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2018年5月 4日 (金)

オットー・ネーベル展(4)~3.大聖堂とカテドラル Domes and Cathedrals

Nebelrenga  ネーベルは何十年にもわたり、教会の内部空間を描いた多くの絵画を制作し、画家自身も「大聖堂の絵」と呼んでいたといいます。前のコーナーの展示が建築的景観という、建築物を好んで描いた画家なので、特徴ある建築物として大聖堂を描くことには不思議はないということでしょうか。しかし、とはいっても、前のコーナーの作品と違って、ここでの「大聖堂の絵」は大聖堂の特徴ある外観ではなく、内部ばかり描いています。しかも、普通に考えられる大聖堂の内部空間の特徴として考えられる、高い天井や広い空間、薄暗い空間にステンドグラスを通して降り注ぐ光、石造りの押しつぶされるような重量感といった要素は、まったく作品にはありません。これで、いったい大聖堂を多数描いたのは、何を求めてなのか。
 「煉瓦の大聖堂」という作品です。柱の隙間の奥にステンドグラスが見えるというのをデザイン的に描いた作品と言えると思います。しかし、私にはそれが便宜的に思えてきます。何本もある柱は、単に画面での垂直の直線の帯で、そこに煉瓦が積まれたように思わせる直線による模様が入っている。その模様のバリエーションと、赤茶色。つまり煉瓦色のバリエーションを効果的にみせて、それだけでは単調になってしまうので、アーチ型の縦長の窓型で系統の異なる色を配してアクセントとした。こういうデザイン構成にするときに、大聖堂の内部という名目が、うまく当てはまった。実際に、そういう名目でデザインされたとして見ると、色遣いのセンスの良さもあって、垢抜けていてお洒落な感じがします。
Nebelhekigan  「高い壁龕」という作品は、同じようなデザインで色調を変えてみると、違った印象になる。そうなると、量産ができることになります。というと言いすぎですね。
 「青い広間」という作品です。色の感じは、前のコーナーで見た「建築的な青」とよく似ています。この作品の場合、上の二作品に比べると秩序だったパターンから外れています。むしろ、柱と見える縦の帯の間は複雑に入り組んでいます。空間として、どうなっているのか分からない。
 これらの作品を見ていると、前の「建築的景観」のコーナーで建築のフォルムが幾何学図形のように線と面に解体されていく、というように見ていましたが、それとはちょっと違うように思えてきました。フォルムというと形態、つまりかたちを純化していった、つまり抽象していったということになります。しかし、ここでの「大聖堂の絵」を見ていると、大聖堂の室内のフォルムを抽象していったとは思えない。むしろ、抽象的なデザインをある程度つくっていて、それが大聖堂の空間の感じに、うまく当てはまるようなので、それに寄せていって、このような画面になったように、私には見えます。大聖堂をデザイン的に描いたと聞けば、見る者は、何の疑問もなく、お洒落なセンスとでも思いながら作品を見るかもしれません。この作品が、見る者にとって、とても親しみ易くなるのは間違いありません。さらに、大聖堂の絵として見ることで、大聖堂というイメージには寄与しないものを見落としやすくなります。画家としては、見る者の目に対して隠蔽することができるわけです。隠蔽とまでは行かないまでも、それを前面に出すことを避けて、その実、それが生み出す効果を見る者に対して、効果だけを示すということが可能となる。そういう作品になっているのではないかと私には思えます。いわば、料理でいう隠し味のようなものです。そして、この隠し味こそがネーベルという画家の作品をつくっている基本要素であるように思えてきたのです。それは何かというと、細かなハッチングです。
Nebelblue2  「大聖堂の絵」は、どれも比較的大きなサイズの作品ですが、その画面の前面にわたって微細なハッチングが、それこそ病的にびっしりと埋め尽くされています。ササッと描いたような模様の模様部分と地の部分とを丁寧にパターン分けしてるわけです。ハッチングの線の交差だけではない、線を交差させて、その囲まれた部分を細かく塗りつぶしまた別のパターンとする、みたいな凝ったのも少なくない。あとレンガ模様みたいなものもあります。それらが動かしがたくガッチリキマっていて、それだけで堅牢な印象なのです。大聖堂という石造りの重厚な建築物を描いているから堅牢なのではなく、細かなハッチングの積み重ねが堅牢なのです。私は、このような大聖堂のような大きな建築物を対象とした作品を、サイズの大きなキャンバスに向かって、間近にルーペで見なければ分からないほど細かな作業を執拗に繰り返している、ネーベルの姿。キャンバスに張り付くように接近して、猫背になった身を屈めて、同じ姿勢をずっと続けて、指先を痙攣させるように細かく動くのを執拗に繰り返す。私は、そういう姿を想像してしまいます。その姿は、クレーやカンディンスキーでは想像すらできません。彼らであれば、キャンバスから距離を置いて全体を把握しようとする姿や考え込んでイメージを膨らません姿を想像するでしょうか。これは、単なる私の妄想で、実際に彼らが、どのように描いていたのかという実際とはかけ離れた想像であるかもしれません。しかし、私には、そう妄想させるところがあるのです。それぞれの作品に。しかし、彼らの作品は、よく似ていることは否定できません。ネーベル自身もそのことを、分かっていて、敢えてそうしていたのではないか、これは私の想像ですが(また、無根拠な想像をしています。それだけ、私は主観的に自分勝手な物語を捏造して絵を見ているのですが)、ネーベルという画家には表面的にはクレーやカンディンスキーに似てしまって、彼らの影の埋もれてしまうことがあっても、その実、細部では、彼らとは全く異なる彼独自の、ちょっと病的な世界を分かる人にだけ分かるように、わからない人には分からなくてもいいとして、秘かに続けていたのではないか。それは、時代と環境のなかで、体制から迫害されることから自身の生命と芸術を守るための策略でもあったかもしれませんが、何か二重性格のようなものが、ネーベルの作品にあるような気がします。それは、実際に作品を、作品の細部を目を凝らして見た印象から捏造した物語ではあります。

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