原理原則まで遡ってどうすべきかを、しっかりした根拠のもとで解釈して実行するということができるかどうか。それが、実は法律(法律だって一種のマニュアルですから)の条文にピタリと当てはまるものがなくても法律そのもの趣旨を理解して解釈できる。そのためには、このような例外の経験をしっかり見につける努力をしているか否かが分かれ目になるのですが。
それを監査するという場合には、マニュアルの通りに仕事をすることより、もっと深いレベルで、マニュアルにないことをやっているわけですから、それが正しいかどうかは、その趣旨にさかのぼって、それに沿っているかをチェックするということになるわけです。
 そして、それより深いレベルでは、企業の環境というのは流動的で、マニュアルだって環境変化に対応していかなければなりません。そのときに、使っているマニュアルを時代に合わせて修正していく。あるいは、今までにない仕事をあらたに創り出して、そのためにマニュアルを創る。そういう場合、その監査は、チェックするもとでがないわけですから、正しいかどうかは、お手本のないところで見ていかなければなりません。
 つまり、ルールに従うということでの合理性は、前回のような視点による違いもありますが、このようにマニュアルに対する理解の深さの程度の差によって変わってくるともいえるのです。

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