ルドン─秘密の花園(1)
2018年2月 三菱一号館美術館

さて、ルドンという画家については、私にはなかなかどのような作品傾向なのかというかということについて、まとまったイメージを持てないでいる。そこそこ情報や知識はあると思うのだけれど、この人の作品は端的にこういうものだと言い表せないでいます。それで、主催者のあいさつを一部引用します。
“オディロン・ルドン(1840-1916年)は、印象派の画家たちと同世代でありながら、幻想的な内面世界に目を向け、その特異な画業は、今も世界中の人の心を魅了して止みません。なかでも本展は植物に焦点をあてた、前例のない展覧会となります。本展の大きな見どころは、フランス・ブルゴーニュ地方に居を構えた美術愛好家のドムシー男爵が、ルドンに注文した城館の食堂の装飾画です。完成後、装飾画はドムシー城に秘蔵され、当館所蔵の《グラン・ブーケ(大きな花束)》を除く15点は食堂の壁から取り外され1980年には日本でも公開されましたが、1988年にフランスの“相続税の美術品による物納”制度により国家所有に帰し、現在はオルセー美術館の所蔵となっています。残された《グラン・ブーケ》は制作後110年目の2011年3月、パリで開催されたルドン展にて初公開され、今日まで当館の所蔵品として幾度か公開してきましたが、本展では、オルセー美術館所蔵の15点と合わせてドムシー城の食堂を飾ったルドンの装飾画が一堂に会す日本初の機会となります。”
ということで、何のかんのともっともらしいことが並んでいますが、この美術館で所蔵している「グラン・ブーケ」というのが凄いのだと、苦労して取得したのだから、利用しない手はない、それで周辺の作品を持ってきて集客しようということが、下心見え見えという、それに易々とのった私も愚かだね、という展覧会。私は口が悪いので、揶揄的な言い方になりましたが、ルドンという画家はどのような作品を、どのように制作していった、つまり、彼が何をどのように見ていったのが、というイメージが固めることができず、何か素人くさいとか下手というのが目立ってしまったという感想です。ちなみに下手というのは、学校で教えるような技能、例えば、遠近法の構図とか、デッサンといったようなことではなくて、画家自身が何をどう見ているのかということを自身で認識して、それを他者である絵を見る者に対して、それに適した仕方で伝えるということです。例えば、まるで写真のように写実的に対象を写した迫真の絵画でも下手な場合も当然あるわけです。写実絵画といってデパートで展示即売しているような作品に、そういうのを見受けます。素人くさいというのは、そういう下手さがあっても、結果的に伝わっている、つまり結果オーライであるような作品が時折並んでいたということです。それでは、作品を見ていきたいと思います。
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