無料ブログはココログ

« 決算説明会見学記~ピンチは最大のチャンス | トップページ | イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩(1) »

2018年10月25日 (木)

映画「真昼の決闘」の感想

11  フレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパー主演の映画「真昼の決闘」の感想。
 新婚の妻(グレース・ケリー、実はデビュー作)と共に町を去ろうとしているゲーリー・クーパー扮する保安官のもとに、かつて逮捕した男が出獄、お礼参りにやって来るとの知らせが入る。このまま去ろうという妻の意見を振り切って町に戻った保安官は住民に加勢を求めるが、誰も助けてくれない。男の汽車が到着する時間が迫る。それまでの1時間あまりを実時間として、頻繁に時計の針を示して、緊迫感を高める構成が斬新と言われた。ハワード・ホークスは、こんな情けない保安官と殺伐とした話に反発して、名作「リオ・ブラボー」を制作したという。
 この映画の魅力は保安官が孤立無援になっていくプロセスの陰惨さにある。彼は、自身の誇りと職業倫理のために町に残り、男を迎え撃つ決心をするが、妻にすら理解されない。町の人々は彼の功績を評価すると言いながら、彼がいるから男は復讐に来るのだから、さっさと逃げてくれればいいと思っている。かつて、彼を温かく包んでいたはずの環境が、掌を返したようによそよそしいものに変わってしまう。もはや何を信じていいのか分からないという底なしの不安。それをカメラは常に俳優の目の高さではなく腰のあたりのややローポジション、そこから仰ぎ見るショットは映画に重苦しい雰囲気を与えて、しかも、頻繁にカットを変えて落ち着かない。画面の中の保安官は、最初は人々と共に映っていたのが、次第にひとりだけの画面になっていく。
 そして、最後、彼は保安官のバッジを路上に投げ捨てて街を去る。彼は町そのものを捨てたということだ。その前に彼は町から見捨てられていた。彼にとっては、その町は守るに値しなかったという苦い認識。そういう、社会が一瞬のうちに、個人に対して暴力的になる。その恐ろしさを現代劇では、あまりに身につまされる。西部劇だからこそ可能になった。だから、現代の私が見ても、リアルに共感できる。そういう作品だと思う。

« 決算説明会見学記~ピンチは最大のチャンス | トップページ | イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩(1) »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 映画「真昼の決闘」の感想:

« 決算説明会見学記~ピンチは最大のチャンス | トップページ | イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩(1) »