無料ブログはココログ

« 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(5)~2.守一を探す守一:1920-50年代(3) | トップページ | 生賴範義展(1) »

2018年6月 5日 (火)

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(6)~3.守一になった守一:1950-70年代

Kumagaikiku  1950年代に入ると、熊谷の絵画の作風が完成の域に達し、同じパターンの作品、つまり、お馴染み熊谷作品が量産されていくことになる。そういう作品の展示です。展示は、およそ半分はこの時期の作品で占められていて、同じような作品がズラッと並べられているのは、壮観である反面、ひとつの作品だけを眺めるというのが本来の意図した作品のあり方のようで、パッと見て同じ作品が何点も並んでいるのを順に見ていくのは、熊谷のファンには申し訳ありませんが、飽きてくるところがありました。おそらく、1950年代までの熊谷の作品には、これまで述べてきたような、従来の絵画の伝統にはなかった見るということを試みるということがあったと思います。それは、伝統にないことだから、今までにないことを自分で始めるわけで、今までのことは参考にならず、自分でいろいろやってみながら、あっちいったり、こっちKumagaikiku2 いったりという試行錯誤をしなければならない。それが作品にも表われていたと思います。しかし、それが色とか形を実在から切り離すということを始めたら、事物を検知するということから離れていくことになった。それ以降は、実在から離れた色や形をパズルのキーにして、並べ替えをするようにして、画面を操作するようにして描くということに傾いていったように見えます。それで、以前の作品には感じられなかった趣向とかセンスといった技巧が前面にでてくるように感じられます。それは、半面で画面の土台が試行錯誤するような絶えず変化することをやめて固定化して安定した、つまりパターン化したからこそ可能になったのであって、それが私にとっては飽きるという感想を生じさせることになった。それは、停滞といっていいかもしれません。
Kumagaiflower_2  「ハルシャ菊」という作品を見てみましょう。春車菊の花は写真のように花びらの内側が茶色で外側が黄色の花ですが、それを二重の円に単純化しています。その二重の円が画面の前面に散らばって、画面の下の方には菊の二重の円と同じようなかたちのカタツムリが、土と似た色で隠れるようにいます。その似た形が散在するのは、前にもあったパターンで、それが視線の動きを誘います。その一方で、カタツムリには動きがなくて、石のように静止しているようなのに、菊の茎や葉が、写真の実際の細さに比べて太くて力強さがあり、しかも動物の足のように力感があります。それは、カタツムリと菊の茎の絵の具の塗りの厚さや筆跡の勢いの違いからも、意図的に描き分けられているのは明らかです。二重の円への視線が動いているのに連動して、ということもあるのか、菊が自立歩行しているような感じもしてくる。そういうところがある作品です。
Kumagaisunflower  似たような作品で「山茶花」です。山茶花の花を「ハルシャ菊」の場合と同じように二重の円で描いていますが、「ハルシャ菊」との違いは色と大きさくらいでしょうか。この作品では、その二重の円がさらに前面に出てきて、茎や葉の茂みは2本の茶色の線とグリーン一色の面に省略されてしまっています。さらに、青地にピンクという補色に近い配色によって、ピンクの山茶花の花の円形が目立つことになります。また、それらとは別に水色の丸が散らばっていて、チラチラと目に付いて、山茶花の花の二重の円が全体に散在しているので、視線が絞られず、画面を動き回るように感じられます。「向日葵」も同じです。これらの花を描いた作品Kumagairain は、色の違いだけで、花の形は共通しています。
 「雨滴」という作品。水たまり落ちる雨粒を描いた作品ということです。水たまりとそこに雨滴が落ちたことによって生まれた波紋を二重の円形にしています。これは上で見た花を二重の円形に描いているのと、形は同じです。この二重の円形という簡素化された形を熊谷は、花や水たまりといった実在では無関係な事物に共通して用いています。ここには形式化が進み、実際の存在とは無関係に画面の中で完結した整合性のためのパーツとして形が用いられている。事物とか風景は画面をつくるための操作する手段とKumagaisun なっている。もともと、事物を検知することから始まった熊谷の絵画は、事物を検知するということは事物という自分の外界と関係をすることです。その関係の方法が検知ということです。その検知の際に、光と影に注目したしたわけです。したがって、光と影は熊谷が外界と関係する方法のための手段です。そういうことを考えると、この作品では形という手段がひとり歩きして、関係しようとする外界の存在とは切り離されています。つまり、熊谷のこの作品は外界と関係しようということが失せてしまったわけです。熊谷は外界と関係することをやめて、閉じ籠ってしまった。言うなれば、ひとり遊びです。ときに、熊谷の、このような作品に対して童心のような無垢とかナイーブと言われることもありますが、赤ん坊は外の世界を知らず、揺りかごの中で、ひたすら自分の世界に揺られているわけです。
 この二重の円形は日輪を描いた作品、たとえば「朝のはぢまり」という作品にも使いまわされていきます。
Kumagaicat Kumagaicat2  「猫」(左側)という1963年の作品です。展示室の壁一面に、このような猫の作品がずらりと展示されていました。私のような熊谷のファンでない者にとっては、少し辟易させられるほどで、以前に高島野十郎の展覧会で蝋燭の絵ばかり並んでいたときには、これほど辟易させられることはなかったのですが、退屈を覚え始めたのは私の熊谷の作品に対する相性が悪いせいかもしれません。しかし、前に述べたように、ここに熊谷の自閉とか停滞とかいったことを感じているせいもあると思います。これは人によって好みが分かれるところだと思います。この作品では、20年以上前のスケッチを基に、幾何学的なルールに従って再構成されているそうです。首の線、両目の線、畳の線、背中の三角模様の線など、多くの直線要素が、画面の四隅を結ぶ対角線と同じ角度に揃えられているといいます。そういう工夫が施されていて、そうですか、感心するかもしれませんが、だからどうしたの?ということなのです。何のKumagaicat3 Kumagaicat4 ために、どのような効果を考えてということ、つまり、この画面をどうしようとしているのかということが見えなくて、そういう手先の細工が目に付いてしまうのです。それは「三毛猫」(右側)という、ほとんど同じ形の猫の作品と比べて見て、この「猫」という作品が幾何学的な画面構成をしていることによって、違いが際立つかというと、両作品を同じように見てしまっているのです。その違いというのは、熊谷の熱狂的な愛好者や研究者の話題づくり程度の効果しかないのではないかと詮索したくなります。1965年の「猫」(左側)という作品は展覧会チラシでも使われていた作品ですが、「白猫」(右側)という1962年の作品の左右反転のようにも見えてきます。
Kumagaiuri  1960年以降の作品は、形の簡素化はさらに進んでいったように見えます。しかし、それが抽象的になったとは見えません。では具象と言えるかというと、対象を写すことをやめているので何とも言えません。また、記号として操作のツールにしているかというと、その形は記号のような自明性、つまり、誰が見ても、記号が表わしているものが分かるということにもなっていないのです。例えば「瓜」という作品。形は楕円で、色も実際の瓜の色を考慮せずに個々の瓜の色を塗り分けている作品です。これが瓜であると分かるのは、題名が瓜だからです。また、「はぜ紅葉」という作品では、鳥のまわりに赤や橙、そして緑の平面を配置して、この題名から紅葉であることを想像することになりますが、この鳥の周囲を紅葉した葉と見るのは、そKumagaimomiji う言われないと分かりません。しかし、この作品は、おそらくその風景を想像させる作品であるということなのでしょう。似たような作品に「若葉」というのもあります。
 「揚羽蝶と百日草」という作品。1950年代の「鬼百合と揚羽蝶」の蝶は単純化されて図案のように、それなりに洗練されていましたが、この作品の揚羽蝶は、そういう洗練とは違う、画面に動きを作るような効果を計算したということもない。こういうのをヘタウマと評したらいいのでしょうか。落語家の5代目古今亭志ん生が晩年に、高座で居眠りを始めたのを観客が芸だと持てはやしたのと同じような味わいというものでしょうか。「泉」という作品などは、一見深遠に見えたりしますが、そういう周囲の人たちがもてはやして、それらしい体裁を保っていると、私には見えます。
Kumagaiageha2  というわけで、熊谷守一というブランドイメージに沿ったような作品には、もともと魅かれていなかったので、否定的なコメントを重ねることになってしまいました。私の偏見であることは否定しません。この展覧会では、その偏見を引っくり返すことはできませんでした。ただし、熊谷の絵画について、それなりのストーリーを持てたこと、この展覧会の収穫であったと思います。
Kumagaiizumi

« 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(5)~2.守一を探す守一:1920-50年代(3) | トップページ | 生賴範義展(1) »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564097/66798472

この記事へのトラックバック一覧です: 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(6)~3.守一になった守一:1950-70年代:

« 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(5)~2.守一を探す守一:1920-50年代(3) | トップページ | 生賴範義展(1) »