エドワード・ヤン監督の映画「恐怖分子」の感想

英敬, 石田: 記号論講義 ――日常生活批判のためのレッスン (ちくま学芸文庫)
記号論は19世紀終わりから20世紀はじめの近代科学の実体的な認識から関係論的な認識の転換に伴って生まれてきたものだ、と著者は言う。それまでの常識は、実体を前提として、認識すべき実体が客観的に存在していて、それを意識をもった主体が認識するという、それを表わすのが言葉であり記号であるというもの。ところが、20世紀の転換は、認識の視点自体が主体と客体の関係を構成するという関係性の場をつくりだす。そこには意味づけがつねに為されることになる。つまり、客観的に存在する実体ではなくて、主体にとって、そこに存在することに意味があるから認識する。例えば、目の前に大きな石があれば、それはぶつかると危ないという意味がある。だから、その存在を認識し、主体はぶつからないように避けようとする。このとき、主体と客体である石はぶつかる危険をさけるという意味があって、石は、主体にとって存在している。そして、その意味付けという、関係を設定するときに重要な役目を果たすのが言葉とか記号である。これが記号論。
そうすると、私がいる空間とか時間というのは、私にとって意味がある、と意味づけされたもので、それは、私の時間や空間への関わり方によって、変わってくる。その関わり方をつくっていくのが、記号ということになる。とくに、現代では、そこにメディアというものが入り込み、記号が複雑になり、重要度が大きくなっている。それは現象学における意識の志向性と新カント派の主観性の説明も、これと共通するところがあると思った。それを具体的に紹介しているのが本書。ただし、本書は、私が書いているような抽象的な議論ではなく、具体的な実例をたくさん提示していて、容易に、どういうことかイメージできるようになっている。
(★★★★)
片山 杜秀: 皇国史観 (文春新書 1259)
「皇国史観」を辞書で繙けば、「国家神道に基づき、日本の歴史を万世一系の現人神である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国の歴史として描く歴史観」ということになる。著者は、これは近代の産物であることを強調する。明治以降、近代西洋的価値観が覇権を握る世界で日本なりの近代を創出し生き残りを図ろうとしていく中で、この国が選んだ枠組みがまさに天皇を中心とした国家で、それを思想として理論づける役割を担ったのが皇国史観だという。実際のところ、維新の元勲たちにとって下級武士だった彼らが、大名等の上級武士を通り越して権力を行使するためには天皇の意思を体現している存在と位置づけた。他方で、その天皇は君臨するだけで、意思を持たないほうが良かった。したがって、天皇の権威は、徳という人格とか力とか能力といったものではなく、ただ存在するということだけで正統性を主張するものが必要で、皇国史観はそういうニーズに応えるものだった。そこに天皇自身の意思はないし、必要ない。
こういう天皇のあり方を否定したのが、平成の天皇だという。彼は自身の退位の意向を自身の意思で公表し、その際、天皇はただ存在するだけでは象徴にはなり得ない。つまり、存在するだけで正統性があるという論理を否定した。ここで近代的な天皇を、天皇自身が否定の意思を示した。皇国史観が否定されたことになる。
そういう天皇に、むしろ国民の方が追いついていないで、取り残されつつあるように、私は思う。 (★★★)
蓮實 重彦: 帝国の陰謀 (ちくま学芸文庫)
(★★★★)
蓮實 重彦: 伯爵夫人 (新潮文庫)
(★★★)
小坂井 敏晶: 神の亡霊: 近代という物語
(★★★★)
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2018年10月に国立西洋美術館で見てきた「ルーベンス展─バロックの誕生」の感想をまとめました。
ペーテル・ルーベンスという画家、バロックの巨匠と言われている人ですが、捉えどころのないというのでしょうか、とにかく作品の数は多いし、その代表的なものは巨大な作品で運搬するのは大変だろうから、日本で作品を集めて展示するのは物理的に難しい(そうでなくても、作品自体を日本に持ってくるのは大変だろう)だろうと。5年位前に、文化村のザ・ミュージアムという天井の低い、比較的狭いところでルーベンス展をやっていたのを見ましたが、その時は、肖像画や小品を中心にして、あとは工房の制作したもので、本人の大作というのは、あまりなかったと覚えています。この時展示されていた作品のいくつかは、今回、再会できものもありましたが、それでも、肖像画のすばらしさに、その時であったのを覚えています。しかし、この人の本領は大作ではないかと思ったときに、物足りなさを覚えたものでした。それが、今回は、工房制作らしきものや比較のために他の画家の作品もありますが、ほとんど本人の作で、それをこれだけの点数(40点あるということです)、しかも、西洋美術館の地下の大きな天井の高い空間に、宗教画の大作が並べられていたのは壮観以外のなにものでありませんでした。まだ、会期がはじまって10日目で、金曜日の夕方で、比較的混まないだろうと思っていましたが。鑑賞に支障のあるほどではありませんが、けっこう鑑賞者は多くて、作品によっては前に人だかりができているほどでした。これから会期が進むに連れて、かなり混雑するのではないか、しかし、それだけの内容でありました。
さて、ルーベンスという画家については、美術史の中でもひときわ大きく輝く巨星のような人で、いまさら紹介する必要はないと思いますが、しかし、この人の全貌を明らかにするのは不可能に近いので、どうしてもある視点にしたがって、作品を見せるということになると思います。その点で主催者のあいさつを引用します。
“17世紀バロックを代表する画家、ペーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)。彼は現在のベルギーの町アントウェルペンで修業し、大工房を構え活動しました。しかし、画家として独り立ちした直後の1600年から08年まで、おもにイタリアで過ごしたことは、わが国ではあまり知られていません。ルーベンスはヴェネツィアやマントヴァ、そしてとりわけローマでさまざまな表現を吸収して画風を確立し、帰郷後はそれを発展させたのです。洗練された教養人だった彼にとって、イタリアは芸術における理想の地であると同時に、古代という理想の世界に近づきうる地でした。帰郷して20年以上経った時、ルーベンスは手紙にこう記しています。
「イタリアに行く望みを叶えることを諦めたわけではありません。それどころか、この気持ちは刻々高まるのです。断言いたしますが、もし運命がこの望みを許さないのであれば、私は満足して生きることも、満ち足りて死ぬこともないでしょう。」
本展は、ルーベンスをいわばイタリアの画家として紹介する試みです。彼の作品は、この地の芸術作品とともに展示されます。古代やルネサンス、そして次の世代の作品とルーベンスの作品を比較することによって、彼がイタリアから学んだこと、そしてとりわけ、彼が与えたものはなんであったのかを解明します。ルーベンスとイタリア・バロック美術という、西洋美術のふたつのハイライトに対する新たな眼差しを、日本の観衆に与える最良の機会となるでしょう。”
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