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2018年8月 2日 (木)

浜田知明100年のまなざし展~戦争を経て、人間を見つめる(3)~2.社会へのまなざし 「見えない戦争」を描く 1956~1973年

Hamadaeurope  『初年兵哀歌』で形となった浜田の作品の性格が原初的に現われているのが、時期としては後年のことになりますが、1964年から1年間ヨーロッパに滞在したときの作品ではないかと思います。その際に魅かれた画家が近代以降の画家たちではなくて、ファンアイクという中世からルネサンスにかけての時期に活躍したフランドルの画家だったというのです。ファンアイクの作品というのは、顕微鏡で観察したような緻密な細部の描写をするのですが、人物のポーズは様式化されていて、細部にこだわりながら、全体としての人物の内面を描くような志向はない画家といえると思います。浜田のヨーロッパ滞在の成果である『わたくしのヨーロッパ印象記』で浜田が描いているのは、いわゆる近代絵画の個人が主体性をもったような作品やその対象となった個人の姿や風景といったものでHamadaeurope2 はなく、中世の城郭や甲冑、あるいはギロチンにように処刑や拷問具といったものでした。たとえば、「騎士と鎧と女」という作品では、城門の扉のレリーフ彫刻のような様式化された図案の女性像を、そして盾や鎧は図面のようにきっちりと描いています。そこには、デザイン的な様式化された形態、それを描いた図案のようなものへの浜田の嗜好が表れているのではないとか思います。また「フランドル伯城」という作品では、石積みの城郭という四角い抽象的な形の石を積み上げていった結果が城郭という建築物になっているもの、つまり四角い石の反復による結果ということを描いている作品と見ることもできます。「グラプラス」という作品では、その建築物の描き方が中世風とでも言える様式のパロディのようにして描いているのが分かります。これらの作品、ここに引用していない作品も含めて、個人としての人格をもった個人の姿を描いたものはひとつもありません。つまり、浜田は自身の感情なども含めて、個人としての人間を描くといったことには興味がなかったといえると思います。
 そういう浜田が人間を描こうとすると肖像として、その姿に個人の内面が表れるとか、感情移入するといったものではなくなります。喩えていうと、タHamadaeurope3 モリという現在では司会者として通っていますが、昔はキワモノ芸人のようなことをやっていて、その中で物真似もやっていて、彼のレパートリーの中に三遊亭円生があって、これが絶品だったのですが、彼の真似る円生は落語家独特の話し方が身についてしまって、それをまるで田舎の方言とかなまりのように、標準的なふつうの話し方ができないことを皮肉るようにして演じていたのでした。そこに風刺的な笑いが生まれていたわけです。浜田の描く人間というのは、これと似たようなパターンになっているのではないかと思います。「副校長D氏像」という作品を見てみましょう。浜田自身の言葉を借りながら追いかけていくと、副校長D氏は「長年月、生徒を前にして固い話ばかりしてきた」せいで「心までも四角四面になってしまった」。「眼は複眼の如く、キョロキョロとす早く動く。」そのくせ酒を飲むと「わいせつな言葉を吐いて、周囲の人達のヒンシュクをかう」…。ここで浜田が語っているD氏のイメージは、連想であり、象徴化の操作によって表されたものです。話の「固さ」は、「丸くはない」角張ったものとして連想、変換され、戸棚のような頭が描かれます。並んだ数字も、数でしか物事を判断できない頭の固さを表していると言えます。複眼のような眼つきは文字通り複数化されて描かれ、固い様子の陰に隠されたわいせつさは、閉まった扉のむこう、引き上げられた布のむこう側からのぞく女性のヌードとして表現されています。
Hamadad  「疑惑」という作品です。人の顔の二つの目が渦巻きのようになっていて、しかも、その渦は途中で切れていて、画面向かって左側の目の渦の波紋が広がるように顔を覆うようにして、さらには顔の外側に広がっていっています。これは、疑いという不確かさが、歪んだ円形である渦の形をとって、しかも、その渦の途中で途切れ白黒が入れ替わっています。さらに渦は終わりがなく閉じていない図形ということで、際限なくひろがっていって、当人の頭の中に収まりきらずに外に向かってひろがっていくように表わされています。というように、「副校長D氏像」もそうだったのですが、画面の内容を言葉で記述しやすい画面になっています。ここでは、絵画的な言葉にはならないような視覚的な微妙なニュアンスのようなものは切り捨てられています。その代わりに言葉にしやすい記号のような表現がストレートに使われています。結果として、日本の古代の大和絵の絵巻物のような登場人物の個性を描き分けるのではなくて、人の顔は記号のように類型化され、コスチュームや小道具やポーズや場面でどのような人物かを差別化して、その配置で絵物語を進めていくのと似たようなものになっていると思います。そこで重視されるのは、その記号を明確に示すということで、それは、浜田が版画で刷られる線の表わし方にこだわっていたのと関連していると考えるHamadagiwaku と、画面の論理として納得できるものです。この、「疑惑」という作品でも、人物の微妙な表情に疑惑で悩んでいる内面が浮き出てくるように、微妙に描きこんでいくというのではなく、上述のような記号的な効果を利用して、マンガのように分かりやすく表わしています。そこにはあるのは、個人的に疑惑にとらわれて、疑ったり、それで悩んだりする様子ではなく、抽象的に一般化された不条理さ、それを客観的に眺めることかせ生じてくる滑稽さといったものです。
 「愛の歌」という作品は荒野に草が生えていて二つの葉が出ていて、それが唇の形をしている。その二つの唇が恋人のシンボライズということなのでしょうか。この唇を顔から切り離して取り出した作品として、他に「噂」という作品があります。これは室内の空間に無数の唇が浮かんでいる。これは、そこいらで噂を囁いていることをシンボリックに表わしたものでしょうか。この二つの作品は唇という記号的な形の反復と場面への当てはめ方で、画面をつくっています。私には、浜田という作家にとって制作するということは、この作品で言えば唇というような記号的な形を使って、何かの対象を描写するというのではなくて、自身で世界を創造するように白く四角い紙の上に画面を創るということではなかったのかと思います。ただし、その創ろうとした画面というのは純粋な視覚的なイメージではなくて、Hamadalove 言葉によるイメージや物語、しかも、既成のものを組み合わせて異化させたようなものを視覚化していくというものだったように思います。それは、浜田という人のイメージの限界とも、そういうパターンだったとも言えるのかもしれませんが。それが作品を見る人々に受け入れられる、あるいは共有とか共感ということを考慮すると、メッセージとか風刺といったことが見る人との間を繋げるのに都合がよかった。最初に引用した主催者の挨拶の中に“ユーモラスな諷刺”という形容がありますが、ここで展示されている作品にも、そういう要素が見られるものもあります。これは、そういう事情の中で考えると、私には納得し易い。例えば江戸中期以降の浮世絵が記号のように人の顔を描くことを追求して、写楽や歌麿のようなデフォルメをエスカレートさせていったのと同じようなものに思えます。ユーモラスと言うのは、Hamadarumoa 作品を見る人の側で、浜田はデフォルメのパターンを突き詰めたり、繰り返し使ったりということを作品で行っていたということではないかと思います。これは、浜田がそういう姿勢だったというのではなくて、作品の画面を見ていて、私が見やすくなるために考えたストーリーで、私なりのこれらの作品の論理として引っ張り出したものです。
 また、浜田の銅版画の特徴として、この後の方のコーナーで同時代の他の銅版画家の作品が展示されていましたが、それらと比べると彼の鋭い線が目だってきます。その特徴的な、鋭い線と、その線による細かな表現及び明暗の深さというのが、この時期の作品でピークに達していたように見えます。この後の展示では、時間的に遅い時期で、本人が高齢となって体力的な衰えから、この時期の鋭さや細かさを維持できなくなっていったように見えます。「晩年(B)」という作品です。この右手の人の形の内部の描き方や点描のような背景は銅版にニードル(針)を引っ掛けるようにして鋭い線を引き、細かい作業を気の遠くなるほど繰り返すことで制作していったのではないかと思います。おそらく、ヨーロッパの「同じ面積でなら、できるだけ細かい部分まで再現する正確な複製像の方が必ず勝ち抜く」という細密な銅版画に接して、『わたくしのヨーロッパ印象記』などで、もともとの彼自身の方向性をさHamadalast らに推し進めて細密な描写を行っていました。それが、彼自身のものして消化された結果表われた作品の一つではないかと思います。ヨーロッパの銅版画は細密描写は、もともと版画が複製だとか写実的なものであったことから要請されてできたものだったのに対して、浜田の作品は、写実とは無関係にデフォルメされた形に鋭い線や細密な描写が為されている、ちょっとしたアンバランスなところに特徴があると思います。そのアンバランスさがギクシャクした印象を見る者に与えて、それが画面へのひっかかりをつくっている。それが特徴的に表われた作品のひとつではないかと思います。

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