生賴範義展(1)
2018年1月 上野の森美術館

それで今回は、イラストレーターで、映画のポスターや本の装丁、挿絵などで中でもSFやファンタジー関係の作品が多い人で、それと知らずに作品に触れてきたようなので、少し無理して寄って見ました。閉館1時間前の午後4時に受付して、入場者は多少多いと思うくらいで、鑑賞に支障をきたすほどではないが、少しざわついているねという程度でした。全体としての展覧会の印象は、私が美術館などでいつも見ている美術展とは違う、そういうものとは別物だったというのが正直なところでした。例えば、展示目録が用意されていない。したがって、地図を持たないで山に登るようなもので、会場で展示を見ていても、自分が展示の中のどのあた
りにいるのか全体像を把握できない状態だったので、ずっと迷子になっているような感じに捉われていました。それはまた、展示されているものについて、タイトル等の最低限の情報はあったのですが、この人の画業の中でどのあたりなのか、といったことはなくて(私が今まで見てきた展覧会では展示目録に展示番号が附されていて、その番号が作品タイトルの掲示にも添付されていたので、全体の展示の中で何番目程度の目安はあった)、おそらく、この人のイラストを見に来るひとたちにはニーズがないと主催者は判断したのかもしれません。また、主催者からのメッセージの掲示もなくて、展示する側は、この人の業績をどのように捉えていて、それをどのように見せようとしているのか、そういう姿勢がまったくわからないままでした。これも、おそらく、入場者は来場して好きな作品を見ればいいと考えてのことかもしれません。しかし、私のようにこの人がどのように作品を制作するようになったのかというようなトスーリーを想像するような見方をする人間にとっては、かなり戸惑うこととなった展示でした。おそらく、生賴当人もそうなのでしょうし、彼のファンの人々も、この人の作品は基本的に注文仕事であって、生賴本人の意志とは別に頼まれた仕事を誠実に仕上げた、彼の技量の成果として作品を見るというものなのでしょうか。展示についても、注文者別というか、映画会社からの注文、出版社からの、時代小
説、SF雑誌、ゴルフ雑誌、戦記雑誌などに小分けされての展示となっていました。つまり、生賴の作家性に中心を置いたという展示ではなかったということです。おそらく、生賴という人も、アーティストというよりアルチザンという意識をもっていたのかもしれないし、とくに作家性ということが絶対的に必要であるとは思いませんが、私の場合、そういう見方をするので、そうでない展示に最後まで戸惑い続けたという展覧会でした。美術展というと、どうしてもファインアートという感覚で見てしまうのですが、生賴の作品は商業ポスターとか挿絵のようなもので、ファインアートとしてみてしまうのは適切ではないと言われそうですが、たしかにここで書いているのを読まれた方は、私がファインアートとして生賴の作品を見ているかのような誤解を招いたとしても無理はないと思います。


ここで、いつもなら個々の作品を取り上げて展覧会の内容に対する感想を述べていくのですが、今回は、アトランダムに感想を述べていくことにします。それだけ、とりとめのないものになると思いますが。
映画「スターウォーズ」のポスターです。何枚ものポスターの原画が並べて展示されているを見ていると、実は同じパターンで人物キャラやメカといったパーツをとっかえひっかえして目先を変えてバリエーションをつくっていたことが分かります。だから、一枚だけを取り出して見ている分にはいいのですが、まとめて見ると飽きる。とはいっても、制作するのは、それぞれのシリーズの作品の公開するときで、まとめて見せることなど想定していないわけですから、それをもってどうだというのは変かもしれません。映画のポスターという制約もあったのかもしれませんが、「スターウォーズ」のポスターに限らず展示されている生賴の作品のほとんどが、一人または数人の中心となるキャラを画面の真ん中において、その周辺キャラやメカをその周囲にピラミッド状に配置する構図をとっているということです。画面
に描かれるパーツの数が増えてくるとピラミッドの枠に収まりきれなくなる場合がありますが、そのときでもシンメトリーの構図を基本にしています。この構図を崩す場合でも、崩すので、あくまでも、この構図に基づいている作品がほとんどです。広く人々に見てもらう、見易さが重要な要素だったせいもあるでしょうし、生賴本人が構図を考えて主張を籠めるということをしなかったか、そういう発想で描くタイプではなかったか、ということでしょうか。もう一点は、画像で見ると精緻な感じがしますが、印刷されて、街角に掲示されることを計算しているのか、割と粗かったり、色も薄くさっと塗ってあったりと、筆の勢いとかいったことを重視しているということです。この作品では、背景の星は絵の具を吹き飛ばした点々のようだったし、宇宙船の表面の凹凸は目立つところを強調してはっきり描いて、その他は色塗りでごまかしているといった描き方です。塗りについても油絵のような絵の具を塗り重ねていくというよりは、日本画とか塗り絵のようなその色の部分をさっと塗るといった感じです。それゆえに、この作品であれば放射状に伸びていく流れ星の光跡を筆で一気に引く筆勢といったことが重要に要素を占めていると思います。その筆の勢いとか、線の入り、止め、払いといった勢いや力の込めるところなどで画面に生命感を作り出している。そういうところが、単にそれらしく巧みに描くだけにとどまらないで、生賴にポスター制作の依頼があった理由なのではないかと思ったりします。

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