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2019年1月 9日 (水)

ルーベンス展─バロックの誕生(6)~Ⅲ.英雄としての聖人たち─宗教画とバロック(3)

Rubence2018pieta  「キリスト哀悼」という作品です。同じ題名で二つの作品が展示さていましたが、こちらは制作年代が後の方です。構図は、「法悦のマグダラのマリア」とよく似ていて、おおきな違いは、「法悦のマグダラのマリア」にあった上半分の空間が「キリスト哀悼」にはなくて、空間が閉じているようになっていることです。その横長の画面の左上から右下への対角線にキリストの遺骸が仰向けに横たわっています。キリストの身体は緊張感なく開いた両足や力なく垂れた両腕が、何よりも血の気の失せた土気色の肌が死体であることを容赦なく物語っています。キリストの右手には聖母マリアが寄り添い、右手で額に刺Rubencefukkatu さった棘を抜き、左手でわずかに開いたままの眼を閉じようとしています。そのほかにも、遺骸を取り囲む人々が、キリストの死を悼む姿をそれぞれに描き分けていて、それぞれのドラマが物語られているという感じです。その、それぞれのドラマが画面の中心であるキリストの遺骸に向けられて、見る者の視線をそこに引き込むようにして、共感を誘うような構図になっています。その中で、画面右上の女性だけは、キリストの遺骸を見ずに、視線を上に向けています。これは、画面全体が暗い中にあるなかで、上方の空間が切られていて隠された形になっていますが、この女性の視線は、そこに向けられていて、そこに何かがある事を暗示しているのでしょうか。この作品には、強い光は注がれていません。それを、女性ははるか上方に眼を向けているのは、その暗示なのでしょうか。
 「死と罪に勝利するキリスト」は、死から復活したキリストで、墓から蘇ったところのキリストの姿です。赤いマントをはおったキリストは石棺の上に腰かけて、その堂々とした身体そのものが死に対する勝利をものがたっているといいます。足元に骸骨と蛇が踏みつけられ、それ象徴されています。こRubence2018rene れと似たようなものを以前のルーベンス展でも「復活のキリスト」という作品を見ました。これらを見ていると形式的とか様式的とでもいうような感じがします。リアルとか効果という以前に、教会の祭壇などに飾るためにある程度決まりのパターンにまとめるというのか。それだからというのでもないのですが、沢山の作品を、しかも工房というシステムで量産していたためもあるのかもしれませんが、画面は巧みな構成なのにもかかわらず、シンプルで、あまり突飛なことはしていないのです。この作品では、中心にキリストが据えられていて、それで画面は安定しています。その両側に天使を配していますが、さすがにシンメトリーは崩していますが、中心が安定しているので、そこでシンメトリーを崩して硬くならないようにしている。そして、キリストが腰掛けている石棺の上下で対比をつくり、下には髑髏や蛇を踏みつけている。つまり、キリストが勝利した相手の負けた姿が暗いところに描かれています。そして上は、キリストの勝利を天使が祝福する明るい画面にしている。分かりやすい、というわけです。
Rubence2018standrew  そして、奥でひときわ目立っていたのが「聖アンデレの殉教」です。ペテロの兄弟で漁師のアンデレはローマ帝国の総督によって十字架に磔にされ、その2日のあいだ彼を取り巻いた人々に教えを説いた。その後で天から光が差して、彼の霊は光とともに昇天したという伝説を描いたものだそうです。画面は、X字の十字架を中心に構成されています。この十字架によって、画面は対角線状に分割され、画面右側には身を震わせて馬に乗るローマ総督の姿が配され、左下では二人の女性が総督に懇願している様子が描かれています。内の一人はアンデレによってキリスト教に改宗した総督の妻ということです。磔にされたアンデレは上を向いて祈りを唱えていますが、それと反対の右上方から光が差し、その光のそばに天使がいて、月桂冠と棕櫚の枝を手にしています。この構図や画面構成は、彼の師匠にあたるオットー・ファン・フェーンの「聖アンデレの殉教」とそっくりで、そのオマージュでもあるという説明です。しかし、両者の構成は共通していても受ける印象は正反対です。フェーンがスタティックな画面を緻密に仕上げて、落ち着いた優美な印象を与えるのに対して、ルーベンスの作品は人物は劇的で感情的なポーズで、しかも少し粗めの筆触が絵筆の動きを残していて、それ自体が生命を持っているかのように、人々に躍動感を与えています。その動きに、こRubence2018standrew2 の絵を見ている人は惹き込まれてしまうような、感情的な参加してしまうような画面になっています。この荒々しい筆遣いでリアリティを画面に生み出しているのは、同時代のベラスケスにも共通するものではないかと思います。ただし、これだけの大画面を統一した筆遣いで見せるというのでは、おそらく工房で複数の画家が分担して描かせるのは難しいので、工房で作品を量産したルーベンスの中では、このような作品は珍しいのかもしれません。そういう事情については、あとで触れるかもしれません。

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