人間・髙山辰雄展~森羅万象への道(3)~Ⅰ-2.ゴーギャンとの出会い(1945年~1960年代)





「出山」という作品は基調となっている青の諧調とアクセントで挿入された赤が鮮烈な作品です。南宋時代の画家・梁楷の「出山釈迦図」という6年間にわたる山での苦行の末に、その無益さに気付き、真の悟りを求めて山を出る釈迦の姿を描いた作品に触発されて描いたということですが、私には全く関連性が分かりません。この時期、高山は様々なタイプの作品を試行錯誤するように描いていたのかもしれません。画面は人物を中心に据えた色面によるシンプルな構成から、中心のない、より複雑で重層的な構成へと展開しました。色面による平面的な表現とは打って変わって、彫刻的な量塊性を備えた人物群像は、石膏で彫像を作ってデッサンし、構想を重ね、ごつごつとした岩場を思わせる抽象的な風景をつくりだした。それは心の内面を投影したもので、暗く混沌とした画面からは、高山の迷いや苦しみを見る者に、強く想像させる効果を生み出す、と解説されていました。この前の作品がカンディンスキーの初期の色彩的な抽象作品を思い起こさせるのに対して、この作品はむしろジョルジュ・ルオーに似ていると思ったりします。私には、解説の内面性というよりも、画面中央の人物の両手を合わせたL字型を裏返した形が、この人物の横顔もそのパターンだし、左上の背景L字型の組合せになっているし、というように、画面全体がL字型の反復模様のように構成されている。そのパターンに沿って、色彩の基調となっている青の諧調が構成されている。そういう画面です。私には、様々な青でL字型が模様のように反復されている、という作品に見えます。

「花」という作品です。青を基調とした作品ばかり見ているような感じですが、この青という色の使い方や、この作品の背景にあるS字形の川の流れは、最初に見た「行人」の背景の川の流れと同じようですし、「出山」のL字型に手を合わせたパターンが繰り返されるのと共通しているようなところがあるということ。そういう構成
の中に、この作品では花が描かれているということ、しかも画面の中央ではなく左に寄っている。これらの作品を制作しているころから、高山は自身の制作パターンをつかみはじめて、それが高山自身の目にもフィードバックし始めたのではないか。高山の作品は見たままを写生とするという作品ではないと思いますが、それでも、このころになると、高山には、このように見えていたという感じがしてきます。それは、人でも月でも花でも、それ自体を独立した存在として見ない。人であれば、一人の人物として精神とか感情といった内面があって、どっしりとした存在感があるという捉え方ではなくて、周囲の環境と関係している結節点のようなもの。それだから人であれば内面や重量は無用で、他と関係している表面、もっというと肌触りのような存在として捉える。だからずっしりとした存在感はいらないわけです。それゆえに却って、日本画で人物を描いた作品が面白くなくて、美人画というのがあっても、それは美人という記号を飾ったように制作しているだけで人間を描いているとは思えないし、歴史画を試みた作品では小説の挿絵としてはいいのだけど・・といった作品ばかりで、それらはペッタンコになっていると思います。それが、高山の作品では、そのことを逆手にとって、もともと人間とは、そういう存在感などないものだという方向で、それをポジティブに描いているように、それがこれらの作品から、高山自身の人を見ている目がそういう見方をするようになってきたと思えるのです。これは、最初に引用した展覧会の主催者あいさつとは正反対の高山作品に対する印象かもしれませんが。

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