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2018年7月24日 (火)

三浦雅士「孤独の発明」を読んだ

 三浦雅士「孤独の発明 または言語の政治学」を読んだ。

 人は一人だから孤独なのではない。孤独な私に気づくことで孤独になる。それには私という現象であるということだ。そのためには、私という対象を得ることが前提、つまり、私を突き放して、距離をもって捉えることだ。具体的には自分で自分に話しかけるということ。生物は視覚を持つことで対象との隔たりを得た。状況を俯瞰し、捕食する相手を騙すことを知った。人間はさらに言語をもつことで、相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力を得た。例えば、「手前」という言葉は、一人称にも二人称にもなる。このように二つの視点を入れ替え可能となるには、そうする視点、二つの視点を上から俯瞰する第三の視点を持ちえた。これを超越的と呼ぶ人もいるが、まるで空中にあって上から俯瞰するのだから身体から離れる、それを精神という呼ぶ人もいる。つまり、孤独である私が現象するプロセスなのだ。
 他方、解釈であるからには認識と騙し(装い)の区別は難しい。そして商業とは、騙されるのを覚悟で「信用」しあうこと。宗教とは、騙されていいと思い切れること、というように議論はひろがっていく。
 エッセイなので、緻密にロジックが構築されているわけではなく、話はあっちいったり、こっちいったりする。その放埓とももいえる意外さは面白くもある。

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