映画「薄桜記」の感想
市川雷蔵主演、森一生監督の映画「薄桜記」を見た感想。
市川雷蔵等の大映時代劇と片岡知恵蔵や市川右太衛門等の東映時代劇との画面上の大きな違いは、室内の柱が黒いのと白いことだ。東映の時代劇は建物の柱の新築のような白木で画面が明るく開放的になる。そこでヒーローが明朗快活に活躍する。これに対して大映の場合は、柱は古い寺院などにあるように黒光りしている。その黒い柱は古い伝統を思い起こさせ画面は暗くなる。それは武家社会の伝統が重くのしかかるようだ。眠狂四郎は、異例な出自のために伝統的な制約のために武家の社会から疎外され、自身のアイデンテティに対してシニカルにならざるを得ない。しかも、この作品はシネマスコープの横長の画面で上下が狭く、上から抑えつけられるような空間の閉塞を見るものに強く感じさせ、それは武家社会の抑圧のように、直接には見えてこないが感じさせる。
この映画は、忠臣蔵の外伝といったストーリー。中山(堀部)安兵衛のいわゆる高田馬場の決闘を陰で助けた主人公が逆恨みにあって留守中に妻を襲われてしまう。妻を襲った相手への復讐のため、愛する妻と別れ、職を辞し、自身は浪々の身に、しかし片腕を失ってしまう。その後、別れ別れになった妻と夫は、忠臣蔵の討ち入りの進行と併行して再会は悲劇的な結末に・・・。
忠臣蔵という話も、武士のメンツという建前のために自身の生命や家族の生活を犠牲にして人殺しをするという、人間性を抑圧する話ともいえる。主人公の丹下典膳は、当初は純粋で正義感の強い青年で、新婚アツアツの幸福感溢れています。妻が襲われても、武家でなければ忘れよう、出直そうということができるのに、武家はメンツがあってできない。離縁しなければならないし、彼女も自害することになってしまう。なんとかの自害を避けようと一計を案じるが、家を断絶し、片手を失う。全てを失い半身不随となった典膳は、復讐の念に凝り固まり、当初の清新さのかけらもない無残な姿に変わり果てていた。それは眠狂四郎には世を拗ねる余裕があったが、落剝した典膳には救いようのない絶望があった。最初の青春そのもののような姿があったので、その落差が、一層凄惨なのだった。その復讐の中で、典膳は片脚を撃たれて、立てなくなる。最後は雪の夜に、もはや立てない典膳が敵に囲まれて決闘するという凄惨なシーン。それを上からのカメラで俯瞰で撮る。最後の最後でも上から抑えつけられるような圧迫の視点。そこだからこそ、斃れた瀕死の典膳と妻が雪の白い地面に真紅の血まみれになって手をつなぎ息絶える二人は、純粋に愛を貫き、美しかった。
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