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2018年7月13日 (金)

プラド美術館展~ベラスケスと絵画の栄光(4)─Ⅲ.神話

Prado2018marte  ベラスケスの「マルス」という作品です。ギリシャ神話の戦いの神を描いたものということですが、いわゆる神話を題材にした歴史画というよりは肖像画のように見えてしまいます。軍神を現実の戦士として描いている。戦場から戻り、武器を置き、鎧を脱いだ姿です。戦いが終わり、弛緩した半裸の肉体を無防備にさらした、うつろな目をした疲れきった一人の兵士の姿です。この作品については、その筆遣いが“マルスの頭の兜の金箔の装飾には筆触の粗さと軽やかさが認められる。近くに寄って見るとかすれたような黄色と白色のざっくりとした線は、やがて立派な金の文様として浮かび上がる。背景の暗闇とマルスの肩の境界もしっかりとした線を失っている。頬を支える指をわけるはっきりとした輪郭線もなく、画家の後期に特徴的な粗い、しかし的確な筆触で描かれている。”という説明は、その通りだと思い、そこにベラスケスの特徴が表われていると思います。このベラスケスの特徴的な粗い描き方は、近くに展示されていたティツィアーノの「音楽にくつろぐヴィーナス」の画面左のオルガンを弾いている男性の描き方が粗くて、ヴィーナスに比べて薄っぺらく見えてしまいます。この作品について言えば、ヴィーナスの姿も、同じ画家のいわゆるウルビーノのヴィーナスに比べると理想化されていなくて、肉がたるんでいるようなところや、肌の色の艶でもイマイチで、窓の外の背景もとってつけたような感じで、ティツィアーノの代表作らしいのですが、私には印象に残るものではありませんでした。ティツィアーノに比べて見ると、ベラスケスは神話を描いても物語の場面のようにはしないで、人物だけを取り出して描いているのが特徴的で、この人は肖像画家なのではないかとの思いを深めています。
 Prado2018venus このコーナーでもっとも印象に残ったのはルーベンス他の「アンドロメダを救うペルセウス」という作品です。いかにも物語的な作品で、それ以上にアンドロメダを助けようとしているペルセウスの黒い鎧の鈍く輝きと固い感触に対して、アンドロメダの白さと柔らかさを際立たせた構成です。しかも、アンドロメダの裸体はルーベンスの得意の豊饒な女性そのものです。(ただし、いつもよりも細めのようで、それだけ私には却って親しみ易い)この画家の描く女性のみずみずしい肌色と頬の赤らんだ、唇の濡れたような赤、そして輝くような金髪という色遣いの艶っぽさはベラスケスにはなかったものです。それだけに、とくに目立って、以前の展覧会で見た時にはそれほど感じられなかったのが、却って初めて分かかったものでした。それだけに、こPrado2018rube のルーベンスは新鮮に感じられました。同時に展示されているティツィアーノのヴィーナスに比べて、はるかに官能的で、しかし健康な肉体の躍動を想像させるのです。ちなみに、この展覧会とは無関係ですが、この作品の構図は、ラファエル前派のジョン・エヴァレット・ミレイの「遍歴の騎士」を想い出してしまうものです。それだけに人物のポーズや構図は類型的で、それは物語のパターンで、それが物語的というのでしょうか。さすがにルーベンスは、そのポーズがわざとらしくならないように、そして、自身の画家としてのウリを巧みにアピールするように描いています。しかし、それをベラスケスの作品と比べると、多少の年代のずれがあるとはいえ、同時代に活躍した両者であるのに、ベラスケスがルーベンスの画面にあるようなわざとらしいパターンをとっていないで、画家自身が、そのような伝統にないポーズを創り出したのか、それほどのポーズらしきものをとっていないのか、それが近代以降の意識で見ている私には、自然なポーズに見えてくるという、二人のスタイルの違いが、それぞれに際立つように分かります。
 Kanzanmire2 この違いは、文章の語り口に置き換えると分かり易いかもしれません。ルーベンスのように場面を文章で語る場合には、全体を見回す視点が必要で、この場面の中にいると語ることはできなくなります。言うなれば客観的な視点ということで、外部から観察するようにして、小説などの場合には、作者が神さまのように全体を鳥瞰するように見渡して、このような状況で彼はどうしたとか、それに対して彼女はこうしたとかいうように語るわけです。つまり、この場面で、この人は、このように行動したという人物の外面的な振る舞いを明らかにすることになります。そうすると、場面とか物語の筋はよく分かります。これに対してベラスケスの場合には、場面全体ではなくて、ひとりの人物に焦点があてられ、それだけが深く掘り下げられるような感じです。それは、この人物自身が独り言のように語るか、この人物を見ている人がその人物に語りかけるかということになります。いずれにせよ、この場合には私はこうしたいとか、あなたはこうなのか、といった外観もありますが、その内側に入り込むような語り方になっていくと思います。それは、近代の個人主義でいえば個人の内面に踏み込んだものといえるでしょう。つまり、ベラスケスの場合は、そのような個人の内面をリアリズムと結びつけて考える近代の個人主義的な姿勢に親しみ易い面を感じさせるところがあると思います。

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