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2018年11月

2018年11月25日 (日)

ある内部監査担当者の戯言(17)

たまに和服の若い男性の姿を東京郊外の地でも目にする。しかし、なんかぎこちない。駅の階段で前がはだけて裾を踏んづけそうになったりして、しかも、それを気にかけていない様子、というよりも、そんなものだと思っているような。

以前に、研修旅行で旅館の浴衣に着替える際に、若い人に、浴衣の帯を結ぶ前に腰で矯めると教えてあげても、それが何のことか分からなかった。身体感覚でそういうのが、分からなくなっているというのか、身体つきが対応できないようになっていた。和服でもそうだが、浴衣で歩く時は、上半身は背筋を伸ばした直立したかたちに腰矯の姿勢で固定して、腰から下を動かして歩く。腰から上を大地に平行移動させるようにして、摺り足で歩く。いわゆるナンバという右手右足を同時に前に出す歩き。それと反対の極端な歩き方はファッションショーのモデルの腰をひねって、手足を互い違いに前に出して、全身を揺らすようにして大股で歩く姿。和服で歩いていて、はだけてしまうのは、程度の差はあっても、その姿で歩くような身体になっているということではないか。

でも、能や歌舞伎、あるいは武道などではナンバ歩きをする。例えば、歌舞伎の勧進帳で弁慶が勧進帳を読み上げるときに、対する富樫はじっとしているように見える。しかし、そこで富樫は腰を矯めて対峙している。いわゆる肚芸なのだが、そこで二人は火花を散らし闘っているのだが、そういうのを身体で実感できるのか。あるいは京鹿子娘道成寺の乱拍子などは静止しているようにしか見えないのではないか。

それよりも、畳の部屋で文机をつかう姿勢もとれないのではないか。私は、今の若い人々のような腰高で、手足の長い身体つきではないので、僻みも入っているかもしれない。

2018年11月22日 (木)

日産のゴーン氏の事件について思うこと

日産の有価証券報告書の虚偽記載の件、といっても何のことやら、という人には、カルロス・ゴーン氏の役員報酬の開示を偽ったとして逮捕された事件について、若干述べます。

最初に、ゴーン氏ではなくて日産の件としたのは、有価証券報告書を実際に作っているのは日産という会社であるはずだからです。常識では、有価証券報告書というのは日産が記載するというものです。新聞やテレビのニュースの報道で、「ゴーン氏が」というようにゴーン氏という個人が主語になるとしたら、記載させたというのが普通のはずです。ゴーン氏が実際に書いているわけではなく、日産のしかるべき部署の担当者が作成したからです。以前、西武鉄道の有価証券報告書の虚偽記載が発覚した時は、当時の堤会長が書かせたと報じられたはずです。日産の場合も、有価証券報告書の虚偽記載となるはずなのに、ゴーン氏の個人の犯行のように報じられているのは不思議です。なぜでしょうか。そういう、変なところがあります。事件そのものについても、その報道についても。

役員報酬の額について、ゴーン氏から申告された額を有価証券報告書に記載されているように報じられています。そこで思うのは、日産の経理ってそんなにいい加減なのか?ということです。だって報酬を払っているのは日産なんだからゴーン氏から申告してもらう必要がどこにあるのでしょうか。ゴーン氏が一人で役員報酬の額を決めていて、誰も、その金額を知らなかったということですが、普通に考えれば、ゴーン氏が報酬額を独断で決めたとしても、その報酬金額をゴーン自身が銀行窓口に振込依頼しに行くとは到底思えません。少なくとも事務処理、経理処理を日産の社員の誰かがしているはずです。その時点で、ゴーン氏がいくらもらっているかは分かるはずではないでしょうか。それを帳簿につけて決算をするわけです。だから、有価証券報告書に役員報酬の記載をするのに、ゴーン氏に申告してもらう必要なんてないはずです。かりに申告してもらったとしても、それが正しいかどうかを帳簿で確認すれば、間違っていることが分からないはずがない。それが分からないのは、なぜか。だから、会社が組織的にやっていたと考える方が自然なのです。それをゴーン氏と仲間の代表取締役の二人の個人がやったことにされている。もっと言えば、監査法人の会計士が何も疑問に思わなかったのも変。それで、他の取締役がゴーン氏がいくらもらっていたか知らなかったというのは、知ろうとしなかったに等しい。何か変です。

そして、この事件で一番重要だと思うことは、そもそも、有価証券報告書というのは企業が責任を持って決算を公的に公開するものです。それについて、たとえ会長といっても、その言っている数値が検証や確認されずに記載されたようなのだということです。つまり、一番の問題は、有価証券報告書の役員報酬の数値がゴーン氏の言ったとおりに虚偽が記載されていたのが事実とすれば、他にもそういうところがあるかもしれない、その可能性があるということは容易に想像できてしまいます。例えば、会社の業績、つまり粉飾ということになるのです。そうなってしまったら、日産の決算が信用できないことになる。だから、この虚偽記載がどのように行なわれたかを明らかにすることが重要なので。虚偽ができるのは役員報酬に限ってなのか、それともすべての数値でも、できてしまうか、ということ。つまり、今、日産という会社の信頼が根底から揺らいでいると思うのです

しかし、そういうことに報道は興味がないのか、追究しようとしません。役員報酬額が高いかとか、日産の末端の社員を捕まえて感想をきくとか、かつてリストラした人のことを引き合いだすとか、あるいはルノーとの合併の話とそれに伴う陰謀の話とか、上述の事件の核心から話を逸らすかのように、混ぜっ返すような報道をしていて、報道は何をやりたいのか(役員報酬に関する報道の内容は、無知が露呈していて、知識がないからいえるような見当外れなことを報道していて、人々を誤解に誘導しているとはっきり言えます。)、これではフェイク・ニュースと言われても仕方がないのではないかと感じています。

 

2018年11月20日 (火)

映画「旅情」の感想

131487_01  アメリカ人で秘書をつとめているオールドミスが、初めて休暇でベニスを訪れて、旅先のアバンチュールにあって・・・という話で、以前は、その手の映画と思っていたのだけれど、何年か前、機会があって50歳を過ぎて再見したところ、身につまされるような感じで見ていた自分に気づいたりした。個人的偏見かもしないが、中高年を過ぎたと思ったサラリーマンは見るべき映画かもしれない。
 主演のキャサリン・ヘップバーンは、いわゆる中高年の年齢で、仕事はバリバリやってきたのだろう、それなりの貯えもありそうで、彼女の些か強引ともいえる行動力や多少ギスギスして見える几帳面さがヘップバーンの演技からよく窺える。多分、一緒に仕事をする際には有能で頼りになるだろうが、個人的には一緒にいたくないタイプ(ヘップバーンの代表作「フィラデルフィア物語」での演技に通じてもいる)。しかし、根はちょっとはにかみや人の好いタイプだったのがキャリアを経るうちに鎧をまとった。そのよろいが、旅先で少しずつ脱ぎ始める彼女の変化が素晴らしい。ロッサノ・ブラッツィという相手もいることはいるが、むしろ彼は、ヘップバーンの再生に感化されて惹き付けられてしまったにすぎない。そのクライマックスがラストの列車のシーン。作品冒頭の列車でベニスに来るときには一種の躁状態のような無理に力が入っていた。しかし、ベニスを出るときには、そういった余計なものを洗い落としたような、素の好い人になっている。想像するに、初めてのバカンスでヨーロッパというのは、それまではキャリアを進めるに精一杯だったということではないか、そして今更初めてということは、そういう無理をすることがなくなった、旅先でのオールドミスとしての寂しさを見せる、ということは何らの挫折か、そこまでいかなくても、キャリアを詰めていくに先が見えたとか、今まで通りのがんばりに意味を見出せなくなった、そんな境遇だったのでは、それは私の個人的な思い入れかもしれないが、彼女の行動がカラ元気と一瞬の寂しげな仕草(例えば、まとわりつく浮浪児への態度がコロコロ変わる変わり方)にそういうところはある。その振り幅が彼女の行動にあらわれているのがラストに向けて、その振り幅が収斂するように、また、顔の表情から力みが消えていく。列車に話を戻すと、冒頭のベニスに来るときは窓からカメラで撮影するだけけれど、帰るときは窓をいっぱいに開けて自身の上半身をまどから乗り出し、いうなれば一線を超えた結果ということなのだろうか。多分、ここで彼女は自身の原点にもどって再生してきた、そういう物語として、見えてきた。まあ、そもそも、キャサリン・ヘップバーン、同じラストネームのオードリーというひ弱な少女と違って、転んでもただでは起きないのだ。中年過ぎても列車から半身乗り出して、暴走族のハコ乗りみたいなことをやってしまうのだ。多分、帰国して職場に戻っても、社内のあっちへチョコチョコ、こっちヘチョコチョコ動き回って周囲にうるさがられのだろうけれど、それをキャリアのためとか、仕事だからなどと他律的なことをいうのではなく、「アタシがやっての文句ある?」とか言いそうなのだ。その時、きっと目は微笑んでいる、そう想わせるラスト。ちょっと長い割には分かり難い説明かもしれないが。
 一方で、余談として、この映画の制作年代は1950年代で、アメリカが一番輝いていた時代で、今の中国の爆買ツアーみたいにアメリカ人が大挙してヨーロッパにでかけ当地でマナーが悪いとか顰蹙を買っていた時代で、この映画は、それにも行けないアメリカの人々に、旅行気分を味わう機能も果たしていたといえる。誠実なデビット・リーン監督は、運河にゴミを捨てるシーンをわざと入れたり、浮浪児を登場させて、単にキレイなだけのベニスで終わらせないようにしている。事実、ロッサノ・ブラッツィ演じる人物はアメリカの田舎者を食い物にしてひと儲けしようと思っている。当時のヨーロッパとアメリカの関係の縮図のようなものも、そこに反映していた。
 主演のキャサリン・ヘップバーンは、この後の枯れた演技が日本では好まれるようで「アフリカの女王」とか「黄昏」などが人気だけれど、この人の真骨頂は嫌になるほど強引で元気が良くて、だけど洒落っ気たっぷりのところだと思う。「フィラデルフィア物語」「アダム氏とマダム」「赤ちゃん教育」も日本での人気はイマイチなのが惜しい。

2018年11月15日 (木)

映画「牯嶺街少年殺人事件」の感想

111111  エドワード・ヤン監督の映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」の感想。
 この映画の舞台は1960年の戒厳令下の台湾。蒋介石が共産党との戦いから台湾に敗走し、人民解放軍がいつ攻めてくるか分からないという切迫した時代の空気が充満していた。その台湾では、中国本土から多くの人々が共産党支配から台湾に逃亡し、外省人と呼ばれ、もともと台湾に住んでいる本省人との仲はきわめて微妙な緊張感が張りつめていた。本作の主人公の少年の家族は外省人であり、彼は優秀な成績でありながら中学の夜間部にしか入れない。その中学では、彼と同様の境遇の少年たちが徒党を組んで、暴力構想を繰り広げていた。しかも、同じグループのなかでも内部対立を抱え、事態は錯綜し、混迷を深めていた。その中で、主人公の小四は一人の少女と出会う。登場人物も多数に渡り、粗筋を要約しようとして途方に暮れてしまう複雑な話なのだが、同じカメラアングルで捉えた空間を何度も異なる瞬間に描きだすことで、位置関係や人物関係の推移を表現していて、映画を見る目線は、そこにも吸い寄せられる。例えば、主人公が父親と自転車で並んでいる場面が数回出てくる。そのたびごとの微妙な違いが、父と子がそれぞれに追い詰められていく変化を表わしている。そういう映像が約4時間にわたり、弛緩することを許さないが如く、緊張を強いられる。というより、目が離せない。というと、楽しいとはかけ離れた難しい映画と誤解されそうだが。例えば、少年たちの抗争のなかで襲撃するシーン。台風による暴風雨の夜、停電で真っ暗となった状態で、気配を察した敵側が何本も灯されていた蝋燭を一息に吹き消す瞬間に、暗闇の中で暴力が炸裂する。罵声と共に少年たちは相手に襲いかかるのだが、暗闇の中で、時折わずかな光の中で人影がもつれ合う部分だけか断片的に映る。全部見えないだけに、切迫した緊張と血腥い暴力の匂いのようなものが強烈に感じられる。その禍々しさや生々しさが迫力となって迫ってくる。死の匂いというのか。そういう時間と空間に包まれるというのは、滅多にあるものじゃない。
 私は、この映画のどこまでを見れていたのだろう、と見終わった後、途方に暮れてしまい。また、見なくては、見たいと思わせられてしまう。そういう映画だ。私にとっては。

2018年11月13日 (火)

イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩(5)~第4章 山岳─あらたな景観美をさがして

Turner2018snowdon  山岳に魅せられたターナーは、スケッチのためにスコットランドの高地からアルプスに至るまで足を運び、崇高な山岳風景を描いた。交通手段があまりなく、気軽に遠方に旅行ができない当時の人々にとって、それは視覚的な驚きと新鮮な感動をともなうものだったと説明がありました。当時は、山岳風景が美しく観賞の対象になるということが定着していなくて、風景画の対象とするひとも少なかった。そういう新規の市場に着目したのはターナーという人のマーケティングセンスと言っていいと思います。この前のコーナーのローマの観光案内風の作品なども、そうで産業革命による経済成長で大衆市民社会が生まれてきて、絵画の新しい消費者への売り込みというのが、ターナーの画家としての顧客拡大、当然画家としての名声につながるわけでしょうから、そのためのマーケティングセンスのあらわれたのが、ここで展示されているような作品を制作して売りさばくことができたということではないかと思います。
 「スノードン山、残照」という作品は、画家の20代の頃の作品で、上手いです。横広の画面で、手前に丘が描かれていて、そこから谷が落ち込んで、その谷を隔てて遠景にして、そこに夕方の残照かあたることで山をクローズアップするような効果を生んでいる。そういう演出は巧みです。
Turner2018rolerai  「ローレライ」などはヨーロッパ大陸の観光名所を、物語で脚色されたような感じではなく、今では観光ポスターのような実際にそこに行って見える風景のような描き方をしています。岸壁の描き方などは丁寧ですが、屹立する岩の崇高さというより、川が水平に流れている横の広がりがパノラマ風景のようなものとなっています。それが臨場感を生んでいるのかもしれません。他にもたくさんのスケッチや版画。
このターナー展は上手い風景画家としてのターナーの作品をみていて、その中に数点の一線を超えた作品があって、私の場合は焦点は、どうしてもそっちにいってしまったのですが、それだけでも見られて良かったと思います。

2018年11月12日 (月)

イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩(4)~第3章 イタリア─古代への憧れ

 40歳をすぎてはじめてローマを訪れたターナーは、古代の世界の美を感じさせ、物語性のある風景スケッチに取り組んだと説明されていました。
Turner2018rome  「モンテ・マリオから見たローマ」という作品は、その時のスケッチをもとに描かれたもので、歴史のある都市が日没時の光を受けて浮かび上がる。北部にある丘からローマの中心部を眺めた。右手にはサンピエトロ大聖堂の威容。左手にはテヴェレ川とカンピドリオの丘。田園地帯からはたき火の煙がたなびき、前景の少女と笛を吹く少年の存在とともに牧歌的な雰囲気を醸し出すという、言ってみれば観光案内のパンフレットの挿絵のような目的で描かれたような作品です。右手前の前景を別にすれば、横にひろがるパノラマのような広角の、これまでに見てきたターナーのパターンです。イギリスとは異なる南欧の明るい陽光とローマの風景をそれと分かるように正確に描いているところは、さすがにターナーという人が上手な画家であることが分かります。
Turner2018egypt  「キリスト教の黎明(エジプトへの逃避)」という作品は、もやもやした雲のような画面に、両側が黒く川の両岸のようなものなのか、何が描かれているのか形がぼんやりして判然としない、これぞターナーといった作品。人の顔も、色使いも、筆運びもベタタッとしている。水面と空の雲に境目がなくてつながっていて、そこに黒い両岸があるという、何か宙に浮いているのか、神話の世界のものなのか、現実でない彼岸の風景というのか、前のコーナーでも触れましたが、ターナーの形のない風景というのは、そういうものへの憧れが含まれている。そこに、この作品では宗教的な背景もあるもというよりも、こういう神話を題材にすると、もっともらしくなる。しかし、エジプト逃避というのだから旧約聖書の物語のばずだすが、右の木の下にマリアらしき人影のようなものがありますが、これを見てその物語を塑像することはできないと思います。
あとはスケッチや版画がたくさん。

2018年11月11日 (日)

イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩(3)~第2章 海景─海岸国家に生きて

Turner2018falmas_2  島国のイギリスでは、海景画は主要な芸術のジャンルで、海を愛したターナーは、海が持つパワーを絵で表現しようと果敢に挑戦し、絶大な人気を博したと言います。このような説明がされているところから、この展覧会はターナーを人気を博した、上手い風景画家というスタンスで展示を考えていることが分かってきます。私のように絵画の一線を超えようとした人という視点はとってはいないようです。なぜなら、海を描いた作品からターナーの飛翔が始まっていくはずですから。そう私は思っています。
 「ファルマス港、コーンウォール」という作品は、上述のパターンを踏襲した作品で、こういうのであれば安心して見ていられます。画面右端の手前の左端から真ん中に向けて山が海に落ちていく下り坂の稜線と、雲の線が、同じ向きになって、海の波のように繰り返しになっていて、それが、画面真ん中下の海の水平の白い線、つまり波があって、そこが中心でその先に島が盛り上がって、向こう側Turner2018tempest_2 を隠しています。一方、画面左側には手前で人々が海を眺めている。画面の左右で対照が作られています。前のコーナーの作品でも、またこういう作品でも、ターナーという人には、単に風景を写すように描くだけでなく、はるかな向こう側への憧憬、というとロマティックですが、そういう彼岸への志向性があって、それが自然と、このようなパターンを作ってしまっていたのかもしれません。
 「嵐の近づく風景」という作品。上のようなパターンにはまった作品を描く一方で、若いターナーは、こんな作品を描き始めていた。町や谷の風景は、海の波のようなダイナミックな動きはないので、それとは違った描き方をする。ここには、牧歌的な風景とは異なる人間のささやかな努力を圧倒するような強大な自然の力をロマンティックな手法で描く、左から右へ覆い始めた暗雲、強風で横倒しになる船、急いで帆を下げようとする人の動き、強大な力を今にも爆発させようとする波のうねりといったものです。また、海には水平線という横の線があって、その向こうは見えないというのは、陸の消失点をわざわざ作らなくてTurner2018tempest2 も、水平線で向こう側があるということも、特異なところでしょうか。「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」という作品は、波の描き方が、より激しいものとなって、雲の渦巻く様子など、画面のいたるところにダイナミックな動きが人間ささやかな努力を圧倒する自然の力なんですが、それは人間の視点から自然の凄みみたいなものを描くということを超えて、その向こう側にいこうとしている、そういう志向があるように見えます。人間の視点で、ということは自然科学もそうだし、これからそれを克服していこうというポジティブに冷静さみたいなものが底流にある、それが近代的な視点なのですが、これらの作品には、そういうのが追いつかない、もっと圧倒的なもの、人間を超えた超越的な視点に行こうとしているように見えます。それが、私が独断と偏見で見ているターナーの始まりではないかと思います。
Turner2018ostend  「オステンデ沖の汽船」という作品では、これまでのパターンが雲散霧消というよりも、すべてがもやもやしていて、海と空、雲そして汽船の煙との区分が曖昧になって手前の木造の船の一部らしきもの以外は、形が分かるものが何もないという、抽象画みたいになってきています。これが、ターナーが一線を超え始めた作品であることは確かでしょう。この展覧会では、このような超えてしまったターナーの作品は少なく、いかにも風景画といった作品が大半だったので、この作品とともに数点が集まって展示されていた一画は、私には、この展覧会の白眉と言えるものでした。それが、この展覧会で、ここまでのパターンの上手い風景画を見てきて、この一線を超えた、「オステンデ沖の汽船」や「海と空の習作」「波の習作」といった抽象画のようになってしまった作品というのは、それまでのターナーの風景画にあって、消失点のあちら側とか海の水平線の向こうとか、山に隠れてみえないあっちの方とか、要するに、ターナーの風景画にある、遥かな向こう側への憧れのようなものが常にあって、それは描くことが出来ないけれど、憧れ、画家として描きたいという思いがずっと作品に流れていたように思います。他の画家であれば、それは遂げられない片想いのように、そのまま大切にしておいて、その思いを作品に投影するようにするのでしょう。しかし、ターナーはそれだけでは満たされなかった。そこで何とかして向こう側に・・・。そこで一線を超えた。しかし、超えたことはいいとして、それはどう描くかということになった。ターナーは超えたかも市内が、他の人はこっち側にとどまっている。だから超えた先を描いたとしても、こっちの人にはそれが分かるはずもない。しかし、それをこっちと同じに描いたら、あっちとは思うはずもない。そういうところで、こっちでありえない画面であることが最低限必要になるわけです。だからというわけではありませんが、今までの描き方で描いてもしょうがないわけです。そのことがターナーの背中を押した。少なくとも、そういうことはあったのではないかと想像できるのです。それまでの彼の風景画を見ていると。

2018年11月10日 (土)

イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩(2)~第1章 地誌的風景画

Turner2018maln  若い頃のターナーは、個々の土地や地形を正確に再現、記録することを目的とした地誌的風景画を描くことに取り組み、画家としての出発は素描家、水彩画家だったそうです。言ってみれば、見ればそことわかる絵葉書的な風景を正確に丹念に仕上げたという職人仕事のような作品です。
 「マームズベリー修道院」という17歳の水彩画ですが、慥かに上手いのだろうと思います。しかも、19世紀のロマン主義の廃墟趣味が入っていて、ピクチュアレスクな演出もある。これは受けるだろうなあ、と思います。
Turner2018road  ここに展示されている地誌的風景画というのは、上の「マームズベリー修道院」は若描きの作品だからと別にすれば、写真で言うと広角レンズで撮影したような横長の画面に左右にひろがっていくような構図になっています。しかも、そのほとんどで画面の中央を遠近法の消失点のようにして、その中心がへこんで、画面の左右の端に建物や樹木、あるいは山岳の崖が屹立するように迫力をだしていて、中央にむけて、それがへこんでいくと、視線がそこに導かれるようにして、奥行きを感じるとともに、その向こうへ視線を誘導されるようになっています。たいていは、画面真ん中の下部、つまり見る者には手前と感じられるところに人の姿が描かれていて、それが見る者に親近感とか、身近に感じさせる、つまり見る者の側に近いところにいて、そこから、その上の方の消失点に見る者の視線が導かれていくと、その点の先、つまり向こう側は何も描かれているわけではありませんが、向こう側、つまり彼岸といっていいのか、ある意味、現実の人が行くことのできない憧れとか、憧憬の先のようなもの、それが画面下の手前に感じられるところから、そこに見る者の視線が導かれるように構成されています。例えば、「並木道、フTurner2018stanford ァーンリー・ホール」という作品では広い道の両側には並木が左右から被さっているようになっていて、それで道が薄暗くなっていて、真ん中はその道が向こうに向けて真っ直ぐに、向こう側にのびています。その伸びた先は明るくなっています。その向こうに向けて、人が一人、こちらに背を向けて歩いています。また、「スタンフォード・リンカシャー」という作品では、町の風景ですが、大通りの両側は並木ではなく建物です。向こうに伸びている道の先には教会の塔がそびえています。
 「ソマーヒル、トンブリッジ」という作品は、この展示コーナーでも最大の作品のひとつですが、上述のパターンの変形で、両側から真ん中にへこんでいくのと反対に、両側からまんなかに凸っていくという逆パターンなこと以外は、パターンとおりです。手前の池の水面の透明な水の感じなどは、巧いひとだなあという印象がとても強いですね。
全体として、このコーナーの作品をみていると、たしかに上手いし、人々に受け容れられてTurner2018somarhill 評価されているのは分かります。しかし、このために入場料を払って、わざわざ出かけてまでも見たいと思うかどうか、そういう作品になっているのか、そういう作品、と私には思えます。

2018年11月 9日 (金)

イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩(1)

 2018年6月はじめに損保ジャパン日本興亜美術館で見てきた「イギリス風景画の巨匠 ターナー 風景の詩」の感想です。
Turner2018pos_2  午後から用事があって都心に出た帰り、この美術館は金曜日で閉館時間が7時なので、間に合うと思って、立ち寄った。ターナーは、5年前に東京都美術館のターナー展以来ということになる。ターナーという画家には、様々な見方、見せ方があるとおもうので、まずは主催者のあいさつをいんようして、どのようなスタンスで展示しようとしているのかを確認したいと思います。“ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)は、イギリスで最も偉大な画家であり、風景画の歴史において最も独創的な画家のひとりです。卓越した技法によって、海の風景、崇高な山、穏やかな風景など、自然の多様な風景を描くとともに、歴史的風景画にも取り組みました。光と空気に包まれた革新的な風景表現は、今日においても多くの芸術家にインスピレーションを与えています。ロンドンに生まれたターナーは20代の若さでイギリス美術の最高権威、ロイヤル・アカデミーの正会員となりました。イギリス国内はもとより、フランス、スイス、イタリア、ドイツなどヨーロッパ各地を旅行し、多くの風景画を描きました。また、詩集の挿絵や地誌に関する出版物など多くの版画も残しています。本展は、4つの章(地誌的風景画、海景、イタリア、山岳)を設定し、各章にふさわしい作品を、スコットランド国立美術館群などイギリス各地と日本国内の美術館から選りすぐって紹介、最新の知見をもとにターナー芸術を再考し、その核心と魅力に迫ります。”引用したあいさつでは、総花的というのか、可もなく不可もないもので、展示も風景画の巨匠ということで、風景画を並べました、というものでした。私にとっては、ターナーという画家は、それだけでは終わらない人で、風景画という枠を風景画を描いていて超えてしまったという人です。今回の展覧会では、そういう視点はなくて、しかし、展示されていた作品には、超えてしまう要素の萌芽が見られる作品もあり、それなりのボリュームもありました。

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