無料ブログはココログ

« 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(4)~2.守一を探す守一:1920-50年代(2) | トップページ | 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(6)~3.守一になった守一:1950-70年代 »

2018年6月 4日 (月)

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(5)~2.守一を探す守一:1920-50年代(3)

Kumagaiontake  そのシンプルさを追求した結果なのか、熊谷の作品には同じような、というより、ほとんど同じ作品が見られます。この展覧会では、そういう作品を一緒に並べて展示されていたので、そういう作品が少なくないことが分かりました。例えば「御嶽」という作品。色遣いは異なりますが、御嶽や雲の形といった図柄は同じです。まるで、アンディ・ウォーホルのマリリン・モンローのシルク・スクリーンみたいです。熊谷の時代には、そんな技術はなかったのでしょうから、解説によると、まずスケッチを作り、それを元に型紙となるトレーシングペーパーに図を写す。次いで、型紙の裏にカーボン紙を挟み、油彩を描くために板に線を転写する。ということです。そして、御嶽山を描いた作品は3点が展示されていました。解説によれば、熊谷は3枚の油絵を雲の上辺に日が当たったところ、朝焼けもしKumagaiontake2 くは夕暮れ、青い空に白い雲と、異なる時間や天候を描き分けた。と。このベースには、対象の形相というかたちを重視しないからこそできることで、形相を事物の本質として、それを描写することを重視しないという熊谷の姿勢ゆえのことだと思います。ちなみに、ウォーホルの場合は、その形相という伝統を逆手にとって、大量生産の消費社会をパロディ化しているわけで、熊谷とは全く異なるといえると思います。なお、ここに画像があるのは1954年の「御嶽」と1953年の「木曽御嶽」というふたつの作品です。また、展覧会チラシにも使われている「鬼百合に揚羽蝶」という作品も同じように数点の同形の作品があります。
Kumagaiageha  この「鬼百合に揚羽蝶」については、そのようなコピー作品というだけでなく、作品の中でかたちの転用も行われているということです。画面上部の赤いものが鬼百合の花は、下の揚羽蝶とよく似た形をしているため、三羽の蝶が飛ぶようにも、鬼百合が揚羽蝶の影にようにも残像のようにもなって一羽の蝶がくるくると飛び回っているようにも見えるという効果を作り出していると言います。それは、かたちの遊びとでもいうことができるかもしれません。「松虫草」という作品もそうです。このような遊びについて、少し脱線するようですが、熊谷は事物の存在を検知するということを、検知したことが真であるかどうかという判断をするということから外れて、目というセンサで視覚情報を得るということで見るということをしようとしました。その際に、真かいなかの判断をする基準として形相という概念を脇において、光と影に注目します。そこから光と影を視覚は色としてキャッチするということに進み色に注目します。ここで形というのは、色によって検知された結果として色が帯びているものを形状として捉えるという二次的なものになるのがせいぜい。だから、形はどんなでもKumagaimatumushi 色が違えばちがうものということになって、形のコピーが可能になったというわけです。一方で、熊谷は光と影を色に置き換えて、影の部分を明るい色で表わすという、事物の固有の色から離れて、色と色の対比や調和という相互関係を優先して画面の色の配置を計算していくようになりました。それは事物を色によって検知するということが、その事物に固有の色があるということから離れて、色によるパズルのようなものとして事物のある世界があらわれてくるということになると思います。つまり、ここまでくると事物を検知するということから離れてきているということです。したがって、この画面は事物とか、世界とかいった実在とは離れて、熊谷がそれまで検知してきた方法を逆用して、独自に創ったと言えると思います。ある意味では、光と影、色、そして形といったことが実際に存在している事物を離れてひとり歩きし始めた。暴走したとも言えるかもしれません。前のところで、形のコピーについてアンディ・ウォーホルと比べてみましたが、ウォーホルの場合には物を消費するということに対する批評ということで実在のイメージと切り離すことはできないことが前提されていましたが、これに対して、熊谷の場合には切り離されていると言えると思います。それはまるで。物と物との交換手段であった通貨が、独自の価値があるように錯覚されて、物の値段ということを離れて独走を始めて通貨が通貨を生むというマネーゲームを始め、しまいには物を作るということを支配しはじめるという状態に通じるものを、私は感じてしまうのです。言ってみれば疎外というマルクスの古い概念を想起させるのです。
Kumagaifish  「稚魚」という作品も展覧会チラシで使われているので、熊谷の作品の中でも代表的なものなのでしょうか、「鬼百合に揚羽蝶」で用いられていた形の遊び、解説では異時同図法という手法なのだそうですが、それが原初的に用いられているので、分かり易いと思います。つまり、まず青地に赤という補色に近い配色によって、赤い魚が目立つことになります。もし、この作品を左右に振るように動かしてみると、目立って前面に出てくるように見えている赤が素早く動くのに対して、青が一拍遅れるという動きの差があるように感じられるといいます。それによって赤い魚はますます元気に動くように見えることになると言います。さらに。もうひとつ運動感を生むために、ここに5匹の魚が描かれていますが、5匹の魚が泳いでいるようにも、1匹の魚がぐるぐる泳ぐ動きを分解しているようにも読み取れるように描かれています。おそらく向かって右下から魚が泳ぎ出し、左下でちょっと頭を下げて、中央で一挙に水中に潜ったというように、動きを読むことができる。真ん中の魚の色が濃いのは池の深いところにいるから。と説明されています。ちなみに。この作品の構成や色の位置はマティスの「ダンス」という作品を参考にしているらしいと言います。

« 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(4)~2.守一を探す守一:1920-50年代(2) | トップページ | 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(6)~3.守一になった守一:1950-70年代 »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564097/66795027

この記事へのトラックバック一覧です: 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(5)~2.守一を探す守一:1920-50年代(3):

« 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(4)~2.守一を探す守一:1920-50年代(2) | トップページ | 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(6)~3.守一になった守一:1950-70年代 »