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2018年5月

2018年5月31日 (木)

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび

Kumagaipos  12月の暮も押し詰まってきた20日過ぎ、中国の子会社に出張してきた。中国の街角は、日本のような歳末といった感じはなくて、普段どおりの忙しく、活気に溢れた人々が行き交っていた。そういう中に身を置いていると、日本よりも慌しいはずなのに、ほっとする気持ちになった。おかげで、いつもの、この時期の、浮ついたような心持ちを落ち着かせることができたと思う。数日の出張で帰国したときには、普段の感じに戻れていたと思う。それで、空港についた時間も早かったので、折角の機会だからと、羽田から竹橋に廻ることにした。
 地下鉄の竹橋駅を降りて、お堀端にでると、平日の午後の静けさで、観光客と見られる外国人とランナーがチラホラだった。近代美術館のロビーは静かで、展示室は、ほとほどの人で、緊張感を保ちつつ、マイペースで会場をぶらつくくらいに、ちょうどいい雰囲気。結果的に熊谷守一の作品を見て廻るには、ちょうどよい雰囲気だったと思う。熊谷守一に抱いていたイメージは、下手さを味わいという言葉にすり替えて、ちょっとお洒落な中高年の趣味に媚びるイラスト風詩画で、民芸風のカフェに飾ってある、というような毒にも薬にもならない、というような感じでした。実際、そういう作品もありますが、この展覧会は、そうではない熊谷の作品の性格を提示しようとしているようでした。それは主催者のあいさつにも表われているので、引用します。“熊谷守一(1880~1977)は、明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られています。特に、花や虫、鳥など身近な良きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています。その作品は一見ユーモラスで、何の苦もなく描かれたように思えます。しかし、70年以上に及ぶ制作活動をたどると、暗闇でのものの見え方を探ったり、同じ図柄を何度も使うための手順を編み出したり、実にさまざまな探求を行っていたことが分かります。描かれた花や鳥が生き生きと見えるのも、色やかたちの高度な工夫があってのことです。穏やかな作品の背後には、科学者にも似た観察眼と、考え抜かれた制作手法とが隠されているのです。”例えば、次のように解説します。“熊谷の作品をよく見ると、一見簡単に描かれているようで、本当はどれも緻密な色や形やタッチの計算の上に成り立っていることがわかる。花や猫といったモチーフの親しみやすさと高度に考え抜かれた画面作りとのギャップは驚くほどだ。膨大な数にのぼる作品は、熊谷守一とは何者か、というミステリーを解くための最大の手がかりだから、もっと突っ込んで見る必要がある。”何か、今まで無縁に思っていた熊谷守一の作品に対して、親しむことができる突破口が見えたような気がしました。この展覧会のタイトルは「生きるよろこび」という副題があり、チラシには熊谷の晩年の仙人のような飄々とした姿の写真が載せられていますが、むしろ、熊谷の作品は、そういったこととは無関係に、作品として独立しているというようのが、この展覧会の姿勢であるように思われるので、むしろ作品に親しむ上では邪魔になるように感じました。そんなように、これから作品を見ていきたいと思います。

2018年5月25日 (金)

水口剛「ESG投資 新しい資本主義のかたち」

 ESG投資は、E(環境)S(社会)G(ガバナンス)という要素を組み込んで投資判断を行うことを言う。より多くのリターンを求めるというのが一般的な投資の動機とすると、EMG投資は公共性とかリスク・コントロールという投資の本筋からは外れているように映る。しかし、投資家の多数派がアセットオーナー、その多くが公的年金や企業年金で、実際の投資は運用機関に委託しているが、年金は今20代で年金を払い始めた人が60歳を過ぎた後で数十年にわたり老後の年金を受け取ることができるようにしなければならない。そのため短期的な大儲けを求めることより長期的に収益を継続させることを優先する。しかも巨額の資金を擁して幅広い企業に分散投資をしている、実際には市場のほとんどの企業に投資することになってしまっている。だから、特定の企業というより、経済全体に投資しているようなものだ。例えば、目先のコストを嫌ってCO2対策を忌避した企業は、個別の投資先としては一時的な利益を生むかもしれない。しかし、それによって地球温暖化が進んで、異常気象や海面上昇で経済全体が損害を被ることになると、10年後には、結果として全体としてのポートフォリオは悪化する可能性が大きい。
 一方2012年のイギリスのケイ・レビューでは、多くのイギリス企業にとって株式市場はもはや新規の事業投資のための重要な資金調達の場ではなくなっている。それは日々の事業活動を通じて十分な資金を得られるからだ。それでは、株式市場に上場している意味がないではないか、ということになると、そこで重要になってきたのはガバナンスに関与をうけること、リスク・コントロールを先取りすることだと報告している。それがサスティナビリティーといわれるもので、それが日本でも言われるようになってきた。
 ESG投資の概要を理解するには、概論として手頃だと思う。
ただし、この著作では、それが例えば実際に投資リスクに入って来ているとすれば、企業の側でも資本コストの計算が影響を受けるはずだが、そういう実践的なことの説明は触れられていない。それが、説明の説得力ほイマイチにしている。

2018年5月22日 (火)

駒井哲郎─夢の散策者(4)~第4章 夢の解放 1967~1975

Komaitree2  第3章の敬愛する美術家たちは駒井の作品の展示ではないので、省略します。駒井の晩年の作品ということになります。解説ではフランス留学で陥ったスランプを克服し、円熟期を迎えていたとあります。私には、この人の場合、一貫したスタイルをもっていて、成長していったというのは当てはまらなくて、融通無碍に、作品によって作風が変化していった捉えどころのない画家という印象が強いです。だから円熟といったことはイメージできないのではないかと思います。
 「大樹を見あげる魚」という作品です。パリ留学から帰国後、駒井は<樹>を題材にした作品を何点も制作していますが、その中でも最後に近い作品ではないかと思います。前に見た「樹」は縦の線を引いた結果が樹となったという印象の作品でした。しかし、これは明らかに樹木かそのイメージを描いていると思います。中央に株立ちの木、水面、遠くの森というように構成要素が増えていて、その樹木は脚元が画面からトリミングされるまでにもっとずっと手前にあり、しかも一株だけ独立して描かれています。そのために水面と森は樹木の背後全面を満たしています。しかし、この樹木は「樹」のような2本の線で引かれたようなすっきりとした姿ではなくて、無数の細い樹が寄り集まっているようです。ここでの線はすっきりと引かれた線ではなくて、撚れて曲がり絡まり合っています。喩えは変ですが蛆虫が群れて蠢いているような動きの感じがあります。このより集まっている細い木の線は「三匹の小魚」の細かい生々しい線を想わせる線です。さらに水面の無数の波に水平方向の線が引かれていますが、の線も直線に近いですが、蠢いているような線です。その水面の中から、画面向かって右下のところに2匹の魚が顔を出しています。それは、生々しい水面の一部のようです。つまり、この風景自体がひとつの生きもののように蠢いている。それは現実の風景ではありえないし、夢としても生々しすぎる。それは線の表現の自立しているがゆえの迫力と言えると思います。
Komaistillife  「静物」という作品です。こちら静物というだけあって静かな落ち着いた雰囲気の作品です。グレーを背景に壺が描かれているようですが、この背景のグレーの静かな雰囲気は、初期の夢を描いた作品の薄明るいグレーの感じとは違います。あのぼんやりと靄のかかったような感じではなく、ここでは背景は細いが明確な線が無数に引かれているのが分かります。実際に、初期の代表作「束の間の幻影」と比べてもらうと、薄明るい画面でぼんやりと形が目に映るというものですが、「束の間の幻影」では画面全体がぼんやりしているのに対して、この「静物」は離れて見ているとぼんやりしていますが、画面に目を近づけると無数の線が引かれているのを、はっきりと認めることができます。それは使われている技法が違うということも原因しているのかもしれませんが、薬剤で銅版の表面を腐食させて雰囲気の効果を出す技法ではなくて、わざわざ銅版を削って線を引くという作業を無数に繰り返している。しかも、その線は力が入るでもなく抜けるでもなく、薄く細い線で、おそらく力の加減が難しく、労力を要する。それを無数にひくということは途方もない集中した時間を、敢えてかけていると考えられます。もちろん、作品を見る者にとっては、作者が時間をかけたとか苦労したから作品がすばらしいとはかぎらないわけです。しかし、この作品の無数に引かれた線には、その時間が籠められていて、その時間を感じさせる何かがある。「束の間の幻影」には、それは感じられませKomaistillife2 ん。しかし、だからといって、この「静物」という作品に、駒井の苦労を直接感じとることができるか、というとそれはない。むしろ、軽さがある。それは、私の想像ですが、駒井は、線を引くということを、遊びのように楽しんで、喜々として行っていたのではないか。これは、前に見た「エチュード」や「魚または毒」といった作品でやっていたことを、何度も試みてきて、そこに駒井自身が喜びや楽しみを見出してきた結果と、私は想像してしまうのです。
 同じ静物を扱った作品でも「Nature Morte(静物)」という最晩年の作品では、明確な線が消え失せて、「束の間の幻影」の雰囲気に戻っています。こちらは、ジョルジオ・モランディの、瓶や壺を並び替えた配置で何枚もの静物画を制作して、その小さな画面が、まるで世界そのもののように見えてくる、そんな作品に似た印象を受けます。
 「星座」という作品は、カラーの作品で、今まで見てきたモノクロから解き放たれたような印象を受けますが、かといって極彩色になったのではなく、相変わらずと言っていいかもしれない、濃淡のグラデーションに少しだけスパイスのようにバリエイションが付け加わったくらいにしか。「束の間の幻Komaistars 影」が黒ではなく、群青色の基調になったという印象です。むしろ、カラーとなって色彩を喜々として画面にぶちまけるように使っているのは、同じころに制作された「花々」という作品の方でしょうか。さて、「星座」は細分化された四角形の枠のそれぞれに、あるいは枠をはみ出して何ものかが描かれていて、その枠の中も別々の世界になっている。それは、星座というたくさんの星々が集まって、何万光年も遠く離れた我々が星座として見るような。その一つ一つの星がそれぞれ存在していて、それを星座としてみている我々はひとつひとつの星の存在とは別のもののように星座を見ている。その間の途方もない時間と存在のリアルのズレそれを、小さな枠と、その枠を乗り越えてしまうというふたつのあり方として画面を作っている。そのような枠のあり方にとってモノクロよりもカラーの方が濃淡以外のバリエイションの必要だった、と言えるのではないかと思ったりします。その途方もなく長い時間を小さな画面に凝縮し、積み重ね、畳み込み、刻みつける、しかしとは言っても、その結果が決して重く息苦しKomaiflower いものになってはならず、長い時間が、その画面の中に流れているようにするために、その枠と色彩があった。しかもそれだけでなく、その描かれているものたちの細部もです。それらは「束の間の幻影」にはなかったものではないかと思います。言ってみれば、「束の間の幻影」にあった夢が凝縮され、リアルな表れとして結晶した、そういう印象を受けます。

2018年5月21日 (月)

駒井哲郎─夢の散策者(3)~第2章 夢のマチエール 1954~1966

Komaitree  1954年、駒井はパリに留学し、西洋の銅版画の伝統に直接触れて、自分を見失ってしまう。そのため、抒情的な夢の世界が崩壊の危機を迎えたと言います。
 大岡信の説明を引用します。“憑かれたように、樹木の連作を始めた。それはあるいは、文字通り夢破れて、最初の徹底的デッサンからやり直そうとする画家の決意を物語るものだったのかもしれぬ。初期の甘美な幻想風景はほとんど意識的に拒絶され、画家はビュランの刻む鋭い線そのものに、彼自身の存在理由を問うかのように、執拗に線を引きつづける。この当時の傑作「廃墟」や「ある空虚」は、すさまじいまでに濃密な線で埋められていて、すでに単一の方向を持った夢は跡形もなく拡散してしまっている。この時期が駒井氏にとっては最も苦痛にみちた時期だったのではないかと思うのだが、今日これらの全く写実的な「樹木」の連作や「ある空虚」の超現実的な夢魔の世界を見ると、この画家がフランスでしたたか味わわされてきたにちがいない、骨組みの絶対的優位性とでもいえそうなものの自覚的追
求がはっきり見てとられる。”
 「樹木」という作品では、ぼんやりした画面での黒の諧調とは正反対の無数の細い明確な線が縦に走っているという画面で、白か黒かという、以前の黒と白の中間を彷徨っていたのが、黒と白の二項対立にKomaietud_2 なってしまった刺々しさのあるような作品です。樹木という対象を描写した具象作品に見えるのですが、引用した大岡信が書いているように、描くというよりは線を引くという作業を繰り返しているような、その際に樹木という名目で行ったというような印象です。これは、個人的な想像ですが、そうやって線を引く、それを銅版の上で試みようとしたのが「エチュード」という作品であるように思います。版画のことはよく分からないので、説明では“筆の勢いをそのまま表現できるリフトグランド・エッチングの技法を使い、にじみやかすれといった筆の跡が荒々しく画面に留められています。”画面の上下、つまり縦に線を引いていった結果、このような作品になった。「樹木」から対象である樹木を取り払った残りが、この作品ではないかと思われます。
Komaibird2  「鳥と果実」という作品は、以前の作品のような海の底のような静けさは失われて、その替わりに躍動感のある画面になっていると思います。この作品も、とくに鳥や果実を対象に描いたというよりは、版画の技法をためしていたとか、描くとか、そういう行為を執拗にやっていて、その結果、出来上がったものという印象です。鳥の形と果実の形が重複して面白い形になっているという説明はできるでしょうが。それよりも、様々な線や、その線で区画されたところの様々な表われ方が、アトランダムな感じが、落ち着かなさというのか、そこから動きのようなものを感じさせていると思います。「果実の受胎」という作品も、同じような印象です。この作品では、果実が重なっているところが透き通って見えるようになっているのを白黒で表現しているのが凄い。私の主観的な印象ですが、「束の間の幻影」や<夢>の連作といった作品では画家Komaifrut の持っているイメージを形にする手段のようなもので、描くというのはイメージを伝達する手段のように思えるところがあります。ところが、これらの作品は作品自体に存在感が出てきている。表現が自立しているという印象です。画家はイメージは持っているのでしょうが。描くという行為は、必ずしもイメージを表す手段に留まっていなくて、描いていることがイメージを作っていく、そんな違いがあるように思います。具体的には、線そのものに存在感があるといったことです。
 「三匹の小魚」という作品は、そのようなバランスがちょうどいい作品ではないかと思います。それは、精緻に細かく描きこまれているということに表われていると思います。その細かさで小魚の物質としての重量感があったのが、それまでの作品とは違うと思いました。これも印象なのですが、描かれた小魚が画家のイメージから生まれて、その小魚自体が存在感をもって独立しているように思えました。それは、ひとつには線が生き生きとしているという甚だ主観的な印象の域を出ない言い方しかできないのですが、そうなのです。
Komaifish  「魚または毒」という作品は、同じように魚が作品タイトルにありながら、全く印象の異なる作品です。「三匹の小魚」が1958年の作品で、「魚または毒」が1962年の作品なので、それほど制作年が離れているわけでもなく、駒井という人は特定のスタイルを持たない画家であったようです。この作品は、果たして魚なのか画面の真ん中でむちゃくちゃに直線を引いて重ねて真っ黒になったと説明してしまえるような画面です。強いて言えば、その真っ黒なところが魚と言われれば、こじつけで魚に見えなくもない。ちょっと無理かな。といった作品です。見ていると、たしかにひとつひとつの線が自己主張している力を感じますし、それが集まっている迫力ですね。しかし、それが気分というのか抽象的な印象というのではなくて、そこに在るというKomaifish2 実在している感じがむき出しになって見る者に迫ってくる。そういう印象です。衿を正さずにはいられない。そういう作品であると思います。駒井哲郎という画家は、こういう作品を創作活動のピークだとか、そういう提示の仕方でなくて、作品の制作を続けていて、その中で、時折、不意に、さり気なく示してみせたりする人なのかもしれません。私のような、単に見ているだけの者にとっては、捉えどころのない人です。決まったスタイルがないので、駒井の作品をひと目でそうだと見分けることが、正直に言って難しい。

2018年5月20日 (日)

駒井哲郎─夢の散策者(2)~第1章 夢の始まり 1935~1953

Komaibegin_2  駒井哲郎の初期作品です。そこには「丸の内風景」という題名のとおりの風景作品もありました。“夢と現実。私にはそのどちらが本当の実在なのかいまだに解らない。”という駒井自身のことばが残されているそうですが(画家本人の言葉というのは、後付けの弁解のようなところがあって必ずしも、その言葉通りに受け取るものではないと思いますが)、それを手がかりにしたわけではないでしょうが、心に浮かぶ夢や幻影を作品とした<夢>の連作を1950年前後に制作します。その中からの展示が、「束の間の幻影」とともに、私には駒井哲郎の作品の代表的なイメージとなっています。
Komaibird  「夢の始まり」という作品。眼の形のような枠の中に薄明かりのような、輪郭の薄ぼんやりした風景を覗いているような作品です。この枠の眼の形は、見ているという、あるいは覗き見ているという行為を意識してのことのように思えます。それは、前年の「孤独な鳥」という作品では鳥の黒々とした丸い眼が目立っていて、鳥の向いた正面には現実の風景とは違う靄のようなものがひろがっていて、その中に描かれているのは夢なのか分かりませんが、明らかに、この鳥が見ているものです。「夢の始まり」もそうですが、ここで描かれている夢というのが、例えばシュルレアリスムの画家たちであれば、現実のリアルな風景や事物がベースになって、それが歪められたり、物と物との組合せが現実にないような関係にずらされていて、あくまでもリアルをベースにしているのに対して、これらの作品では、そういうリアルの痕跡が見られません。それだから明確な形をとれないのかもしれません。駒井自身も曖昧で明確になっていないイメージを、そのまま表出している。それを夢というのは、駒井自身が言っているからそうなのだ、というものでしかないでしょう。
Komaiprocess  「夢の推移」という作品も、眼の形とはいえないのかも、しかし、見ているというイメージで、その中に広がっているのは、家とか橋とか魚といったイメージですが、現実の物というより頭に浮かんだイメージをそのままという抽象的な感じで、それが家とか橋とか見る者が分かるようなのは、微妙な明暗の加減を表現するためメゾチントの技法で制作されているからではないでしょうか。「孤独な鳥」で不定形に広がって中が渾沌に近いものだったのに比べると、この作品では整理されてきて、そこでてきた余白に黒の諧調が変化してくるのが表わされていて、それが深さを見る者に想像させている。三つの作品しか、ここでは見ていないにもかかわらず、黒のバリエイションが広く、細かくなって、その関係によって黒の深みが作品を経るに従って深みを増していくのが分かります。
Komailost  「消えかかる夢」という作品。「夢の推移」は暈しが凄いと思いましたが、これも凄い。しかも、「夢の推移」は暈しだけでしたが、こちらは暈しが多彩でメリハリが加わっている。一方、外側の大枠が眼の形で、その中に内側の枠のように眼の形があって、二重になっています。しかも、その内側の眼の形がその中を泳いでいる魚とつながっています。そして、その魚の内側に別の小さな魚がいる。その何重にも層を成しているようになっている。これは、見ること、夢を見ること自体を掘り下げて、深さという側面から描いたと言えないでしょうか。それは、別の例でいえば、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』で主人公が夢から覚めたと思った現実が、実は夢の中で、そこから覚めたとおもったら、その覚めたと思ったのも夢で、何重にも夢の中にいて、では、そう言っている今は夢なのか現実なのかという錯綜して境界が曖昧になって、現実とか夢Komaifes の区分が相対的になってしまう物語に似ていると思います。
 このような眼の形は「束の間の幻影」ではなくなります。それにつれて、見るということから、その見ているものを描くように移っていったということでしょうか。「海底の祭」という作品でもそうです。これらの作品には、それまでになかった浮遊感があり、内的世界に身を委ね、ある種の開放感に浸りながら創作する駒井の姿を、想起させるものがあります。それが深海に喩えられるようなイメージです。これまでの作品よりも黒を基調としている性格は強まっているのに、暗いとか重い感じはしません。しかも、描かれている事物は抽象的になって幾何学的な図形や模様になっていきます。この作品では、タツノオトシゴやヒトデのかなりデフォルメした図形のような形もありますが。
 「時間の迷路」は、白から黒までの微妙な色の変化によって、暗い空間に幾何学的な形が浮かび上がる幻想的な世界を表現している。画面にちりばめられた平面にも立体にも見える無数の矩形は、無限の宇宙を漂っているかのようです。
 Komaitime そして、ロオトレアモンの『マルドロオルの歌』に挿絵を制作し、これは「老いたる海」につけたものですが、<夢>の連作とは逆に眼を外側から描くようにして、その眼が集まる夢の世界と言えそうです。ここには、いままで見てきた作品にはない不気味さがあります。駒井は、後年大岡信や安東次男らと詩画集を制作したりして、詩や文学に興味を持っていたのかも知れず、主実的な視覚イメージとは別のところでイメージを作っていたのか、とはいっても、言葉の論理によって画面を構築する、例えばシュルレアリスムが駄洒落のような画面を作っていたようなことはしていません。そのようなところが、この人の独自なところではないかと思います。
Komaimaldrol

2018年5月19日 (土)

駒井哲郎─夢の散策者(1)

2017年10月1日(日)埼玉県立近代美術館
Komaipos  埼玉県立近代美術館は私好みの企画をするのだけれど、いかんせん北浦和という場所もあって、なかなか行くことができなかった。駒井哲郎は、好きな作家なので見たいと思っていて、たまたま午後に人と会う約束をしたので、その外出のついでに無理をして出かけてみた。時間の制約もあって、駆け足で見ることになったのは残念だけれど、久しぶりに「束の間の幻影」などの作品を見ることができた。それだけでも、満足だった。
 さて、駒井哲郎については、私は作品を見たことはあっても、どのような人かは知らないので、主催者のあいさつを引用します。“東京の日本橋に生まれ、少年の頃から西洋の銅版画に魅了された駒井哲郎(1920~1976)。1950年代初めに清新な作風で一世を風靡し、戦後日本における銅版画の先駆者として、技法と表現の可能性を探求し続けました。「夢こそ現実であればよい」という願望を抱いていた駒井は、まるで夢と現実の狭間を散策するかのように、瞼の裏に浮かぶ夢や幻想を、繊細な感性で現実の版に刻んでいきます。また文学にも造詣が深く、詩人との協同作業により取り組んだ詩画集では、言葉との格闘を経て生まれたイメージが展開されています。深い思索と自由な精神で、夢と現実が交錯する私的な世界を描き出した駒井の作品は、没後40年を経た今日もなお、観る人の心を静かに揺さぶります。”
 おそらく、のあいさつに書かれているのが、業界での評価ということなのでしょうか。ちょうど、私が展示室にいたときに、おばさんのグループがいて、けっこう賑やかだったのですが、どうやら版画のサークルのような集まりで見に来たみたいで、口々に技巧が凄いとか、その多彩さとか、意外なところで使っているセンスだとか、難しいことをやっていることだとかに感嘆の声を洩らしていました。おそらく、卓越した技巧家として映っていたのだろうと思います。
Komaiillusion  一般的に、美術館にでかけない人々にとっては、日本の版画というと江戸時代の浮世絵とか、近代では棟方志功といった木版画をまず思い出すのではないでしょうか。後は、年賀状を芋版や木版画で摺ったとか、そういったものが一般的ではないかと思います。私も、以前はそうでした。そんなときに駒井哲郎の「束の間の幻影」を見て、これが版画かと驚いたものでした。「束の間の幻影」は展覧会パンフレットでも使われている、彼の初期の代表作ということになっています。“モノクロのトーンの中に、街のような建築物と、空に浮くバルーンのような幾何学体。ふと眼を逸らすと、その姿は消え、あるいは新しい形態が生まれるかもしれない、静止と生成を孕んだ不思議な温度を感じる作品。”という人もいます。 詩人の大岡信は、この作品に対してではないですが“それらは甘美な薄明の世界に浮かんでいる。それらが生きているのは暗がりの世界だが、その暗がりそのものはひどく澄んでいる。その静かな海底の世界で、たとえばひとつの目玉がうつけたような凝視の眼差しを開く。その目玉の中心には、真円い小さな顔が真円い二つの眼を茫然とみひらいていて、しかもその鼻と口の部分には、もうひとつのさらに小さな真円い顔が表情を失った眼でじっと正面を見つめている。この三重の構造をもった怪物の眼。駒井哲郎は、眼を大きくひらいたままで夢の世界に入ろうとする。眼を開いたまま見る夢とは、必ずや外的視覚と内的思考の精妙でエロティックな合体であろう。それは既に、画家の思考内容そのものにほかならない。駒井氏が銅版画家として独自の道を歩みつづけてきた理由は、おそらくこうした点にある。ぼくらは銅版のなめらかな面に彫り刻まれた形態のむこう側に、画家の思考の量塊を感じとる。それがぼくらに伝えてくるのは、今日の絵画がほとんど意識的に切り捨てようとしているあの深さの感覚である。これらの、わずか20センチ四方程度の画面が、どんな奥行きの深い夢の海を内臓していることか。”ということを書いています。私は、必ずしも、ここで引用したよう人たちと同じことを感じているわけではありませんが、「束の間の幻影」などの駒井の作品が、そういう感じ方をさせるものであることは、分かる気がします。白と黒とその間の諧調だけの世界で、何段階も黒の濃淡を重ねていくわけでもなく、構図とかデザインによって黒の諧調を印象付け、この作品では全体としての薄明のようなのに、黒の濃さが深みのような印象を別の面で感じさせる。太陽の光の届かない深海の海底に不思議なものがプカプカ浮かんでいる。それをなぜか自分が見ている。自分がそこにいるのかどうのか、といったような感想は、夢ということを想ってしまうことに結びつく。この展覧会のサブタイトルが“夢の散策者”というのにこじつけてしまったようです。具体的な作品を見ていきたいと思います。

2018年5月17日 (木)

山本芳久「トマス・アクィナス─理性と神秘」

 山本芳久「トマス・アクィナス─理性と神秘」を読んだ。
 私の受けた歴史教育ではヨーロッパの中世とは暗黒の時代で、その時代の哲学は煩瑣で非科学的という先入観を植え付けられてしまった。しかし、スコラ哲学や神学の議論に触れてみると、哲学者同士で哲学バトルをやっているし、毛現代の哲学の課題のすべてはここで生まれていた。その中でアクイーノの聖トマス、つまりトマスアクィナスは中世ヨーロッパのスコラ哲学の大成者。フランチェスコ会のボンヴェントラ、オリヴィー、ウィリアム・オッカムのような過激に突出した人々に対して、ドミニコ会のトマスは中道の大家だと著者は言う。例えば、忘れられていたアリストテレスがアラビアから逆輸入された時に、保守派は拒絶し、急進派は盲目的に従うの間の中道のトマスは、アリストテレスのテクストに密着して、その理性的な方法論を援用してキリスト教神学を読み直していった。保守も急進も、大層なことを言うが、現状に手をつけないのに比べて、どっちがラディカル(根源的=過激)か・・・。
 今、宗教を信じるということは科学と対立する不合理な受け取られ方をしているが、その端緒はマルティン・ルターであって、トマスの中道的な行き方は科学的な理性と信仰を対立するものでない。「神」と呼ばれる絶対的な何ものかが存在するとしたら、それは原理的に人間理性による把握を超えているはずだから理性によって探求しても意味がない、とトマスは考えない。だからといって逆に、人間理性によって「神」を理解し尽くすことができるとも考えない。すべてを把握できるはずという傲慢からも、何も理解できるはずがないという諦めからも解放されて、理性は、理性を超えたものとの出会いにおいて、その無力さを露わにするのではなく、むしろ、その本領を発揮する。自らの力を超えたものを理解すべく格闘するなかで、自らが、思いがけないほどの豊かな力を有していることをあらためて自覚していくことができる。そのような格闘こそが、トマスの驚異的な知的達成の原動力があった。と著者は紹介する。
 かなり魅力的にトマスを紹介する。しかし、と私は思う。そういう信仰と理性の捉え方をしているなら、「神」がなくてもやっていけるのではないか、と思う。日本的な発想かもしれないが、「そんなもんじゃないの」とか「しかたない」と語ると、ここで言っている「神」をこれらに置き換えることができてしまう。
 日本語の「信じる」とヨーロッパ系の言語の「believe」の内容は違うのではないかと思います。例えば、信頼と信用と信仰は意味が違いますが、これらをまとめて「believe」です。自然科学の法則、例えば惑星の軌道がいままではそうだったからといって、これからもそうだということの理由はありません。だから、今までもそうだから、これからもそうなるというのは信じている。そういうベースがあって探求する、理性が働く。聖トマスの信仰論にはそういう論述があるそうです。
 しかし、日本語では、それを信じるとは、おそらく言わない。「そんなもんだ」というような諦念にも似た言い方をしているのではないか。存在もそうです。妄言でしょうか。

2018年5月15日 (火)

内部監査担当者の戯言(12)

 主として上場会社を対象としているコーポレートガバナンス・コードが6月に改訂されます。また、このところ相次いで著名な大企業で不祥事が表面化し、それが世界的に報道されたり、あるいはESGといった要素を評価項目に据えて中長期の投資をする動きも広がっているといいます。そういう状況の中で、企業の側でも中長期のリスクを見すえながら、果敢な経営を進めていく姿勢がないと、成長していくことが出来ない。資本主義の経済では、成長できないということは生き残れないということです。そこでの、各企業のガバナンスの重要性が一段と深まっている。概況はそんなところだと思います。
 その果敢な経営判断を支えるガバナンスということの底流にあるのは、果敢な経営というのは、端的に言えば、競争に勝つことを追求するということで、そのためには、他がやらないことをやれということ。横並びで他と同じ事を繰り返していればジリ貧に陥るという、これまでのパターンから脱皮しろということではないかと思います。だから、コーポレートガバナンス・コードはプリンシプル・アプロートといって、原則だけ述べて、あとは各企業で自社の場合に応じて独自に考えろというという姿勢をとっています。
 それは監査の部分でも、言えることではないかと思います。例えば、グローバルな動きでは2015年に国際監査・保証基準審議会(IAASB)は国際監査基準(ISA)701として「独立監査人の監査報告書における監査上の主要な事項のコミュニケーション」を発表しました。この基準では、財務諸表が適正と認められるか否かの監査意見に加え、会計監査人が会計監査を行う上で重要と判断した項目であるKAM及びKAMを記載すると判断した理由や対応等に関する記述が求められました。それらをまとめて監査報告の透明化として求められました。KAMとは「監査人が統治責任者にコミュニケーションを行った事項から選択され、当事業年度監査において監査人の職業的専門家としての判断によっても重要であると判断された事項」と定義されています。このKAMというのは、各企業を監査していて、監査人が何が重要かを判断したものですから一律なものではなく、企業によって違ってくるものです。監査は企業のリスクと密接にかかわるものですが、事業のリスクは企業のそれぞれによって異なるし、とくに経営判断ともかかわるものです。だから、監査はそれぞれの企業のリスクに応じて行っていかなければならない。
 そして、この動きの中で特筆すべき点は、その監査結果についての監査報告は、そういう監査の結果なのだから、一律の定式化されたような文章であるはずがないということを明らかにしていることです。
 一方で、日本国内の上場企業の監査報告書の現状を見てみると、ほとんどすべてが一律の定式化された文章の監査報告が公表されています。
 私の勤め先では、コーポレートガバナンスということを重視する姿勢で、監査等委員会設置会社に移行して監査等委員は全員社外取締役になりました。監査等委員の中で会計や財務知識のある人を都市銀行のOBの人にお願いしたのですが、今、ちょうど6月の株主総会に向けて、株主におくる書類の中の監査等委員会の監査報告書の作成の真っ最中なのですが、監査役協会のつくったひな形の通りにしようと主張しているわけです。理由は、他の会社もそうだからというのと。もひうひとつは、それまでの監査報告書は社内の人が昇進する形で就任した監査役が書いていたのですが、そういう人は社内の事情に通じていたので、監査役協会のひな形とはちがって社内事情を少し反映させた内容を書いていました。しかし、新任の監査等委員は、そういう事情が分からないので、書けないということになるわけです。
 一方で、株主や投資家の人々は企業の積極的な情報開示と対話の姿勢を求めていて、その情報開示についても定型的な紋切り型の説明では納得てきないということになってきています。監査についても、2016年3月に金融庁は「会計監査の在り方に関する懇談会」を開催し会計監査の品質向上に向けた提言をまとめました。その主な内容は以下の3点です。
a)監査法人のマネジメント強化を目指した「監査法人のガバナンス・コード」の導入→2017年実施
b)会計監査に関する情報の株主等への提供を目指した会計監査に関する開示内容の充実
c)監査法人の独立性の確保を目指した監査法人のローテーション制度についての検討
 そんななかで、企業での監査のトップで、そのあつまりである監査役協会が依然として紋切り型の一律監査報告書のひな形をひねり出して、監査役や監査等委員がそれに盲目的に追随しているというのは、意識がずれているように私には思えるのですが。

2018年5月13日 (日)

宮川壽夫「企業価値の神秘」

 以前、IR業務を担当していたとき、企業価値の計算とか分析は必須で、そのためにコーポレート・ファイナンスの教科書やデューデリジェンスの解説書などを何度も繙いたりしたが常に頭の中にモヤモヤが残っていた。この本がそのモヤモヤを吹き飛ばしてくれた。「企業価値評価の公式を暗記することには何も意味はない」と筆者。難解な計算は極力排除し背景の考え方に重きを置いて、論理的に伝統的ファイナンス理論の「考え方」を示してくれる。企業価値などと上場会社は言われるが、何で、そういうことをいうのかと言えば、価値が分からなければ誰も投資してくれないから。値段が分からなければ、ものを買えないということ。投資というのは、株だけとは限らず、人の投資(雇用)、物の投資(取引)もそう。では、その価値というのはどうやって量るのかというと、それは企業が将来に向けてどれだけキャッシュを獲得できるか、ということ。しかし、将来のことなので確実性はない。その不確実性がリスクであり、それが資本コスト。大きな獲得のためにはリスクをとらなければならない。つまりハイリスク・ハイリターン。それがゆえに、資本コストは株主の期待値ということになる。そういうところから、将来のキャッシュ獲得ということから割引現在価値の計算に導かれ、知らず知らずのうちにベータ値の原理を納得させられる。そのファイナンスの理論で説明されるPBRやPER、EPSといった指標に対する誤解に目から鱗が落ちる。とどめはマイケル・ポーターのポジショニング戦略をキャッシュフローの原理で論証してみせる。
 面倒臭いと思っていたコーポレート・ファイナンスがこれほど面白いとは、と再発見。この著作はIR担当に就いたときに出会いたかった。今、この職にある人には薦めたい。
 同じ著者の「配当政策とコーポレート・ガバナンス」も併せてお薦め。

2018年5月11日 (金)

古田亮「日本画とは何だったのか 近代日本画史論」

 明治維新の時点で「日本」という実体はなかった。例えば「日本語」という統一的なものは存在せず、そういう意識なかった。あったのは地域のローカルな言葉のみで、上級武士、つまり江戸の留守居役たちが情報交換や意思疎通をするために作られたことば、あるいは吉原という遊郭でどの地方からのものも客を受け入れるための廓言葉という人工言語、あるいは軍隊では長州の奇兵隊がベースになっていたため長州弁を(~であります)軍隊言葉としたとか、あった。それを、対欧米だけでなく植民地支配の必要性もあって「国語」をつくっていったのが、1900年頃。
 日本画も同じようなもので、もともと日本画はなかった。それは、ヨーロッパから芸術としての絵画が入って来て、それに対して、日本にはそういうものがないのか、ということに対抗して考えられたもの。そこには明治国家のアイデンティティと、明治初期の美術工芸品の輸出により外貨獲得を目論むために世界標準に適合させようとすることから、日露戦争後は欧米と芸術でも対等であるいう国威発揚と国民国家の確立を目論む、そのために日本オリジナルで世界標準のレベルとして日本画を人為的に確立していった。その端緒の思想をつくったのが岡倉天心とフェロノサといった人々で、フェロノサの好みによって、その日本画から浮世絵は工芸であるとして排除され、若冲や暁斎のような個性的な画家も外されてしまったという。
 幕末の日本にイギリスから駐日総領事として赴任したオールコックは日本には絵画は存在しないとして次のように言う。“<絵のような美しさ>を描こうとする傾向が顕著であるがために、かえって<絵そのもの>に至ることがほとんどない。つまり日本人は絵画を生み出すことがないのだ。”流行していた北斎や広重の浮世絵版画や掛軸も絵巻も屏風も絵画には当たらない、それは工芸品とかデザインを中心とした装飾品として受け容れられた。万国博に出品された日本画は油絵と並べられると誰が見ても見劣りがした。色の鮮やかさ、重厚さという入り口で全然違った。額装と掛軸という展示方法を比べただけで違ったという。
そこで、日本画の額装を試してみると絵が額に負けてしまう。そこで、額に負けない絵として見つかったのが、尾形光琳などの琳派の絵で、日本の絵では珍しい原色に近い鮮やかな色を厚くベタ塗りして隙間がないものだった。しかし、それ以外の日本の絵がそうでなかったのは理由があった。日本の家屋には重厚で広い壁がない。額装され分厚く絵具で彩色された重厚な絵画を掛ける場所がない。かりにあったとしても絵画の主張が強すぎて浮いてしまう。日本の家屋に釣り合うのは狭い床の間の一部のように当てはまってしまう家具のような掛軸だった。つまり、絵画というのは欧米の独特な住空間だからこそ生まれた産物であった。これに対して近代の日本は住空間も激変し、それに旧来の絵(掛軸や襖絵など)は適合できなくなった。そこで新たな住空間に適合する絵が模索された。それが近代の日本画という考え方もある。しかし、戦後の団地に典型的な住空間は絵を飾る余裕が失われていき、日本画が生きる場をなくしてしまうことになっていった。
 著者はそういう意味で、植民地でうまれたクレオールという概念が日本画の性格に当てはまるという。音楽でいうとジャズがそういう性格のもので西欧のクラシック音楽と黒人音楽がまざって、それらとはまったく違った独自のものができた。日本画も、同じように狩野派や土佐派のようなやまと絵とは違う、浮世絵でもない、文人画でもない、しかし西洋の絵画とも違う独自なものをつくってしまった。しかし、ジャズが今、かつての巨人たちが亡くなって形骸化していったのと同じように、日本画も体現していた画家たちが故人となって滅んでしまった。今あるのは、パロディか新しいアートだという。
 それは、日本画だけでなく、音楽でも演劇でも文学でも当てはまる、芸術であれば欧米には普遍的な価値があって、常にそこに立ち帰るものとして古典というものがある(ギリシャ・ローマがそう。その古典を復興するというのがルネサンスだった)。しかし、日本にはそういうものがない。だから、日本画で、たかだか100年前の横山大観が古典として扱われてしまうことがあり得るということだ。本質的には、それだけバラバラであるというのが、しいて言えば、この国の文化の特徴と言えるかもしれない。
 これらを総括して著者は次のように言う。“個物は種を否定するのでなければならない。個物は自由でなければならない。併し又種を離れて個物はない、種を否定することは個物自身の死である。故に種は個物の種、個物は種の個物として、矛盾的自己同一として種的生命と云ふものがあるのである。多と一との矛盾的自己同一として、作られたものから作るものへと、形が形自身を限定すると云ふことができる。種とは自己自身を形成する形である。そこに作ることであり、生まれることが死することである。” という西田幾多郎の「矛盾的自己同一」。これを『日本画とは何だっのか』の著者は日本画に置き換える。すなわち、“画家は日本画を否定するものでなければならない。画家は自由でなければならない。しかしまた日本画を離れて画家はない、日本画を否定することは画家自身の死である。故に日本画は画家あっての日本画、画家は日本画あっての画家として、矛盾的自己同一として日本画的生命というものがあるのである。多と一との矛盾的自己同一として、作られたものから作るものへと、形が形自身を限定すると言うことができる。日本画とは自己自身を形成する形である。そこに作ることが作られることであり、生まれることが死することである。”これはサラリーマンと会社とのありかたにも通じるのではないかと思う。

2018年5月10日 (木)

オットー・ネーベル展(10)~9.近東シリーズ The Near East Series

Nebelistan  ネーベルは70歳のときに近東への船旅にでかけ、ブルサという町のあるオスマン帝国の大モスク、ウル・ジャーミーの装飾を見て「ここで、アラビアの巨大なルーン文字が、私の絵画にアーメン、然りと歌う壮麗な鐘の音のように鳴り響いた。ブルサ、私の非対象絵画への最大の証。シャルトルが私の大聖堂の絵の証となったのと同じように」と日記に書いたといいます。その旅から帰国後、ネーベルは次々と大規模な作品を制作したそうです。 “ほぼどれも灰色か黒の高級紙に描かれた記号は、いわば鮮やかなルーン文字の祝祭であり、アラビア文字やキリル文字を思わせる。ネーベルにとって、これらはルーン文字による視覚化された物語であり、自分の文学と密接な関係にあるものだった。”とせつめいされていた近東シリーズです。
 「イスタンブールⅣ」という作品です。前のコーナーのルーン文字の作品に比べると単純に文字数が増えた。その分シンプルさが減退して、細部の細かさより全体のデザインに目が行くようになってしまったという印象です。解説のように評価できるかは分かりませんが、私には、それまでのネーベルの作品にあった病的な面、つまり部屋に閉じこもった画家が猫背になって、画面に目を接触させるほど近よって、手の震えを我慢しながら、細かな作業を執拗に続ける画家のイメージが、ここからは感じられないものでした。
Nebelmikonos  「ミコノスⅠ」という作品です。この作品の中心は画面上部真ん中の三日月で、その黄色がすべてです。私が見るには。私にとって、この作品において、細部ではなく、三日月に目が行ってしまうということは、それだけ相対的に細部に視線を惹いてやまない何かが、以前の作品にはあったのに、この作品では、そうでなくなった証ではないかと思います。
 なお、この後の「10.演劇と仮面 Acting and Masks」と「11.リノカットとコラージュ─ネーベルの技法の多様性 Linocuts and Collages-Otto Nebel’s Technical Diversity」の展示は、はっきりいって会場の穴埋め、おまけ程度にしか思えないので、そんなものだったということをひと言申し添えておきます。

2018年5月 9日 (水)

オットー・ネーベル展(9)~8.ルーン文字の言葉と絵画 Runes in Poetry and Image

Nebelelight_2  ネーベルは、光と色彩によって表現される精神的な認識は天上のフォルムの世界に対応し、これを実現するためには珠玉の職人技が必要だと言ったということです。そのためにネーベルは1930年代から、意味の構造や意味を与える文字を探し求めた。ネーベルにとっての創作の基本原則はドローイングで、そこから絵画の象徴的に文字が志向されたと解説されています。
 「黄色い知らせⅠ」という作品。ネーベル自身が“高められた平面”と呼んでいた平面が現われます。平面の重みは、その形、大きさ、色彩の強さによって決定づけられ、意味を与える形となります。ネーベルは特定のリズムを選び、絵の要素が一緒に踊ったり、重なり合ったり、ひとつの全体に融合したり、反発しあったり、画面に浮かび上がったりするように描いています。ここで、ネーベルの画面は、この作品のように平面の上で、一度ごちゃごちゃにされ、見直されていきます。1930年代に易という象形文字のような記号シンボルに注目したりした経験から、記号的なものを取り上げた作品を制作したということでしょうか。
Nebelkree  ルーン文字は、パウル・クレーが作品で使ったことは有名ですが、その影響もあったと思います。
 「照らされて」という作品です。上述の説明がある程度あてはまるかもしれません。一定の太さの線を見ていると文字のようです。その形はシンボリックに見えてくるし、線と線とが絡み合ったり重なったりしたりしているようにも見えます。クレーの作品が戦っている姿のシンボル記号のようにも見えてくるのと、通じたところがあるようにも見えなくもありません。しかし、ネーゲルにはクレーの即興性や線に内在する動感のようなものはありません。むしろ、計算されたフォルムという感じです。そして、例によって細工が職人技なのです。絵の具がきれいに凹凸の縞を作っているのです。それをさりげなく、細かくやっています。そう、このさりげなく細部ですごいことをやっているということ、人は年齢を重ねて人生を経験していくと性格も円くなってくるもの、というのは日本的な考え方でしょうか。日本的な考え方で言えば円熟ということになるかもしれませんが。ハッチングとか点描といった稠密な細工に没頭してしまうことを、いわば目的になって、それをやりやすい画面を選んでいたのが、建築的な構成だったり幾何学的なデザインだったと、私には見えます。それが、細部が画面に及ぼす効果を、ある程度客観的に見るようになって、第一目的であった細かく描くということが、それを生かすということにシフトしていったのがネーベルの円熟であるように、私には見えます。その表われが、直線だけでなく、柔らかな曲線も入って、しかも、画面全体の構成が不均衡の要素が入って柔軟性が生まれてきた。そこに見る者にとっては、緊張感が緩和され、リラックスして画面に向かうことが可能になった。そういうものに格好のものとしてシンボリックな文字やオリエンタルな模様という素材を見出したという、私には、そういう物語を想像してしまいました。ここで、細かく描いたことから生まれる独特の陰影やグラデーションをうまく生かすことのできる舞台として、ここで展示されているルーン文字の作品を見ることができるのではないかと思います。
Nebelmoon  「満月のもとのルーン文字」という作品では、「照らされて」ほどの細かさはありませんが、画像でも細工の想像ができるでしょう。今まで見てきた建築的構成の作品や音楽的な作品に比べて、画面はむしろシンプルになっています。だから、ここでは従来のような細部を微細に細工すね方法とは異なる、もっと多彩でさり気ない。例えば、文字の太い線を半円形に盛り上げ手いますが、その表面の凹凸は従来のような秩序をつくって点が並んでいたのと違い、不規則な凸凹になっています。しかし、黒い線と、それに交錯する深緑の線の表面は明らかに異なる秩序で凹凸が施されていて、その表面の異なっているところが各々の線相互の関係を作り出しています。それは、言葉にはならない純粋に視覚的な秩序と言えると思います。

2018年5月 8日 (火)

オットー・ネーベル展(8)~7.抽象/非対象 Abstract/ Non-objective Paining

Nebelrondolet  ネーベルは、1936年に「新しい絵画の本質と精神」という講演を行い、“根本的には、芸術の中では『抽象』と『具象』の境界は存在せず、また存在し得ないと言うべきである。芸術においてはフォルムが、内容の表現だからである。”と言っています。つまり、すべての描かれたモティーフ、描かれた風景、描かれた肖像が、実物のものではなく、ただ見せかけの現実であり、独立した現実性や価値をもたないものと考えるとしたら、それはたしかに、どんな具象的な表現も抽象的なものであり、逆に考えれば抽象化された純粋なフォルムも現実であり、具体的なものであると言えるということです。そこには、具象絵画と抽象絵画とを区別することに何の理由はなく、同じように追求することに矛盾はないわけです。彼の創作は、例えば後の抽象表現主義のように、内的な感情や情動、衝動を直感的に汲み取ったものではなく、明確な思考を経て、分析的に構造を築き上げ、緻密な手作業の技術によって描き上げられたものなのだ。こんなような解説がされていました。それは、作品を見た印象とは遠くないものであるのですが、評論の言葉で語られると、もっともらしさはあるものの、とってつけたような印象もあります。具体的にどこがどうなのよと糾したくなりもします。ただ、これだけ細かい手作業で執拗に描くことに徹する、というよりそれしかないというときに、もはや具象だの抽象だのと理屈をこねている余裕はなくて、手が動いてしまっている、とはいっても、感情をぶつけるようなすぐに形になってしまうような描き方はしていないので、描くという行為に縛られて、その身体の動きのルールにしたがって制作をするほかなくなってしまっている、といった方が、私にはしっくりきます。結局、同じようなことを言っているのですが。
Nebelred  しかし、ここで展示されている作品は、建築的作品や音楽的作品の病的なところが見え隠れしている作品に比べると、ネーベルが手法を洗練させて、病的なところをオブラートに包むようにしていった傾向があると思います。
 「ロンドレット(三つの三日月型)」という作品です。画像で見ると、青く彩色された背景は、さっきのカンディンスキーの作品の水色の背景のようにきれいに塗られていて、ハッチングが施されていないように見えます。色彩のきれいな、その色彩を引き立たせるように計算された幾何学的な図形というカンディンスキーっぽい作品です。それは画像で見るからで、実物を近寄って、表面に目を凝らしてみると、絵の具がきれいに凹凸の縞を作っている。マチエールといって、絵の具を物質としてキャンバスに盛り上げるように塗りたくる手法がありますが、そんな荒っぽいのではなくて、ネーベルは絵の具を立体的に盛り上げるように塗っているのですが、それを秩序立てて模様のようになっているのです。つまり、ハッチングで描いていたのを、絵の具の盛りによる凹凸の縞模様で替わりにやっていたのです。だから、よくみないと気がつかない人は気がつかない。そんなことをして分からないでは何の意味もないではないか、そこに何らかの効果が見えてこないのか。そういわれると、たしかに微妙に違うのです。そして、気がつくと、その違いが癖になってくるようなものなのです。それは画面の味わいとしかいえないかもしれません。一つあるのは、そこで画面に出来た凹凸に光が照らされたときの微妙な、画面の光の反射の違いです。そこで画面が様々な表情を見せるようになるのです。
Nebelyellow  「赤く鳴り響く」という作品は、音楽的作品の展示の中に入れてもいいタイトルと音楽記号を想わせるような赤黒い線がダイナミックな動きを見せている、というように見える作品です。しかし、目を凝らすと全体に点描で、点と地がそれぞれに黒-赤-白の段階分けを、土に点が乗ることで見る者にグラデーションを感じさせるように巧みに配色されて、しかも、点が平らに絵の具を塗られるのではなくて丸く盛り上がるように、ひとつひとつが丁寧に塗られていて、展示されている光の当たり方や見る者が画面に向かう角度になって影のできかたが異なってきて、微妙に陰影がかわってくる。そこで分かってくる表情の微妙な変化。そこに、細かい点描をする意味や効果を見る者に分かり易く提示するということに、ネーベルがたどり着いた、そこに、作品を見る者という他者をネーベルが実感として意識したことが具体的な証拠のように表れてきたと、私には見えます。つまり、それまでは、一見カンディスキーやクレーのような外観のうちで、ネーベルの嗜好する病的な細部を人目につかず自己満足のように描いていたという他者を避けるところがあったと思うのです。私には、そのような人目をはばかるところで、隠すように自己の抑えきれない細部への嗜好にはしってしまう病気のような作品に魅かれます。そNebeldui れが、ここに至って、他者の視線にうまく晒すようになるということで、それは洗練ということになると思います。同じことは、「黄色がひらひら」という作品にも言えると思います。この画面での、白い細かい点が際立っていて、散りばめられた黄色と対立したり、引き立てている様にセンスのよさが感じられます。見ていて、楽しいです。さらに言えば、「赤く鳴り響く」のそうなのですが、点描に線という要素が加わって、点描でひろがる画面を線が断ち切るように挿入されるという新しい画面の動きが加わっているということです。これによって、点描との対比がうまれ、画面の動きが多彩になっていると言えると思います。
 ネーベルはカンディンスキーのフォルムや色彩は自然の表象から導くのではなく、画家の内面から汲み取られるものなのであるという主張を、彼なりに進め、精神的な意味での内的な光を可視化することを目指したと言います。このプロセスで出会ったのが『易経』で、そこに記されている複数の線を組み合わせた卦(ヘキサグラム)から自分の制作への後押しを感じ取ったと説明されています。「兌(喜び)」という作品は、そういう経緯で制作Nebeldui2 された作品のようです。兌というのは八卦のひとつで図のような卦(ヘキサグラム)ということですが、そうすると、この作品が易と関係があるのか、私には分からず、この説明は余計なお世話ということになります。何か、インスパイアされるものがあった程度のものではないかと思います。この作品から蛇行する線のように図形の絡む要素が現れてきて、建築物を題材にしていたり、直線による幾何学的な図形を取り扱ってきたのが、曲線の要素が増えて柔らかく有機的な形態に変化し始める。そして、線にだんだんと太さがくわわり、その太さも一定でなく変化するように変わってきた。そういう変化が、この作品のころから生じている。また、展示の順番なのかもしれませんが、この作品の後になると、点描の使い方がさりげないものに変化していって、それに伴うように、画面が静かに、スタティックになって、以前のネーベルの画面にあった輪郭のメリハリが後退していくように見えます。
Nebelhappy  「幸福感」という作品です。これは洗練が行き過ぎたかもしれませんが、今までの作品にはなかった穏やかさがあります。その代わりに、突っかかり所のあまりない作品になってしまっていますが、親しみ易いというか、ふつうの家庭の居間に飾ってもお洒落な感じで、ほとんどインテリアとして違和感のないものになっている作品であると思います。この中では、背景の黄色い地のところに、碁盤目のように秩序だった細かな点描というより絵の具を点状に盛り上げた集合が、グルーピングされて、そのグループが間をおいて並べられているところです。それが画面には、小さな影を作っている。その並びが秩序感をつくりだしたり、場合によっては波打つような動きを感じさせたりしています。ちなみに、このような手法を点描のヴェールと言うのだそうで、“画面全体に規則的に散った小さな点は、まるで画面に一部半透明なフォルムや印が浮かんでいるかのように印象を与える”ものだそうです。これが、画面中央の黄色が濃くなっている部分の点描状の模様のある図形のベースを重層的に支えているように見える。一見、穏やかで軽そうに見えて、しっかりした土台がある。それが安定感を生んでいる、というところでしょうか。
Nebelkandyn2  参考として展示さていたカンディンスキーの「緑色の結合」のようなベタ塗りの図形のような抽象的な作品の平面的なノッペリした感じとは異質の画面をつくっていることが、明らかに分かるようになってきたのが、ここに展示されていたネーベルの作品です。

2018年5月 7日 (月)

オットー・ネーベル展(7)~6.「音楽的」作品 《Musical》 Works

Nebelkandyn  当時、抽象的な絵画を志向していた人たちが音楽の感じを絵画にしようとしていた、それにネーゲルも同じように音楽用語をタイトルにして、音楽の効果を目指すような作品を描いていたということです。ただ、ネーゲルの周囲にいた人たち、例えばカンディスキーが先輩にあたり、それに引っ張られてのことなのでしょうか、出来上がった作品を一見すると、カンディンスキー風という形容をしたくなります。何と言ってもカンディンスキーは道を拓いた先駆者であるわけですから、『芸術における精神的なもの』で、“音楽の音色は魂へと直接に通じる。人間は「自らの内に音楽を持っている」ので、音はそこで即座に反響を得るのだ”と1910年に言ってしまっているのですから。その後の人は、どうしたってカンディンスキーの拓いた道をついていくことになってしまう。会場には、そのカンディンスキーの作品も並んで展示されていました。例えば、カンディンスキーの「三つの星」という作品ですが、水色に塗られた地が、音楽でいえば基調とかベースといったことになるのか、そこに浮遊するように顕微鏡でみる微生物のような不思議なものが漂っている。直接、音楽をテーマとしているわけではありませんが、音楽を感じさせるところがある。ここで展示されているネーベルの音楽的作品の画面の構成と基本的に共通するところがある、というわけでしょう。この作品を、コピー、例えば展覧会カタログのような写真製版の画集や画像データをとりこんでデイプレイで見比べると、ネーベルの音楽的はカンディンスキーの作品の影に隠れてしまう。ネーベルの作品には、カンディンスキーの作品には強く感じられる即興性、自由気ままな感じ、そこから動きへの想像を掻き立てられて、の動きが音楽のリズムだったり、音楽を聴いたときに感じる空気感とか感じといった明確に視覚的なかたちにならないものが、ネーベルの作品からは、あまり感じられないのです。ネーベルの作品の不思議な形や、それが画面中に配置されているのは、空間的な構成を計算してデザインされて、いからもそれらしい形をなぞっているようにしか見えないのです。そこに即興性とか動きを想像することは難しい。その点でカンディンスキーの作品の方が圧倒的に音楽的なのです。
Nebelcon  しかし、です。会場でリアルに現物を見ると、それが逆転とまでは言えませんが、ネーベルの作品がカンディスキーとは別の独自の音楽を感じさせる作品になっているのです。「コン・テネレッツァ(優しく)」という作品です。ここに貼ってある画像は小さいので分からないでしょう。しかし、カンディンスキーの「三つの星」の背景が水色に彩色された地のようになっているのに対して、この作品では背景に同じように彩色されているがムラがあるにように見えるのではないでしょうか。現物を見れば一目瞭然なのですが、ぜひこの画像にリンクを貼ってあるので、そのリンクを追いかけて大きな画像を見てみてください。現物には敵いませんが、その特徴の一端くらいは分かると思います。ぜひ、画面に目を接近させて、画像のどこでもいいから一部に焦点を合わせて目を凝らしてみてください。例えば、背景は薄い紫で彩色されていますが、そのムラは模様のように規則的であることが分かります。その規則的になっているのは、模様のように大雑把に映っているのは、無数の細かなハッNebelblue3 チングが集まって模様のように見えているのです。そのハッチングというのも、紫のところの一部を見れば、濃い紫が波を打っている(ここでは、これ以上細かく見ることはできないので、便宜的に波というにとどめて置きます)上に、水色の丸い形(この丸の中にも細かく描かれているのでしょうが、これ以上は追跡しません)と少し薄いピンクが入った紫系統の棒状の形態が微妙に形や配置を変えながら、顕微鏡で細胞を見た時に細胞膜に囲まれた中をミトコンドリアやリゾームが浮遊しているように見えるのと似たような、動きを伴うように、それがルーペで見て漸く分かるほど細かく、びっしりと描きこまれているのです。それを画面全体で見ると、その細かいのが蠢いて、画面全体に動きを作り出している。だから、画面に不思議に形態が図案のようにありますが、その形態が細かく変動しているように、形態の境界が曖昧に見えてしまうのです。それは、喩えていえば、絶えず流動していて止まらない音楽の音の動きのようなのです。そして、このような音楽の動きというのは、カンディンスキーの「三つの星」からは感じられないものです。
Nebelpresure  「青い動き」という作品は、まさに青い色が動いているように見えてくるのです。背景の画像では青く彩色された部分の細長いハッチングの施されたところを、近寄ってルーペでも使って拡大してみると、ここでも凄いという言いようのない、細かい仕事をしているのが分かります。仮に、この細かいハッチングをひとつひとつ丁寧に、執拗に、絵筆をとって、絵の具を塗り分けて描いている姿を想像してみるとします。ひとつひとつの仕事は本当に細かい、何度も言うように病的なほどです。それが、このそれほど大きくはない画面と言っても、その描く数は途方もない数です。気の遠くなるような数を、いつ果てるともないような作業を飽くことなく、執拗に続けるすがた。猫背になって、キャンバスを舐めるように目を近づけて、細い絵筆に力を込めて描いている姿を想像すると、寒気がしてくるほど異様な姿ではないでしょうか。すくなくとも、芸術家という系術の神に遣える晴れがましいイメージではなくて、悪魔に心を売ってしまった憑かれた姿に近いものです。こんな人が、パウル・クレーと一緒にいてもいいのでしょうか。
Nebelanswear  「かなり楽しく」という作品をみると、背景のグレーに彩色されたところのハッチングを見ていると、そこから感じられる動きが「かなり楽しい」と想像できるようになっているのが分かります。
 つまり、ここで展示されている音楽的作品が、ネーベルの細かいハッチングが極限まで突き詰められて制作された作品群と言えるのではないでしょうか。この前の建築的作品もそうで、音楽と建築というのが性格が似ていて、ネーベルの病的といえるほど細かいハッチングは、その共通する性格に、うまくハマッたのではないかと思います。とくに音楽の方がよりハマッたのは言うまでもありません。それは、視覚的に現実の何かの対象、例えば、植物とか動物とか事物といったものを写すことで形態を作るものではないということです。その代わりに数学的なバランスを維持することを条件に、それぞれ独自の約束にのっとって形態が構築されていくものだということです。例えば、石積みの大聖堂は、重い石を積んでいって、天上のアーチやドームは石の重さのバランスをとりながら崩れないように石を積んで、あのような形になったものです。それは、細かいハッチングをひとつひとつ緻密に描いていくことで、ひとつひとつ描き足していくことで画面が出来上がっていくのと同じようなプロセスです。しかも、音楽の場合には建築での重力のような空間的制約Nebeldouble がないので、出来上がる形の自由度は高くなります。「叙情的な答え」という作品では、ハッチングを様々なパターンで多彩に展開していて、その部分によって異なる効果が同時に別々に画面に生まれている多様な世界を作り出しています。
 これらに比べると、展覧会チラシに引用されている「ドッピオ・モヴィメント(二倍の速さで)」という作品は、細部の突っ込みがイマイチで動きに欠ける作品で、他の音楽的作品に比べるともの足りなく感じた作品でした。

2018年5月 6日 (日)

オットー・ネーベル展(6)~5.千の眺めの町 ムサルターヤ Musartaya, the City of a Thousand Views

Nebelsuruta  ムサルターヤというのは架空の町だそうです。1937~38年にフィレンツェに滞在していた際に『千の眺め町ムサルターヤ』という約130点にわたる各種の作品によるシリーズを制作しました。ネーベルはフィレンツェなどイタリアの印象をベースに多くの人々の住む架空の世界を想像し、人物たちに名前や地位を加えることで物語がつくられるようにしました。しかし、物語としてのテクストをつくったわけではないようです。描かれている建築はビザンチン様式のようなオリエンタルな風情で、人物もそういう雰囲気です。その中からの展示です。
 「ムサルターヤの町ⅩⅢ:モザイク、スルタ王」という紙にテンペラで描いた作品です。見ればわかる通り、古代や中世のモザイクのようです。ネーベルはラヴェンナ滞在中に習得したと解説されています。筆を用いて、モザイクのように石ひとつひとつを画面に描いて、モザイク画としていた。この作品は、まさに、そういう作品です。モザイク画といい、オリエンタル風の人物とはいいますが、これはモザイクではないのです。だからというわけではありませんが、この作品を見ていると、点描画とはまた違って、視覚を微分されるような感じと、ちょっとした違和感に捉われるのです。点描というのは、印象派の画家たちが光を独自な方法で表現するとか、絵の具の色彩を鈍くさせないとかいうように表現方法のひとつであって、基本的に見えているものは同じです。しかし、この作品の場合には、その見えていることがバラされているような感じになってしまうのです。点描のように色のドットの集まりとしてではなくて、モザイクの粒という物質を描いているということからかも知れません。それよりも、そのモザイクを貼り付けている下地のセメントの部分、つなぎが明確な線となってはっきりと描かれていることにあるかもしれません。点描にはなかった各点の境目を直線ではっきりと表わされていると、その線に分割されていくように見えてくるのです。それゆえ、視線の焦点を、この線に合わせると、人物の横顔を描いた作品から、縦横の細かな四角形の幾何学的な配列になっていく気がするのです。実際のモザイクであれば、石やタイルという制約された素材を用いて図像を作っていくのであって、視線はその描かれた図像に導かれます。しかし、この作品では、石やタイルのような素材を用いているわけではなくて、紙にわざわざ石やタイルのようなものを描いて、その配列によって顔の図像をつくっているのです。だから、直接描いているのは石やタイルということになります。しかも、その石やタイルはひとつひとつが実在感のあるようなものとしては描かれていなくて、一種の記号のように同質的に描かれています。それゆえに、この作品での人物の横顔は、石やタイルの配列の変更によって全く別のものになり得るのです。だから、この作品で描かれている対象は石やタイルと言うこともできる。
 それは、これまで見てきた作品で、ネーゲルは、一見わかりやすそうな抽象的な画像に、実は細密なハッチングを執拗に描くということをやってきました。そこから、ここでは細密なハッチングに代わって、モザイクの石やタイルを見る者にもちゃんと見えるように描くことによって、作品が描いている対象が抽象的な内容とか人物とか建築物とかいった何か意味のあるとしての対象ではなくて、ひとつひとつのこまかな意味を構成する部分、この作品の場合には石だったりタイルであることを明確にした、と私には思えるのです。
 これは、こじ付けかもしれませんが、この同時代には原子物理学とか生物学の分野では細胞といったミクロの分野の探求が進んで、静物は微細な細胞の集積であるとか、世界とか物体といったものは原子という粒子の組合せによってこうせいされているとか。そういったことが、数学のような抽象的な純粋理論から物理学のような実体の伴う技術を派生させるものとして、現実化してきたのに歩調を合わせているように思えるのです。その際に、目の前にあって触ることのできる堅固な金属の筆記具が、幾種類かの原子が配列されて集まっていることに過ぎないということになると、その堅固さがかりそめのことにように感じられて、この世界が堅固に在るという常識が崩れてしまうような気がしてくる。そういう分解してしまう感じが、このネーゲルの作品からは感じ取れるのです。これは、私の妄想かもしれませんが。これは、クレーやカンディンスキーといった画家たちの作品には感じられないのです。
Nebellandscape  「ムサルターヤの町Ⅳ:景観B」という作品です。これまで、建築物や町の建築的景観を図面のような直線と曲線の幾何学模様のように描いていたのが、この作品では全体に歪んだ感じになっています。それは、オリエンタルの雰囲気ということもあるのでしょうが、モザイクともハッチングとも点描とも、いずれにせよ世界をつくっている原子のような粒子が画面の上で隠れていたのが、顕在化し、それによって全体としての画面が作られることが明らかになったということではないかと思います。つまり、町という対象を原子をレイアウトして描くというのではなく、原子のロジックでつくられた結果が町の風景となった。そこでは、もはや描かれた結果として町という、描かれた意味はどうでもいいことになる。それは具象だろうが、抽象だろうが、何か描かれた対象が全体として何らかの意味づけがされるという点では同じことです。ネーベル自身は、対象画とか非対称といっているようですが。ここでは、そういう考え方の実践の萌芽が見られるのではないでしょうか。

2018年5月 5日 (土)

オットー・ネーベル展(5)~4.イタリアの色彩 The Colours of Italy

Nebelatolus2  ネーベルは、1931年に3ヶ月間イタリアに滞在した折に、「イタリアのカラーアトラス」を制作したそうです。“この図鑑は以後の絵画制作に必要不可欠な基礎となるものだった。個々の図の対向頁に書き込まれた解説で、ネーベルはそれぞれの光景を眺めた際に湧き上がった主な感情を書き留めている。風景の中でその色彩が多く見られ、「響き」が際立っていればいるほど、色彩の幾何学的な形や四角は大きく描かれる。ネーベルは家々の壁の色、漁船。オリーブや松の森、山脈や海岸といった様々な事物も、その響きによって「肖像」として描いている。最終的には、ネーベルは個人的な視覚体験と一定の色彩とを対応させることによって「心理史学的な」カタログ化を目指し、これを尺度として以後の創作に必要な基礎を築いたのNebelatolus である。”と解説されています。まあ、そんなものかもしれません。展覧会のパンフレットの表紙にその部分が使われていることもあり、この展覧会の目玉のひとつということなのでしょうか、会場でも割合スペースをとって展示されていました。私には、色彩のこのノートへの塗りはベタ塗りで丁寧さがなく、これは単なるメモ程度にしかおもえませんでした。参考出展されていた「色彩の原型帳」の方が原色に近い鮮やかな色で、こちらの方が印象に残っています。いずれにしても、これらには、ネーベルの作品の病的に細かいものがなくて、作品の舞台裏程度にしか感じられません。それよりも、作品をもっと見たい。
Nebelsiena_2  それで「シエナⅢ」という作品を見てみましょう。「イタリアのカラーアトラス」を制作した経験を生かして、煉瓦の建築物の煉瓦色が全体を支配し、濃淡、赤錆色とオリーブ色のアクセントがリズムを与えられている、といいます。とはいっても「煉瓦の大聖堂」と色調は似ていて、建築のフォルムが幾何学図形のように線と面に解体させることが、いっそう進んで模様のようになっている、といった方がいいと思います。しかも、煉瓦の表面のザラザラした感じに似たようにハッチングを施している。そのことによって、ハッチングの方向がストライプのように見えて、その組合せが、色彩の変化以上に、画面に変化や動きを与えているように私には見えます。
Nebeltoskana  「トスカーナの町」は大聖堂の絵でいえば、「青い広間」に相当するように、「シエナⅢ」が赤系統であるのに対して、青系統です。一見しての印象ですが、ブラックの分析的キュビスムの作品に似ているようにも見えます。
 むしろ「地中海から(南国)」という作品で、点描であることをあからさまにして提示したことの方が、私には、ネーベルが二重性格の隠された姿を垣間見せた、しかも分かり易い形で、という点で魅力的に映りました。全体の印象は淡い色調で、必ずしも南国風ではない。この作品では、点描という名目で、細かい作業の細かさを少し細かくしないで、その効果が普通にわかる様にしていて、カンディンスキーもクレーもシャガールもやろうとしないことをやっていることを明らかにしています。しかし、それゆえにネーベルの作品の中では微温的と映る。それは、私がネーベルの病的なところに捉われているからなのですが。
Nebelsouth

2018年5月 4日 (金)

オットー・ネーベル展(4)~3.大聖堂とカテドラル Domes and Cathedrals

Nebelrenga  ネーベルは何十年にもわたり、教会の内部空間を描いた多くの絵画を制作し、画家自身も「大聖堂の絵」と呼んでいたといいます。前のコーナーの展示が建築的景観という、建築物を好んで描いた画家なので、特徴ある建築物として大聖堂を描くことには不思議はないということでしょうか。しかし、とはいっても、前のコーナーの作品と違って、ここでの「大聖堂の絵」は大聖堂の特徴ある外観ではなく、内部ばかり描いています。しかも、普通に考えられる大聖堂の内部空間の特徴として考えられる、高い天井や広い空間、薄暗い空間にステンドグラスを通して降り注ぐ光、石造りの押しつぶされるような重量感といった要素は、まったく作品にはありません。これで、いったい大聖堂を多数描いたのは、何を求めてなのか。
 「煉瓦の大聖堂」という作品です。柱の隙間の奥にステンドグラスが見えるというのをデザイン的に描いた作品と言えると思います。しかし、私にはそれが便宜的に思えてきます。何本もある柱は、単に画面での垂直の直線の帯で、そこに煉瓦が積まれたように思わせる直線による模様が入っている。その模様のバリエーションと、赤茶色。つまり煉瓦色のバリエーションを効果的にみせて、それだけでは単調になってしまうので、アーチ型の縦長の窓型で系統の異なる色を配してアクセントとした。こういうデザイン構成にするときに、大聖堂の内部という名目が、うまく当てはまった。実際に、そういう名目でデザインされたとして見ると、色遣いのセンスの良さもあって、垢抜けていてお洒落な感じがします。
Nebelhekigan  「高い壁龕」という作品は、同じようなデザインで色調を変えてみると、違った印象になる。そうなると、量産ができることになります。というと言いすぎですね。
 「青い広間」という作品です。色の感じは、前のコーナーで見た「建築的な青」とよく似ています。この作品の場合、上の二作品に比べると秩序だったパターンから外れています。むしろ、柱と見える縦の帯の間は複雑に入り組んでいます。空間として、どうなっているのか分からない。
 これらの作品を見ていると、前の「建築的景観」のコーナーで建築のフォルムが幾何学図形のように線と面に解体されていく、というように見ていましたが、それとはちょっと違うように思えてきました。フォルムというと形態、つまりかたちを純化していった、つまり抽象していったということになります。しかし、ここでの「大聖堂の絵」を見ていると、大聖堂の室内のフォルムを抽象していったとは思えない。むしろ、抽象的なデザインをある程度つくっていて、それが大聖堂の空間の感じに、うまく当てはまるようなので、それに寄せていって、このような画面になったように、私には見えます。大聖堂をデザイン的に描いたと聞けば、見る者は、何の疑問もなく、お洒落なセンスとでも思いながら作品を見るかもしれません。この作品が、見る者にとって、とても親しみ易くなるのは間違いありません。さらに、大聖堂の絵として見ることで、大聖堂というイメージには寄与しないものを見落としやすくなります。画家としては、見る者の目に対して隠蔽することができるわけです。隠蔽とまでは行かないまでも、それを前面に出すことを避けて、その実、それが生み出す効果を見る者に対して、効果だけを示すということが可能となる。そういう作品になっているのではないかと私には思えます。いわば、料理でいう隠し味のようなものです。そして、この隠し味こそがネーベルという画家の作品をつくっている基本要素であるように思えてきたのです。それは何かというと、細かなハッチングです。
Nebelblue2  「大聖堂の絵」は、どれも比較的大きなサイズの作品ですが、その画面の前面にわたって微細なハッチングが、それこそ病的にびっしりと埋め尽くされています。ササッと描いたような模様の模様部分と地の部分とを丁寧にパターン分けしてるわけです。ハッチングの線の交差だけではない、線を交差させて、その囲まれた部分を細かく塗りつぶしまた別のパターンとする、みたいな凝ったのも少なくない。あとレンガ模様みたいなものもあります。それらが動かしがたくガッチリキマっていて、それだけで堅牢な印象なのです。大聖堂という石造りの重厚な建築物を描いているから堅牢なのではなく、細かなハッチングの積み重ねが堅牢なのです。私は、このような大聖堂のような大きな建築物を対象とした作品を、サイズの大きなキャンバスに向かって、間近にルーペで見なければ分からないほど細かな作業を執拗に繰り返している、ネーベルの姿。キャンバスに張り付くように接近して、猫背になった身を屈めて、同じ姿勢をずっと続けて、指先を痙攣させるように細かく動くのを執拗に繰り返す。私は、そういう姿を想像してしまいます。その姿は、クレーやカンディンスキーでは想像すらできません。彼らであれば、キャンバスから距離を置いて全体を把握しようとする姿や考え込んでイメージを膨らません姿を想像するでしょうか。これは、単なる私の妄想で、実際に彼らが、どのように描いていたのかという実際とはかけ離れた想像であるかもしれません。しかし、私には、そう妄想させるところがあるのです。それぞれの作品に。しかし、彼らの作品は、よく似ていることは否定できません。ネーベル自身もそのことを、分かっていて、敢えてそうしていたのではないか、これは私の想像ですが(また、無根拠な想像をしています。それだけ、私は主観的に自分勝手な物語を捏造して絵を見ているのですが)、ネーベルという画家には表面的にはクレーやカンディンスキーに似てしまって、彼らの影の埋もれてしまうことがあっても、その実、細部では、彼らとは全く異なる彼独自の、ちょっと病的な世界を分かる人にだけ分かるように、わからない人には分からなくてもいいとして、秘かに続けていたのではないか。それは、時代と環境のなかで、体制から迫害されることから自身の生命と芸術を守るための策略でもあったかもしれませんが、何か二重性格のようなものが、ネーベルの作品にあるような気がします。それは、実際に作品を、作品の細部を目を凝らして見た印象から捏造した物語ではあります。

2018年5月 3日 (木)

オットー・ネーベル展(3)~2.建築的景観 Architectural Views

Nebelform_2  もともとネーベルは建築の専門家として出発した人だそうで、計算された秩序が構造として現れたものとして、建築を描く対象として好んだということは理解できます。“ある村や町の建築的な輪郭を、いくつもの手順を経て一筆ずつに解体し、ふんわりと描くような透明感に包み込んでいることがわかる。ペンによる「ハッチング」を重ねた層は、対象である建築物の重量感を打ち消し、風景に空気のような軽やかさを与えている。繊細な線の層によって、色彩の重なりは透明となり、建物は無重量化する。”と解説されています。
 「建築のフォルムと緑」という作品です。そのタイトルの通りに建築のフォルムが幾何学図形のように線と面に解体されています。建築の立体感とか存在感は平面化されて色彩を施された影のようです。でも、解説もそうなのですが、そういう見方をすると、バッと見でもそうなのですが、クレーがチュニジアで新たな色彩を見出したときに街の風景を描いた作Nebelkakeami 品なんかと変わらない印象になってしまのではないかと思います。むしろ、私には、この作品ではハッチングがあからさまになって、ネーベル自身が、その面白さ、自身の性向に気づき始めたころに、この作品の面白さがあるのではないかと思います。ハッチングというのは“ハッチングとは、絵画や製図について行われる描画法の一種で、複数の平行線を書き込むことである。ハッチングは元々「細かい平行線を引く」という意味の英語である。絵画技法としては、細かく(あるいは粗く)平行線を引き重ねていくことで、絵に重厚感を与えることができる技法として知られている。また、それぞれ異なる方向を向いて書かれたハッチングを重ねて線を交差させていく描画法は、特にクロスハッチングと呼ばれる。”まんがのカケアミという技法も、その一種かもしれません。ちなみに、このカケアミの技術においてはあすなひろしというマンガ家の原画をみると目眩がするほど細かい作業であることがわかります。それをネーベルを突き詰めようとした、その表われが建築的景観を対処とした作品にあると思います。その意味では、建築という対象は適したものではなかったかと思います。
Nebeltower_2  「プロイセンの塔」という作品は、そのハッチングが縞模様のように画面を彩る効果をあげていると思います。
 「聖母の月とともに」では、だんだんハッチングが細かくなってきて、その細かさが画面に目を近づけてよく見ないと気がつかないようなものになりつつあります。ここで印象派のスーラの点描を指摘するのは見当違いかもしれませんが、絵の具を混ぜて塗り分けるのでは表わせない微妙な色合いや透明感が、ここでは、見る者にはそれと気づかず見せているものになっていると思います。ただし、ネーベルは印象派の画家たちのように光を捉えようとして点描という技法を使ったのではなくて、微細なレベルでの秩序を積み重ねていった結果、そういうものができてしまったという気がします。そもそもヨーロッパの建築というのは石を積み上げてドームやアーチ、あるいは家型を形成させていったというところがあります。部分である石がまずあって、それを積み上げた結果として建物ができた。それはネーベルの作品にも似たようなことがいえる、とここで展示されている作品には当てはまってくるのではないかと思います。だから、ネーベルの建築的景観を扱った作品が、一見クレーに似ているのは、結果であって、もしかしたらNebelmoo 建築を平面化するアィディアはクレーに倣ったのかもしれませんが、その細部について目を凝らしてみれば、全く別物の作品であるわけです。別に似ていると誤解されても、それは見ている奴が、よく見ていないからだ、と言えるわけです。
 「建築的な青」という作品です。ここでは、細かなハッチングが建築の構造的な秩序と必然的なように結びついたという一方で、色という要素との結びついたときの効果が生まれていると、私には見えました。ネーベルが自覚して、意識的にそうしているかどうかは、私には分かりませんが。何を言っているのか、読んでいる人には、分かり難いかもしれません。独りよがりの言葉づかいになっていますが、この作品では、一部でグリーンの部分がある以外は、すべて青系統の色が使われています。その青が建築を平面にしたような幾何学図面のような画面で塗り分けられています。それだけであれば、モンドリアンの幾何学的な塗り分けたコンポジションと同じような作品ですが、これは全く違います。それは、色を平面的に塗っているのではなくて、細かいハッチングのよる色のポイントが敷き詰Nebelblue められているからです。そこに、たんに平面的に色を塗ったとはまったく異なる効果を作り出しているわけです。例えば、モンドリアンの場合には違う色の塗られた部分が対立するような緊張関係を作り出しますが、この作品では、違う色が隣り合っても、境界線が鮮明でなく、境界線のところでは互いに浸透し合うような親和的な感じがします。しかし、グラデーションのような境目がなくなってしまうのでもない、そこに独特の曖昧さが生まれています。しかも、色の塗られている部分が一様ではなくて、ハッチングされた図の部分と下地の地の部分があるわけです。それが、同じ色が塗られた部分で複数あっても、ハッチングの違いによって、見え方が異なってくる。その違いが独特の色の見え方をしています。それを整理して秩序の中で見せるには、建築的な秩序が都合がいいというわけです。このような、細かいハッチング、建築的な秩序、色の三要素が互いに結びついて、このような画面になった、そういう見え方がしました。それは、結果としてなのか、意図的に作られたのか、それは、この作品を見ている限りでは、何とも言えません。ただ、当初のシャガール、クレー、カンディンスキーといった人々に埋もれてしまいがちという印象から、ネーベルという画家に対する見方が変化してきたように思います。

2018年5月 2日 (水)

オットー・ネーベル展(2)~1.初期作品 Early Works

Nebelvillage  プロローグのオットー・ネーベル─「シュトゥルム」と「バウハウス」時代の芸術家はお勉強の時間、というのか埋め草のような展示なので通過しました。
 初期作品として展示されていたのは、主に1920年代の習作のような作品ということでしょうか。「山村」という作品。南ドイツ、バイエルンのコッヘルという山村に滞在していたときの作品ということです。水彩画ですが、水彩絵の具に特有の色の感じや、ぼかしやにじみなど効果のせいかもしれませんが、色彩のセンスは、ネーベルは天与の才能とNebelvillage2 して持っていたのが分かります。原色に近い鮮やかな色を使いながら、決してどぎつくならない、色と色とが対立するような緊張関係を作らないで、見ている者には刺激的になっていません。また、画面に天地の関係が分からない空間になっていたり、人や動物が画面に浮かんでいるように見えたりする画面構成は、まるでシャガールのようで、画面中央にはシャガールを想わせるような緑色の牛(馬?)が背景とは不釣合いの大きさで描かれています。山荘風景というよりは、幻想といった方がいいかもしれません。同時に展示されていたシャガールの「私と村」の左手に白く描かれている馬と「山村」の真ん中下の緑色の牛を比べて見ると、よく似ていると思います。また、パウル・クレーの「いにしえの庭に生い茂る」の庭に繁る草を上からなのかもしれないが、どの視点でみているか分からないのに、どこか秩序があるように落ち着いているのに、発想が似ているようにも見えます。
 シャガールの作品と似ている作品であれば「アスコーナ・ロンコ」の方が、もっと似ているかもしれません。この作品は、さらに、色のぼかしやグラデーションを施しているところなど、カンディンスキーのムルナウ時代の抽象に足を踏み出そうとしていた時期の作品にも似ていると思います。これらの作品を見ていると、ネーベルが新し
Nebelascona_2 い芸術を作っていこうとする仲間に恵まれて、彼らから刺激や影響を受けていたことが想像できます。おそらく、ネーベルという人は“いい奴”だったのではないかと想像できます。ただし、この“いい奴”というのが曲者で、それは必ずしもすばらしい作品を制作する人とは結びつかないからです。これらの作品を見ていると、シャガール、クレー、カンディンスキーといった人々に埋もれてしまっている感が否定できません。ネーベルの突出したところがなくて、これらの作品で三人の画家の要素がないところがネーベルという、いわばシャガールでも、クレーでも、カンディンスキーでもないという否定からでしか語ることができない、しかも、そういうところがなかなか見つけにくい。そういう性格は、ネーベルという画家の作品に終生ついてまわったのではないかと思われます。それは、私が作品を見るかぎりでの想像でしかありませんが。
 「二枚のパレット」という作品です。私は、この作品にネーベルらしさが生まれてきたというように感じました。パレットや画材を類型化し図案化したような作品です。他の画家たちが物体の外形を写すことから自分が認識するという方向で事物の外形から脱皮していこうとしているときに、あえて外形を取り出して図案Nebelpalet のようにするという、どちらかというと後ろ向きとも捉えられかねないものを描いている。そこに、周囲の画家たちが内面の目とか抽象といったことにむけて突出していこうというのを見ていながら、そこで振り回されることなく自身を保っているネーベルという人の姿が見える気がしました。しかし、私が、この作品に彼らしさが現れてきているのではないかと感じたのは、そういう点だけではなく、むしろ画像では分かり難いのですが、画面の表面、絵の具の塗り方とか筆の使い方です。この作品の表面が平らではなくて凹凸になっています。べつに絵画の表面が絵の具で凹凸があるのは珍しいことではなくマチエールという物質感をだして絵の具を盛っている作品も少なくありません。しかし、この作品はそういうのではなくて、例えば四角いパレットはタテの方向に絵の具の塗り跡が凸凹になっています。それは、まるで木目のようでもあり、模様のようでもあります。そのパレットの左側は木彫の浮き彫りの跡のような凸凹になっています。これは、展覧会場で照明が当たると、絵の具が光ったり、その影ができたりと、微妙な陰影が生まれるので、実物をみるとよく分かります。それによって画面に変化が生じてくるわけです。これは、あきらかに、ネーベルが絵の具を塗るときに意図的にやったことです。そして、この凸凹が細部に変化をつくっていくネーベルの特徴につながっていくように、私には思えました。それが、私の目に映ったネーベルの突出したところです。
Nebelrefuz  「避難民」という作品は、ネーベルが自身の特徴を自覚しつつ、その方向で試行を始めた作品ではないかと思います。ここでは細かな点描が試みられています。避難民の人間の外形は図案のようですが、その細かな点描は様々な色が並んで配列されています。ここに、ネーゲルのミクロコスモスとも言うべき、こまかな、目を凝らしてみると、そこにはミクロの秩序がある、それが、このあとどんどん細かく精緻になっていきます。この作品のとなりクレーの「腰かける子ども」が並べられていましたが、人間の外形は似ていますが、これらを比べると明らかに違うタイプの絵画になってきていることが分かります。「クレーの場合、具象的なイメージを持って描き始めたのではなく、線や色彩から入り、あるタイミングで具象的なイメージと結像するのであって、『はじめにイメージありき』では決してない。」と言われるようですが、ネーベルの作品は明らかに描く前から画面構成は設計されているからです。そうでなければ、細かい点描とすることはできません。

2018年5月 1日 (火)

オットー・ネーベル展(1)

2017年11月4日(土)Bunkamuraザ・ミュージアム
Nebelpos  ちょうど母校の学園祭のこの日、大学のサークルのOBで集まって旧交を温めようと、午後にキャンパスで待ち合わせ。折角都心に出るのなら、と早めに家を出た。昼前の渋谷は休日でもあるのか人手が多い。いつものことだが、Bunkamuraザ・ミュージアムへは電車を降りてから建物に入るまでの間が、まったく雰囲気もへったくれもなく、ただ人ごみを我慢しながら早足で駆け抜けるのが好きになれない。美術館に入ると、休日の昼前という時間ゆえか、もともと知名度がそれほど高くない画家の展覧会であるがゆえか、作品の前で順番待ちをすることもなく、かといって閑散としているというのでもない、落ち着いて作品を見るのにちょうどいいほどの静けさと緊張感のある雰囲気。わたしも、この画家については、その名前を聞いたこともありませんでした。折角都心に出るのだからついでにどこか寄り道しようと、美術館でもと物色していたら、この宣伝パンフレットの画像とシャガール、カンディンスキー、クレーと一緒に活動していたというので興味をもったのでした。
 この画家の簡単な紹介とこの回顧展などついて主催者あいさつから引用します。“主にスイスで活躍したドイツ出身の画家オットー・ネーベル(1892年~1973年)は、1920年半ばにワイマールに滞在し、バウハウスでワシリー・カンディンスキーやパウル・クレーと出会い、長きにわたる友情を育みました。特に、その後半生を過ごしたスイスのベルンでは、共にドイツから移住した晩年のクレーを支え、家族ぐるみの交流を持っています。ベルンのオットー・ネーベル財団の全面的な協力を得て開催される日本初の回顧展となる本展は、バウハウス開校100周年(2019年)を前に、若い日のバウハウス体験に始まり、素材やマティエールを追求し続けた画家ネーベルの知られざる画業を、風景を色彩で表現した『イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)』を始めとするスケッチブックとともに紹介します。さらには、建築、演劇、音楽、抽象、近東など彼が手がけたテーマに沿って、クレーやカンディンスキー、シャガールなど同時代の画家たちの作品も併せてご紹介することで、色と形の冒険家たちの一人として、ネーベルが様々な画風を実験的に取り入れながら独自の様式を確立していく過程に迫ります。”また、この回顧展に協力したというオットー・ネーベル財団からのメッセージではネーベルを次のように紹介しています。“1892年にベルリンで生まれたネーベルは、画家であると同時に詩人でもありました。彼は、言語と造形芸術が交わる領域での実験を可能にするふたつの天分を備えていたということになります。若い時分における建築技術者としての修業経験は彼の作品の多くに反映されており、われわれはネーベルにおける色彩と形の体系的な分析を、『イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)』や、記号とルーン文字を用いた抽象的な作品を通して知ることができるのです。”この紹介では、具体的なことが何も語られておらず、というよりは言えないといった方が適当かもしれません。この紹介でも名前が出てくるカンディンスキーやクレーのように美術ファンが見れば、ひと目でそれと識別できるような突出したものを具体的に指摘できるような画家ではないということです。その代わりに、かれらと親しく付き合ったという人柄とか、そういうものを紹介せざるを得ないというタイプ。芸術運動の中にいながら、スターの影に隠れて埋没している、人柄はよくて、それなりに運動を進める力はあるけれど、運動に貢献するところで、そこからの果実はスターに持っていかれてしまう、そういうタイプを紹介するさいには、このような紹介の仕方になってしまうのでしょう。この回顧展の主催者でも、シャガール、カンディンスキー、クレーといった人たちの作品をもってきて、ネーゲルとの付き合いとか時代の雰囲気といって並べて展示していたのは、ネーゲルの作品のみの展示では場が保たないと感じたからではないかと思います。私の言い方は意地悪でしょうが、実際の作品を見ていくうちに、そういうネーゲルの苦労と、結構いけるのではないかという発見もありました。実際、展示に見入って、予定していた時間に美術館を出ることができなくなって、集まりに遅刻してしまうことになってしまいました。それは、これから見ていきたいと思います。
プロローグ:オットー・ネーベル─「シュトゥルム」と「バウハウス」時代の芸術家
1.初期作品 Early Works
2.建築的景観 Architectural Views
3.大聖堂とカテドラル Domes and Cathedrals
4.イタリアの色彩 The Colours of Italy
5.千の眺めの町 ムサルターヤ Musartaya, the City of a Thousand Views
6.「音楽的」作品 《Musical》 Works
7.抽象/非対象 Abstract/ Non-objective Paining
8.ルーン文字の言葉と絵画 Runes in Poetry and Image
9.近東シリーズ The Near East Series
10.演劇と仮面 Acting and Masks
11.リノカットとコラージュ─ネーベルの技法の多様性 Linocuts and Collages-Otto Nebel’s Technical Diversity

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