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2018年6月14日 (木)

生賴範義展(2)

Ohraigozira_2  映画「ゴジラ」のシリーズのポスターですが、構図はスターウォーズと同じで、重なって見えます。ゴジラを描くときも、その皮膚の凸凹になっている丸い瘤のようなものを強調して描くようにして、他の部分はサラッと流すように描いて、ゴジラのゴツゴツしたところを細密に描き込んでいるように見せている。その瘤の部分は、けっこう粗いタッチで筆触が分かるくらいなのですが、印刷されたときの像の精度では細密に描かれているように映ってしまうことを計算していると考えられます。しかし、その粗さが、むしろ国会議事堂を焼Ohraigozira2_2 く尽くす灼熱の感じとか、ゴジラの力感を生み出している。そういうところが、単に精密に描写している以上の画面にしていると思います。生賴という人は、そういうパターンを見つけ出して、それを自家薬篭中のものとして、そこにスターウォーズやらゴジラやらといったものを当てはめて、それらが作品として成り立った。そういう画家だったように思います。すくなくとも、この展示を見ていて、そう思いました。そして、おそらく生賴の作品の魅力のベースは、このパターンにあるのではないかと思われてくるのです。
Ohraiself_2  ゴジラの瘤は、生賴の描く人物にも同じようなことが言えます。生賴の「自画像」をみると、顔の筋肉が目立って隆起していて、まるで瘤のように強調されて描かれています。生賴の描く男性の顔は、ほとんどがこのような描き方で、それによって顔の特長が際立ってくるのと同時に、表情があるように見えてきます。しかも、男性の場合には、多少マッチョに見栄えするような見え方をしてくるようになっていると思います。
 Ohraidelilah_2 一方、女性を描く場合には、SFアドベンチャーという雑誌の表紙イラストに典型ですが、乳房といったパーツを強調して女性らしさの記号のあつまりのようなパターンを着せ替え人形のようなバリエーションで描いていたみたいです。おそらく、映画ポスターやメカ物の場合と違って対象が特定されて、描くものが縛られることが少ないので、ここに生賴の志向するところが端的にあらわれていると思うのですが、この人は正確さとか、写実といったことよりも、説得力、つまり見る人が、そうだと受け取ることができる、ということを主眼としていたということです。ここで描かれている女性たちは架空の神話やファンタジーでの存在ですが、当時の男性の願望する女性のステロタイプに添うものを描いていて、リアルな女性からはかけ離れていた。しかし、実は生賴の描く男性も、よく言えば理想化されたもので、たとえモデルがあった肖像画でも、実際にモデルを忠実に写した正確性を追求したものではなかったと思わせるのが、この一連の女性像に端的に表われていると思います。生賴の技量ゆえに巧みにファンタジーのキャラのようにまとめられていますが、いわゆるエロマンガの記号的な女性像あるいは少年マンガのエッチキャラと共通性があると思います。
Ohraiyamato_2  そして、おそらく、生賴の作品でも支持が多いだろうと思われる、メカ、例えば宇宙船、あるいは第二次世界大戦の軍艦や航空機といった兵器等の描写について、ちゃんと調べて描いているだろうけれど、おそらく、いわゆるオタク系のファンが多いらしいので、この人たちが注目する細部について、知識のない人は見逃してしまうところを詳細に描きこんでいたりしているところが受けている理由のひとつでしょう。その一方で、パース、全体のプロポーションが、「あれっ?」と思うところがあったり、一部の細部を強調しすぎて、バランスがとれなくなっていたり、と思われる点もあると思います。例えば、この戦艦大和を描いた作品では艦の舳先とブリッジの向きが食い違っているように見えます。それは、女性像で乳房を強調して、わざとらしく露出させるのと同じことだろうと思います。そういう、見る者の願望に添って作品をまとめているところ、とくに生賴の描く兵器は重量感やマッチョ的な性格が強調されていると思います。ジャンルは違いますが松本零二の描く兵器の繊細さは、生賴の作品には感じられません。メカの虚飾を極限まで切り捨てたスッキリしたプロポーションというよりは、ゴツゴツした武器の塊のような描き方をするのが生賴の特徴ではないかと思います。ディテール強調というところがあると思います。その結果、ゴテゴテした感じになっている。しかも、戦闘の場面を描くのではなくて、兵器を人物キャラに模して画面を構成している。ゴジラのポスターのゴジラのところに兵器を置いたという画面になっています。
Ohraibigwave_2  とりとめもなく書いてきましたが、会場で作品を感心しながら眺めている人がほとんどなので、個々の作品は興味深いし、それはそれでいい展示だったと思います。生賴範義という人は、そのようにしてファンから愛されるのだな、とは思いました。しかし、私のような人間は、生賴範義の表現者として(というような言い方は大仰ですが)、このような描き方をするようになったのは、もちろん注文主からの求めに応えているのでしょうが、その応え方というのか、ここで散発的にのべたことについて、その根っこを僅かでも垣間見たかった。それができなかったのが残念でした。

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