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2018年5月11日 (金)

古田亮「日本画とは何だったのか 近代日本画史論」

 明治維新の時点で「日本」という実体はなかった。例えば「日本語」という統一的なものは存在せず、そういう意識なかった。あったのは地域のローカルな言葉のみで、上級武士、つまり江戸の留守居役たちが情報交換や意思疎通をするために作られたことば、あるいは吉原という遊郭でどの地方からのものも客を受け入れるための廓言葉という人工言語、あるいは軍隊では長州の奇兵隊がベースになっていたため長州弁を(~であります)軍隊言葉としたとか、あった。それを、対欧米だけでなく植民地支配の必要性もあって「国語」をつくっていったのが、1900年頃。
 日本画も同じようなもので、もともと日本画はなかった。それは、ヨーロッパから芸術としての絵画が入って来て、それに対して、日本にはそういうものがないのか、ということに対抗して考えられたもの。そこには明治国家のアイデンティティと、明治初期の美術工芸品の輸出により外貨獲得を目論むために世界標準に適合させようとすることから、日露戦争後は欧米と芸術でも対等であるいう国威発揚と国民国家の確立を目論む、そのために日本オリジナルで世界標準のレベルとして日本画を人為的に確立していった。その端緒の思想をつくったのが岡倉天心とフェロノサといった人々で、フェロノサの好みによって、その日本画から浮世絵は工芸であるとして排除され、若冲や暁斎のような個性的な画家も外されてしまったという。
 幕末の日本にイギリスから駐日総領事として赴任したオールコックは日本には絵画は存在しないとして次のように言う。“<絵のような美しさ>を描こうとする傾向が顕著であるがために、かえって<絵そのもの>に至ることがほとんどない。つまり日本人は絵画を生み出すことがないのだ。”流行していた北斎や広重の浮世絵版画や掛軸も絵巻も屏風も絵画には当たらない、それは工芸品とかデザインを中心とした装飾品として受け容れられた。万国博に出品された日本画は油絵と並べられると誰が見ても見劣りがした。色の鮮やかさ、重厚さという入り口で全然違った。額装と掛軸という展示方法を比べただけで違ったという。
そこで、日本画の額装を試してみると絵が額に負けてしまう。そこで、額に負けない絵として見つかったのが、尾形光琳などの琳派の絵で、日本の絵では珍しい原色に近い鮮やかな色を厚くベタ塗りして隙間がないものだった。しかし、それ以外の日本の絵がそうでなかったのは理由があった。日本の家屋には重厚で広い壁がない。額装され分厚く絵具で彩色された重厚な絵画を掛ける場所がない。かりにあったとしても絵画の主張が強すぎて浮いてしまう。日本の家屋に釣り合うのは狭い床の間の一部のように当てはまってしまう家具のような掛軸だった。つまり、絵画というのは欧米の独特な住空間だからこそ生まれた産物であった。これに対して近代の日本は住空間も激変し、それに旧来の絵(掛軸や襖絵など)は適合できなくなった。そこで新たな住空間に適合する絵が模索された。それが近代の日本画という考え方もある。しかし、戦後の団地に典型的な住空間は絵を飾る余裕が失われていき、日本画が生きる場をなくしてしまうことになっていった。
 著者はそういう意味で、植民地でうまれたクレオールという概念が日本画の性格に当てはまるという。音楽でいうとジャズがそういう性格のもので西欧のクラシック音楽と黒人音楽がまざって、それらとはまったく違った独自のものができた。日本画も、同じように狩野派や土佐派のようなやまと絵とは違う、浮世絵でもない、文人画でもない、しかし西洋の絵画とも違う独自なものをつくってしまった。しかし、ジャズが今、かつての巨人たちが亡くなって形骸化していったのと同じように、日本画も体現していた画家たちが故人となって滅んでしまった。今あるのは、パロディか新しいアートだという。
 それは、日本画だけでなく、音楽でも演劇でも文学でも当てはまる、芸術であれば欧米には普遍的な価値があって、常にそこに立ち帰るものとして古典というものがある(ギリシャ・ローマがそう。その古典を復興するというのがルネサンスだった)。しかし、日本にはそういうものがない。だから、日本画で、たかだか100年前の横山大観が古典として扱われてしまうことがあり得るということだ。本質的には、それだけバラバラであるというのが、しいて言えば、この国の文化の特徴と言えるかもしれない。
 これらを総括して著者は次のように言う。“個物は種を否定するのでなければならない。個物は自由でなければならない。併し又種を離れて個物はない、種を否定することは個物自身の死である。故に種は個物の種、個物は種の個物として、矛盾的自己同一として種的生命と云ふものがあるのである。多と一との矛盾的自己同一として、作られたものから作るものへと、形が形自身を限定すると云ふことができる。種とは自己自身を形成する形である。そこに作ることであり、生まれることが死することである。” という西田幾多郎の「矛盾的自己同一」。これを『日本画とは何だっのか』の著者は日本画に置き換える。すなわち、“画家は日本画を否定するものでなければならない。画家は自由でなければならない。しかしまた日本画を離れて画家はない、日本画を否定することは画家自身の死である。故に日本画は画家あっての日本画、画家は日本画あっての画家として、矛盾的自己同一として日本画的生命というものがあるのである。多と一との矛盾的自己同一として、作られたものから作るものへと、形が形自身を限定すると言うことができる。日本画とは自己自身を形成する形である。そこに作ることが作られることであり、生まれることが死することである。”これはサラリーマンと会社とのありかたにも通じるのではないかと思う。

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