浜田知明100年のまなざし展~戦争を経て、人間を見つめる(4)~3.人へのまなざし 愛しいかたち 1974~2002年

「アレレ…」という作品です。さきほどの「晩年(B)」と比べて見るとアクアチントで明暗をつけているくらいで画面はさっぱりしていて細かいという印象はなくなります。日本のイラストにおける「へたうま」という傾向のデザインに似た、シンプルなデザインで見せようとしている作品です。“思わずそのポーズを真似したくなるような主題のひょうきんさと造形のユニークさが、セピア色の重厚な線で目に飛び込んできます”と説明されていますが、私には、このデザインは、あざとく映ります。描写がシンプルになったことで、先ほど述べたギクシャクした味わいもなくなって、造形のデザインだけが突出したものとなっています。このポーズは埴輪に似ていて、そのパターンが、浜田の作品には珍しい洗練されたものと感じられます。例えば、線の滑らかですっきりしているところとか、目の螺旋状の、つながっている鼻を円筒状の模様のように描いているのが規格化されたスマートさが感じられます。浜田の、他の作品にあるゴテゴテした過剰なほどの描きこみは一切ない。この作品は、スタミナの減退を逆に必要なものだけを切り取って禁欲的な画面をつくったというのでしょうか。このコーナーの展示の中では浜田に晩年の成熟ということがあるとしたら、この作品が、その最右翼ではないかと思えるものでした。言葉でストーリーに付け加える必要性を感じないという点でもです。


「密談」という作品です。まるでペン書きのイラストのようにシンプルな作品です。この作品での線は硬質の鋭さをもっていた以前の浜田の線とは異質な、滑らかで柔らかく、太さが変化する肉太の線に変質しています。それゆえか、デフォルメされた画面が、一種の牧歌的ななごみとでもいうような安心感を与えるように見えます。私には、以前の過剰さから、すっきりした画面を通り過ぎて、削りすぎのスカスカの画面になってしまったような印象を受けます。私には、このコーナーで展示されている作品には、傾向として衰えを感じてしまうのでした。

また「行きどまり」という作品は、アクアチントで四角形で区切られた渦巻きのような背景を、その四角の面でグラデーションの効果を作っていくことで、中央にエッチング描かれた人物に対する虚像のような世界を区切り、しかも、この不揃いの四角形反復が画面にリズムをうんでいます。のそれに対照的に人物は線でくっきりとした輪郭で区分されます。しかも、輪郭は太い線で、人物の輪郭の内部と影は細い線を無数に引いていて、錯綜した感じを作り出しています。この3人の人物も見方によれば同じ形の反復でもあって、それがリズムをつくっています。それは背景の四角形のリズムとは異なるリズムで、複数のリズムが画面上に併存し、重ね合って複合リズムとでもいう響合する印象を作り出し
ています。これらの作品は、浜田のこの時期の作品のもっていた可能性を示していると思います。しかし、残念なことに、この方向に浜田は全面的に進むことはなかったようです。

最後に、展覧会ポスターで使われた「月夜」という作品です。この後のコーナーの展示については、別の意味で興味深いものでしたが(駒井哲郎や加納光於、瑛九、浜口陽三の作品など)、とくにここで述べることのないようなものでした。

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