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2018年4月22日 (日)

没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟(5)~第4章 帰国

Asadacity  1982年、麻田は体調を崩し、帰国します。その後の作品です。この展覧会場で最初に展示されていた「原都市」という作品は、この時期に制作されたものです。「悲の地」に萌芽的に表れていた変化が、この作品では全面的なものとなったと説明されています。“それまでの地面を見下ろす視点が、頭を上げ眼前を見つめ始めるのである。正面とやや見上げる位置に整然と並べられた物たちは、打ち捨てられた人工的なミニチュアの町のようでありながら、吹き出す霧やドアの向こうの星の輝きとともに、これから動き出すようなどこか有機的な雰囲気をもっている。”麻田自身も世界風景ということをコメントしたりしているので、画面に世界全体を縮図のようにして再現したいという志向があったのかもしれません。それは、視点というよりは、画面一面に物質としての絵の具でも色でも存在させようとしていたことに対して、仕切りを設けようとした、そこには存在を枠にはめる、つまり、形相、かたちでしきっていこうということではないか。私は、この展示を通してみていて、麻田の作品は初期から晩年に向けて、かたちを画面にいれていく大きな流れがあるように思えました。この作品で、眼前を見るという視点は、パースペクティヴというかたちを入れたということではないか、と思えるのです。地面を見下ろす視点で描かれた画面は地面の一部を切り取った感じで、その画面の外側に地面が広がっている。つまり、画面が閉じていなくて広がっていく要素がありました。しかし、この作品のように仕切られてくると、画面が枠取られて、それが麻田の世界風景という志向で、画面にひとつのコスモスのような完結した世界をつくっていこうとすることになって、画面が閉じたものになってきているように感じました。麻田自身も、“画を描いている間は精神療法の箱庭療法のごとき、無心でかつ遊びの持続のごとき、心理的平安状態が来て、不安発作はまし”と述べています。はからずも、箱庭という閉ざされた空間に石や木の部品を思い思いに入れていって庭を造っていくもので、そこには外界と仕切った閉ざされた枠の中に籠もるところがあります。この「原都市」という作品では、未だそれほどでもないのですが、この後、麻田は、この志向を進めていくのですが、閉じた画面に細かなものを詰め込んでいくようになって、画面の密度は高くなり、濃密になって息が詰まるほどになっていきます。同時に細かな個々の物の描写が緻密になって、全体とのバランスを欠くほどに突出していきます。それだけに背後の画面から浮き上がってリアルな存在感が逆になくなっていくようになります。この「原都市」は、そこまでいかない中庸のバランスのとれた作品となっていると思います。
Asadadurage  「土・洪水のあと」という作品です。「旅・影」という作品とで黙示録の風景として提出されたということです。ここには、様々な視点が不規則に、それが明らかにわかるように雑然と混在しています。左奥には階段とその向こう側の空を仰角気味に横から見ています。また中央部下側は地面を見下ろしています。しかし、その地面を背景にした画面下の真ん中あたりでは台の上に並んだモノ達は横から見ています。湯気が上に上がっていることからも明らかです。また、画面右上にはトンボの羽の一部が大きく描かれています。タイトルのとおり黙示録的な大洪水でなにもかもが錯綜しているカオスということなのでしょうか。しかし、そのような様々な視点が雑然としているにもかかわらず、画面がとらえどころのない散漫なものかというと、そうでもない。ここには不思議な静寂さが漂っています。それは、敢えて言えば、シャガールの画家自身の思い出のモチーフ、サーカスのピエロだったり馬がリアルなスケールとか空間を無視するように画面にぶち込まれて、混乱しているのに、それぞれのモチーフが物語を語って、それが画面全体では大きな物語に収斂していくというような、視覚的な秩序とは異なる秩序が画面にあって、見る者は、その秩序感を悟って画面を追いかけている。この「土・洪水のあと」にも、そういう雰囲気があります。この画面の中にぶちこまれているトンボの羽や貝殻、骨壷、羽根、あるいは三角形のような幾何学図形などには、それぞれの物語がありそうな雰囲気があります。それらが、この画面の閉じた枠内で納まっていて、その範囲で、見る人は物語をまとめていく、そんな感じでしょうか。そして、この画面全体の空気をつくっているのは、色遣いです。これだけ鈍いグレーをつかっているのに、重苦しくならないで、フワフワしているような軽さと明るさがある。しかも、ところどころに青や赤の鮮やかな色が点在して、重苦しく、暗くなる事に対する防御弁のようになっている。だから、変な言い方かもしれませんが、使い方によっては、センスのいいオシャレなインテリアとして使うこともできそう、なのです。
Asadatravel  続いて「旅・影」も見ましょう。この作品は、「土・洪水のあと」と並べるとトンボの羽が画面に大きく描かれているところで共通しています。また、「土・洪水のあと」の中央が地表を見下ろす画面であるのに対して、この作品は階段やテーブルを横から見ている視点で描かれているのか中心となっています。それが対照といえばいえるので、この二作品を対としてみることができる。それが黙示録の風景ということなのでしょう。しかし、この「旅・影」では画面左には星と宇宙が大きく描かれていて、これは「土・洪水のあと」の中央右に小さく星座が描かれていたのが、ここでははっきりと分かるほど大きくなってきています。世界風景には宇宙も取り込まれてきたというわけでしょうか。まるで、すべてを飲み込むブラックホールのようです。麻田には、表現者として、そういう欲望があるのかもしれません。しかも、「旅・影」では四角く枠付けられた画像が貼り付けられるように配置されていて、仕切りが明確になってきています。そこになんらかの秩序を意識して作ろうとしている、とも思えます。
Asadareturn  「蕩児の帰宅(トリプティックのための)」という作品です。麻田の制作方法のひとつとして、画面の下地作りから、薄く溶いた絵の具をキャンバスに塗り、乾く前に新聞紙などを押し付けて剥がすと、画面に不定形の模様が定着する、というのをやっていて、この作品では、それが顕著に見られると思います。そういう効果はあるのでしょうが、その反面下地の色彩が鈍くなって、透明感がなくなってくる。その点で、私にはせっかくの麻田の色彩のセンスが減退していて、透明感よりも汚い印象を持ってしまうのでした。展覧会のパンフレットで使われている作品なので、彼の代表作なのでしょうけれど。ヒエロニムス・ボスの「放浪者(行商人)」からの影響が大きいと解説されていて、たしかに画面中央の鳥かごの上や右側に四角の枠でその作品の模写の部分をトリミングして配置して、右下にはその作品全体を縮小して引用しているようですが、上手な模写とは思えないし、影響関係といってもそれだけの、単なる引用のようにも思えます。この作品では、私は、そういう汚い背景を土台にして、破れた布がかけられた鳥かごの明るいブルーが際立っているところや下部の葉っぱのグリーン、あるいは羽根やネズミ(影と実体と骨(死)が三つ横に並んでいる)、合掌している掌といったような個物が背後から雑多に浮かび上がっているということです。これらが、それぞれに無関係に、描き方にも統一性がなくて、ほんらいならごちゃ混ぜの渾沌としているはずなのに、そうなっていない、不思議に静かだということです。それを廃墟という人もいると思うし、無機的という人もいると思います。この作品には即興性とAsadashadow2 いうか、麻田は綿密に計画して、画面を設計して制作したのではなくて、直感で思いついたものを描き加えていったらこうなってしまった、という感じがしますが、あえていえば、全部を描くという作品に結果としてなった。そこに麻田の作品の性格があると思います。感情とか思想しか心理とかいった何ものかを表現して、相手に共感してもらうといったことではなくて、そういう土に対する図の方ではなくて、あえて言えば地にちかい方の全体が画面になっている。そんな作品ではないかとおもいます。そこには現実とか幻想とかに世界が分岐する以前の原世界のようなもの(麻田の作品には「原都市」とか「原」がつくものが多いようですが)ではないかと思えるのです。「地・影」なども、規模は小さくなりますが、同じ傾向の作品でしょう。
 この画面にぶち込まれた個物について、麻田は演出を施すようになってきているように見えます。例えば「隅の石とさかれたパン」という作品では、石のテーブルの上に並べられたパンや果物や花は、スペイン・バロックのスルバランといった画家が描いたボデコンという静物画を想わせるところがあると思います。ボデコンとは静物画でありながら神秘的な雰囲気があって宗教性を強く帯びた作品です。この作品でも、さかれたパンは秘蹟の象徴ですし、暗い画面のなかで、光がさすように明るく映えるように描かれています。そういう描き方は写生のようであっても、演出されているような感じで、それが現実を超えて神秘的になり、かえって現実性が薄くなっているような、隠喩というかシンボルのような存在になっているように見えます。また、石のテーブルのくすんだような、部分的に崩れて古くなったのが図式的に描かれているのは、中世の雰囲気を感じさせ、まったく関係などはないのですが、吉岡正人の描く、例えば「森は静かに燃える」の背景の館を連想したりしてしまうのです。

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