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2018年8月 1日 (水)

浜田知明100年のまなざし展~戦争を経て、人間を見つめる(2)~1.兵士のまなざし 刻み込んだ記憶 1951~1954年

Hamadasoldier3  浜田が『初年兵哀歌』を、当初からシリーズとして計画的に制作したわけではなく、断続的に制作していくうちに、シリーズとなっていったというものらしいです。それが1951年から54年にかけてのことだそうです。
 その中の「便所の伝説」という作品です。モチーフとしては「歩哨」と似ていて、便所の個室で首を吊って自殺する初年兵の姿ということでしょうか。縦長の構図といい、背景を黒一色にして、人物の上方に四角い窓を白で表わし、そこから光が差し込んで人物を浮かび上がらせている、そういう構成は似通っていると思います。そして、自殺する人物、とくに顔をマンガのように極端にデフォルメして記号的にしています。そこから、浜田という作家が絵画的なニュアンスを追求するタイプではなくて、デザイン的に画面を設計していくタイプを志向していた人ではないかと思えるのです。しかし、展示されている作品をひとわたり見まわすと、この人のデザインのバリエイションに関しては、決して豊かな引き出しを持っているわけではないことが分かります。この「便所の伝説」と「歩哨」の関係がそうであるように、限られたデザインを使いまわすことで、画面をデザインしているという制作されたように見えます。つまり、創作するということよりも、いくつかのモチーフを組み合わせたり、変化させたりしてアレンジしていくということに近いのではないか。その場合、各モチーフは使いまわすために便利なパーツのようになっていった。その結果として、図案化された記号のような形、絵としてみるとデフォルメされたものとなったのではないかと思います。そこで、実際には、「便所の伝説」と「歩哨」の人物の顔は同じようなデザインでありながら、「歩哨」の方では黒丸の空洞のような目から滴の形をぶら下げることで涙を流している記号にしている。人の顔がそういうソリッドな形態になっています。
 Hamadasoldier4 「風景」という作品は引用した説明にありましたが、その中心に描かれている死体は、何の説明を受けずに虚心坦懐に見たとしたら、死体に見えるでしょうか。タイトルも何も聞かされないで見れば、奇妙な物体と見えてしまうと思います。そういう人の死体とは見えないようなグロテスクな姿になっているという表わし方が戦争の愚劣さを表現していると言えば、たしかにそうですが、それは、そのような解説を受けて初めて、そのように見えるというものであると思います。これはかなり強いこじ付けかもしれませんが、この死体の胴体の形と「歩哨」の人物の頭の形が何となく似ているような。ゴツコヅと角張っている、その形のデザインを、浜田は使いまわしている、と私には思えます。浜田という作家は、そのような造形を使ってしまう、何かを見ていても、それを当てはめてしまう、そんな感じがとても強くしました。これはこじつけといわれて、返す言葉はないのですが、同じ題名の「風景」という別の作品を見ると、この死体の物体がたくさん出てきて乱舞しているような図案になっています。まるで、この物体のモチーフをコピー・アンド・ペーストしたような。喩えとしては、不適当かもしれませんが、江戸時代の琳派、尾形光琳のカキツバタのたくさんの同じ形を複写したように画面に描いたのと似ているように見えます。ただし、琳派の場合には装飾的になったのに対して、浜田の場合にはグロテスクになっていったという違いです。しかし、両Hamadasoldier5 者には重量感が感じられない、一種の軽妙さが感じられるところで共通しているところがあると思います。
 「頭」という作品です。中央の立てられている棒の遥か後方で3人の人影がありますが、この人影の形態は、風景の物体の形態に似ています。ここでも、この形態が配されています。つまり、浜田の『初年兵哀歌』のシリーズは、この形態を様々に使いまわした、この形態をテーマとしたバリエィションと見ることもできるということです。そして、作者の意図がどうあれ戦争云々という予備知識がないところで作品を見ていく場合には、そういう見方の方がしっくりくるように思います。そして、そう考えると、この形態を明確にするという点では油絵に比べて版画という手法は適していると言えます。それはまた、画面全体がノッペリしていて平面的で奥行きを持たないものになっているという点でも、形のバリエイション、しかも、その形を記号的に扱Hamadasoldier6 っていくには好都合ではないかと思えます。この作品では中心の棒に刺して頭と背後の崖、そしてそのうしろの平原という前景、中景、後景の三段構造になっていますが、それぞれが平面でぺちゃんこで絵画的な奥行きがなく、空間のひろがりは感じられません。逆に背後の夜空と影となっている崖を黒とグレーの濃淡で色分けしている、その段階がノッペリしています。それが、生々しさとか、リアルな存在感とか、重量感のようなものが画面にはなくて、軽さ、そして抽象性が生まれています。それはおそらく見る者の想像力を掻き立てるものとなっているだろうと思います。
 「ぐにゃぐにゃとした太陽がのぼる」という作品。この画面でも空間の広がりというよりは、ミニチュアのジオラマを見下ろしているような人工的な世界として捉えられます。だからこそ、そこで不定形なものが浮かんでいても違和感はないのです。ひとつのデザイン的な世界をつくっている。それは平面的で、その世界のきまり、つまり記号で、構成されている世界です。ここでは、行軍している兵士たちが形のコピー・アンド・ペーストされているように見えます。そして、このコピー・アンド・ペーストで同じような形のバリエイションを画面に作っていくというのは、繰り返しということです。それは音楽でいえば、個々の楽器の音を響かせるというよりは、それによって形成される音の形をメロディとしてとりだして、それを繰り返していって聴き手に印象づけるということに似ていると思います。つまり、個々の兵士の肉体とか実在といったものを棚上げして、その外形の形態だけを取り出して、そHamadasoldier7 れを操作するということで表現をしていくというものです。だから、浜田のこれらの作品には、個々の兵士の個性的な存在ということはなくて、一般化された人間の肉体がグロテスクになっていたりするのです。先ほどの初年兵の哀しい姿は、軍隊の初年兵という立場が哀しいのであって、その当の個人としての家族や生い立ちがあって、そこで培われた性格をもって、その個人が他のひとにはない感情を持っていて、個人として、これだけはやりきれない切実な思いを抱いているといったことではないのです。それをあらわす微妙な表情とか、個性といったことは浜田の描写からは排除されています。そういう、ある意味で理念によって、人間の個性を切り捨てて抽象化した描写をする対象としては、軍隊というのは、たとえそれを告発するような姿勢であっても、とても扱い易いものであると言えるのではないでしょうか。こんな言い方をすると浜田を腐すと受け取られてしまうかもしれませんが、それだからこそ、浜田の作品はメッセージに捉われないでも、虚心坦懐に作品の画面だけを無心に眺めていても、十分楽しめるものであるのではないかと思うのです。
Hamadasoldier8  「刑場A」という作品です。中央の十字架のようなはしごが立てかけられたところから吊り下げられているのは、例の形態です。図式的なほどの遠近法の画面ですが遠近感とか奥行きのある空間になっていなくて、図面のような平面の記号的世界として捉えられると思います。シュルレアリスム的な世界といってもいいですし、最新のCGでつくられたファンタジー映画の一場面というような実在感のない、しかし、スペクタクルな世界ともいえると思います。
 浜田の作品を見ていると、戦争という重いテーマが言葉の情報として見る者に、作品を見る前に伝わってきて、それに縛られてしまいがちですが、あえてそういうことを考えずに、画面の造形だけを見ていると、形を見る楽しさに溢れた作品であることが分かるのではないかと思います。会場の静かな環境で、誰にも邪魔されずに思うがまま作品に向き合って見て、そう思いました。そういう見方をすると、この後の浜田の作品は、さらに面白くなってくると思います。

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