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2018年7月31日 (火)

浜田知明100年のまなざし展~戦争を経て、人間を見つめる(1)

2018年3月 町田市立国際版画美術館
Hamadapos  役所に行かなければならない用事があって、勤め先を午後に半日休暇をとった。しかし、思いのほか用事が早く済んだので、時間が空いてしまった。都心に出向くほどの時間的余裕ではないが、せっかくの機会を生かそうと、行くことにした。JR横浜線町田駅で電車を降りる人のほとんどは小田急線との乗り換え口に向かうが、この美術館へは人影の少ない別の改札を出る。そこから歩いて15分ほど。駅前の繁華街の裏手から、住宅地を景色が変わり、躓きそうなほど急坂を下ると、雑木林の公園。たった15分での環境の雰囲気が変化する。都心の美術館のような喧噪のなかにあって、入館してから落ち着かせるのに対して、この美術館は駅から歩いているうちに環境が静かになってきて、歩いている自身の心持ち落ち着いてくる(しかし、最後の急坂は・・・、帰りにこの坂を上るとなると・・・)。館内は、平日の午後、しかも冬の寒い雨とあって鑑賞者の姿はなかった。会場では職員以外には、ずっと私一人で、こんなに静かな展覧会は初めての経験。誰にも邪魔をされることなく、本当に、じっくりと、作品と一対一で向き合うことHamadasoldier ができた展覧会でした。
 浜田知明という作家については、展覧会浜田知明パンフレットの引用をします。“2017年に100歳を迎えた浜田知明(はまだちめい)は国際的にも高く評価されている版画家・彫刻家です。1950年代に過酷な戦争体験を描いた『初年兵哀歌』シリーズを発表。自らの加害性にもまなざしを向けながら、否応なく戦争に巻き込まれる人間の哀しみを冷たいマチエールの銅版画作品へと昇華させ、戦後日本の版画に新たな地平を開きました。本展では揺るがぬ視点で時代を見つめてきた浜田のまなざしを追いながら、初期から近年までの銅版画約90点と彫刻作品を展示。社会や人間そして自分自身をも鋭くユーモラスに諷刺しつづける浜田の世界をご紹介します。あわせて浜田と前後して銅版画による新しい表現を追い求めた駒井哲郎、瑛九、浜口陽三、池田満寿夫らの作品も展示し、合計約150点をご堪能いただきます。不穏な社会情勢が続く今日だからこそ、浜田の作品は私たちに大きな問いを投げかけるでしょう。”ということです。さらに、この展覧会では図録はなくて、その代わりに展示リストが小冊子の体裁で作品解説されている、簡易な図録のようになっていて、たいへんありがたいものです。そこで解説が加えられています。浜田は戦場で描いたわずかのスケッチや脳裏に刻み込んだ記憶、頭に描いた構図等を表現するのに、ロマン派のようになってしまう油絵の重厚さとは異なる、より鋭く深い感情や中国大陸の荒涼として乾いた風景を表現するのとして、冷たいマチエールを持つ銅版画に行き着いたといいます。それが最初に結実したのが『初年兵哀歌』のシリーズだと言います。例えば「歩哨」という作品では、浜田の自画像といえるもので、軍隊生活のなかで一人きりになれる唯一の時間である歩哨の最中に、銃口を喉元に当てて引き金を足で引いて、自らの生命を絶とうとする初年兵の姿を描いたものです。エッチングの金属的な線とアクアチントによる深い暗闇が、心の痛みの鋭さと孤独感を見る者に感覚で訴えかけています。自身の姿である初年兵を漫画的なガHamadasoldier2 イコツ姿で表わし、深刻な場面に諧謔味を交えることで、遠くから自分を見つめて嗤う浜田流ユーモアも込められている。そう説明されています。また「風景」という作品では、行軍中に浜田が実際に目撃したという衣服を剥ぎ取られ、陰部に棒を刺されて死んだ女性の死体が描かれています。道徳や感情を捨てて純粋な画家の目から見た時に、浜田は荒涼とした黄土地帯のなかでぽつんと転がされた亡骸に、残酷でありながらもシュルレアリスム的な美しさと、尊厳を傷つけた者を嘲笑うような力強さを感じたと言います。それを冷たい銅版画のマチエールで「もの」と化した人間や残酷な光景を美しく淡々と描くことで、戦争の暴力性に静かに迫っている。そういうように浜田の銅版画について紹介されていました。
 このような説明は、浜田の作品のメッセージ性に注目したものと思います。この引用した説明による見方であると、こういう作品であるという予備知識、もっというと先入観を要求するものでもあると思います。何の予備知識を持たず、白紙の状態で虚心坦懐に作品の画面に向かい合ったときに、画面をどのように堪能できるか。仮に、浜田が、ここで説明されているような意図をもっていて、それが作品を制作する動機であったとしても、浜田は目で見て、制作しているので、具体的に捉えた形その他がどのように形作られているか。それが見る者の想像力をどのように刺激するようなものとなっているのか。それは個々の作品をひとつひとつ追いかけなければならないもので、しかも、見る者が個人的に行うことでもあると思います。そこでは、ここで主催者が紹介しているようには必ずしもならないところで、それを、これから見ていきたいと思います。一応、展示順に作品を見ていくようにしたいと思います。

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