小津安二郎『お茶漬の味』の感想
小津安二郎のフィルモグラフィーをみると戦後は1年に1作のペースで作品を制作し、例えば
晩春(1949年)
宗方姉妹(1950年)
麦秋(1951年)
お茶漬の味(1952年)
東京物語(1953年)
という順番に制作されている。このうち、私の印象なのだけれど、「晩春」と「麦秋」の2作品と「宗方姉妹」と「お茶漬の味」の2作品は、印象が異なっている。(そして、敢えて言えば、「東京物語」は、これらの両方のタイプを統合したような作品と言える。)その違いとは。例えば、最初の方で小暮美千代が佐分利信の亭主を騙して、淡島千景らと修善寺温泉に旅行するところで、列車のシーンがあるが、列車の窓にキャメラを進行方向に向けて固定するようにして、前から景色が次々と迫って流れてくる様を映している。まるで、リュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅への列車の到着」が列車が迫ってくるのと逆に、景色が迫ってくるとでもいうような迫力あるシーンなのだ。しかし、「晩春」の笠智衆と原節子が電車で鎌倉から東京にでてくるシーンのアクションカッティングを駆使したダイナミックな躍動感に比べると、枠に収まった感じなのだ。どういう事かと言うと、「お茶漬の味」の列車のシーンはストーリーの説明として収まっていて、その中で迫力あるシーンになっている。これに対して、「晩春」の電車は、単に人が移動するという説明を超えて、その列車の躍動感が過剰で、観客に何かがありそうだという期待や不安を抱かせるという、その迫力がストーリーを創り出そうとするところがある。「晩春」や「麦秋」には、そのような個々のシーンや画面の細部に過剰さが、溢れるように見出すことができる。そして、それが実はストーリーを紡いだり、リアリティーを作り出したりしていて、それが映画の豊かさとなって結実している。これに対して、「お茶漬の味」は、そういう逸脱を抑えて骨格であるストーリーである小暮美千代と佐分利信のやりとりに焦点を絞り、個々のシーンはそれを効率よく説明するように作られている。従って、列車のシーンには過剰さが邪魔になってしまう。「お茶漬の味」がそうなっている、ひとつの理由は、たとえば小暮美千代が作品の中頃で、スレ違いの夫婦であることに苛立つところにある。これは、「晩春」で能を見た帰りに、原節子が笠智衆に対して苛立って怒りを爆発させるシーンとの違いに見ることができると思う。原節子の苛立ちには父親への嫉妬だったり、自身に縁談が無理強いされていることへの不満だったり、このままの生活がずっと続かない不安だったりとか、様々なことが複雑に絡み合って出てきたものだ。それは言葉や理屈では割り切れない、言葉や理屈にはならないこと、だから、それは言葉で説明できないし、映像で直接表すこともできない、そういうものを表しているのが原節子苛立ちといえる。しかし、そのことを原節子は言葉にはできないけれど、分かっている。それを小津監督は分かっていて、シーンを作った。だから、そこに至るまでに、過剰な細部が不安な影のようなニュアンスをさり気なく、見せてくれている。つまり、ストーリーと関係ない細部が語っているのだ。これに対して、小暮美千代は同じように言葉にできないのだけれど、そういうものが自分の中にあることを自覚していない。彼女は、自分が苛立っていることを意外に思い、そういう自分にさらに苛立つのだ。そこで、彼女は思ってもいなかった自分を表しだす。それは、今まで、表層の見えるものだけを禁欲的に描いてきた小津映画にはなかったものだ。だから、観客は、突然、彼女が苛立ちことに驚く、その驚きが逆に画面に観客を引き寄せ、共感やあるいは反発といった感情移入に誘うことになる。
前作「麦秋」で原節子が子持ちの医師と結婚することになり、結果的に親子三代の大家族が散り散りになってしまうという結末を悲劇でもなく、メデタシメデタシでもない、その一日が終わり、また、明日がくるという淡々とした終わり方になる。そこに名場面も名せりふのない。そういう一日の終わりが実は、真実を映し出し、見る者の感情をえぐってしまう作品になっている。しかし、そんなことをしている人間それ自身が、自身がどう思っているのか。その感情とか、内面とかを自身でも分からないのだ。だから、この作品の結末も、夫婦がよりを戻したとも、互いに諦めの境地になったとも取れるものとなっているが、それとても、どうなのか本人達にも分からない。その分からないのを分からないままに描こうとしている。(その時に、現実の場面がリアルに前面に出てきてしまっては、その分からなさに、かってに外側から理屈付けることになってしまうのだ。)それが、見る者にとっては、自身のとって切実なものとして否応なくコミットさせられてしまう。そういう作品になっていると思う。
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