オットー・ネーベル展(6)~5.千の眺めの町 ムサルターヤ Musartaya, the City of a Thousand Views

「ムサルターヤの町ⅩⅢ:モザイク、スルタ王」という紙にテンペラで描いた作品です。見ればわかる通り、古代や中世のモザイクのようです。ネーベルはラヴェンナ滞在中に習得したと解説されています。筆を用いて、モザイクのように石ひとつひとつを画面に描いて、モザイク画としていた。この作品は、まさに、そういう作品です。モザイク画といい、オリエンタル風の人物とはいいますが、これはモザイクではないのです。だからというわけではありませんが、この作品を見ていると、点描画とはまた違って、視覚を微分されるような感じと、ちょっとした違和感に捉われるのです。点描というのは、印象派の画家たちが光を独自な方法で表現するとか、絵の具の色彩を鈍くさせないとかいうように表現方法のひとつであって、基本的に見えているものは同じです。しかし、この作品の場合には、その見えていることがバラされているような感じになってしまうのです。点描のように色のドットの集まりとしてではなくて、モザイクの粒という物質を描いているということからかも知れません。それよりも、そのモザイクを貼り付けている下地のセメントの部分、つなぎが明確な線となってはっきりと描かれていることにあるかもしれません。点描にはなかった各点の境目を直線ではっきりと表わされていると、その線に分割されていくように見えてくるのです。それゆえ、視線の焦点を、この線に合わせると、人物の横顔を描いた作品から、縦横の細かな四角形の幾何学的な配列になっていく気がするのです。実際のモザイクであれば、石やタイルという制約された素材を用いて図像を作っていくのであって、視線はその描かれた図像に導かれます。しかし、この作品では、石やタイルのような素材を用いているわけではなくて、紙にわざわざ石やタイルのようなものを描いて、その配列によって顔の図像をつくっているのです。だから、直接描いているのは石やタイルということになります。しかも、その石やタイルはひとつひとつが実在感のあるようなものとしては描かれていなくて、一種の記号のように同質的に描かれています。それゆえに、この作品での人物の横顔は、石やタイルの配列の変更によって全く別のものになり得るのです。だから、この作品で描かれている対象は石やタイルと言うこともできる。
それは、これまで見てきた作品で、ネーゲルは、一見わかりやすそうな抽象的な画像に、実は細密なハッチングを執拗に描くということをやってきました。そこから、ここでは細密なハッチングに代わって、モザイクの石やタイルを見る者にもちゃんと見えるように描くことによって、作品が描いている対象が抽象的な内容とか人物とか建築物とかいった何か意味のあるとしての対象ではなくて、ひとつひとつのこまかな意味を構成する部分、この作品の場合には石だったりタイルであることを明確にした、と私には思えるのです。
これは、こじ付けかもしれませんが、この同時代には原子物理学とか生物学の分野では細胞といったミクロの分野の探求が進んで、静物は微細な細胞の集積であるとか、世界とか物体といったものは原子という粒子の組合せによってこうせいされているとか。そういったことが、数学のような抽象的な純粋理論から物理学のような実体の伴う技術を派生させるものとして、現実化してきたのに歩調を合わせているように思えるのです。その際に、目の前にあって触ることのできる堅固な金属の筆記具が、幾種類かの原子が配列されて集まっていることに過ぎないということになると、その堅固さがかりそめのことにように感じられて、この世界が堅固に在るという常識が崩れてしまうような気がしてくる。そういう分解してしまう感じが、このネーゲルの作品からは感じ取れるのです。これは、私の妄想かもしれませんが。これは、クレーやカンディンスキーといった画家たちの作品には感じられないのです。

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