人間・髙山辰雄展~森羅万象への道(5)~Ⅰ-3.人間精神の探求(1970年代~1990年代前半)(2)

フリードリヒの「海辺の僧侶」では大きな画面に広がる暗く重苦しい空と海が茫洋と広がっている迫力に圧倒されて、それがドイツ北方の海外の写実的な風景を写実的に描いているのが分かります。その大きな画面の手前左に小さく僧侶らしき人物がポツンと、しかも後姿で描かれています。その事物の表情をうかがい知ることができず、見る者はどうしたのだろうかと想像力を掻き立てられます。高山の作品は、そのフリードリヒよりも、ずっと素っ気ない。たしかに水平線が画面の真ん中に一本引かれていて海であることは分かります。しかし、それ以外は色調は似ていますがフリードリヒの写実的な描き方とは正反対
で、抽象的といってもいい、フリードリヒにはあった岸はなくて、海の波なども細かく描かれているわけではありません。画面一面がグレーに塗られていて、そのグラデーションが点描で作られている。そのグラデーションによってパターンあるいは文様のように繰り返しがあるようには見えます。それが高山の作品であることのあらわれでしょうか。それはべつにして、ここには、海であることが分かるようなお約束はありません。しかし、海であることは見る者に想像させている、それで分かる・そういう作品になっていると思います。そこに高山の作品の大きな特徴があると思います。前にも触れましたが、日本画は、一般に高山のこの作品のように画面一般に絵の具を塗りたくるようなことしません。余白の美などという言い方をしますが、それはもともとの日本画が、当初は欧米で絵画として認められず工芸品として扱われたことからも分かるように、挿絵とか食器の絵模様といったものと同じに扱われていたためで、そこで描かれているのは、見てすぐに何が描かれているのか分かるものでした。日本画の画面では、それがあればよい、食器の絵模様が食器の全部の面に描かれているものではなくて、その一部に描かれているのと同じで、日本画も画面全部に描かれている必要はなかった。それを、画面全部を見て、描かれていないところに余白を感じるというのは、後付けの弁解と言えるかもしれません。その描かれているものは、挿絵や模様のように描かれている対象がどういうものか見る者に分かっていて、それが見て分かるように作品が制作されていた。そこで、画家はその前提のもとに、見る者が分かっているうえで細かいところで差異を作り出して画家の個性とした、それが趣向です。高山の作品は、そういう細かな差異という趣向の前提を否定するように、画面全体を作り出そうとしました。それは欧米で常識的に絵画として認められていることを日本画で馬鹿正直にやろうとしたということではないかと思います。だから、余白をつくる余裕など画面に生じる隙もないし、日本画のお約束のような記号が場面に入ってきません。ただし、それは高山が理念からそういう描き方をしたというのではなくて、画面に何か対象物を描いていく行き方でなくて、画面を構成させて作っていくという行き方をしていたことの帰結、つまり、そういう見方をする目を持ってしまったということからではないかと思います。だから、高山の人物画は構成ですべてをつくれない一方で、対象を描くということが稀薄で、人物の存在感がもともと薄いので、類型的な画面に陥っているところがあると思います。むしろ、高山の本領は、このような風景画にあるのではないか。

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