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2018年5月19日 (土)

駒井哲郎─夢の散策者(1)

2017年10月1日(日)埼玉県立近代美術館
Komaipos  埼玉県立近代美術館は私好みの企画をするのだけれど、いかんせん北浦和という場所もあって、なかなか行くことができなかった。駒井哲郎は、好きな作家なので見たいと思っていて、たまたま午後に人と会う約束をしたので、その外出のついでに無理をして出かけてみた。時間の制約もあって、駆け足で見ることになったのは残念だけれど、久しぶりに「束の間の幻影」などの作品を見ることができた。それだけでも、満足だった。
 さて、駒井哲郎については、私は作品を見たことはあっても、どのような人かは知らないので、主催者のあいさつを引用します。“東京の日本橋に生まれ、少年の頃から西洋の銅版画に魅了された駒井哲郎(1920~1976)。1950年代初めに清新な作風で一世を風靡し、戦後日本における銅版画の先駆者として、技法と表現の可能性を探求し続けました。「夢こそ現実であればよい」という願望を抱いていた駒井は、まるで夢と現実の狭間を散策するかのように、瞼の裏に浮かぶ夢や幻想を、繊細な感性で現実の版に刻んでいきます。また文学にも造詣が深く、詩人との協同作業により取り組んだ詩画集では、言葉との格闘を経て生まれたイメージが展開されています。深い思索と自由な精神で、夢と現実が交錯する私的な世界を描き出した駒井の作品は、没後40年を経た今日もなお、観る人の心を静かに揺さぶります。”
 おそらく、のあいさつに書かれているのが、業界での評価ということなのでしょうか。ちょうど、私が展示室にいたときに、おばさんのグループがいて、けっこう賑やかだったのですが、どうやら版画のサークルのような集まりで見に来たみたいで、口々に技巧が凄いとか、その多彩さとか、意外なところで使っているセンスだとか、難しいことをやっていることだとかに感嘆の声を洩らしていました。おそらく、卓越した技巧家として映っていたのだろうと思います。
Komaiillusion  一般的に、美術館にでかけない人々にとっては、日本の版画というと江戸時代の浮世絵とか、近代では棟方志功といった木版画をまず思い出すのではないでしょうか。後は、年賀状を芋版や木版画で摺ったとか、そういったものが一般的ではないかと思います。私も、以前はそうでした。そんなときに駒井哲郎の「束の間の幻影」を見て、これが版画かと驚いたものでした。「束の間の幻影」は展覧会パンフレットでも使われている、彼の初期の代表作ということになっています。“モノクロのトーンの中に、街のような建築物と、空に浮くバルーンのような幾何学体。ふと眼を逸らすと、その姿は消え、あるいは新しい形態が生まれるかもしれない、静止と生成を孕んだ不思議な温度を感じる作品。”という人もいます。 詩人の大岡信は、この作品に対してではないですが“それらは甘美な薄明の世界に浮かんでいる。それらが生きているのは暗がりの世界だが、その暗がりそのものはひどく澄んでいる。その静かな海底の世界で、たとえばひとつの目玉がうつけたような凝視の眼差しを開く。その目玉の中心には、真円い小さな顔が真円い二つの眼を茫然とみひらいていて、しかもその鼻と口の部分には、もうひとつのさらに小さな真円い顔が表情を失った眼でじっと正面を見つめている。この三重の構造をもった怪物の眼。駒井哲郎は、眼を大きくひらいたままで夢の世界に入ろうとする。眼を開いたまま見る夢とは、必ずや外的視覚と内的思考の精妙でエロティックな合体であろう。それは既に、画家の思考内容そのものにほかならない。駒井氏が銅版画家として独自の道を歩みつづけてきた理由は、おそらくこうした点にある。ぼくらは銅版のなめらかな面に彫り刻まれた形態のむこう側に、画家の思考の量塊を感じとる。それがぼくらに伝えてくるのは、今日の絵画がほとんど意識的に切り捨てようとしているあの深さの感覚である。これらの、わずか20センチ四方程度の画面が、どんな奥行きの深い夢の海を内臓していることか。”ということを書いています。私は、必ずしも、ここで引用したよう人たちと同じことを感じているわけではありませんが、「束の間の幻影」などの駒井の作品が、そういう感じ方をさせるものであることは、分かる気がします。白と黒とその間の諧調だけの世界で、何段階も黒の濃淡を重ねていくわけでもなく、構図とかデザインによって黒の諧調を印象付け、この作品では全体としての薄明のようなのに、黒の濃さが深みのような印象を別の面で感じさせる。太陽の光の届かない深海の海底に不思議なものがプカプカ浮かんでいる。それをなぜか自分が見ている。自分がそこにいるのかどうのか、といったような感想は、夢ということを想ってしまうことに結びつく。この展覧会のサブタイトルが“夢の散策者”というのにこじつけてしまったようです。具体的な作品を見ていきたいと思います。

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