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2018年6月 1日 (金)

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび(2)~1.闇の守一:1900から10年代

Kumagaihalflady  ここには、展覧会のポスターとは別人のような熊谷がいました。「婦人半身像」は、筆触がむき出しになったような荒いタッチで、何だか描きたいイメージが先にできて、どんどん進んでいって、それに描く作業が必死に追いつこうとして筆を動かしている、というように見えます。しかも全体に暗くて、モデルである女性を美しく描こうなどとはこれっぽっちも思っていない。そういう配慮というものがなくて、ひたすら描くことに追いまくられている。そんな感じは、岸田劉生を想わせるところがあるのではないかと思いました。
Kumagaicandle  「蝋燭」という作品です。蝋燭を手に持った男性が、その姿が炎に浮かび上がるという作品なのでしょうが、絵の具の変質や汚れによって黒っぽくなったせいもあるのでしょうが、全体に暗いので、男の姿はぼうっとしているように見えます。蝋燭に照らし出された光と影をドラマチックに描くのはカラヴァッジョやラトゥールなどといったバロック絵画の常套手段で、蝋燭の炎が揺らめいて光るところを飽きずに描いた高島野十郎のような画家もいますが、熊谷は、それらの画家かちとは違って、蝋燭の光の部分を過小と言えるほどに描いています。それだけ影の部分に注意が向かっているのか。多くの画家は光を捉えることに関心を持って、影を描くとしても、光を描くための対照させるために描いている、先に例をあげたバロックの画家たちは強調するように使っていました。それに対して、この作品の熊谷は、光ではなく影に描きたいと言わんばかりに見えます。
Latourjosefu  それについて、次のように解説されています。“熊谷が「人間の目にとってのものの見え方」に強い関心を抱いていた。身体に属する一器官である目にはさまざまな癖があり、ときにわたしたちに現実とは異なる「とてもおかしいこと」を見せる。人間はものをそのままに見るわけではなく、あくまで目というフィルターを通って届く刺激により、脳が作った像を見るのだ。熊谷は早い時期から目というフィルターの存在に自覚的だった。そんな熊谷にとって、闇とは、ものの物質的な実体を消し去り、代わりに光の当たり方によってどのようなでも変化する不安定な像を出現させる、理想的な状況だったに違いない。”
 Takashimarousoku2 それは、熊谷は、写実ということを素朴に信じられない人だったということかもしれません。この作品で言えば、男が存在することは確かだとしても、そのままを人は見ることができるのだろうか。そうであれば、見るという仕組みを分析して、どのように男が存在しているという情報をキャッチして、その詳細について、おそらく必要な情報をフィルターにかけてセレクションしている。そのセレクションの仕組みを絵画に逆に用いれば、セレクションした情報のみを絵画に載せることによって、見る人はそこにリアルとか真実であると捉えさせることができる。そうであるとすれば、熊谷にとって絵画とは在るものを表わすものというよりは、在るという真実を創り出すものであったのではないか、と考えていたかもしれない、と思えるのです。そうであるとすれば、熊谷という作家は、控え目に言っても、かなり特異な作家であったということになると思います。そうであれば、この後に見ていく展示作品において、色や形といったことの捉え方が、他の画家たちとは根本的な発想が異なっている、というよりは突飛に見えてしまうのは、そういうことなのかもしれない、とすこし先回りしてしまいました。
Kumagainude  「横向裸婦」という作品です。一見、粗っぽい塗りようで、薄い塗りは土の板が見えてしまいそうで、筆の跡がはっきり分かります。この女性の裸体は、人間の肌とは思えないような色が使われ、筆の塗り跡のままに散りばめられています。それは物質として、そこに存在する身体を目が捉えているというよりは、光の集合として捉えているという、人間の目と脳の中だけに生じるものを画面に定着させようとしているのではないか、と思えるのです。
Kumagaiself 「自画像」という東京美術学校卒業時の作品です。学生時代の同級生に青木繁がいて、夜の街角を二人で歩いていて、遠くの街灯の光がまつ毛に当たって光輪のように見えて、そっくり返って歩く青木は下まつ毛に、俯いて歩く熊谷には上まつ毛に、それぞれ光輪が映っていた、と熊谷は後世になって述懐しています。この作品では、全体に赤黒い色調で、輪郭がぼうっとして明瞭でなくて、その暗い画面のなかで、影になっていたり、暗さの中で細かいところは赤黒いというか暗褐色の影の中に沈み込んでしまうように、よく見えなくなってしまっています。色というのは、光の反射具合を人の目が検知するものです。だから、逆に色を描くことによって人が検知したということを表わすことができるわけです。この作品をみていると、熊谷が影を描くことから離れていったことがわかるような気がします。だって、何を描いたか、画家以外の人には、分からなくなっていくようなのですから。「轢死」という作品など、その最たるものなのですから。熊谷の次のような言葉が引用されていました。“影ってものは、陰気なもんでしょう。そこを影のない色を寄せ集めれば、困るほど影が出てくる。そのほうは、実際の影より陰気じゃないですわ”
Kumagaideath  「某婦人像」では、印象派の描法のような絵の具を混ぜることをしないで、いくつかの色を別々に塗り分けて様々な色が人間の目の中で適切に混ぜ合わされて、まるで絵の具を混ぜた色のように見えてくる効果を意図して描いているように見えます。このことは、人間の目がどのようにものを見るか、ということへの関心が闇と光から色と色の関係に移っていったことが作品に反映したもののひとつと言えるかもしれません。この作品では補色関係を計算していると考えられます。
Kumagailady

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