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2018年7月15日 (日)

プラド美術館展~ベラスケスと絵画の栄光(6)─Ⅴ.風景

Prado2018profile6_2  ベラスケスの「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」という作品は、肖像画であるとともに、“極めて写実的に描かれた背景のマドリード郊外の山並みが「ヨーロッパの風景画史における名作の一つ」に数えられ、スペインにおける風景表現において例外的な、極めて重要な位置占める”と説明されています。しかしだからといって、ジャンルにこだわるつもりはありませんが、この作品の主役は騎馬の少年であり、馬の躍動する姿であって(その馬の構図によって、画面右奥から左前方に飛び出してくるような動感があります)、背景の風景は、あくまでのその添え物として見てしまいます。
 この作品を見ていると、背景よりも、王太子の可愛らしい姿や風を切って走っている様子、服が風を受けて、裾やマントがたなびいている。それに対して馬のたてがみが逆方向に流れているのも気になりません(笑)。王太子の顔は、はっきりとは描きこんではいないのに、おそらく当時の本人を知る人は、ちゃんと当人を描いていて、よく似ていると思ったのではないかと思える。そういう雰囲気を生き生きと再現している。そういう作品なので、これで背景にまで注意を払うというのは、よほど余裕がある人でないと、なかなかそこまでいかないのではないかと思います。
Prado2018lorran  クロード・ロランの「聖セラピアの埋葬のある風景」という作品です。この風景というコーナーには、もっとも適した作品です。スペイン・バロックやフランドルの絵画をずっと見てきて、予備知識のない私は、クロード・ロランの、それらとは異質な落ち着いた画面に出会って少し驚きました。“アンティオキアの生まれの若い聖女セラピアは、ローマの寡婦聖女サビーナに侍女として仕え、彼女をキリスト教への改宗に導いた人物である。本作はキリスト教徒への迫害の犠牲となった聖女セラピアの埋葬場面を表わしている。彼女の体はローマの高貴な夫人たちにより運ばれ、石棺に安置されようとしている。登場人物の中では赤とオレンジの衣服をまとった聖女サビーナが強調されており、彼女は上方から悲しげに埋葬場面を見守っている。場面は自由に構想された古代ローマの遺跡の中で展開しており、聖女たちが埋葬されたとされるヴェンティーノの丘が見られる。また、後景にはテヴェレ川とコロッセオが描き込まれている。遺構を正確に再現しているにもかかわらず、クロードは地理的再構成を試みていない。というのも、本来、テヴェレ川はより左方に位置するため、水平の構図が必要だったのである。むしろここでは、構図中央の右側に配置された4本の円柱によって、縦長の画面の明確な垂直性が強調されている。”というように解説されています。つまり、ベラスケスの場合とは逆に人物は風景の一部となって、画面を構成するパーツです。解説にあるように画面全体の構成が構想されて、その設計にしたがって、パーツが丁寧に描かれて、全体としてのひとつの世界を構成しています。展示されている他の作品に比べて、異質に感じられるほど落ち着いて静かな感じのする作品でした。それだけに会場の中でも地味で目立たない印象で、会場でも下手をすれば素通りされてしまうという、かわいそうな位置にあったと思います。決してそういう作品ではないのですが。似た構図で並んで展示されていたファン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソの「ローマのティトゥス帝の凱旋門」が明らかに、この作品を参考にしているようなのにロマン主義的な廃墟の感じとか、粗い筆致で動きを画面に与えていたりして、見る者に感情的な雰囲気を想像させるようになっているので、比較的目立ってしまっています。
 ここでロランを見てから、再びベラスケスに視線を戻してみると、ベラスケスの素早い筆の運びで荒々しく描かれたタッチにしか見えないものが、少し離れたところから眺めると、写実的な衣服のひだに見える、というような印象派以降の近代の画家たちの先駆けと言われるような特徴は、クロード・ロランの静謐で落ち着いた画面に対して、ダイナミックで、「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」であれば、馬が躍動していて、今にも画面から飛び出してきそうな表現を可能にしていると思います。そのようにして見ると、このベラスケスの作品では人物や馬だけでなく世界は動いていると感じられるのです。円形の山は動いているかと問われれば、何ともいえませんが、雲は流れているし、草や木々は風に揺れています。風があるということは空気が絶えず動いているということです。さらに、この世界を見ている人というのも、止まっているわけではない。視線も動いている。そういう動きが絶えずあるとすれば、ある一点で静止しているわけではないので、点だって流れてしまう。そういう動きを前提に描こうとすると、点を点としてはっきり描くことはありえないことになります。つまり点だて流れていくのですから、そういうものとして描こうとすれば、と考えるとベラスケスの描き方というのは、何も近代的な描法というのに限定されない。例えば、日本のマンガが動きを見る者に感じさせるために、大胆に省略したり、形を歪めたりするのと同じ発想にも思えます。それはベラスケスにはありますが、クロード・ロランにはないものと言えます。
Prado2018alsloot  デニス・ファン・アルスロートの「ブリュッセルのオメガングもしくは鸚鵡の祝祭:職業組合の行列」は楽しい作品です。この楽しさは美術館にいって、この現物のスケール感と細部を、描かれたひとりひとりの人物をひとつひとつ見分けるように見てみないと分からないと思います。とにかく、これだけの人物を描いている労力に感嘆させられます。しかも、それぞれの人物がみんな違うのです。ひとりひとりがちゃんと個性を持っていて、それぞれが独立している。それは、この並んで行列している人たちだけでなく、背後の建物の窓から行列を眺めている人々もみな表情が違っています。それをいちいち、あんな人もいると見つけて面白がっているうちに時間を忘れてしまいます。これは、現代絵画のミニマルアートの楽しさにも似ているようなところもあります。しかし、この作品はコピーという要素がありません。

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