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2018年8月 3日 (金)

浜田知明100年のまなざし展~戦争を経て、人間を見つめる(4)~3.人へのまなざし 愛しいかたち 1974~2002年

Hamadaarere  この後のコーナーは他の版画家たちとの比較や最近の作品の展示(数が少ない)なので、浜田本人の作品展示は、実質的に、このコーナーが最後ということになります。なお、片隅に彫刻作品も展示されていましたが、私は素通りしました。先ほども少し触れましたが、ここでの展示作品には、特徴的な鋭さや細かさは後退していきます。
 「アレレ…」という作品です。さきほどの「晩年(B)」と比べて見るとアクアチントで明暗をつけているくらいで画面はさっぱりしていて細かいという印象はなくなります。日本のイラストにおける「へたうま」という傾向のデザインに似た、シンプルなデザインで見せようとしている作品です。“思わずそのポーズを真似したくなるような主題のひょうきんさと造形のユニークさが、セピア色の重厚な線で目に飛び込んできます”と説明されていますが、私には、このデザインは、あざとく映ります。描写がシンプルになったことで、先ほど述べたギクシャクした味わいもなくなって、造形のデザインだけが突出したものとなっています。このポーズは埴輪に似ていて、そのパターンが、浜田の作品には珍しい洗練されたものと感じられます。例えば、線の滑らかですっきりしているところとか、目の螺旋状の、つながっている鼻を円筒状の模様のように描いているのが規格化されたスマートさが感じられます。浜田の、他の作品にあるゴテゴテした過剰なほどの描きこみは一切ない。この作品は、スタミナの減退を逆に必要なものだけを切り取って禁欲的な画面をつくったというのでしょうか。このコーナーの展示の中では浜田に晩年の成熟ということがあるとしたら、この作品が、その最右翼ではないかと思えるものでした。言葉でストーリーに付け加える必要性を感じないという点でもです。
Hamadashout  版画集『曇後晴』から「叫び」という作品です。線で描いているというよりグラデーションよる不定形の背景と対照的に白抜きの人物が浮き上がっている作品です。それまでの、線をたくさん引いて画面に詰め込んでいたような作品から、さっきの「アレレ…」もそうですが、線を節約するようになってきて、「アレレ…」は全体にスッキリした画面になっていましたが、この作品では背景のアクアチントが雄弁な印象で、デフォルメされた人物よりも背景の蠢いているような不定形の背景が叫びを生むような人の内面の不安定さを表わしているような過剰さが、言葉のストーリーを語っているところがあります。この作品ではおそらくアクアチントという、それまでは控えめにつかわれていた手法を前面に出したということなのかもしれません。アクアチントとは、“まず、銅版に微細な松脂の粉を散布する。次に、銅版の裏面から熱を加えて、松脂を半ば溶かしたところで冷すと、松脂は版にしっかりと固着する。この時点で銅版面はどうなっているだろうHamadasecret か。松脂の粉で銅版面が覆われたところと、松脂の粉と粉との間の銅版面があらわになったところとに二分されている。この銅版を酸性の腐蝕液に浸すと、松脂の粉は防蝕剤の役目を果し、銅版面があらわになっているところだけが腐蝕され、窪みとなる。桧脂を除去すれば、インクの溜まる窪みの部分とインクがきれいに拭き取られる平らな面とができる。松脂の粒子の大きさや散布の密度、あるいは腐蝕時間の長短によって、様々な明暗の調整が可能となる。”そうすると、水彩画のにじみのような効果を表わすことが出来るということで、この作品では背景が水彩絵具をにじんで流れさせたようなものになっています。ということは、作家はニードル(針)をとって力を込めて銅板の表面を削り取るように描かなくてもよいわけで、こんなことを言うと揶揄になるかもしれませんが、作家の省力化という側面は否定できないと思います。それが、それまでと違った印象を与える作品となって傾向に変化を生んでいることは確かです。
「密談」という作品です。まるでペン書きのイラストのようにシンプルな作品です。この作品での線は硬質の鋭さをもっていた以前の浜田の線とは異質な、滑らかで柔らかく、太さが変化する肉太の線に変質しています。それゆえか、デフォルメされた画面が、一種の牧歌的ななごみとでもいうような安心感を与えるように見えます。私には、以前の過剰さから、すっきりした画面を通り過ぎて、削りすぎのスカスカの画面になってしまったような印象を受けます。私には、このコーナーで展示されている作品には、傾向として衰えを感じてしまうのでした。
Hamadacata  そんな中でも「カタコンベ」という作品は、暗闇の中に出口の階段と3人の人物が白く浮かび上がり、そこに見る者の視線が引き寄せられるようになっていて、その人物は細い線を重ねて描かれている、それまでの傾向の延長とも言える作品です。しかも、要素を整理して一見シンプルなのに、人物の描き方に注目すると細かい無数の線で描かれていて、そこに深さを感じさせるものとなっている。そういう洗練がある作品になっていると思います。
  また「行きどまり」という作品は、アクアチントで四角形で区切られた渦巻きのような背景を、その四角の面でグラデーションの効果を作っていくことで、中央にエッチング描かれた人物に対する虚像のような世界を区切り、しかも、この不揃いの四角形反復が画面にリズムをうんでいます。のそれに対照的に人物は線でくっきりとした輪郭で区分されます。しかも、輪郭は太い線で、人物の輪郭の内部と影は細い線を無数に引いていて、錯綜した感じを作り出しています。この3人の人物も見方によれば同じ形の反復でもあって、それがリズムをつくっています。それは背景の四角形のリズムとは異なるリズムで、複数のリズムが画面上に併存し、重ね合って複合リズムとでもいう響合する印象を作り出しHamadago ています。これらの作品は、浜田のこの時期の作品のもっていた可能性を示していると思います。しかし、残念なことに、この方向に浜田は全面的に進むことはなかったようです。
 最後に、展覧会ポスターで使われた「月夜」という作品です。この後のコーナーの展示については、別の意味で興味深いものでしたが(駒井哲郎や加納光於、瑛九、浜口陽三の作品など)、とくにここで述べることのないようなものでした。Hamadamoon

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