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2018年5月10日 (木)

オットー・ネーベル展(10)~9.近東シリーズ The Near East Series

Nebelistan  ネーベルは70歳のときに近東への船旅にでかけ、ブルサという町のあるオスマン帝国の大モスク、ウル・ジャーミーの装飾を見て「ここで、アラビアの巨大なルーン文字が、私の絵画にアーメン、然りと歌う壮麗な鐘の音のように鳴り響いた。ブルサ、私の非対象絵画への最大の証。シャルトルが私の大聖堂の絵の証となったのと同じように」と日記に書いたといいます。その旅から帰国後、ネーベルは次々と大規模な作品を制作したそうです。 “ほぼどれも灰色か黒の高級紙に描かれた記号は、いわば鮮やかなルーン文字の祝祭であり、アラビア文字やキリル文字を思わせる。ネーベルにとって、これらはルーン文字による視覚化された物語であり、自分の文学と密接な関係にあるものだった。”とせつめいされていた近東シリーズです。
 「イスタンブールⅣ」という作品です。前のコーナーのルーン文字の作品に比べると単純に文字数が増えた。その分シンプルさが減退して、細部の細かさより全体のデザインに目が行くようになってしまったという印象です。解説のように評価できるかは分かりませんが、私には、それまでのネーベルの作品にあった病的な面、つまり部屋に閉じこもった画家が猫背になって、画面に目を接触させるほど近よって、手の震えを我慢しながら、細かな作業を執拗に続ける画家のイメージが、ここからは感じられないものでした。
Nebelmikonos  「ミコノスⅠ」という作品です。この作品の中心は画面上部真ん中の三日月で、その黄色がすべてです。私が見るには。私にとって、この作品において、細部ではなく、三日月に目が行ってしまうということは、それだけ相対的に細部に視線を惹いてやまない何かが、以前の作品にはあったのに、この作品では、そうでなくなった証ではないかと思います。
 なお、この後の「10.演劇と仮面 Acting and Masks」と「11.リノカットとコラージュ─ネーベルの技法の多様性 Linocuts and Collages-Otto Nebel’s Technical Diversity」の展示は、はっきりいって会場の穴埋め、おまけ程度にしか思えないので、そんなものだったということをひと言申し添えておきます。

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