小津安二郎監督の映画「早春」の感想

物語は池辺良と淡島千景の倦怠期にさしかかった夫婦の危機を柱に浮気やサラリーマンの悲哀が絡む。夫婦の危機であれば、「お茶漬けの味」もそう。しかし、「早春」での小津はずっとシニカルだ。「お茶漬けの味」は、もともと出自の違いによってしっくり行っていなかった夫婦が、その違いを乗り越えていく話で、欠落を抱えていた家族が再生していくというパターンだ。これに対して「早春」の夫婦は、夫婦の間に隙間風が吹き始めて、些細なズレがうまれ、それが拡大していくという関係が崩壊していくという話。物語では最後に夫婦はヨリを戻して、一時的な別居は解決して再出発することで終わる。しかし、そこには「お茶漬けの味」の夫婦二人で深夜の台所をあさりお茶漬けを食べる長回しのワンシーンワンショットのようなポジティブな高揚はなくて、夫婦は同じフレームに収まらず、「東京物語」の笠智衆と東山千栄子の老夫婦が同じ方向を向いて並んで座ることも殆どない。「早春」では最後の最後、別居したまま転勤した池辺良の単身赴任先に、淡島千景が訪ね、下宿先の窓辺で二人が並んで外を見る。それがとってつけたように見えてしまう。それゆえ、シニカルな苦味を伴った諦念が漂う。それは、「東京物語」で完成した小津調の映像を自己パロディのように形式化した上でズラしてみせて、見るものに違和感を抱かせることによって。
「早春」が公開された1956年の経済白書には“もはや戦後ではない”と書かれ、戦後復興から高度経済成長へと時代が大きく転換し、伝統的な社会の崩壊が始まった。それまでの小津の作品では戦争で欠落を生じた家族が再生していく話だったのが、この「早春」の夫婦は欠落を抱えておらず、それが崩壊していく話に転換している。時代の変化の影響を受けたとは言わないが、小津自身の作品の転換と時期が重なったのは偶然とは思えない。そこには、小津自身が小津調と言われる映像を距離をおいて客観視し、そこでそれまで疑問すら抱いていなかった自身のアイデイテティを見直している苦味が作品に表われているように気がする。それゆえに、小津ファンとしては、とりわけ愛しい作品。
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