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2018年11月25日 (日)

ある内部監査担当者の戯言(17)

たまに和服の若い男性の姿を東京郊外の地でも目にする。しかし、なんかぎこちない。駅の階段で前がはだけて裾を踏んづけそうになったりして、しかも、それを気にかけていない様子、というよりも、そんなものだと思っているような。

以前に、研修旅行で旅館の浴衣に着替える際に、若い人に、浴衣の帯を結ぶ前に腰で矯めると教えてあげても、それが何のことか分からなかった。身体感覚でそういうのが、分からなくなっているというのか、身体つきが対応できないようになっていた。和服でもそうだが、浴衣で歩く時は、上半身は背筋を伸ばした直立したかたちに腰矯の姿勢で固定して、腰から下を動かして歩く。腰から上を大地に平行移動させるようにして、摺り足で歩く。いわゆるナンバという右手右足を同時に前に出す歩き。それと反対の極端な歩き方はファッションショーのモデルの腰をひねって、手足を互い違いに前に出して、全身を揺らすようにして大股で歩く姿。和服で歩いていて、はだけてしまうのは、程度の差はあっても、その姿で歩くような身体になっているということではないか。

でも、能や歌舞伎、あるいは武道などではナンバ歩きをする。例えば、歌舞伎の勧進帳で弁慶が勧進帳を読み上げるときに、対する富樫はじっとしているように見える。しかし、そこで富樫は腰を矯めて対峙している。いわゆる肚芸なのだが、そこで二人は火花を散らし闘っているのだが、そういうのを身体で実感できるのか。あるいは京鹿子娘道成寺の乱拍子などは静止しているようにしか見えないのではないか。

それよりも、畳の部屋で文机をつかう姿勢もとれないのではないか。私は、今の若い人々のような腰高で、手足の長い身体つきではないので、僻みも入っているかもしれない。

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