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2018年6月 2日 (土)

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(3)~2.守一を探す守一:1920-50年代(1)

Kumagaiplant_2  このコーナーで展示されている作品を見ると、前の「闇の守一」のコーナーでは光と影の対比で影ばかりだったり、色に注目して点描みたいな色を分けて塗ることだったり、といったことが目についたのでしたが、ここではまず、荒々しい筆のタッチが画面に、そのまま残されている描法が目につくようになります。
 例えば「松」という作品は、まるで絵筆で描きなぐっているだけのような作品です。どう見ても、松には見えない、そういう形をしていない。ここでは、光とか色ということだけでなく、形という側面からも、人がどのようにものを見るかに関心を向けているように見えます。その関心は、描くという行為に伴って、このように描くことで、人はこのように見るという方向に逆転します。それは、松がどのように在るということではなくて、このように描くと人は松を見るという方向です。この作品では、それが試みられているようにも見えます。
Kumagainight  「夜」とは「轢死」の再制作と言える作品ということです。この作品は夜なのに。画面全体が明るい。これまでの暗い色調で影ばかりを描いていた作品とは大きく違います。これは、まさに熊谷本人が言っていた影が陰気になってものの形が曖昧になってしまうことから脱して、光と影を色に置き換えようとした作品ではないかと思います。実際のところ「轢死」では、真っ暗な画面で何が何だか分からなかったのが、この作品を見て、どんなものが描かれているのか、はじめて分かりました。この作品での中心となる轢死した女性は物質的な身体ではなくて、赤、青、緑、黄、白などの光の点の集まりとして描かれています。光というよりも色に置き換えられている。暗い背景から色の点が浮き上がり、ふらふらと動き出すように見えてくる。これは女性の肉体という物質に属するものではなく、見る者の目と脳の中だけに生ずるものの見方と言えます。
Kumagaideath1  「陽の死んだ日」という作品です。画面左手に火の灯った蝋燭が描かれているところから、通夜の風景なのでしょうが、夜の暗さは微塵もありません。蝋燭の灯りに照らし出されたにしては昼間のような明るさです。おそらく、夜の闇の暗い部分は薄い地塗りのままなのか。はっきりと見えているところは、ブロックに分けられて絵の具を厚く塗られています。つまり、光と闇を闇から見ていくことから、次第に光と闇を色の集まりの分布に置き換えられていったと言えます。それは、ここでは遺体という物質の実質から、それを視覚というセンサで感知している表層の色という情報の集まりと配列ということに置き換えているというわけです。「松」のところでも述べましたが。人が遺体を見るときには、その色、色というのは光の反射を網膜が捉えた情報を解析した結果、色として把握して消化するわけですが、を認識する。その色の配置により、形を構想する。つまり、この作品であれば、赤と黒に囲まれた肌色っぽい色のブロックを形としてまとまったものとして捉えて、それが顔であるという意味を与えて、その対象の内容を解釈するということでしょうか。このとき、西洋絵画の基本的な認識の仕方とは異なることを熊谷は試みているのではないかと思います。熊谷自身には、そんなことを意識しているわけではないでしょうが。つまり、人が何ものかを見て得た情報について、それがその見たものと一致しているかどうか、一致していれば、それは真実であるということになります。その判断をするのか知性とか、理性といったはたらきです。理性が得た情報を真実かどうかを判定するときに、その情報のどこで判断するかというと、それが本質です。本質という部分をそれが何であるかという基準(概念とか、あるいはイデアというひともいますが)に当てはめて、それと一致すれば真実であるということになります。そういう本質の内容について、形相、つまりかたちを第一に考えるのが西洋の伝統と言えます。だから、近代絵画くらいまでの西洋絵画は、デッサンというものの形をある視点で正確に捉える訓練を重視してきました。私たちの常識的な絵画の見方であっても、形がそっくりであるということをひとつの基準としてみていることがあるわけです。リアリズムというのは、ものの形を正確に捉えて描写しているというように見ている要素が大きいと思います。説明が長くなりましたが、ここで熊谷の作品を見ていると、そういう形ということを第一に考えていない。そのベースとなる、見たものが真実であるかどうか、ということについて熊谷は全く注意を払っていないように思えます。それよりも、目というセンサで得た光というメディアを介した情報を色に変換し、そこから形という意味づけの手段とするプロセス。つまり、西洋的な真実かどうかを判断するための本質を得る前段階のプロセスを追究して、それを描こうとしているように思います。したがって、熊谷にとって形というのは、真実として意味づけられる以前のもの、だからあいまいなのです。例えば、ダイビングで海底に潜っていた際に、海底の岩につかまろうとしたら、そのつかまったものがグニャリとした感触で柔らかかったら驚くでしょう。岩に見えたものが、摑んでみるとそうではなかった。つまり、見るというセンサで検知したものから判断して、それに基づいて行動したら、その判断が誤りである、つまり真実でないことに気が付いた。このとき、人は判断を訂正するのが普通です。摑んだのが岩ではなくて、岩に擬態した軟体動物であった。それが分かると、人は、その新しい判断を基にして行動を改めるでしょう。しかし、このとき、その摑んだものが未知のもので、どう対処すればわからないとき、人は不安になったり、時には恐怖やパニックに陥ることもあります。実に、熊谷は、この判断以前の時、この例で言えば、岩と思って摑んだものが岩ではいことに気づいたとき、それが岩以外の何であるか不明で、それを水中眼鏡越しに見ている状態にいるのではないかと思います。例えば、この「陽の死んだ日」という作品では、通夜の風景とか、目の前に横たわっているのが人間の遺体であるという判断をする以前の光とか色が目というセンサに情報として検知された状況を捉えようとしている。むしろ、熊谷にとって世界とは、そのような判断のできる安定した心理でいられる状態でないものとして存在しているのかもしれません。そうであれば、逆に真理などという既成の判断基準にとらわれずに自分独自に基準をつくって解釈することが可能となります。それが、この時期の熊谷に特徴的に表われている荒っぽい筆の跡なのかもしれません。

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